2019/03/31 - 2019/04/07
85位(同エリア610件中)
PHOPHOCHANGさん
- PHOPHOCHANGさんTOP
- 旅行記810冊
- クチコミ1971件
- Q&A回答24件
- 898,627アクセス
- フォロワー152人
続きです_(..)_
翌週、周り残した湯島方面へチャリを走らせました。住所的、名称的には湯島と言えど、丁度1年前まで毎日通勤した神田明神下から指呼の距離です。てか、しょっちゅうウロウロしてましたから、今更写真を撮るのも何だかなぁ、なのですが・・。
さて、視聴率の低迷が話題の「いだてん」。NHKの大河ドラマなんて、子供の時に見たくらいで(緒形拳の「太閤記」とか石坂浩二の「草燃える」とか)此処何十年も見てないのですが、今年はPHOの大好きな箱根駅伝の生みの親のドラマなのに、その金栗四三氏の事をほとんど知らないので見てみる気になったのです。
そしたら意外と面白い(確かにあちこちに飛んで判り難い部分も有るし、志ん生の必要性も理解出来ないですが)ので見続けちゃってます。
そういうのに限って他からの受けが悪いのw
-
1週間後。
桜はまだ残っていますが、今年はあくまで「お花見」目的では出かけません。
PHOの家から湯島天神に向かうには春日通りの交差点まで不忍通りを南下するので、不忍池沿いを走る(チャリです)事になります。
まだ10時前なのでボート乗り場も静かです -
春日通りと言うか、切通し坂に面した夫婦坂
-
坂上の交差点。此処から行きます、階段無しで
-
唐門
-
門に親子牛
-
「湯島の白梅」で知られる庭園
-
筆塚(泉鏡花)。
「婦系図」の作者である泉鏡花の「筆塚」は昭和17(1942)年に里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
銅鳥居脇にも筆塚在りますが -
奇縁氷人石。
この石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されています。
これは迷子が出た時に子の名を書いた紙を右側に貼って探し、迷子が居た時にその子の特徴を書いた紙貼って知らせた「迷子しらせ石標」の名残りです。この事からも、境内が多くの人で賑わう盛り場だった事が判ります。
何と迂闊★
「一石橋迷子しらせ石標」は知ってたし、写真を撮ったりもしてたのに、身近なこっちを知らなかったとは(*_*; -
亀石の背中にリアル亀w
-
梅園
-
女坂。
三十三段の石段坂で、すぐ脇にある、急な坂・男坂に対して女坂と言います -
男坂。
三十八段の石段坂で、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂と言います。
PHOは小さい時からいつもこっちを上ってました。北京郊外の万里の長城(八達嶺)でも男坂♪ってか、時間の許す限り両方歩きました -
拝殿
-
山のような絵馬、こんなのが境内に幾つも
-
湯島天神って菅原道真公が祀られるよりも前に存在してたのね。
www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/f_engi.htm -
意外にも挙式費用は10万円(非課税)。
PHOも息子も式挙げてませんが、このくらいだったらやってたかも?って、有り得ません★ -
平成7(1995)年造営の新社殿。
新社殿は、ご本殿と、参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている「権現造り」の建築様式で、日本古来の「木の文化」を象徴する純木造る。
現在の建築基準法では、たとえ社寺建築であろうと防火地域では新たに木造建築は認められていないのですが、万全の防災設備を整え、(財)防災性能評定委員会の1年近い慎重審議を経て、建設大臣認定第1号として特に木造建築が許可されました。
建材は、営林署と木曽木材組合の全面的な協力を得て、樹齢250年といわれる木曽檜を使用しています。 旧社殿の土蔵造りは、江戸幕府が頻繁に起こる火災のため、「焼け跡に建てる家はすべて塗家土蔵造り、瓦屋根にせよ」という防火対策を引き継ぎ、明治18(1885)年に建て替えたものでした。
新社殿の外観上、特に目につくのは正面屋根の大きな三角部分です。これは神社の地形を考慮したもので、神社の南側の通りに面した鳥居のある場所が社殿の場所と約1mの高低差があるため、「妻」と称される三角部分をより大きくして拝殿を立派に見せています。さらに本殿は拝殿より高いのが原則ですから、本殿の屋根をより大きくして立派なものにしています -
宝物殿。
ところで、この湯島神社って?
江戸時代から「湯島天満宮」「湯島天神」と呼ばれていました。
「湯島神社」は明治維新からの正式名称でしたが、平成12(2000)年に正式名称を「湯島天満宮」に改めました。「湯島天神」は通称になります -
銅鳥居(表鳥居)。
拝殿まで真っ直ぐです。
この鳥居は銅製で、寛文7(1667)年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。
数度の修理を重ねて維持されてきましたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なものです。
鳥居の様式は神明鳥居といわれるもので、横木が二重になり、反りをもって、柱が内側に傾いています。横木の上の方を笠木、下の方を島木といいます。
鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81mです -
実盛坂。
湯島天神から200m南に在り、東へ下りる坂。急な石段だよね。
『江戸志』によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とあり、また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が『江戸砂子』や『改撰江戸志』にのっています。
この実盛のいわれから、坂の名が付きました。
実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現・埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方しました。
寿永2(1183)年、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に討たれました。
斎藤別当実盛は出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたといいます。この話は『平家物語』や『源平盛衰記』に詳しく記されており、市川團十郎の「白髪染の実盛」が有名です。
湯島の"実盛塚"や"首洗いの井戸"の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われます -
三組坂。
元和2(1616)に徳川家康が亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者は江戸へと召し返され、当地に屋敷を賜りました。駿河から帰ったので、里俗にこの辺り一帯を駿河町と呼んでいました。
元禄9(1696)年、三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改め、町内の坂である事から「三組坂」と名付けられました。
元禄以来、呼び慣れた三組町は、昭和40(1965)年4月以降、今の湯島3丁目となりました。
由緒有る町名が皆変えられちゃったんだよね。辛うじて神田の一部(紺屋町とか)と日本橋の一部(人形町とか浜町とか)が残されたけど
この坂の下を1年前まで毎日通って会社へ行ってました。
今でこそ目立ちませんが、道の両側はラブホが並んでます。 -
難しい?本郷通りは秋葉原(昌平橋)から御茶ノ水にかけて、こんなの繰り返します
-
今ね、湯島聖堂の公式サイトを開いたの。そしたら関連リンクで筑波大が出てたので、ちょっと嬉しくなりました。この旅行記は此処から東京師範まで金栗四三の通った道についてだから♪
www.seido.or.jp/ -
湯島聖堂は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まり。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった
-
最初に正面出口(入口)まで下って、順に見て来る事にします
-
相生坂(昌平坂)。
湯島聖堂の南側を神田川を挟んで駿河台側の淡路坂と平行して並んでいるので、「相生坂」と呼ばれています。
昌平坂とも呼ばれていますが、聖堂東側の坂道も昌平坂と呼ばれており、昌平坂の名は結構流動的だった模様。ってか、昌平って孔子の生地の昌平郷に因んでの命名です -
仰高門。
鉄筋コンクリート造。平家建。切妻造り。
昭和10(1935)年4月竣工。
仰高とは「論語」子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」によります、何だか判んないけど。
曲阜の孔子廟では西方に在り、一般見学者用の入口になる門です。此処では一番低い位置、且つ東南に在ります。
上野林家の先聖殿創建時には無く、元禄3年の湯島移築の際には在りました -
孔子像。
昭和50(1975)年に中華民国台北市 ライオンズ・クラブからの寄贈されました
11月3日除幕式を挙行しています。
丈高15呎(4.57m)、重量約1.5tの孔子の銅像は世界最大です。
下から見上げると、そうでもないかもしれませんが頭デカ過ぎませんか? -
楷。
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、初め子貢が孔子の墓所に植えたと伝えられ、今日まで植えつがれて来ています。
枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったと言われています。日本に渡来したのは、大正4(1915)年に白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初です。これらの苗は此処、湯島聖堂をはじめ儒学に関係が深い所に頒ち植えられました -
入徳門。
木造、平家建。切妻造り。宝永元(1704)年建造。
入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」によります。
上野忍ヶ岡の林家の先聖殿創建時にも有りましたが、曲阜の孔子廟には無く、江戸官学・朱子学の影響と思われます。聖堂内唯一の木造建造物です -
入徳門から杏壇門へ
-
杏壇門。
間口20m、奥行4.7m、入母屋造り。
杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址の事です。
宋の乾興の時、大殿(大成殿)を後方に移し、教授堂(講堂)の跡地を瓦敷きにして壇(高台)とし、周囲に杏を植え、金の党懐英が「杏壇二字碑」を建立。其処に門扉が設けられ、杏壇門の名称が付けられました -
大成殿。
間口20m、奥行14.2m、高さ14.6m、入母屋造り。
大成とは、孔子廟の正殿の名称で、「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。」に基づいて、宋(北宋)の仁宗の時に命名されました。
殿内、中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀っています -
湯島聖堂と言えば、この鯱です(PHOには)。
聖堂の大成殿屋根、棟の両端に鎮座している鬼犾頭は一種の鯱で、頭から鯨のように水を噴き上げています。想像上の神魚で、水の神として火を避け、火災を防いで建物を守る為に祀られています。
通常の鯱は虎頭魚尾ですが、此処のは龍頭魚尾で二脚双角。頭を外に向けて取り付けられています。
って、この3本が水を表してるなんて思いも寄らず -
大成殿内。
日本的じゃ有りません -
スミマセン、説明する手間を省かせていただきます
-
人物紹介?は、こちらをどうぞどうぞ。www.seido.or.jp/worship.html
-
孔子と言えば、この中庸の教え。
足利学校にも在りました。で、必ず水入れてみるのがお約束w -
宥座の器。
「宥座」とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」という事を教えるものです。
壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良い時は真っ直ぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまいます。
孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めました -
鬼龍子。
聖堂の大成殿屋根、流れ棟の四隅角に鎮座しています。
形態は、狛犬に似た姿で、顔は猫科の動物に似ており、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹・龍腹となっています。
想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるといわれています -
文京ふるさと歴史館。
平成3(1991)年にオープンした歴史博物館です。主に文京区の文化財を展示しています。
弥生時代の弥生は文京区の弥生町からだし、昌平坂学問所(湯島聖堂)、東京大学。文化は文京区からなのですw
前に入った事有るので、(有料だし)今回はパス -
この辺まで来ると、道は判ってますが地元感は無くなります。
春日通りの本郷3丁目の交差点を左折して坂を下りたら講道館です -
櫻木神社。
文明年間(1469~1487年)、江戸城が築かれる際に、太田道灌により京都にある北野天満宮から、道真公の御霊を分霊し、城内に迎え入れられたのが始まりとされています。
その後、徳川秀忠の時代に、湯島高台である「桜の馬場」に場所を移し、その近隣を守る鎮守の神として、櫻木神社となりました。
将軍徳川綱吉が、昌平坂学問所を創立する事となり、富元山真光寺の境内(現在地)に遷宮されたと言われています -
ドラゴン桜って漫画の櫻木先生は、この神社から取ったのだそうですよ。
東大も近いし、受験生に人気とか -
真砂坂から左に分かれる道へ。
これで講道館が真正面なんだけど、良く考えたら横断歩道は無かったのです★
でも、まぁ地下鉄丸ノ内線を地上で至近距離から見られる場所はそう無いから良いか -
講道館。
こじんまりした古めのビルです。後ろにポットのような文京区役所が見えてます。
もっと道場っぽい所を想像してませんでしたか?
でも、この中に大道場が在って、見学は自由なんです。
http://kodokanjudoinstitute.org/ -
加納治五郎像。
講道館柔道の創始者です。主とするところは「術」ではなく、自己完成を目指す「道」であるとして、術から道へと名を改め、道を講ずるところという意味で名づけられたのが「講道館」という名でした。
例によって、婆ちゃんのお昼を用意するので帰ります -
帰りにサミットストアに寄ろうと団子坂途中の道を北へ入ってみたら(お屋敷の多い地域)、塀の向こうに背の高い木が繁ってる見た事無い場所が。
でも、こちらはどなたの物かは判りません。
その代わり(?)、向かいが -
半床庵。
茶道武者小路千家の官休庵東京出張所に在る茶室で、江戸中期(1705~44)の建造で、大正10(1921)年に移築されています。
最後までご覧いただき有難うございましたm(..)m
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
恐るべし「文の京」は名は体を表す☆お隣は文京区♪
-
前の旅行記
0円 ご近所散歩♪ 金栗四三 青春の地 スタンプ押さないラリー(?) part1
2019/03/31~
秋葉原・御茶ノ水・水道橋
-
次の旅行記
「あの絵はないけど、これがある!!」 東洋文庫の北斎展♪
2019/11/30~
大塚・巣鴨・駒込
-
500円で文京逍遙 <東大も弥生貝塚も一葉旧居もかねやすも本郷台地> Part1
2016/02/06~
御茶ノ水・本郷
-
412円で文京区逍遥 〈目白台で歴史を見た!細川さんはお殿様w〉
2017/04/23~
目白
-
なんで、私が東大に。〈婆ちゃんに銀杏並木を見せてやろう!0円ご近所散歩〉
2018/12/08~
御茶ノ水・本郷
-
東洋を知る 日本を知る 東洋文庫ミュージアム 「インドの叡智展」 で ご近所を知る
2019/03/17~
大塚・巣鴨・駒込
-
0円 ご近所散歩♪ 金栗四三 青春の地 スタンプ押さないラリー(?) part1
2019/03/31~
秋葉原・御茶ノ水・水道橋
-
0円 ご近所散歩♪ 金栗四三 青春の地 スタンプ押さないラリー(?) part2
2019/03/31~
御茶ノ水・本郷
-
「あの絵はないけど、これがある!!」 東洋文庫の北斎展♪
2019/11/30~
大塚・巣鴨・駒込
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
御茶ノ水・本郷(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 恐るべし「文の京」は名は体を表す☆お隣は文京区♪
0
49