2019/07/10 - 2019/07/10
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ペコちゃんさん
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7月の○○会は9名で、埼玉県東部にある人口約23万人の春日部市に出かけました。
午前中は、「地下神殿」とも呼ばれる「首都圏外郭放水路」の見学です。
国道16号の地下約50mに、13年の歳月をかけて2006年に完成した長さ6.3kmに及ぶ放水路は、世界最大級。
そして、流れ込む水の勢いを調節する「調圧水槽」にコンクリート柱が立ち並ぶ様子は、まさに地下神殿を思わせる迫力と神秘的な雰囲気に満ちており、世界に誇る日本の土木技術のレベルにも圧倒されました。
午後は春日部の市内散策。
春日部は、江戸時代に日光街道4番目の「粕壁宿」として栄えた宿場町でしたが、今は街中を彩る数々の彫刻やシャッターアートなど見どころが多い街になっています。
そんな春日部市内を、ボランティアガイドの案内で歩いて回りました。
写真は、多くの見学者が訪れる人気スポットの「地下神殿」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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地元を8時過ぎに出発し、川越経由で大宮に。
船橋行の東武野田線(アーバンパークライン)急行に乗り換えます。 -
大宮駅から、春日部駅の二駅先にある南桜井駅に25分で到着。
駅前ロータリーに面してスーパーなどが並んでいます。 -
駅前から地下神殿がある「龍Q館」までは、コミュニティバス「春バス」で・・・春日部は、どこも「クレヨンしんちゃん」で埋まっています。
「クレヨンしんちゃん」は春日部市出身の漫画家・臼井義人の代表作で、1990年に「漫画アクション(双葉社)」で連載が始まり、1992年にテレビ朝日でアニメ化されました。 -
約10分で「龍Q館」に到着。
歩いても40分ほどだそうですが・・・ -
ここは国交省の首都圏外郭放水路管理支所の建物で、「庄和排水機場」の設備がありますが、地底探検ミュージアム「龍Q館」も兼ねています。
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「龍Q館」の名前は2003年の開館の時に、市民募集によって春日部市に伝わる「火伏の龍」伝説と、「AQUA(水)」に因んで命名されました。
今回は11時からの「地下神殿コース」(定員50名・55分・1,000円)へ参加しましたが、他に「立坑体験コース:3,000円」や「ポンプ堪能コース:2,500円」もあります。 -
受付がある2階の廊下には、来館した多くの芸能人・著名人の色紙がビッシリ。
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” まいう~ ” の石ちゃんや森口博子・高田純次・福山雅治など等、多数の色紙で埋め尽くされています。
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映画「翔んで埼玉」でも地下神殿が撮影に使われました。
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「下町ロケット」などのロケでも使われた「中央操作室」。
通常は1名で施設全体の動きを監視しますが、稼働時は8名体制とのこと。 -
見学開始時間の10分前に2階の「地底体感ホール」で、映像により施設の概要を学習します。
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今から約7000年前の春日部は海でしたが、海岸線が後退し現在の地形となりました。
利根川・荒川・江戸川に囲まれた春日部周辺は、水が溜まりやすい皿のような地形になっており、台風などによる洪水災害が絶えなかったため、溢れそうになった市内外に流れる中小河川の水を地下に取り込んで、地下50mを貫く総延長6.3kmのトンネルを通して江戸川に流す世界最大級の地下放水路「首都圏外郭放水路」を造った訳です。 -
ビデオの後は、1階のロビーで施設の概要説明を聞きます。
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構成施設は、中小河川から水を取り込む深さ70m前後の《立抗》、取り込んだ水を流す《トンネル》、水を一旦地下に溜めておく《調圧水槽=地下神殿》、そして溜まった水を江戸川に吐き出す《排水機場=龍Q館》の4つに大別され、5つの立抗はトンネルで結ばれています。
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これは、トンネル工事で使用した泥水式シールドマシンの模型。
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外の広場に展示されているシールドマシンの面板(カッター)。
第1工区トンネル(1,396m)を掘った時のシールドマシンの先端部分で、外径約12m、重さ120トン、688個の歯が付いています。 -
説明の後、建物を出て「調圧水槽」=「地下神殿」に向かいます。
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龍Q館前の広い芝生の広場では、サッカーの試合やゲートボールも行われるそうで、この下が地下神殿になっています。
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厳重に鍵が掛かっている入口扉を開けて地下神殿へ。
調圧水槽の中に一人でも残ることがないよう、入る時も出る時も、ガイドさんが人数をカウントします。 -
116段の階段を下りて行くと、急に涼しくなってきます。
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今、下りてきた階段。
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地下22mに造られた地下神殿の気温は、年間を通じて約15℃。
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柱に表示されたポンプの始動水位と停止水位。
地下神殿の柱は2m×7mの楕円柱で、高さ18m、重さは1本当たり500トンもあり、59本の柱で177m×78mの巨大水槽の空間を支えています。 -
簡単な説明が終わり、この後は10分間の写真撮影タイム。
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調圧水槽の高さは18mもあり、ビルの6階に相当するというだけあって、地下とは思えないほど広く、天井からのライトで幻想的な雰囲気に包まれています。
先ずは仲間の皆さんと記念写真。 -
大雨で施設が稼働した時や保守時など、見学会では必ずしも地下まで下りて見られるとは限りません。
2006年に完成して以来、年に6~8回程度稼働し、2,300億円かけて整備したお陰で、周辺の浸水被害は大幅に軽減されました。 -
大きな柱がいくつも立っている光景は、本当に地下神殿のよう・・・巨大施設に圧倒されます。
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地下神殿は、トンネルを通じて流れてきた水勢を弱め、スムーズに排水するための巨大なプールのようなもので、首都圏外郭放水路のシンボル的な施設です。
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地下神殿の柱の空間の反対側にある「第1立坑」。
洪水時に第5~第2立坑から流入した各河川の水は、地下神殿より更に50m下のトンネルを流れて第1立坑から調圧水槽に溜まり、庄和排水機場でポンプによって江戸川に流されます。
内径が30~31.6m、深さは72.1mの巨大な第1立抗は、スペースシャトルや自由の女神がスッポリ入る驚きの大きさ! -
地下神殿と立坑の境の縁石は、汚泥を搬出するブルドーザーの安全のための車止め。
地下神殿の見学者が立ち入るエリアは人力で汚泥を除去しますが、調圧水槽全体の大掃除は、年に1回程度、雨の少ない時期にブルドーザーを使って行います。 -
では、どこから重機を搬入するのか・・・地下神殿の入口の先に見える柵で囲った所から重機を吊り下ろすそうです。
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次に、「第1立坑」の入口へ。
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階段の途中にある見学エリアから立坑を見学。
右上が先ほどの地下神殿で、ここから下に水が入ってくるため、第1立坑の色が変わっています。 -
まるで大きなマンホールの中を覗いている感じ。
驚くことに、水の中には60cm位のライギョが何匹もいるとか・・・魚や藻を取り除く3cm四方の網を潜り抜けた稚魚が立坑の水の中で成長し、棲みついているそうです。 -
見学エリアの反対側から覗いても、足がすくみます。
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排水機場の1階には、江戸川に排水するための装置が並んでいます。
洪水と聞くと大きな川の氾濫を想像しますが、大きな川は川幅もあり簡単には氾濫せず、中小河川は川幅が狭いため、大雨でなくても氾濫することがあります。
江戸川の上流で降った大雨が、下流に流れてくるまでには時間がかかるので、江戸川の水位が上がる頃には「首都圏外郭放水路」の排水は、概ね終わっているのだそうです。 -
地下神殿の見学が終わり、路線バスで春日部駅・東口へ。
明治32年に東武伊勢崎線・粕壁駅として開業し、昭和24年に春日部駅へ改称(町村合併で粕壁町から春日部町へ改称したため)しましたが、駅舎は高架でなく昔のままなので、西口に通り抜けできません。 -
東口の駅前ロータリーには、時計台があり・・・
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彫刻が飾られています。
この一連の作品の題名は『心の橋』(富田憲二・山本明良 作) -
橋は人と人を結ぶ心に架かる橋を意味し、ブロンズ像の姿にやすらぎと潤い、健康で逞しく協調性のある未来を表しているそうです。
家族や子供をテーマにした作品を見ていると、心が和みます。 -
駅舎に自由通路がないため、駅から約200m南にある「富士見地下道」を通って西口に向かいます。
入り口も地下道も、アートっぽいデザイン。 -
遠回りして春日部駅西口へ。
綺麗に整備された駅前ロータリー。 -
昼食は「季寄せ料理 暖歩」で。
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先付・お造り・焼き八寸・煮物・蒸し物・揚げ物に・・・
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珈琲とデザートがついて1,600円・・・皆さん、感激&満腹。
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昼食後、再び地下道を通って東口にある春日部情報発信館「ぷらっとかすかべ」へ。
ここで、事前に予約しておいたボランティアガイドと待ち合わせ・・・2名のガイドさんに街歩きを案内してもらいます。 -
これは、館内に飾られた大凧のミニチュア飾り。
毎年5月3日と5日に春日部の江戸川河川敷で開催される「大凧あげ祭」・・・2張の大凧と4張の小凧をあげて、子供達の健やかな成長を願う祭で、百畳(縦15m、横11m)にもなる大凧は、和紙と竹を使いながら約3ヵ月もかけて作られます。 -
7月中旬には、市内八坂神社の例祭として「春日部夏まつり」が開かれ、市内各町の神輿22基が練り歩きます。
館内左側に展示されている神輿の重さは1トンで、担ぎ手は約200人。 -
ガイドさんから貰った「粕壁宿めぐり」のマップを手にして、学校通りを歩きます。
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春日部は東口を中心に、多くの彫刻が街中に設置されています。
1988年の「ふるさと創生事業」で、各市区町村に1億円が交付されましたが、春日部市では市民のアイデアから「彫刻の街かすかべ」をテーマに彫刻を設置し、現在は22体の作品が市内に点在しています。
これは「ぶらっとかすかべ」近くの歩道にある作品「風になるとき」(西野康造作)・・・鳥の翼は実際に羽ばたくように動きます。 -
この作品は「おでかけ」(藤原吉志子作)・・・フロックコートを着たウサギが心躍る出会いのために出かけようとしている彫刻で、童話の世界を感じます。
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ウサギさんの近くにある史跡案内板は「加藤楸邨 旧居跡」。
国文学者で俳人の加藤楸邨(1905~1993)は、日本の現代俳句を代表する俳人の一人で、1929年に粕壁中学校(現在の春日部高校)に教員として奉職して俳句と出合い、8年間この地で暮らしました。
『畦塗りて あたらしき野が 息づけり』 -
この作品は、まちなみ公園にある「旅人・樹陰」(池田宗弘作)・・・人は皆、人生の旅人、より良い明日のために樹陰でちょっと一服。
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消防署東分署近くの道路の植え込みにある作品は「風の門」(峯田義郎作)。
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マンションの入り口に飾られた作品。
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教育センターの1階にある「郷土資料館」へ。
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入り口を入ったホールにある作品は「巣立ち」(加藤豊作)・・・指先から飛び立とうとする小鳥は、少女の希望に満ちた未来を表しているそうです。
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郷土資料館では、3万年前から現在に至るまでの春日部のあゆみを常設展示しています。
粕壁宿は日本橋から千住・草加・越谷に続く日光道中4番目の宿場町で、道幅は約9m、通りの長さは約2.7km。
館内中央に展示された1/200の模型を見ながら係員の説明を聞きました。 -
日光道中(日光街道)は、江戸時代に整備された五街道の一つで、日本橋から日光東照宮まで(142km)の街道です。
日光道中は日本橋から宇都宮宿まで奥州道中と共用され、東北方面の大名の参勤交代や日光社参(徳川将軍の日光参拝)の道として利用されたので、日光道中が通る粕壁の町は宿場町として栄え、通行者に馬や人を提供したり、本陣・脇本陣や旅籠など宿泊施設が整備されました。
(本陣:大名や旗本、幕府役人などの宿泊所として指定された家) -
また、松尾芭蕉などの多くの旅人が日光道中を通り、粕壁宿で休泊しました。これは、芭蕉が宿泊したと伝わる「東陽寺」の模型。
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教育センターの脇にある作品は「小さな花」(黒川晃彦作)・・・小さな花の鉢を持つ少女とベンチ、一休みするのに格好な作品ですが、やっぱりおじさんは邪魔(?)
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この道(かすかべ大通り)が日光道中だった所(上の写真:北側、下の写真:南側)・・・残念ながら宿場町の風情は殆ど残っていません。
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郷土資料館の模型にもあった曹洞宗寺院の「東陽寺」は、1469年頃の開創と言われています。
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お寺の入り口にある石碑には、「伝 芭蕉宿泊の寺」とあります。
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1986年に改築された本堂。
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芭蕉の弟子・曽良の日記によると、芭蕉が奥の細道の道中、ここに宿泊したと記され、本堂前の石碑に「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と刻まれています。
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散策の途中、浮世絵のシャッターアートを発見・・・タイトルは「桜を愛でながらお酒をたしなむ女」。
かつての宿場町の面影を楽しんでもらおうと2011 年に「かすかべ景観再生プロジェクト」がスタートし、シャッターアートはその一環。
市内の数十カ所で、粕壁宿の歴史や時代風景を再現したシャッターアートを楽しめます。 -
市民文化会館前の彫刻は「神話Ⅱ」(加藤豊作)・・・ギリシャ神話に登場する最高の支配者・ゼウスの胸に、美しい人妻・レダが今まさに飛び込もうとしている一瞬を捉えたもので、愛と憎しみ、そして求めあうものを追求して表現したインパクトのある作品です。
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市民文化会館前にある「春日部薬草園跡」の記念碑。
ここには、大正11年に開設された日本初の国立薬用植物栽培試験場があり、特に「ケシ」が栽培されていて、毎年5月にはケシの白い花が咲き乱れていたとのことです。(昭和55年につくば市に移転) -
中央図書館入り口前の彫刻は「道標・鳩」(柳原義達作)・・・大自然の中にいる鳥が、生命の不思議さに生きているように、自分が生きている不思議さを鳩に託して刻んだ作品です。
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薬草園跡沿いに歩いて行くと、大落古利根川(おおおちふるとねがわ)に出ました。
徳川家康の利根川東遷事業以前は、この流れが利根川の本流でした。 -
川沿いにある「碇神社」は、名主を務めた多田家の屋敷稲荷だったそうです。
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祠の傍にあるのは、樹齢約600年と言われるイヌグス(タブノキ)の巨木・・・イヌグスは西日本の海岸地に多く自生している常緑高木で、この木は北限のものと言われ、埼玉県の天然記念物に指定されています。
かつては高さ12mもありましたが、台風の影響で傷つき、今は7mほど。
江戸時代には、この近くにあった河岸の目印となっていたそうです。 -
粕壁宿にあった「本陣跡」の道標。
本陣は江戸時代を通じて四度も変わっており、ここはその一つ。 -
右側のインド料理店の所に、1754年まで本陣を務めた関根助右衛門の屋敷がありました。
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春日部市のマンホールにデザインされた、春日部市の花「藤」・・・春日部市の藤花園にある樹齢1200年の「牛島の藤」は有名ですね。
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明治7年(1874)に建てられた土蔵造り二階建ての「田村家本家」。
以前は米穀商を営んでいました。 -
家の前には、天保5年(1834)に建てられた道標が立っており、「西南いわつき」「北日光」「東江戸右乃方陸羽みち」と彫られています。
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街の中心を流れる古利根川に架かる全長79mの「古利根公園橋」。
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市制30周年記念事業として1984年に造られたモニュメントは、埼玉県の県鳥・シラコバトをデザインした風見鶏に、麦わら帽子をイメージしたアーチ。
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日没後は、季節やイベントに応じたライトアップを行っています。
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街灯の傘も、麦わら帽子のデザイン。
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欄干には埼玉県の花「サクラソウ」をデザインしています。
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東岸の壁に刻まれた「トテ馬車」のレリーフ。
トテ馬車は、馭者が「トテトテ」と吹き鳴らすラッパの音から呼ばれたもので、明治26~29年に千住と粕壁の間を3時間かけて運行する千住馬車鉄道がありました。 -
橋上に飾られた彫刻。
左上:「夏」(桑原巨守作) 右上:「ジーンズ・夏」(佐藤忠良作)
左下:「思い出」(山本正道作) 右下:「茉莉花」(舟越保武作) -
「新町橋」は江戸時代には大橋と呼ばれた板橋で、古利根川に架かる唯一の橋でした。
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かつて橋の上流には「上喜蔵河岸」と呼ばれた船着場があり、当時の石垣が僅かに残っています。
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粕壁宿の北側には寺院が集まっており、寺町と呼ばれます。
その中の一つ「最勝院」は、真言宗智山派の寺院。
1651年に死去した三代将軍・徳川家光を日光東照宮に埋葬するために、江戸を発った一行が最初に宿泊したのが、この最勝院です。 -
立派な本堂。
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御本尊は千手観音菩薩。
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本堂西側にある「春日部重行公御霊古墳の記」の石碑。
ここには、鎌倉時代後期の武将・春日部重行(1294~1336)を葬った塚があります。 -
巨大なシイノキの下にある春日部重行の墳墓。
1333年、重行公は新田義貞と共に鎌倉幕府の執権・北条氏を滅ぼし、その後、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏を京で迎え撃ちますが、1336年に自刃を遂げ、長男の家縄が最勝院に遺骨を葬りました。
春日部市では地名の由緒を春日部重行としていますが、諸説があります。 -
最勝院の近くにある「高札場跡」。
ここは日光道中と寺町通が分岐する三差路で、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを掲示する高札場がありました。 -
高札場跡の向かいにある重厚な黒漆喰の土蔵は、明治時代前期に建てられ、戦前まで「佐渡屋」と言う屋号で米穀商を営んでいた「浜島家住宅土蔵」。
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その先にある「永嶋庄兵衛商店」は、慶長年間(1596~1615)から19代続く米穀問屋で、今でも営業しています。
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建物は明治初期の建築で、屋根上にある魔除けの鍾馗様が印象的。
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シャッターアート「米問屋の風景」。
粕壁宿の歴史や時代背景をイラストで再現したシャッターアートも見ものですが、シャッターが下りている時しか見られないのが残念。 -
「山中千手観音堂」は、江戸時代半ばに活躍した俳諧師・増田眠牛の菩提を弔うために建立されたお堂です。
当時、眠牛は千手観音を背負って、この地方を行脚していたそうです。 -
駅の近くにある「神明社」。
天明年間(1781~1789)に、地元の豪族・九法四郎兵衛が竹薮の土中から厨子に入った神体と鏡が出てきたことから、祠を建てて祀ったのが当社の始まりと言われています。
12月14日の「新穀感謝祭(酉の市)」には露店が立ち並び、夜遅くまで賑わうそうです。 -
約2時間半にわたり、粕壁宿を中心に春日部の見どころを見て回りました。
丁寧に案内してくれたガイドさんに感謝しながら、帰路に着きました。
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