2019/02/25 - 2019/03/07
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kinakoさん
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ヨハン·セバスチャン·バッハの勉強のため、生誕の地から最期の地を辿り、バッハが生きた土地の風土を感じる旅行。
生涯ドイツ(現在の)国内から出ることなく、またチューリンゲン州、ザクセンアンハルト州、ザクセン州と隣り合う地域での活動からこれだけ有名になった「地域密着型」のバッハの足跡を追うことを決意。今回は時間が足らず、就職前のオールドルフとリューネブルクは訪ねられなかったが、観光本などにも情報があるような場所ではなかったため、こちらでの旅行記をとても参考にさせてもらえたので、わずかながら私もその情報の更新に役立てればと記録していきます。
今回の旅の参考書『J.S.バッハ時代を超えたカントール 川端純四郎著』
2/25羽田~フランクフルト LH717便フランクフルト泊
2/26フランクフルト~アイゼナハICE移動 アイゼナハ泊
2/27アイゼナハ~エアフルトRB移動 アルンシュタット観光エアフルト泊
2/28ミュールハウゼン、ゴータ観光 エアフルト泊
3/1ワイマール観光 エアフルト泊
3/2エアフルト~ライプツィヒICE移動 ライプツィヒ泊
3/3ケーテン、ハレ観光 ライプツィヒ泊
3/4ドレスデン観光 ライプツィヒ泊
3/5ライプツィヒ観光 フランクフルト泊
3/6フランクフルト空港から羽田NH204便
3/7帰国
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曇り空の寒い朝だったのでトラムでエアフルト駅に向かう。滞在中一度も検札官には会わなかったな~。もちろん切符ちゃんと買っていたけど。
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駅構内で朝食を何にするか物色。きょうはオーガニック系のパンにしてみるか。
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野菜や果物を食べていない日々だったからフルーツジュースも購入。
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駅構内にあるドラッグストア、ロスマンエクスプレス。市内のロスマンより少々割高だけど、ペットボトル飲料など売店で買うより断然安い。
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エアフルトから20分弱のワイマールへ。きょうもRB利用。最近遅延が多いと言われているドイツ鉄道だが、ここまでの日程では一度も遅延なし!
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ワイマールまでの切符購入。また自販機の70¢のダルマイヤー珈琲を飲みながら出発。
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同じみのチューリンゲン州の緑の地平線が広がる景色。でもきょうは天気悪いなぁ。
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あっという間にワイマール到着。街が世界遺産だなんて1日で足りるかな~。駅アナウンスを聞いてドイツ語ではヴァイマーで(ル)は発音しない感じだった。
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駅構内を出たら晴れてきた!なかなかの駅舎。
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駅前のホテルカイザリンアウグスタ。エアフルト滞在のホテルよりも安かったのと、駅前という利点もあり出発直前まで宿泊候補として迷ったホテル。結局今回は駅から離れてはいたが乗換えなしでどこにも行けたエアフルトのホテルにした。
でも実物を見てやっぱりこっちも良かったな。 -
駅前の道を真っ直ぐ進むとフンメルの名の音楽教室発見。立派な建物の音楽教室だ。
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右手に市立博物館が見えてきた。
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すぐに国民劇場に辿り着く。ゲーテとシラーがお出迎え。ワイマール憲法が制定された場所でもある。
身長169センチだったゲーテが181センチのシラーとあまり変わらない背丈になってるのは、ゲーテに敬意を表してのことらしい。ゲーテ様様なんだなぁ。 -
アイゼナハからずっと見てきたドイツ銀行。ここワイマールも立派な外観。
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銀行横を進むとすぐにマルクト広場に。少しだけど市が出てる。好物のザワークラウトも色々売られていて買うか迷ったけど瓶詰めだから諦める。
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立派な市庁舎。
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冬のヨーロッパはどこも噴水閉鎖なので、水が出て溜まっているのに感動。
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観光案内所と右側はルター肖像画を多く描いたルーカス・クラナッハが住んでいた建物。私のいま滞在ホテル部屋のルター肖像画もクラナッハ作。もちろんコピーだけど。
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クラナッハの住居の色使いは当時もこうだったのかな~。なかなかのセンス。
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2階の左の窓に何かいる。エアフルトのクレーマー橋でも似たようなもの見たな。なんか意味あるのかな?ただの客引き?
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ホテルエレファントだ!
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近づいてみる。ヒトラーが手を振ったバルコニーはこれか!さぁ、バッハの住居跡はこの横だったはず。
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第二次大戦で破壊され、いまはホテルエレファントの駐車場だった。
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ありました!1708年~1717年バッハが住んでいましたよプレート。長男フリーデマンと次男カール・フィリップ・エマヌエルもここで誕生したよ、とのオマケつき。
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童話で有名なアンデルセンもここに住んでた?滞在してた?みたい。へ~。
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バッハが宮廷に仕えた頃は伯父のヴィルヘルム・エルンスト公と甥のエルンスト・アウグスト公の共同統治。
現在警察署になってるこの緑の建物はかつて「赤い城」と呼ばれ(実際赤かったらしい)甥の城館だった。
伯父以上の音楽愛好家で私設楽団も所有していたが、伯父は共同楽団の宮廷音楽家が演奏することを厳禁し、違反したら罰金も課していたそう。もちろん?バッハはこれを平然と無視(笑) -
かつての赤い城(いまは緑の警察署)脇にバッハの胸像がひっそりと。ワイマールでは家庭も弟子も持ち、マイスターとして活躍したバッハなのにね~。これだけか。
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リストが建設計画し後押ししたワイマール・フランツ・リスト音楽大学。リスト創設のハンガリーのリスト音楽院とは別の学校。
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中からはリスト作曲のダンテを読んで、の練習が聞こえてきた。リスト音大だけあるね(笑)
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バッハが仕えたエルンスト・アウグスト公(赤い城の城主)の孫でゲーテをこの街に呼び寄せたカール・アウグスト公の銅像が、緑に変わったかつての赤い城とバッハの方を向いている。
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正式名称、聖ペテロとパウロ市教会。
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ゲーテの師匠で神学者、哲学者、文学者のヨハン・ゴットフリート・ヘルダー。ここの牧師を務め葬られているので、通称ヘルダー教会と呼ばれている。
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この教会の目玉。ルーカス・クラナッハ親子作の三連祭壇画。
ちなみに息子の名前もルーカス・クラナッハ。
バッハ一族の名前ややこしさよりわかりにくい(笑)
キリストから飛び出る血は右手前のルターにかかっていて、改革を率いていく描写だとか。
ルター隣りの白い髭の人物はルーカス・クラナッハ(父)自身。奥はヨハネ。 -
こちらもクラナッハ作。全部ルター。
左から修道士、聖書博士、ヴァルトブルク城に籠もっていた時の肖像画。バッハ旅だけど断トツでルターばかり見てるな~。 -
オルガンは小規模ながら、中部ドイツでは珍しいリュックポジティフ(手前のパイプ)あり。良い音~。さらっている最中だったようでしばし聴かせてもらう。でも譜読みか?と思う感じになってきたので聴くのが申し訳なくて退出。
オルガニストってそれこそ教会閉鎖しない限り一人きりでさらえないから大変だよな~。 -
旧市街のショッピング街。トスカの垂れ幕が。来週国民劇場で上演の宣伝。
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中心地から郊外の方へ向かう。
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ワイマール共和国時代に工芸と美術学校が合併して出来たバウハウス。
初代校長は近代建築四大巨匠のひとりヴァルター・グロピウス。戦争、政治の影響でデッサウ、ベルリンと転々としたのち閉校。
このバウハウス大学ワイマール校は東西統一後に再編された総合芸術大学。 -
大学内も見学可。入りたい。
建築の歴史好きだけど今回は旅立つ前から我慢すると決めたから我慢我慢。国民劇場近くのバウハウス博物館がリノベーション中で4/6オープンと聞いてホッとした。 -
バウハウス大学の向かいはイルム公園の入口。
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イルム公園入口脇にはずっと来たいと思っていたリストが住んでいた家。
チューリンゲンカードで無料。 -
この小さなグレーのドアが入口。
イケメン度MAX期のリスト画がお出迎え~。
音声ガイドは独語、英語のみ。 -
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サロン兼応接間。やっぱりイケメンは趣味もいいよね~。天井の高さも絶妙。
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リストが生涯尊敬したベートーヴェンの肖像画。ベートーヴェン→チェルニーの流れで孫弟子だもんね。
リスト11歳の頃に晩年のベートーヴェンの前で一度だけ演奏を聴いてもらってる。羨ましい! -
デスマスクからしてイケメンだったのがよくわかる。
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家具や調度品もセンスがいい!
これは作曲兼練習用ピアノ。しょっちゅうピアノ壊しちゃうから(リストの演奏が荒々しいというより、当時の楽器がリストの曲に耐えられなかったという面もあるだろうけど)良い楽器ではそうそう弾けなくなるわな。 -
いつの時期も誰が制作してもイケメンだったんですね。(しつこい)
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イルム公園内にはゲーテのガーデンハウスなどの名所多数あり。
今回は時間ないから行けない~残念。
でもすっかりリスト気分になったので、孫弟子のクラウディオ・アラウ演奏のピアノソナタロ短調を聴きながら旧市街の方へ戻る。バッハ番外編が多くなってるなぁ… -
どなたさん?名前を検索すると、文学者ヴィーラント。知らなかったのに足を止めたのは、どう考えても銅像と一緒に作成されたものではないであろう瓶を手にしていたから。これ完全にイタズラされてるよね~(笑)
かなりツボってしまった。 -
マルクト広場まで戻ると、名物のチューリンガーソーセージの屋台が出てる!
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2.90€。パンが小さいわけではない。
パンの部分を食べるまで時間かかる(笑)でもかなり旨い!!バイエルン地方の白ソーセージより断然こっちが好きだ! -
雨も降ってきたのでシラーの家に移動。
このドアが入口かとガチャガチャやるも開かず、あれ?と思ってたら通りがかりの地元人が入口は裏手にまわったとこだと声をかけてくれる。 -
デカデカとシラーがヴィルコメンしてるじゃないか。恥ずかしい。ちょっと一周すりゃいいんだろうけど、ドイツは入口がわかりづらい建物が多いよ~。と人のせい。ここもチューリンゲンカードで無料。
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ここはシラー生涯最後の5年を過ごした家らしい。音声ガイドは独語、英語のみ。正直シラーのことはウィリアム・テルと第九の歌詞の原詩を書いた人ということしか知らない。
完全スタンプラリー観光。尊敬するベートーヴェンがシラーの詩集を愛読してたというし。 -
トランプが手書き。昔は遊ぶまでの道のりも長いな。
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第九の歌詞しか知らないけど、唯一暗記出来てるドイツ語だなぁ。
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ゲーテハウスに移動中、ストライダーに乗った男の子が一人でこの店に…ううん?この店の子かな?
あ、ママが出てきた。待ってたのか。って一部始終を見守ってしまった。 -
ゲーテハウス。ゲーテ博物館と併設。チューリンゲンカードは博物館のみ無料、ゲーテハウスは6€。広くて立派。さすが大公に呼ばれて住居与えられただけある。文学者としての方が有名だろうけど、私には政治家ゲーテの印象が強い。
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写真撮影OKか分からず。大好きなメンデルスゾーンが何度か演奏したピアノがあったサロン室だけ撮る。
この旅初の日本語音声ガイドのおかげでゲーテのことをよく知る。
とりわけ仕事や勉強が捗るのは午前だと、夏は4時冬は6時に起きて、朝食と昼食の1日2食だったというエピソードが印象に残る。
出来る人の生活の見本みたい。夜更かし食べまくりの偉人はいないのかね… -
領主城館のバスティーユ。
バッハは1717年11月6日~12月2日まで「頑固な退職強要の罪」で逮捕され牢に拘留。
罪状が封建君主時代そのもの。共同統治の伯父が甥の権限を押さえようとして二人の関係が険悪だったのに、バッハもイタリア音楽の楽譜に溢れた甥の赤い城の私設楽団に出向いちゃったりして怒りを買っちゃってたんだろう。宮廷楽長にもさせてもらえず、転職を考えてたところ、甥のエルンスト・アウグスト公の紹介でケーテンの宮廷楽長のポストが決まる。が、更に伯父のヴィルヘルム・エルンスト公の不興を買い逮捕… BL漫画にできそう… -
バッハが閉じ込められたのはこの塔の下かな。
ここで平均律第一巻の作曲に着手したという説と、雑居房で作曲が出来るほど優雅なものではなかった、という説があるけど、暗く寒く満腹を感じることのない牢屋で作曲なんて出来ないよ~と思ってしまう私は凡人。 -
伯父のヴィルヘルム・エルンスト公が住んでいた領主城館。(黄色い城)
バッハはこの城内にあった「天に至る城」と名付けられた宮廷礼拝堂のオルガニストだった。1774年の火災で城が全焼し、礼拝堂は再建されていないので今は見られない。しかし何だか嫌な予感… -
はい予感的中。クローズ。しかも2023年までって長いよ~。私の中でワイマール観光のハイライトだったのにショック。下調べが甘かった。
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宮殿入れずしょんぼりしながら、とても美しいと名高いアンナ・アマリア公妃図書館へ。
チューリンゲンカードは不可、8€。音声ガイドは独語、英語。この日は何も言われず入館見学出来たのでわからなかったが、観光シーズンだと入室人数制限があり、予約するのが望ましいという情報を後で知る。冬の閑散期はこういう時メリットだ。 -
ゴータの宮殿と同じ靴の上から履くスリッパ。大きすぎて歩きにくい…終始、床掃除をしてあげた。
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メインのロココホール。
バッハの転職をサポートしたエルンスト・アウグスト公の孫カール・アウグスト公の母君アンナ・アマリア公妃が創設した図書館。ゲーテが館長を務め蔵書のコレクションは膨大に。 -
2004年、漏電が原因の火災で蔵書の20%が焼失、6万2千冊が損傷。さらに消火のための水で建物ごと大きな被害を受ける。ロココホールの隣の部屋でその火災の様子を映像で見れるが、本当にすごい火災だったな… 2007年再オープン。
そんな中、2005,6年とバッハの自筆譜の声楽曲と最古の筆写譜が発見される。
火災の前に修復のため持ち出されていた詩集の最後に付されていて、発見は偶然、そして焼失を免れたのは奇跡と。 -
このロココホールはそんなに広くない。
この時は私を入れて5人ほどだったけど、天井までビッシリ詰まった本棚との圧迫感もあり、ゆったりできる感じではなかったから、人数制限する時期があるのは納得。 -
上の階には上がれません。
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日本人女性の監視員の方が撮影してくださった!
「日本語話せますよ」と声をかけられ、ドイツに来てたった5日なのに懐かしい気持ちになる。監視員の方も日本人にはあまり会わないので思わず声をかけたのだとか!
バッハを追ってワイマールに来たと言ったら、みなさんゲーテメインだから珍しいと言われる(笑)
確かにね、ワイマールはバッハ以降の有名人で賑わう街だと実感。 -
転職先のケーテン公の外交努力の甲斐あってか、バッハは釈放されたけど、生涯二度とワイマールに足を踏み入れることを許されなかった。
だからか?こんな隅っこに…
アルンシュタットもミュールハウゼンも銅像周りに誰もいなかったけど、ワイマールが一番寂しい雰囲気漂ってる…
そもそもワイマールはバッハ一族の街ではないけどさ。 -
未練がましく入れなかった城館を見る。
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天気も悪く寒くなってきたので駅に戻りながら、途中の市立博物館に寄る。チューリンゲンカードで無料。
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鍵盤ガタガタだけど、どなたさんかのオリジナルのピアノらしい。
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ホテルエレファントの窓から顔出すヒトラー。
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マルクト広場と市庁舎。ナチス党大会が盛んだった場所なんだな。
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空襲の被害…国、大小にかかわらずつらい写真。
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晩年のリスト。何度でも言う、イケメン。
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ナチス政権下でもドイツに残ったフルトヴェングラーとクーレンカンプ。
クライスラーはじめ大バイオリニストたちが国外に出たのもあって、ナチスのプロパガンダに利用されるも、ユダヤ人のメンデルスゾーンのコンチェルトやヨアヒムのカデンツァを演奏したりもした強者。
ソ連時代もそうだけど、芸術家がその時の政権下に残るも出るも一方向からだけではあーだこーだ言えないものがある。 -
ゲーテ以降のワイマール歴史を少し勉強できたので駅へ戻ろう。
チラッと見える突き当たりの赤い屋根がワイマール駅。
バッハには跳躍の時代となったワイマールだけど、ワイマールでは数いる有名人の一人に過ぎない街だった。
さて、バッハ一族の本拠地エアフルトに戻るか。 -
エアフルト駅に着いて、昨日から気になっていたアジアレストランで食事する。久々の醤油系の味が美味しい!
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エアフルト家系の祖、ヨハン・バッハ、
バッハ一族との交流も深いパッヘルベルが12年オルガニストを務めたプレディガー教会。
バッハ両親亡き後、面倒を見てくれた長兄ヨハン・クリストフはパッヘルベルに数年弟子入りしている。 -
バッハは兄ヨハン・クリストフから最初の本格的な鍵盤楽器の訓練を受けたから、いわばパッヘルベルの孫弟子として、行ったことのない南ドイツ楽派の音楽を身につけたとも言える。
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鍵が閉まっていたので入れなかったが、ガラス戸から中の様子が少しうかがえる。
意外に奥行きがあり大きく見えた。 -
昨日の朝通りがかったドーム広場へ再び。
大階段の上に2つの教会。
左が大聖堂、右はセヴェリ教会。
大聖堂は8世紀に司教座として創建され、12世紀にロマネスク様式に(写真奥側)15世紀にゴシック様式(手前側)で増築されて現在の姿だそう。
セヴェリ教会は9世紀に聖人セヴェルスの遺骸を安置したことが起源。3本の塔が印象的。 -
どちらももう中には入れず。
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階段の上から見るエアフルトの街並み。
現在も70以上の教会があり、ルターも「塔多き街」と美しさを称えたそう。 -
エアフルトは日本での知名度は低いけど、中世の頃から交通の要衝として栄え、大戦の戦禍もほとんど受けずにその街並みが残る歴史深く美しい街。
今回はその交通の便の良さから滞在地にしたけれど、時間の都合上しっかり周れず残念。
次来る時はエアフルトメインの日を設けなければいけない程、見所満載。 -
クレーマー橋からすぐのフィッシュマルクトに観光案内所あり。
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クレーマー橋の上。
言われなければ橋の上とはわからない街並み。
奥に見える塔はエギディエン教会。
塔に登ってエアフルトの景色を一望できるらしい。 -
エアフルト最後の夜はアイスで締めくくる(笑)
昨日、この旅で初めて出くわした日本人ツアーのガイドさんが、アイスクリーム屋が人気ですと話しているのが聞こえ、実際かなりの行列だったからきょう来てみたら、閉店前で空いていたのでせっかくだし入店。 -
キャラメル味を注文。
どうしてアイスクリーム屋が人気なのかはわからなかったけど、美味しくいただきました。
明日からはいよいよバッハ生涯の集大成の地ライプツィヒへ!
ワイマールではバッハ以外の勉強ばかりになったけど「一日の苦労は一日して足れり」とイエスも言ってるし、きょうはゆっくり休もう!いつもか…
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旅行記グループ バッハの生涯を追って。ドイツ11日間
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