2019/05/04 - 2019/05/04
3位(同エリア618件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/05/04
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電車での移動
東京駅:6時28分発→長野駅:8時06分着(北陸新幹線「はくたか551号」)
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バスでの移動
長野駅:8時30分発→戸隠奥社:9時38分着(ループ橋経由戸隠高原行き)臨時便のため早く到着
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徒歩での移動
戸隠奥社バス停:9時35分→戸隠奥社:10時05分
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徒歩での移動
戸隠奥社:11時35分→戸隠中社:12時20分
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徒歩での移動
戸隠中社:13時20分→戸隠火之御子社:13時35分
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戸隠火之御子社
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徒歩での移動
戸隠火之御子社:13時40分→戸隠宝光社:13時50分
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戸隠神社宝光社
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バスでの移動
戸隠宝光社:14時38分→善光寺大門:15時23分
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この旅行記スケジュールを元に
令和元年、今までにない10日間という長い休みでした。例年のGWでさえもかなりの混雑ですが、それ以上に各地で混雑しました。
しかも神社仏閣などは令和元年の御朱印に、明治神宮にあっては8時間もの長蛇の列のニュースも・・・。
そんな中、金沢に続いて弾丸日帰り一人旅を強行することにしました。
【旅程】
5月4日(土)
東京駅:6時28分発→長野駅:8時06分着(北陸新幹線はくたか551号)
長野駅:8時30分発→戸隠奥社:9時38分下車予定(ループ橋経由戸隠高原行き:臨時便のため早く到着)
戸隠奥社バス停: 9時35分→戸隠奥社:10時05分(徒歩)
戸隠奥社・九頭龍社:10時05分→11時35分(参拝・御朱印)
戸隠奥社:11時35分→戸隠中社:12時20分(徒歩)
戸隠中社:12時20分→12時45分(参拝・御朱印)
岩戸屋:12時50分→13時20分(昼食)
戸隠中社:13時20分→戸隠火之御子社:13時35分(徒歩)
戸隠火之御子社:13時35分→13時40分(参拝)
戸隠火之御子社:13時40分→戸隠宝光社:13時50分(徒歩)
戸隠宝光社:13時50分→14時10分(参拝・御朱印)
戸隠宝光社:14時38分発→善光寺大門:15時23分下車(路線バス)
善光寺:15時25分→17時15分(参拝・御朱印)
善光寺:17時15分→長野駅:17時50分(徒歩(ぶらぶらしながら))
長野駅付近:17時50分→18時50分(買い物と休憩)
長野駅:19時03分発 東京駅:20時23分着 (北陸新幹線かがやき514号)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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長野駅前の様子です。
車は大渋滞になりそうだったので、北陸新幹線で向かいました。
改札を出ると左にバスターミナルの表示がありますが、右の善光寺方面に出ました。他の方のブログを参考にしました。
私は地階に降りてしまったので、この横断歩道を渡りました。
目の前にドンキホーテが見えます。 -
7番乗場です。
横断歩道渡って、左側にあります。
そして目の前にはアルピコ交通長野駅前交通案内所があります。
こちらでお得なチケットを購入できます。
私はバス内で現金で支払いました。(確かスイカは使えなかったと思います。)
ここから、戸隠神社奥社までは、1350円でした。
こちらには8時15分には着きましたが、予想通り既にたくさんの方々が並んでました。
座れないと、1時間以上はきついと思っていたら、臨時便が出ることになってました。
そんなわけで、私は先に来た臨時便に乗って、予定より少し早く出発しました。 -
バスからの車窓です。
ループ橋です。なかなかの景色でしたが、ちょっとぶれてしまいました。 -
バスの乗客も多かったのですが、当然車も多かったです。
バス乗り場、駐車場のそばには、お手洗いも勿論あります。
思っていたより綺麗でした。 -
さて、ここからいよいよ徒歩で向かいます。
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参道へと続く道です。
私が出発する際に、既に戻ってくる人たちもいました。
片道約40分かかりますので、早くいらしたのでしょうね。
宿坊もありますから、泊まられた方の特権です。 -
小さな橋を渡ります。
左側には森林植物園もあります。
そちらには「熊出没注意」の看板がありますた。
ちなみに旅行前日に、福島県北塩原村の磐梯朝日国立公園・桧原湖の近くで、男性がクマに襲われて大けがをしたというニュースを見たので、念のため友達に作ってもらった可愛い錫をつけて行きました。 -
鳥居の手前には「下馬」とあります。
昔はここからは、馬を降りて行ったのでしょう。
こちらからは神の領域に入ります。一礼して入ります。 -
小さな小川とも呼べないようなせせらぎです。
かものようです・・・。 -
日が差し込んできました。
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木々が鬱蒼としてきました。
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狛犬が迎えてくれます。
右が阿形(あぎょう)、左が吽形(うんぎょう)です。
でも口が閉じてるかどうか、この写真ではわかりませんね(>_<) -
右の阿形(あぎょう)は口を開けてます。
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山門が見えてきました。
赤くて目を惹きます。
ただ、平安神宮の朱色とは違い、あくまでも赤色です。 -
山門の萱葺きの屋根は苔むしています。
他の方の写真を拝見したときは、もっと苔が多かったのですが・・・。
さて、こちらには随神門(ずいしんもん)と書かれています。
「随身門(ずいじんもん)」と同じ意味なようです。
随神が祀られています。
これは邪悪なものが入ってこないようにこの御門を守る神が祀られています。
また随身(ずいじん)とは、平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人。令外官だそうです。
ちなみにこの門の左右にいるのは、そのような人に見えますが、一応は門を守る神様のようです。 -
戸隠神社御本社復興記念碑(逆光で見えなくてすみません)
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さて、ここからはいよいよ杉並木です。
樹齢400年を超えるそうです。これが約2km続くので圧巻です。
天然記念物にも指定されています。 -
随神門を過ぎてから、神聖な気のようなものを感じます。
さすがにパワースポットと言われるだけあります。 -
今回は大型連休で多くの方々がいましたが、もし誰もいなかったら、ちょっと不安になってしまうような・・・・
神様に対する畏れを感じるような厳かで静謐な感じでした。 -
奥社院坊跡
随神門(旧仁王門)の内側道側左右にある嘉祥3年(850年)以来、戸隠権に奉仕した院坊の跡です。
ここにあった院坊は、中社、宝光社に住居を移したようです。 -
この木にも神様が宿っているようです。
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法然国師(1207~1298年)は信濃国神材木村に生まれ、19歳で出家、東大寺で受戒の後入宋無門の法を嗣ぎ、帰国して由良興国寺に住持慈母を招いて孝養し母の死後32年間墓参し、92歳で殉しました。
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奥社への参道には、雪が残っています。
これが雪解け水となって、足元が結構悪かったです。
雪で滑ったり、泥水が撥ねないように注意して歩きました。
白いパンツの方は、裾がお気の毒なことになっていました。 -
階段になっています。徐々にきつくなってきました。
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このせせらぎは、まるで蛇か龍のようです。
蛇行して流れている様は、水の化身である水神であるかのようです。 -
ついに神社に着きました。
ただ、御朱印をいただく方の列が、連なっていました。
予想通りでした。(-_-;)
まずは参拝の列に、並びました。
こちらは、山の上に建てられているため、ドロドロで雪の残っている階段に並ばなければいけません。 -
右側の屋根は御手水舎の屋根です。
この先に狛犬がいます。
そして階段を登った所が神社です。 -
御手水舎です。
まずは左手を清めて、そして右手を清めて、口も清めはしたのですが、中の水が
汚れていて、唇に軽くあてる程度にしておきました。(すみません)
一応は穢れが清められたでしょうか・・・。 -
左の狛犬は人がいたので、撮れませんでした。
こちらは右側の狛犬です。
先ほどとは違って口を閉じています。 -
ようやく階段を登ることができました。
下には後から来た人が、ずらーりと列になっています。
さすがは10連休です。 -
ついに奥社です。
質素な佇まいに、癒されます。
手前の方の顔を消させていただきました。すみません。
どう撮影しても、今回は必ず人が入っていまします。 -
戸隠神社
天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が御祭神です。
天手力雄命をこの戸隠山の麓に奉斎しております。
天手力雄命は、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、天の岩戸を開いて、天照大神をお導きになりました。
修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山や高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めました。
(平安時代後期以降は、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として知られるようになったのです。)
ただ、明治になってからは、神仏分離の対象になったために、お寺は切り離されました。
そして宗僧は還俗して神官となって、戸隠神社と名前を変えることになりました。
奥社は戸隠神社の御本社として、開運、心願成就、五穀豊穣、スポーツ必勝などに御神徳があり尊信されています。令和元年の10連休に参拝しました。 by noelさん戸隠神社 奥社 寺・神社・教会
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小さな神社もありました。
「戸隠大神」を祀っています。
こちらは、あまり参拝されている方がいませんでした。
後ろの列の方にお願いして、ちょっとだけ参拝させていただきました。
(列から抜けると、また振り出しに戻って、更に下に戻って並ばなければならないので、ちょっとお願いしました。) -
この下に見えるのが、社務所です。
列がずーっと続いているので、参拝の列なのか、御朱印の列なのか、はっきりしませんでしたが、とりあえずは参拝した後に、そのまま繋がっているようでした。
ですから、御朱印が必要ない方は、参拝して列から逸脱すれば良いようです。
ただ、見た限りほとんどの方がそのまま並んでいました。 -
九頭龍神社の脇の崖です。
こちらにも石碑があります。 -
まだ雪がかなり残っています。
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九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)が御祭神です。
こちらの方が奥社よりも古い(年月は不明ですが)のだそうです。
生命の源、水を司る雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神、心願成就の拠り所として尊信されています。
しめ縄もよく見ると、龍のように見えます。戸隠神社 九頭龍社 寺・神社・教会
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天皇陛下のご即位を、お祝いしています。
こちらでも、御朱印待ちの行列に並んだまま、後ろの方にお願いして参拝しました。
他の方もそのようにしていました。
それぞれに行列を作れるぐらいの広さがないので、いたしかたないです。 -
御朱印待ちには1時間以上かかりました。
空を見上げると青空になっています。
歩いていると暑くなりますが、御朱印待ちの時には日陰で汗がひいてきましたので
上着を着ていました。用心深いので厚めのニットのパーカーと、薄いウインドブレーカーも持っていきました。 -
戸隠山は戸隠連峰の一峰で、標高は1,904mもあります。
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こちらは奥社の御朱印です。
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九頭龍神社の御朱印です。
ちなみに奥社・九頭龍社の御朱印をもらうため番号札をいただきましたが、213番でした。 -
行きはせっせと一心不乱に歩いていたので、見落としてしまっていました。
小さな鳥居があります。
ちょっと寄ってみます。 -
「飯綱大明神(いいづなだいみょうじん)」が祀られているようです。
これは山岳信仰の神仏習合の神様です。 -
髄神門が見えてきました。
このあたりになると、だいぶ道も歩きやすくなってきました。 -
石碑があります。
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ひっそりとしています。
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この細い道は中社への道です。
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今度は中社へ向かいます。
奥社入口とは繋がっていません。
一旦駐車場方面まで行くと、そのちょっと先の向かい側にあります。
越水ヶ原を経て中社へ1.5kmです。 -
こんな所にも・・・。
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アルプスの山々が見渡せます。
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壮大な眺めです。
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稚児の塔です。
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孝子稚児の塔です。
昔養子をもった夫婦がいました。
妻が留守の日、妻あてに手紙がきました。
夫はあやしいと思ったのですが、自分は字が読めないために養子に読み聞かすように言いました。養子は事情を察し、内容を違えて読んで、夫婦の仲をまるく納めました。
そしてその子は夭折しました。里人はこの子の賢さを偲んで供養塔を建立しました。
「本朝孝子伝」にも書かれているそうです。 -
釈長明火定所(しゃくちょうめいかじょうしょ)・・・公明院に石碑があります。
こちらは釈長明(法華経の持経者)を祀っています。
平安時代の中頃、火定によって即身仏となりました。 -
諸国一之宮(しょこくいちのみや)
全国六十六ヵ所の霊場のことを六十六州と言います。
その六十六州に法華経を一部ずつ納めて巡礼する行脚僧がいました。
こちらでは六十六州をその国の一の宮としました。
そしてここに参拝すれば、六十六国すべてを廻ったことになるのです。
法華経六十六部を書き写して地中に埋めました。 -
宝筐印塔
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修験道別格寺「公明院」
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なんだか広々としていると思ったら、紫友会の土地でした。
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「比丘尼石(びくにいし)」
女人禁制の禁を侵した結果、石になってしまいました。
この側には女人堂もありましたが、明治になってそれも取り払われました。
確かに昔は多かったと思います。
聖域には女性は入れない結界みたいなものがありました。
現在に生きているおかげで、この先にも行くことができました。
でも、日本だけではなく広い世界の中では、まだ女人禁制の場所があります。
その1つギリシャのアトス山(ギリシャ正教会の修道院があります)もそうです。
石にはされませんが、確か刑罰があったと思います。
実は行きたい所の一つですが、私が生きている間は無理かもしれません・・・。 -
中社へはこの道を通りますが、あまり歩いている人はいません。
皆さんお車なのかもしれません。 -
ここから中社までは150m
奥社入口までは、1.3km
一の鳥居まで6.4km
善光寺まで18.3kmです。 -
女人堂跡
もとは奥社遥拝堂がありました。
明治以前は、これより先には女性は入ることができませんでした。
これを侵して入ろうとした尼僧が石になったと言われています。 -
昔はこの道だったのでしょう。
私は舗装されている道を通ってきましたが。 -
ようやく着きました。
駐車場側の鳥居から入ります。 -
こちらは西参道の鳥居です。
まずは一礼します。 -
御手水舎です。
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奥社はかなり混雑していましたが、中社は思ったほど並んでいません。
ホッ! -
そうは言っても、このぐらいは参拝のために並んでいました。
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こちらにも雪が残っていました。
木々に覆われて、日があまり当たらないせいもあるのでしょうか。 -
御神木です。
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幹囲目通り、約7mです。
また推定樹齢約700年です。 -
宝物館・参集館
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中社側から見た様子です。
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中社(ちゅうしゃ)本殿です。
千鳥破風と唐破風です。 -
ご祭神は、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)です。
人皇第73代堀川天皇の寛治元年(1078年)に、奥社より遷祀し奉斉しました。
天照大御神が御弟神須佐之男命の度重なる非行をお怒りになり、天岩戸にお隠れになったとき、神楽を創案し、万民をして安んぜしめたという知恵の深い神です。 -
ご即位のお祝いに国旗も。
そして右の奥の方に小さいですが、さざれ滝が流れています。 -
学業成就・試験合格・商売繁盛・営業隆盛・家内安全・開運、家内安全の守り神として尊信されています。
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中社の御朱印です。
奥社と同様に「戸隠神社」とありますが、「社」の文字に押印しているのが「中社」になっています。
ちなみにこちらの番号札は322番でした。 -
御手水舎です。
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御神木「戸隠の3本杉」です。
3本に分かれています。
72m間隔正三角形状にあります。 -
本来はこちらから参拝するのですが・・。
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石段の左側の道です。
こちらは緩やかな女坂です。西参道方向へと続いています。 -
日吉社(ひえしゃ)
御祭神 瀧津姫命
宝永4年(1707年)戸隠山第52代別当子麓比叡山の麓日吉大社より勧請奉斎 -
戸隠の三本杉の1つ
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狛犬です。
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右側にも鳥居があります。
おそらく五斉神社と右の建物は五斉神社拝殿かと思います。 -
こちらの「岩戸屋」さんで、お蕎麦をいただきます。
中社の参道から少しだけ離れています。
すぐのお店には列になっていました。
この反対側にももう1軒ありましたが、蕎麦を打つのに20分かかるというので、こちらのお店にやって来ました。 -
天婦羅蕎麦をいただきました。
1500円でした。
天つゆと蕎麦つゆが別になっていたので、ありがたかったです。
蕎麦つゆに油が浮くのが、あまり好きではないので・・・。 -
お昼もいただいたので、次へと向かいます。
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おっとその前に、この御神木を拝んでから。
これは神社の敷地内ではなく、道路上にあります。 -
目通り16m
高さ目測で38m
3本杉は八百比丘の伝説があり、御神木として崇められています。 -
中社までの道には民家はありませんでしたが、火之神子社、宝光社への道は民家のある中を通って行きます。
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この日は5月4日です。翌日は子どもの日です。
鯉のぼりが見えます。
当たり前の風景ですが、都心部では見かけないので、懐かしい風景です。 -
道標があります。
細い道が枝分かれしてるので、これを頼りに歩きました。 -
何気ない道ですが、やはり神様の道なのでしょう。
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誰もいません。
奥社に向かう時には人が多かったのですが、ちょっと可笑しいような不思議な気分です。
でもお天気にも恵まれて、この景色を独り占めできて、心地よく歩けました。 -
火之御子社は、ひっそりとしています。
こちらには社務所がありません。
御朱印は、参拝をした後に、宝光社でいただくことができます。
あるいは、中社の方でいただけます。
本来の順序だと、中社でいただくのでしょうが、私のように登り坂を避けて反対方向から参拝する人もいるのでしょう。
または、何度か足を運ばれる方もいるのかと思います。
ありがたいことです。 -
火之御子社
1098年が創建された年です。
御祭神は天鈿女女命(あめのうずめのみこと)です。
舞楽芸能上達、開運、縁結び、火防の守り神として尊信されています。 -
こちらが一番空いていました。
参拝されている人は、少しだけでした。 -
立派な杉です。
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樹齢約500年の「夫婦杉(日本杉)」
1つの根から2つの枝が分かれています。 -
夫婦の神様を祀っているのだそうです。
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西行桜かもしれません。
確かこの側にあったと思うのですが・・・。 -
質素で飾り気もないので、かえって心打たれてます。
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宝光社へと向かいます。
10連休なのに、人に会わないので、深山に入った気分です。 -
分岐点まで来ました。
←は宝光社、そして→は中社です。 -
NHKの小鳥の声の記念碑だそうです。
この周辺は小鳥の森のようです。 -
伏拝所
伏拝(うしおがみ)とは、室町時代の古書に「御正体飛来の処」と記されているそうです。
天歴年中(950年)頃、阿智の祝部(神主)が、宝光社の御祭神・天表春命を奥社に合祀しました。
康平元年(1058年)天表春命の御正体が、この地に飛来し「奥社は女人禁制にして、冬は登拝が困難である。この地は四季を通して、老若男女がお参りできる社を建て、我を安置せよ」と申されました。里の人々は御神意によって、宝光社を建立し、御正体をお祀りしたと伝えています。 -
杉林の小道が続いています。
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「神道(かんみち)」という響きがいいです。
より神聖に感じます。 -
私の場合は神道から、世俗の世界に戻って来てるのですが。
この案内を見て先に進むと、本当に神に近づける気がしそうです。 -
神輿庫
中の神輿は黄金色に輝いています。 -
宝光社の社殿です。
社殿は戸隠神社五社のうち最も古く文久元年(1861年)に建てられました。
神仏習合時代のおもかげを残す寺院建築の様式を取り入れた権現造りです。 -
社務所に続いています。
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間口は五間、奥行七間、屋根は入母屋造、妻入、銅板葺です。
この奥行の深い構造は社殿建築では極めて例が少なく、貴重な遺構といえるのだそうです。 -
拝殿周りは宮彫り師、北村喜代松まつの彫刻による見事な龍・鳳凰・麒麟・唐獅子牡丹・象の木鼻・十二支などで飾られています。
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奥に見えるのが社務所(宝光授与所)です。
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御朱印をいただきました。
これは宝光社の御朱印です。 -
こちらは、その前に参拝した火之御子社の御朱印です。
ちなみに宝光社では、番号札をもらうことなく、そのまま5名ほど待っていただきました。 -
途中にありました。
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小さいですが、こちらにも祀られています。
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小さな鳥居があります。
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石段がきつい方は、この道をゆっくり来られるといいでしょう。
こちらは女坂です。 -
杉に囲まれた石段です。
私は反対方向から参りましたので、こちらを下りました。 -
宝光社の方から鳥居方向を見たものです。
石段の途中からの景色です。 -
こちらが鳥居方向からの眺めです。
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御手水舎
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戸隠神社信仰遺跡として、昭和54年3月22日に長野県の史跡に指定されています。
戸隠神社は、奥社、中社、宝光社の三社からなっています。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていました。
縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉祥2年(849年)頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源になったといいます。
その後200余年経て康平元年(1058年)に宝光院が、さらに寛治元年(1087年)に中院が開かれたといいます。
明治の初めの神仏分離によって寺を廃止して、奥院、中院、宝光院をそれぞれ奥社、ちゅう、宝光社名称を改めました。
中世には、戸隠山は武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危険に脅かされたので、三院の衆徒らは、一時、大日方氏の領内水内郡小川の筏が峰(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰りました。
修験の山の旧態がなおよく保存されている奥社・中社・宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)が史跡指定となっています。
なお、奥社・中社付近の考古学調査は、昭和38年から昭和40年(1963ー1965年)にかけての戸隠総合学術調査の一環として行われ、講堂跡をはじめ数々の遺構などが明らかにされています。 -
長野県史跡「戸隠神社」
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宝光社の鳥居です。
宝光社の御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)
第70代後冷泉天皇の康平元年(1058年)に奥社より遷祀奉斎されました。
御祭神は中社の御祭神 天八意思兼命の御子神様で、技芸、裁縫、縁結、安産、厄除、家内安全などの御神徳があり、婦女子や子供の守り神としての御霊験もあらたかにして、広く萬民に高大なるお恵みを給う大神様です。 -
戸隠神社の石碑です。
本当はここからお参りして、そして最後に奥社へ向かうべきなのですが、1日で戸隠神社と善光寺を回るため、しかも路線バスを利用するため、効率の良さを最優先しました。
また奥社からこちらまでは徒歩でしたので、下り坂が主だったため、それほど疲れませんでした。 -
鳥居で一礼して、右を見ると・・・。
秋葉信仰之源流
秋葉三尺坊大権現本宮とあります。 -
宿坊「山本館」桜が美しいです。
バス停はこの反対側のお店の前にあります。
ベンチが少しだけありました。
目の前のお店でアイスを買おうかどうか悩みましたが、善光寺まで我慢することにしました。
ちなみにこの日は渋滞のため、一部のバス停には停車せずに経路を変更して運行しました。
お陰であまり停まることなく向かえました。
町中に入ってからは、確か高校と、善光寺と駅に直接行ったように思います。
戸隠神社で少しは心が清らかになれたでしょうか・・・。
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