2019/02/25 - 2019/03/07
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kinakoさん
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ワイマールの牢獄から釈放され、逃げるようにケーテンに向かったバッハ。後にケーテン候のもとでわが生涯を終えるつもりでいた、と友人への手紙に書いたほど幸福な楽興の時を過ごしたケーテン。
バッハ一族が活躍したチューリンゲン州から遠く離れた新天地はカルヴァン派の宮廷だったため、ルター正統派だったバッハが教会音楽を作曲する機会はなく、多くの世俗曲が完成した時代でもある。
ブランデンブルク協奏曲、バイオリン協奏曲、バイオリンとチェロの無伴奏作品、平均律クラヴィーア曲集第一巻、インベンションとシンフォニアなど、日本ではこれらの作品で人気クラシック作曲家ベスト3入りしてるのでは?というほど有名曲ばかり。
それがケーテンでの活動の賜物だと思うと、日本人にとってより親近感がわく土地かもしれない。
今回はバッハが大半の時間を過ごしたケーテン城を見学。
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昨日、ライプツィヒ到着時は興奮していたからよく駅を眺めなかったが、今朝写真を撮りながら改めて大きいと感じる。
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きょうはSバーンでハレ、ケーテンを目指す。
Sバーンは地上を走るが、ライプツィヒ駅は地下ホームから出発。 -
ライプツィヒ・ハレ空港に向かう路線でもあるためそこそこ混んでいた。
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空港駅でどっと人が降り空いたので朝食を。
ライプツィヒのあちこちにあるルーカスベッカーのパン。朝早くから種類豊富で美味しい! -
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ハレ駅で乗り換え。美味しそうな果物屋さんでデザート購入。
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今旅初の2階建てRE!
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きょうはザクセンチケットで周遊。チューリンゲンチケットと同じく隣接する3つの州で使用可。出発地ライプツィヒのザクセン州からまたいでザクセン-アンハルト州のケーテンやハレにも行けて便利!週末は朝9時前から(終日)使用出来るのもgut!
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ライプツィヒから乗り換え待ちを入れて1時間20分程でケーテン到着。なんだか寂しい雰囲気…
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駅構内も古く、ちょっとボロボロ。
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駅舎のガラス窓も何枚か割れちゃったまま。
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天気の悪さもあって聞いていたよりさらに寂しい町の第一印象。
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案内板は小さい街ながら盛り上げてる感じで、バッハシュタットの案内板があったアルンシュタットを思い出すなぁ。
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駅前の道をまっすぐ歩き始めるも、日曜午前だからか誰も歩いていません…静か~。
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旧市街に入る。街並みがとても素敵。でも誰もいなくてちょっと不安になる…
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すごい!バッハの壁画?落書きにしちゃ手がこんでるしなぁ。
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相変わらず誰にも会わず…塔が見えてきた!
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ケーテンの主教会、カルヴァン派の聖ヤコブ教会。600年以上の歴史ある建物とか。
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二つの塔は19世紀末の建築。
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日曜午前の礼拝はもう終わったのだろうか。
扉は開かず、周りには相変わらず誰もいな~い。 -
趣きある建物のアポテーケ(薬局)。ドイツはあちこちに薬局がある。
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市庁舎。歴史ある建物の街中で人も見かけず、あまりに静かだから映画のセットに迷い込んだ気分…
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ケーテン城を目指してテクテク。小さい街なので地図なしでも勘で行けるかな~。しかし誰もいない。
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市庁舎から3分ほどですぐケーテン城前の広場に到着。
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2008年に公爵の屋内馬場を改装したイベントセンター。大小4つのホールやカフェがあり、中でもバッハホールは360~450人収容可能だとか。
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ありゃまた足場が組まれていて嫌な予感だな~。ドイツの冬は工事のシーズンなのか?
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昔のケーテン城の地図かな~。何回もの改修を経ているが、バッハ時代の姿を残しているそう。
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受付で日本からはるばるようこそと大歓迎される。この日は他に訪問者がいなかったようで、鍵を開けるから監視員の後をついて見学して、と言われる。
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どこに連れて行かれるのか…監視員の後に続き螺旋階段を3階分上がって着いた扉の頑丈な鍵を開けてもらうと、まさかのケーテン城ハイライト「鏡の間」!
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靴カバースリッパは履かないでいいと言われ、監視員は外で待機してるから好きなだけ見てと言われる!が、鏡の間に入る心の準備がまだ出来てなかったから、ただただ圧倒される。
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2000年に修復された鏡の間。
バッハの頃とは趣きが違うらしいが、
この部屋でブランデンブルクや無伴奏曲などが演奏されたという歴史にしみじみと思いを馳せる。バッハの胸像があるはずだけど、この日は見あたらず。いずこへ~? -
こんな誰もいない状況なんだったら道中面倒を我慢してでも楽器持ってくればよかったな~なんて。ここで演奏してみたい。
帰りに受付で聞いたら個人によるお祝いやパーティーでも使用出来るらしい! -
鏡の間の下の階は、再現された宮廷生活の部屋に楽器が展示されている。
これは1820年ウィーンのフランツバイヤー製作のハンマーフリューゲル。ケーテン城展示の中では数少ないオリジナル楽器。 -
ヨハン・ハインリヒ・ジルバーマンの1770年製作スピネットのコピー。
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18世紀の偉大なクラヴィコード製作家、クリスティアン・ゴットロープ・フーベルトの1787年製作クラヴィコードのコピー。
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1719年バッハが仕えたレオポルト侯が購入したミヒャエル・ミートケ製作のチェンバロのコピー。蓋が閉じていて残念。
バッハはこのチェンバロの下見にベルリンを訪れ、ブランデンブルク協奏曲第5番の壮大なチェンバロのカデンツァを19小節から65小節に書き足した他、バッハのチェンバロ曲に大きな影響を与えた。オリジナルはベルリンのシャルロッテンブルク宮殿にある。 -
南ドイツ、ミッテンヴァルトの有名なバイオリン工房クロッツファミリーのひとり、エギディウス・クロッツの1780年作のバイオリン(オリジナル)とバロック弓のコピー。
日本では200~300万円で買えるオールドバイオリン。楽器の下は無伴奏バイオリン・パルティータ1番のサラバンド、ドゥーブル、ブーレ自筆譜コピー。 -
こちらのバイオリンとバロック弓は作者不詳と書かれていた。楽譜の数々はパルティータ2番の終曲シャコンヌの自筆譜ファクシミリと19世紀に入ってからのバイオリニストによる校訂版。
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有名なバッハ自筆の表紙(ファクシミリ)。
"Sei Solo. a Violino senza Basso accompagnato. Libro Primo. da Joh: Seb: Bach. ao. 1720"
("通奏低音なしのバイオリンのための6曲の独奏曲、第一巻、ヨハン・セバスチャン・バッハ作、1720年")達筆なイタリア語で書かれています。
近年、第二巻はチェロの無伴奏組曲だという説があるが、こちらは自筆譜は残っておらず、ケーテンで再婚したアンナ・マグダレーナの筆写譜で伝えられてきた。 -
シャコンヌの自筆譜オリジナルはベルリンのプロイセン文化財国立図書館に所蔵されている。
ファクシミリは日本にいても見ることできるんだよな~と思いつつ、ケーテン城で見るからこその感動もあるさ!と言い聞かせ。 -
イタリアのクレモナ弦楽器製作の始祖アマティ一族の中で最も有名なニコロ・アマティの1670年製作のバイオリンコピー。
アントニオ・ストラディヴァリの師匠でもあったアマティの楽器、しかも1960年のコピーがなぜケーテン城にあるのか謎。 -
ブランデンブルク協奏曲第1番の自筆譜コピーと横向きリコーダー(バロックフルート)。
6番、3番は前任地ワイマールで作曲され、ケーテンではこの1番から2,4,5番が作曲された。確かに1番から後は演奏難易度が上がっているので、ケーテン宮廷楽団が名手揃いだったことが想像できる。 -
スコア左ページにはフランス語で"いくつもの楽器による協奏曲集"と記されてあり、続けて代筆のフランス語でブランデンブルク=シュベート伯への献辞が添えられている。こちらもオリジナルはベルリン国立図書館にある。
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1番のソロパート用のピッコロバイオリン。
現在ではバイオリンの調弦を変えて代用できるのでほぼ存在しない楽器。バイオリン弾きの私も初めて実物を見た!サイズは1/4の分数サイズくらいだろうか。 -
マティアス・クロッツ1728年作のバイオリン。イタリアのクレモナでストラディバリと共にアマティのもとで修行を積み、故郷ミッテンヴァルトに工房を開いたクロッツファミリーの始祖。現在も一族で一番評価が高い。ケーテン城ではクロッツファミリーの楽器だけはオリジナルを保有してるらしい。
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マティアス・フンメル1701年作テノールのヴィオラ・ダ・ガンバ。形が可愛らしい楽器。
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「この方のもとでわが生涯を終えるつもりでいました」と、友人への手紙に書くほどバッハが信頼して仕えた君主レオポルト侯。
教養旅行でオペラ見物に通いつめ、楽譜、楽器を買いまくり、ベルリンの宮廷楽団が解散されたニュースを聞くや名奏者たちをスカウトし、ケーテン宮廷楽団を16人までにしたほどの音楽好き。自身もバイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロを弾きこなし、かなり音楽に精通していた。
バッハが去った後、新しい楽長を迎えることなく、1728年34歳の若さで亡くなるまでバッハに宮廷楽長の称号を持たせていた。葬儀にはバッハも駆けつけ、マタイ受難曲から抜粋した曲を妻アンナ・マグダレーナがソプラノを、長男ヴィルヘルム・フリーデマンが通奏低音を演奏し追悼した。 -
レオポルト侯の母ギゼラ・アグネス妃。
夫のエマヌエル・レーベレヒト侯とは当時では珍しい恋愛結婚のため、カルヴァン派の宮廷にルター派信仰のまま嫁ぐ。夫の許可で自分の名前をつけたルター派教会と学校を設立。若くして夫を亡くした後、息子の摂政として権力を持ち、ルター派の保護を強くするも、カルヴァン派の教育を受け成人した息子と激しく対立。バッハもこのいざこざに悩まされたことだろう。 -
レオポルト侯最初の妻、フリーデリカ・ヘンリエッタ妃。バッハがエルトマンへの手紙で、殿下が結婚したお妃が音楽嫌いということもあって殿下の音楽への愛好心もおとろえ……云々、とケーテンを去る理由のひとつにあげたため、長らく悪名を残したお気の毒な妃。 実際は遺産に楽譜帳が4冊あり、当時の宮廷女性の平均的レベルを越える教養はあったとか。19歳で嫁ぎ21歳という若さで亡くなっている。バッハの作品が高度で難しかっただけじゃないかな~。
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エルトマン書簡(ファクシミリ)。
兄の元で暮らしたオールドルフからリューネブルクまでの300キロほどの道を共に旅した友人、ゲオルク・エルトマンへ宛てた手紙。
ライプツィヒ就任7年目の1730年の手紙で、市議会やカントール職のゴタゴタを説明し、より良い職場を求めて就職斡旋の依頼をしている。この中に「この方のもとでわが生涯を終えるつもりでした」という書き出しからケーテンを去り、ライプツィヒへ転職した理由なども書かれている。 -
シューマンのリーダークライスの楽譜とピアノ。なぜケーテンでシューマン展示かは私の理解力では足らず。
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楽器やバッハ以外の展示部屋もあり。
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外壁をガッツリ修復中。
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宮殿内にあるカルヴァン派の礼拝堂。見学は上階から眺めるのみ。
バッハ時代の宮廷勤務者はルター派であってもこの礼拝堂でカルヴァン派の洗礼、結婚、葬儀を行うことが義務づけられていた。ケーテンで産まれたマリア・バルバラとの最後の子どもがこの礼拝堂でカルヴァン派の幼児洗礼を受けている。
代父はレオポルト候とその弟アウグストがつとめ、レオポルト・アウグストという名前がつけられたが、わずか10ヶ月で亡くなっている。 -
二番目の妻アンナ・マグダレーナとの結婚式はレオポルト候の特別許可を得てこの礼拝堂ではなく自宅で行っている。また二人の間の最初の子どもの幼児洗礼も自宅でルター派の緊急洗礼を助産師に授けてもらっている。
ここケーテンのバッハ記念館長ホッペ氏によると、これはカルヴァン派の幼児洗礼だけのまま幼くして死亡したレオポルト・アウグストのことがきっかけだという。何でもバッハ時代の反カルヴァン主義はカルヴァン派の洗礼では早死した子が天国に行く保証にはならない、と。
バッハはどれだけ心を痛めたことか…… -
昔のケーテン市街ジオラマ。現在とほぼ変わらず。
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お土産はライプツィヒのバッハ博物館にある物と似たような物だが、ケーテン城で録音されたバイオリニストのクリストフ・ポッペンが演奏するパルティータ2番のCDがひっそりと。手にとると、シャコンヌに隠されたコラールと共演した内容だったので即買い。日本では入手困難だから嬉しい!しかも5€。安すぎる!
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シャコンヌに隠されたコラールとは、デュッセルドルフの音楽教授ヘルガ・テーネの主張で、このシャコンヌが直前に死去したバッハの妻マリア・バルバラのための哀悼音楽だという説。中でも冒頭8小節に「キリストは死の縄目を引き受けられた[讃美歌21“317”]」というルターの復活コラールの最初と最後が読み取れるという説が興味深い。写真はこの旅の参考書、川端純四郎著「J.S.バッハ時代を超えたカントール」から。
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バッハ記念館が入っている建物。3階が鏡の間。
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建物端にバッハ横顔レリーフがひっそりと。
新潮文庫から出ている樋口隆一氏の著書「バッハ(カラー版作曲家の生涯)」の表紙で有名。 -
入ってきた方と反対を歩いていくと濠にかかる橋がある。
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ケーテン城を後にしながら、この眺めに歴史を感じる。バッハもこの景色を見ながら通勤したのだろうか。
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再び旧市街を散策。Magdeburger Turm。防護壁の一部が塔として残ってる。
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聖ヤコブ教会前まで戻り、目指すはバッハ像。つきあたりにうっすら見えるのがそうかな~。
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おお!
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ケーテンのバッハ像。この日もひとりぼっちでいらっしゃいました。
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もうちょっと寄りで。
都市ごとに微妙に表情違うのね~。 -
2008年、胸像の後ろのこのヴァル通り沿いにバッハのケーテンでの二番目住居があったことが判明したそう。現在も老人ホームとして建物が残っており、プレートが掲げられている。というのをこの時知らず素通りしてしまいました~。まいっか。(笑)
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欧州ホメオパシー図書館。ホメオパシー創設者のサミュエル・ハーネマンがケーテンに14年住んで研究をし、医療を施した家も隣にある。というのを、ケーテン城でもらった日本語のパンフレットで知った。ホメオパシー学者には神聖な場所と書いてあり。バッハ以外を求めてケーテンを訪れる人々もいるんですね~!
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バッハが通ったルター派の聖アグヌス教会。
あまりに地味な外観で気づかず何度か通りすぎていた。残念ながら中には入れず。設立者のギゼラ・アグネス等身大の肖像画(一応手には設立許可してくれた夫の肖像画を持つ)があるらしい。
カルヴァン派のレオポルト侯の信頼が厚かったバッハは歓迎されざる立場だった。 -
再びケーテン駅に。日曜で寂しい雰囲気だったけど、お目当てのケーテン城を貸切りで見学出来たのでかなり満足。午後はヘンデル生誕地ハレへ寄り道。
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旅行記グループ バッハの生涯を追って。ドイツ11日間
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