2019/05/04 - 2019/05/04
6位(同エリア1910件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/05/04
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バスでの移動
戸隠宝光社:14時38分→善光寺大門:15時23分(バス)渋滞のため迂回路線で運行
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徒歩での移動
善光寺大門バス停:15時25分→善光寺:15時30分
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善光寺:参拝・御朱印
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仲見世通り:買物
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仲見世通り:デザート
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徒歩での移動
仲見世通り:17時30分→長野駅:17時50分(徒歩)
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駅ビル:ショッピング
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信州くらうど
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駅ビル→長野駅(徒歩)
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電車での移動
長野駅:19時03分→東京駅:20時23分(北陸新幹線かがやき514号)
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この旅行記スケジュールを元に
令和元年、今までにない10日間という長い休みでした。例年のGWでさえもかなりの混雑ですが、それ以上に各地で混雑しました。
しかも神社仏閣などは令和元年の御朱印に、明治神宮にあっては8時間もの長蛇の列のニュースも・・・。
そんな中、金沢に続いて弾丸日帰り一人旅を強行することにしました。
この日は午前中に戸隠神社に行きました。
そしてその足で善光寺に向かいました。
【旅程】
5月4日(土)
東京駅:6時28分発→長野駅:8時06分着(北陸新幹線はくたか551号)
長野駅:8時30分発→戸隠奥社:9時38分下車予定(ループ橋経由戸隠高原行き:臨時便のため早く到着)
戸隠奥社バス停: 9時35分→戸隠奥社:10時05分(徒歩)
戸隠奥社・九頭龍社:10時05分→11時35分(参拝・御朱印)
戸隠奥社:11時35分→戸隠中社:12時20分(徒歩)
戸隠中社:12時20分→12時45分(参拝・御朱印)
岩戸屋:12時50分→13時20分(昼食)
戸隠中社:13時20分→戸隠火之御子社:13時35分(徒歩)
戸隠火之御子社:13時35分→13時40分(参拝)
戸隠火之御子社:13時40分→戸隠宝光社:13時50分(徒歩)
戸隠宝光社:13時50分→14時10分(参拝・御朱印)
戸隠宝光社:14時38分発→善光寺大門:15時23分下車(路線バス)
善光寺:15時25分→17時15分(参拝・御朱印)
善光寺:17時15分→長野駅:17時50分(徒歩(ぶらぶらしながら))
長野駅付近:17時50分→18時50分(買い物と休憩)
長野駅:19時03分発 東京駅:20時23分着 (北陸新幹線かがやき514号)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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戸隠神社からバスで移動してきました。
GWで渋滞していたため、路線バスは一部路線を変更しての運行でした。
こちらは善光寺大門のバス停から、善光寺に向かう参道です。 -
お店が並んでいて目移りします。
でも戸隠神社の後なので、雰囲気はかなり違います。
町中と山中ですから仕方ありませんが。
ちょっと不謹慎ですが、お祭気分でした。 -
仁王門再建百年、仁王像開眼百年です。
自 平成30年10月27日
至 新元号元年10月31日(まだ令和と決まってなかった段階のようです)執行
とあります。 -
周辺案内図です。
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参道(敷石)は。寛永4年(1707年)、本堂が仲見世堂跡地蔵尊付近から、現在地に移転竣工の後、7年目にあたる正徳4年(1714年)に完成しました。
本堂普請の後に、参道の路面の状態が悪く、参詣人に難儀をきたしていたために、正徳3年寄進によって敷設されました。
本堂前:腰村(西長野)西光寺住職単求
境内入口の二転門跡~山門下(218間(397m)):江戸中橋上槙町(現在の日本橋3丁目)の石屋香庄(大竹屋平兵衛)
伝説によると、平兵衛は伊勢出身で、江戸で財をなしたのですが、長男が放蕩で家に寄り付きませんでした。ある夜、盗賊が入ったので、突き刺すとそれが我が子であったといいます。
本当にショックだった事でしょう。
平兵衛は世の無常を感じ、家を後継者に譲り、巡礼の旅の途中で善光寺に来て、諸人の難儀を救うために敷石を寄付しました。
平兵衛は後に茂菅静松寺で出家し、享保11年(1726年)に没しました。
平兵衛のお墓は静松寺と善光寺境内に今も残っています。
その後も平兵衛の子孫は、敷石の修理をしてきたといいます。
敷石は、山門上が幅4間、山門下から二天門跡までが幅3間で、長方形の石が規則正しく敷かれています。
西長野郷路山産の安山岩製で総数7777枚と言い慣わされてるのですが、現在およそ7000枚が敷設されています。
一部補修を受けていますが、大部分は当初のままです。
これほどの規模を持つ近世以前の敷石の参道は、全国的にも稀なのだそうです。 -
お地蔵様です。
ひとにぎり地蔵だそうです。
念ずれば花ひらく、とあります。
私も念じてみました。
苦しいとき 母がいつも口にしていた
このことばを わたしもいつのころからか
となえるようになった そうして
そのたびわたしの花が ふしぎとひとつひとつ
ひらいていった
真氏 -
むじな地蔵
昔、下総国葛飾郡冬木村(現在の茨城県猿島群五霞町)に住んでいたむじなが、人の姿となって、善光寺参りの講中にまじってお参りしました。
むじなは折衝することなしに生きていけない自らの罪業を恥じて、後生を頼むために善光寺に燈篭を寄進したいという願いをもっていました。
白蓮坊を宿に定めてようやく善光寺への参詣を果たしたむじなは、その晩安堵してお風呂につかりました。
ところが、うっかりむじなの姿のままで湯を浴びているところ見つかり、あわててどこかに去ってしまいました。
姿を消したむじなを不憫に思った住職は、むじなが燈篭を寄進したいという願いをもっていたことを伝え聞いて、一基の常夜灯を建てました。
それが本堂の正面の向かって左の経堂の北に今も残っています。
この伝説にこめられた慈悲の世界を彫刻家の薮内佐斗司先生が、天真爛漫な童子形のお地蔵様と一途なむじなの姿で表してくれました。
白蓮坊堂内には、この像の原型の木造のむじな地蔵が安置されています。 -
仁王門です。
宝暦二年(1752年)に建立されました。
残念ながら寺大地震などにより二度焼失してしまいました。
その後大正七年(1918年)に再建されました。
山形村の永田兵太郎をはじめとする全国の信徒の篤志によるものです。
間口約13m、奥行約7m、高さ14mです。
屋根は銅瓦葺です。 -
定額山(じょうがくざん)と額が掲げられています。
これは山号です。
伏見宮貞愛親王の御筆によるものです。
ちなみに人が写らないように撮りたくても無理でした。 -
山門の左側の仁王像です。
近代彫刻の巨匠の高村光雲と米原雲海の作だそうです。 -
こちらは右側の仁王像です。
こちらも高村光雲と米原雲海の作だそうです。 -
ご覧のように賑々しいです。
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看板ねこちゃんです。
たくさんの人に囲まれています。 -
参道のお店は様々です。
そして人・人・人・人・人! -
自転車進入禁止と書かれています。
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駒返り橋
建久8年(1198年)、源頼朝が善光寺に参詣した折に、馬の蹄が石橋の穴に挟まってしまい、ここから奥は馬を返して徒歩で入ったと言われています。
ちなみ頼朝は火災で焼失した本堂の再建を行うなど、深い信仰を寄せたそうです。 -
六地蔵が並んでいます。
迷いや苦しみから救ってくださいます。 -
右から地獄界、餓鬼界、畜生界
一番右の地獄界のお地蔵様は、一刻も早く救いに行こうと片足を踏み出しているのだそうです。
なんとありがたいこと。 -
右から修羅界、人界、天界
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ぬれ仏(延命地蔵)
高さが5m38cmあります。
江戸の大火を出したとされる八百屋お七の霊を慰めるものとも伝わっています。 -
山門です。
祝 花まつりと書いてます。
この山門(三門)は重要文化財になっています。
江戸時代延享2年(1745年)に建立が始まり、寛延3年(1750年)に落成しました。
高さは約20m、正面約20m、奥行約7.8m、入母屋造りの楼門です。
樫の丸柱が18本使われています。
正面の「善光寺」という額は日光輪王寺の門跡であった公澄法親王の親筆によるものです。
楼上には文殊菩薩騎獅像と四天王立像が安置されています。
楼上の額は通称「鳩字の額」と呼ばれています。
3文字の中に鳩が5羽隠されているそうです。
そして「善」の一字が牛の顔に見えると言われていて、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を物語っているのだそうです。 -
自 平成31年4月1日
至 令和元年5月31日
新天皇陛下御即位を奉祝して本堂回廊に吹き流しを奉揚しております。 -
本堂です。
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本堂は十数回もの火災に遭いました。
ただそのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興することができました。
現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建です。
江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。
間口約24m、奥行き約54m、高さ約29mです。
これは国内有数の木造建築です。
撞木(しゅもく)造りと呼ばれています。
これはT字型の棟の形が鐘を叩く撞木に似ていることからこのように呼ばれてるのだそうです。
そして屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。 -
常香炉です。
人が多くてなかなか写せません。 -
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、創建以来約千四百年、阿弥陀如来様との結縁の場として信仰の場となっています。
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桜が咲いてます。
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千人塚(二斗八塚)
江戸時代の初期、慶長年間に起こった百姓一揆の犠牲者の冥福を祈って建てられた塔と言われています。
また延宝年間に起こった百姓一揆、二斗八騒動で処刑された人々の供養塔ともいわれています。 -
徳川家大奥供養塔
江戸幕府三代将軍家光の正室本理院、家光の乳母の春日局、家光の次男綱重の正室紅玉院など、大奥関係者の供養塔です。
江戸で善光寺の出開帳が行われた際には、大奥の強い希望で前立本尊が江戸城内に招き入れられるなど、善光寺は徳川将軍家から篤く信仰されていました。 -
吹き流しが奉揚されてます。
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鐘楼
この鐘楼は嘉永6年(1853年)の再建です。
柱が6本を持っていて、これは珍しい形式です。
柱の本数は「南無阿弥陀仏」の六字名号にちなむと言われています。
梵楼(重要美術品)は、寛文7年(1667年)鋳造の名鐘です。
平成8年には「日本の音風景百選」に選ばれました。
そして長野オリンピックの開会を全世界に告げたそうです。 -
経堂(重要文化財)
宝暦9年(1759年)に完成しました。
経本の収蔵庫です。
間口11.5m、奥行11.5m、高さ13.5mです。
中央には八角形の回転式輪蔵があります。
元禄7年(1694年)に寄進された
鉄眼黄檗版一切経(てつげんおうばくばんいっさいきょう)の経本が納められています。
輪蔵の腕木を押して一回転させると、中の経本を全て読んだのと同じ功徳が得られると言われています。 -
輪廻塔
この石柱にはめ込まれている車輪状の石(輪廻車)を回すと、諸々の苦悩から抜け出すことができるそうです。 -
護摩堂
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霊禅堂
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剣の形をしています。
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水子観音
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延命地蔵尊
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紫雲閣
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表大門旧鬼瓦
寛政元年(1799年)製作
高さ145cm、奥行27cm、重量165kgです。 -
大勧進
貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっています。
毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。 -
池があります。
スッポンや亀もいるそうです。 -
2000年前の種 大賀
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御朱印をいただきました。
この季節限定の金文字朱印の5枚組です。
かなり煌びやかです。 -
牛の銅像です。
牛に引かれて善光寺参り、です。
昔は本物の牛が飼われていたそうです。
インドからやってきて、参拝者和ませてくれたそうです。
亡くなった後は、雲上殿に祀られています。 -
栗ソフトです。350円でした。
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斜め向かいの様子です。
仲見世通りで写経の用紙を買いました。
雨宮佛具店さんです。
ちなみに善光寺寺務所で、お線香も買いました。
伽羅の香りですが、思ったよりお安かったです。 -
仁王門の裏側です。
三面大黒天像
表の仁王像と同様に高村光雲と米原雲海の作です。約2mあります。
俵に立つ大黒天に、毘沙門天弁才天の合体像としてあらわされた三面大黒天は、伝教大師叡山開基にあたり出現した姿と伝えられ、飲食の神財福の神としての信仰が、近世七福神の中心的存在として展開するに至りました。 -
三宝荒神像
高村光雲と米原雲海の作です。高さ約2mです。
火を使う神(かまどの神)として、信仰を集めています。
三宝とは仏教における「仏・法・僧」と呼ばれます。
3つの宝物を指します。 -
交通規制が解除されました。
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善光寺から駅に続く道です。
綺麗なお花のアートです。
この日はイベントもあったようです。 -
吊り下げタイプのお花が綺麗です。
ここにだけスポットをあてると、善光寺に来た事を忘れてしまいそうです。 -
北野文芸座があります。
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それほど大きくはありませんが。
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こちらも長野駅に続く大通りですが、長野オリンピックのモニュメントです。
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可愛らしい花々です。
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着きました。
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J R 長野駅です。
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お土産を買ってちょっと時間に余裕があるので・・・。
ビールもいいのですが、せっかくなので地酒でも。
信州くらうどで、日本酒利き酒セットです。
お好きなお酒を3つ選べます。
実はお店の方が、1つ間違ってしまったと言って、サービスで4種になりました。
お通しの昆布もいい塩梅でした。
これで600円です。 -
私がチョイスしたのは・・・
⑤氷筍酒「薄井商店/大町市」
⑦白貴天竜 にごり「喜久水酒造/飯田市」
⑫本日の春の酒 -
最後に駅のホームの様子です。
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新幹線がホームに入って来ました。
疎いため○○系とか全然わからないのですが・・・。
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