2019/04/05 - 2019/04/05
180位(同エリア504件中)
naoさん
京都市の「東寺口」を起点として、久世橋から大山崎を経て西宮で山陽道と合流する西国街道(山崎街道)は、大坂を経由せずに西国と行き来できる脇街道で、ひろく西国諸大名の参勤交代に利用されました。
京都府長岡京市はその西国街道に沿って形成された町で、江戸時代初めに二万石の禄高でこの地に封じられた永井直清により、山城長岡藩の陣屋町として造られたのが始まりとされています。
公の宿場町ではありませんでしたが、西国街道沿いには商家や旅籠屋が立ち並び、あたかも宿場町のような役割を果たしていたようです。
JR長岡京駅西口の再開発により大型商業施設や高層ビルが建設される中、特に神足地区を中心とした街道筋には往時をしのばせる町家が残され、通りには町並み景観に配慮して石畳舗装が施されています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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阪急京都線長岡天神駅にやって来ました。
駅の改札を出て、北東方向の町並みへ移動します。 -
では、西国街道の町歩きを始めます。
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大きくとった格子窓が特徴の町家です。
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丸太の駒留をめぐらせた町家です。
木部のベンガラ塗が外観を引き締めています。 -
こちらの町家は、一工夫したデザインの戸袋が見どころです。
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瓜型の虫籠窓に格子をしつらえた伝統的な町家です。
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妻側の外観も単純にならないよう工夫されています。
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こちらの町家は、1階部分のベンガラを新しく塗り替えられたようです。
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木製の雨戸が残る町家です。
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すこし小ぶりの長岡京市の汚水桝の蓋。
「孟宗竹発祥の地」と言われる長岡京市だけあって、筍と竹がモチーフになっています。 -
西国街道の町並みです。
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立派な土蔵のある町家です。
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こちらの石材店の軒先には・・・
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2体の石像が立てられています。
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「口を開けた石像」と「閉じた石像」。
これも「阿吽」と称するべきなんでしょうか・・・。 -
立派な長屋門を構えたこちらは、整骨院です。
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前庭に台杉を植えた町家です。
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肘木と斗栱(ときょう)で下屋を支える町家。
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小さな虫籠窓が木々の間から見え隠れする町家です。
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こちらの町家もベンガラ塗の名残が見えます。
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土塀をめぐらせた大きなお屋敷です。
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長屋門には、くぐり戸もしつらえられています。
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こちらは、江戸時代に「紙屋」の屋号で和紙を商っていた石田家住宅です。
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現在は喫茶コーナーや地域の物産品コーナーを設けた、長岡京市の「神足ふれあい町家」として活用されています。
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西日をさえぎる簾を吊った町家です。
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愛宕山の常夜燈。
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通常の大きさの長岡京市の汚水桝の蓋。
筍と竹の図案は共通です。 -
西国街道を外れて、JR京都線のガードをくぐり抜けて勝龍寺城跡にやって来ました。
勝龍寺城は暦応2年(1339年)に足利尊氏の命により細川頼春によって築城されたもので、天正6年(1578年)には、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が細川忠興に嫁いできました。 -
お濠を泳ぐ鯉の群れ。
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城内には、たくさんの石塔が祀られています。
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見頃を迎えた城内のソメイヨシノ。
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お花見客が少ないので・・・
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ゆっくり鑑賞できます。
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城内の池のふちに設けられた岬灯籠。
では、勝龍寺城跡この辺で切り上げて、長岡天神駅へ戻ります。 -
柔らかなモミジの芽出し。
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西国街道の道標。
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町角にBMWのオールドバイクがさり気なく置かれています。
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「長岡京発見之地」の石碑。
この地は長岡京の発掘に尽力された故中山修一氏の住居だったところで、石碑に刻まれたマス目は「長岡京」の条坊制を、中心に伸びるラインは長岡京市名産の竹を模してデザインされた「長岡京」の朱雀大路を表現しているとのことです。 -
ツリーサークルに描かれた竹の紋様。
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これを撮らずして何とする。
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新年号の「令和」を寿ぐ美容院。
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