2019/02/19 - 2019/03/02
155位(同エリア625件中)
まむーとさん
2月19日から3月2日まで、記憶に残る10日間になった。
記憶も忘れがちになったので、「記憶に残る」が曖昧になるまえに、「記録に残す」。
19日 宝塚歌劇
20日 母、極楽浄土へ
20~28日 実家通いが続く
3月1日~2日 大阪マリオット都ホテル
いろんな作法違いがあるかと思います。
宗教とはそれぞれの土地の文化により変化すると言う事でスルーよろしくお願いいたします。
「不謹慎」とか「禁忌」とか言う方は読まないでくださいね。
私の日記です。
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いつもなら既に発券してる毎年恒例3月の選抜旅行。今年は決めてなかった。
1月から出国税が加算され始めた。
一人1000円だけど、家族になるとキツい。
サーチャージが高いのでソウルにして千歳で海鮮と福岡の太宰府天満宮に行こうと考えていた2月。ポチりが出来ない日が続いていた。スケジュールは仕上がっていたのに。。
結局、3月飛行機に乗る予定はない。 -
今年はバスツアーの縁がポコポコ出てきた。
宝塚(2月)、鳴門(3月)、高野山(3月)
その一番のスタート
2月19日
京都駅9時30集合の田崎ショッピングツアー8800円
宝塚歌劇、なだ万のお弁当、田崎本店へのバスツアー。
パートだけど仕事休めず。
朝4時に起き5時に家を出る。太陽が出ていない時間の仕事は非常に怖かった。
男性上司のおかげでスムーズに仕事完了出来た。
朝7時50帰宅。
8時半、元宝塚トップスターのお父さんの会社が目の前にある駅から出発。
(こちらのお父さんから宝塚のビデオを見せてもらい、音楽学校合格までの努力と苦労を聞いた事がある) -
高2の娘と参加。(学校は欠席する)
私「なだ万のお弁当頂けるよ」
娘「食べたい!」
なだ万って、女子高生にも知られているのかと思っていたら「なだ万」の文字を見て絶句していた。
「7万(ななまん円)の弁当、、、違うやん。。なだまん。。。」 -
ポートアイランドにある田崎本店には真珠で作られたお宝がたくさんあった。
田崎さんと気持ちだけ縁を結ぶ。
その9日後の3月1日に美容室で「ポートアイランドの田崎の本店に行ったのよ」と言うとそのオーナー店主は田崎創始者の親戚だった!
縁がありビックリ! -
宝塚 花のみち。自由時間に散歩。
雨の真冬だけれど花が咲いていて気持ちか良かった。
皆がウキウキした気持ちで歩く道は華やぎがある。 -
席は一番後ろ。
立ち見席は私の後ろ。
当日券は立ち見のみ。
毎日2回公演されているのに完売。しかも平日。
ホールは大きいのに満席。
宝塚のスゴさがわかった。 -
人生初、宝塚歌劇。
途中うとうとしたが、やはり面白かった。
また機会があれば観劇したい。
劇団四季はやたらアンコールが多いが、宝塚はスパッと終わる。
これも宝塚ファンの配慮に違いない。 -
途中下車して晩ごはん。二人なので少し贅沢をした。
ところで2019年。
私は去年風水を勉強している友達に「この年は運気が悪い。2020は良いよ」と言われてた。
1月末、長年勤めたパートの仕事を辞める決断をした。今まで「仕事があるから」と出来なかった事をするために決断した。
1月の誕生日には骨髄バンク登録に行く。
しかし、私は医療中に属していたため登録は出来なかった。
その後、水泳選手が白血病になり骨髄バンクがクローズアップされていた。
コレステロール値が高い人(私)、献血条件に当てはまらない方は、骨髄バンクに登録出来ない可能性がある。
子どもの時から「大人になったら」と考えていたけれど、ようやく決意をした時には出来なかった。 -
20日未明はスーパームーン。
そんな日だった。
2月20日お昼前。
仕事中、「お母さんが危篤」と父から電話があった。母は昏睡状態が何年も続いていた。
学校に連絡し段取りをする。現場仕事が残り10分だけあったのでそれは責任だと思い終わらせた。
しかし、それが仇になったのか?
会社で女性上司から意味不明な対応をされ糸が切れた。
世の中にはいろんな人がいる。
子ども3人と病院に行き、意識不明の母に「ありがとう」と伝えた。
私の母は、良妻賢母ではなかった。
社交的で喜怒哀楽激しく、行動のスケールが違うので私にはしんどい存在だった。
「お母さんは面白い人ね」といつも誰かに声をかけられるのがいつも嫌で堪らなかった。
だから私は今も「面白い人」発言に過敏になる。
ところで、病院には椅子がなくただ呆然と立ち尽くすだけだった。
みんなどう過ごすのだろうか。
来客に備え、四人で実家の掃除に取りかかる。
(写真は実家の倉庫) -
昭和27年の農業器具に祖父の名前が書いてあった。祖父は私達の家の孫が生まれる前に他界していた。
倉庫には木箱に入った椀等など捨てられない品がたくさんあった。
何もしないで待つのは、その旅立つ時間を待つような気がした。
各所の掃除を皆で励んだ。 -
息子らが私の学生時代のスキーの板を見つけた。
33年前に買ったクロスカントリーの板。袋に入っていたからきれいだった。
20日、23時30頃
「もう、そろそろ家に帰るよ~」と声をかけて荷物をまとめ玄関に集合した時、父が病院からの電話を受けた。
みんなで病院に向かった。
けれど旅立っていた。
母は、私達の掃除を見ていたと思う。
母は私と父が段取りを話していたのを聞いていたと思う。
そんなタイミングだった。
お母さんの思いやりを感じた。 -
2月22日、長男に車の掃除をさせた。
ビックリな事に、なぜか去年2月22日期限のラーメンが発掘される。
(どこから出て来たんだ!)
母のイタズラに違いない。 -
2月23日土曜日
父が通夜用に食事を頼んでいたが、私も5000円のオードブルを二皿発注する。
父は「多すぎになるから必要ない」言ったが、人数が増えたのでちょうどよかった。 -
母に化粧をした。
ホテルでもらった香りの良いボディクリームを塗った。冷たかった。
今時の花はカラフルになったのね。
祖母の時は仏事用の花だらけだった。
きれいな花は心が和んだ。
親戚や会社から花が届いた。
「知らさない」に徹した葬儀だったけど、たくさんの花に囲まれた。
花には癒しの効果があると強く感じた。
私が今住んでいる自宅には母が20年前に植えた石楠花が育っている。
勝手に小さな庭に植えられてしまった石楠花。
去年、月明かりに照らされてあまりにもきれいに咲いているのを見て驚いた。
その時、母の死期は近いと感じた。
葬儀関連はおば達にお世話になりありがたかった。
葬儀関連はその人なりがよく見える。 -
母は外に出るのが好き人で、短歌の会、社交ダンス。思い付いたら直ぐに行動する人だった。
私とは違い勉強が好きだった。
私が「ディズニーランドに行った」と聞けば、その直ぐ後に計画もせずにディズニーランドに行く人だった。無計画で無駄なお金を使う事に私はいつも腹がたった。
東京から滋賀までタクシーで帰宅したこともあった。(庶民なのに)
免許更新の時に1500円くらいを任意で払う協会で交通安全ボランティアをしていた。
エピソードはいっぱいある母だった。
私にはしんどい母だったけれど、母の友達は「よく働いてがんばり屋だった。お祖母さん(義母)が怖くて泣いていた」と教えてくれた。
私は母のハプニングにいつも怯えていたけれど、母も普通の母時代があった事を他の人に教えてもらい嬉しかった。
「面白い人」と言われなくて嬉しかった。 -
式は一般には知らされなかった。
父は寸前に大きな心臓の手術を受けていた。葬儀は親族と家族の小規模にすることになった。
我が家では初めての規模になった。
父は隠す事に徹した。
終わってみると後悔が残った。私が担い母らしい規模にしたら良かった。
母は、病院で亡くなった。
病院から「旅立った人が乗る特別な車」に乗って、丑三つに病院を出た。
その帰り際に飲酒運転の車が母の乗った車に当たった。
母は最後まで母らしい。少し笑えた。
交通安全のボランティアをしていたので、最後に飲酒運転を戒めてくれたのか?
よく「当たる」母だった。
母からのメッセージかと思った。
母は、よく私にお小遣いをくれた。それが母からの愛情だった。
お坊さんの都合などで、通夜23日葬儀は24日になる。
(葬儀は1日延びるとマリオットのツイン料金が必要になる。2日延びた。)
お坊さんは自分でタクシーを手配した。とにかくお寺関係にお金がかかる。(ヨーロッパ旅行二人分)
生きるのも死ぬのもお金はかかる。
私の時はCDのお経でいい。戒名は閃いた漢字でいい。
写真は待ち時間のお弁当。 -
2月24日日曜日 告別式
母の胸元に1000円を入れた。
10000円を入れようとしたら父に「そんな事聞いた事がない」と言われ1000円にした。
「あちらはレートがとてもいいから、この千円は使っても無くならない。あちらで豪遊して」と声に出した。
「私の時にもお金いれて、同じ言葉言うてや」と子どもに頼んだ。
私の葬儀はこじんまりでいい。「『お母さんの粉』は世界のTVに映る場所に少し撒いて欲しい」と頼む。
今回の葬儀は社交的な母らしくはなく残念で後悔した。
従来の葬儀スタイルは、意味があるお互いの形だと痛感した。
「お別れ」は必要だと感じた。
今回の葬儀で、母の弟のお嫁さんと父の姉の義理妹は同じ中学の同学年だと分かった!
その中学には母の従兄が科学の先生をしていた。顔はETにそっくり。
私は中3の正月に『ETのおじさん』に数学を教えてもらい、高校を合格したのはET のおじさんのおかげだと思っている。
ETのおじさんは母の訃報を知った頃かもしれない。
写真は葬儀後の膳 -
実家で花を生ける。
母は花が好きだった。
母の最後は花でいっぱいになった。
花を一部もらったけれど、もっともっと余っていた。
金額にしたらヨーロッパに行けるぐらいの花量だなんて結婚式でもないのだから。
全て持ち帰り、実家を花だらけにしたらよかった。先祖の墓も花だらけにしたかった!
言えば良かった! -
みんなで花を生ける。
写真は中3の息子が生けた。
花を生けて欲しいと母が願ったに違いない。
誘導したように思う。掃除の時に花鋏や花器や剣山がタイミングよく出てきていた。 -
父に一等を選んでもらう。
「胡蝶蘭が贅沢!」と長男作が父に選ばれた。
疲れていた父が笑顔になった。
嬉しかった。 -
向かって右が高2娘。
左が3回生の長男作。
皆、人生初の生花だったかと。
人生初の母の実家の掃除をしたり、皆にお世話になった。 -
玄関が寂しいので私が生けた。
作法は知らない。
喪中は鶴はダメなのかも知れない。
私の母だから許されるだろう。
実家だから出来た。弟の嫁さんもいないから。
次の日、母の友達が「喪の時は玄関に飾るのはダメなんだよ」と教えてもらった。
仏壇の仏具の配置も母の友達が教えてくれた。
そうなんや!感謝です。 -
ところで、父は大きな心臓の手術をすると決まった頃、焦りが出ていた。
銀行の○信託で500万の商品に手を出す寸前に追求し契約寸前でくい止めた。
しかし別に、先祖の土地にアパートを建てる契約をしていた。。
ちなみにアパート経営は、パートのおばさんより稼がない。。。
高齢の親ごさんがおられる方は、気を付けてください。お年寄りは心配事は家族に相談するべき。
高齢でも契約は契約。
2019は決断の年。 -
3月1日
二男の高校受験は縁があり早く決まった。
すでに家族5人旅行を計画していた。
今回は喪中なのでキャンセルを考えた。
父は「行けばいい」と。
母は観念に囚われない人だったので喜んでくれるだろうと、計画していたハルカスのマリオットホテルへ。
早朝仕事開始、
11時に美容室
13時の電車に乗る。
14時半に天王寺到着。 -
この景色を家族に見せたかった。
-
次男は瓶のドリンクに興味あり。
物色中。
「飲んだらあかんで!高いから。」
しかし、ソフトドリンクは250円で意外と安くなっていた。
「しかし、飲んだらあかんよ」 -
長男は赤ワインを飲んでみる。
「うわっ。いらん」
と私が頂く。
ラウンジで次男は瓶のドリンクを何本飲むねん!ってほど飲んで、王冠を嬉しそうに持ち帰っていた。 -
5人家族は二部屋に分かれ。
子ども3人はトリプル。
DVDプレイヤーを設置してもらい、レンタルした「仮面ライダー」を見ていた。
エキストラベットは長男。「硬くて眠れず。。」と。
「ズボンがない。ズボンがない、ない、ない」と長男の寝言がうるさかったらしい。 -
メダルを作るらしい
-
仕上がり!
色ありは可愛い。 -
ハルカスの天井のヘリポートは飲酒の人は行けないルールがあった。
私は飲酒していたので断念した。 -
滅多に買わない写真を買った。
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私と夫の部屋は北向。
四天王寺がよく見えた。母の事をお願いした。
私が参った庚申堂もここからよく見えた。
3月3日現在。
母はまだ夢には出てこない。いつ出てくるのだろうか。
NHKの連続TV小説の「まんぷく」では、何回も咲姉ちゃんが出てくるのに。 -
娘がリサーチした博多由来の、ラーメンの一蘭へ。
美味しかった!
(ただし、量は少ない)
このあと、皆で日本橋に行くも疲れて子どもを残して私と夫は帰宅する。
夫と家族に感謝した激動の10日間だった。
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この旅行記へのコメント (12)
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- ねんきん老人さん 2022/02/13 12:24:22
- もう3年・・・。
- まむーとさん、3年前の母上のご逝去を知り、そのときの記録を残されたまむーとさんの思いに触れ、無常と敬意を同時に感じました。
生前の母上がまむーとさんの感覚では理解を超えたご様子であったとの文を拝読し、それもお釈迦様の手の平の上でのことと、勝手に思いを巡らせました。
私は仏教徒というわけではなく、他の宗教にも帰依しない不真面目な者ですが、死後は悪人も善人もすべてお釈迦様に守られて極楽の蓮池のほとりで過ごすという考え方は、まんざら嘘でもないだろうという気でいます。
私には、既に鬼籍に入ったというのにいまだに許せないでいる人が何人かいるのですが、お釈迦様から見れば、「許せない」と憤っている私を含めてすべて赤子のようなもので、生前、その人がどう生きたかなどは小さな小さなことなのだろうと思います。
その小さな人間にとって、残されたわずかな年数を少しでも「良く」生きるために、先に亡くなった人への思いを大切にするというのは、「良く生きるための妙薬」と言っていいのではないでしょうか。
私ごとで恐縮ですが、私は妻が死んでからずいぶん「まともな人間」になったような気がしています。
何をするにも、どう過ごすにも、「お母さんが喜ぶだろうから」「お母さんがいやがるだろうから」という思いが基準になって、しらずしらずまともな生き方を選ぶようになったようです。
つまらぬ例を挙げるならば、先日も、道端で小さくたたまれた千円札を拾いました。以前だったら、しめた!と思ってネコババしていた額ですが、今回は妻が見ているような気がして、交番に届けました。 お巡りさんにしてみれば面倒なだけでしょうが、自分としては少しまともな人間になったような気がしました。
ご葬儀のこと、ご旅行のこと、等々、いろんな人からのいろんな見方があるとは思いますが、それぞれのご遺族の、それぞれの考え方で選んだ方法であれば、亡くなった方はおそらく極楽の蓮池のほとりから満足の笑みをたたえてご覧になっていらっしゃるだろうと思います。
どうぞこれからも、母上へのお気持ちを大切に、いつか来る再会の日に胸を張ってご報告できるような毎日をお過ごしください。
ねんきん老人
- まむーとさん からの返信 2022/02/13 16:44:33
- 身に沁みるお言葉
- ねんきん先生、こんにちは!
ありがたいお言葉をありがとうございました。嬉しかったです。
なにせ私は親不孝の極みで、母の見舞いすら生前はしませんでした。アレルギーで。
しかし、やはり母あっての今の私。
時々思い出してはありがとうと思う事があります。
心でありがとうと伝えて以上完了。
それは私の子ども達もそうするでしょう。
お釈迦様の掌の上でお釈迦様に時々問い合わせて正しい生き方をしたい私もよく思います。
ねんきん先生は10円拾われても募金箱にいれておられるはずです。
そして「お母さん」の事。当時の旅行記を読ませて頂いた事、覚えています。
ねんきん先生の奥様は極楽で今も幸せの赤い糸からねんきん先生の心を受け取られていると思います。
私もほぼ無宗教。
日本にいるときは基本仏教で。
早く飛んで「にわか」キリスト教やイスラム教になりたいです。
ハチャメチャな旅行記書いてよかったです!
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- nomo1215さん 2019/08/15 20:10:25
- はじめまして・・
- まむーとさんへ。。
じ~~んとくる旅行記でした。
高齢の親を持つ身、こちらの母は物忘れ外来に連れて行って5年。確実に進行しております。一度介護施設に入所させたものの・・どうしても私の気持ちの割り切りが出来ず再び居宅で介護しております。母を入所させたひと月の間・・いろんな事が思い返されました。一人っ子で勝手気ままに生きてきて、思い返せば母がいなかったら子育てと仕事も出来なかっただろうし・・友達と旅行も行けなかっただろう・・
そんな娘←私・・に文句を言った事も無ければ愚痴をこぼされた事も記憶にありません。娘が元気にはつらつと動いて生きてればそれでよし・・って、思っていたのでしょうね・・
いつかは必ずお別れが来る!その時に後悔しないように私自身も楽しく生きて行こう!
・・そう考えている時にこの旅行記に巡り合いました。
胸が熱くなりました。
お子さんと一緒の旅・・
子も先もどうぞ楽しい旅行を続けてください。
また、旅行記にお邪魔させていただきます。
nomo1215
- まむーとさん からの返信 2019/08/15 23:31:33
- はじめまして(*^^*)
- こんばんは!
台風は大丈夫でしたか?
嬉しい感想をありがとうございます!
恥ずかしい旅行記ですが記録しました。
とても親孝行されていますね。私は親孝行の欠片すらなく恥ずかしい人で。。。
感謝する事はしていますが、他の普通のお母さんだったら私はもう少しまともだったかなと思ったりします。規格外の母だったから今私は観念に縛られずに好きな事をしているのかなと。やはり感謝でしょうか。
そんな事をいつもぐるぐると考えたりしています。
こどもさんのために尽くされるのが幸せだったのですね。羨ましいお母様です。
ちゃんとお弁当を作り見送り、おやつを用意して帰宅を待たれていたお姿が目に浮かびます。
私はほんと罰当たりなかんじですが、いつも思うのは
一人一人が自分の幸せを感じて好きな事に取り組む事が先祖が喜ぶ事かと思ったりします。なので、お盆なのにまだお墓参りには行っていませんが旅行中「お母さんとご先祖様、応援してもらったおかげで私はこの景色を見ています。私を通して見てください」と伝えています。
それが私の宗教と親孝行です。(実に簡単)
目に見える親孝行をしていないので、私の子どもらも私と同じような考えになるでしょう。まぁいいか〜と。
こちらこそ、またよろしくお願いいたします!
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- fuzzさん 2019/03/15 14:56:35
- おつかれさまでした。
- まむーとさん、こんにちは。
お母様、逝ってしまわれたのですね。
それとお父様も手術されたばかりとか。
私んちも母が高齢者なので他人ごとではありません。
長い事病院生活だったのですか。
主人の父は冬のとある朝に急にあたって入院し、2か月位で病院で亡くなりました。
葬儀が終わり主人の車に乗ってたわいのない話をしていたら、主人の父の匂いが(笑)
匂いと言うか臭いだったのですが、車の中に漂って。
「きっと今、お義父さんが車に乗っているね」と話したことを思い出しました。
お義父さんが他界してから、毎日仏壇を拝んでいます。
いつも見守ってくれている感じがしています。
話は変わりますが、お嬢さんの「7万円の弁当」って勘違いする事がおかしくて。
7万円の弁当なんてあるわけないというか、天皇陛下でもそんなの食べたことないだろうと思うのですが。高校2年ってまだ子供なのですね。この話に癒されました。
fuzz
- まむーとさん からの返信 2019/03/18 17:09:27
- もう春ですね!
- fuzzさん、こんにちは!
返信が遅くなりごめんなさい!
葬儀の後少しして、また父が入院したり、バスツアーが二つあったり、卒業式があったり。
また先が分からないアパート建設契約を父がしてたりと訳の分からない毎日です。
しかし、問題は山積みだけど、普通の生活をしているので幸せだなと感じたりとちぐはぐです。
義父さんの時はそんな不思議な事があったんですね。
毎日拝まれてるとは流石です。私はさっさと手を合わせて、YouTubeのお経をスマホで流しています。宗教は無理なくと私なりにやってます~
「ななまん」の弁当は、量も少しでなんだか物足りなくて。式の合間の千円のお弁当の方が豪華で美味しかったです。と言うか、「私が発注したお弁当は美味しいな~」と自画自賛しています。
fuzzさんのお母さんはとてもお元気でハツラツとされていて、いつも素敵だなと拝見しています。
私の母も今ごろは飛び回っていると思います(*´∀`)
-
- たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 2019/03/07 00:30:37
- ご愁傷様と言って良いのか・・・。
- まむーとさんこんばんは。同い年だとやはり来るんですよね・・・どうしても。でもそれがきっかけになって新たに始まることもありますよね、、、きっと。
私も6年前の2月に母が亡くなりました。私以上に元気な人だった故に、在宅で診るのに近付くのが怖くって・・・。ママっ子だったから余計にそんな思いを持っていたのが記憶に残っています。
ただその後沖縄デビューをしたのも何かのきっかけ。行き続けるうちに母方の祖父が沖縄で戦死した背景を歩きたくなって現在に至っています。
そんな新たなきっかけをお母さまは投げかけてくれたのではないでしょうか?今までの旅とはまた違った思いを持って旅するチャンスを。
どら息子が偉そうに言えることではありませんが、オヤジを連れて郵便局巡りに出かけるのも、ブログネタ集めと啖呵を切っているものの、ケンカばかりしていて素直になれない理由でもあると思っています。
お母さまとは合わないと言われていますが、多分数年経てばご存命の時にはわからなかったことが理解できるようになると思います。何の因果でか初田医院がなくなった時に合わせるかのような大往生。やはりお母さまあってのまむーとさんですよ。
コメントするかどうかを悩んだ末に文章になっていなくってすいません。
たかティム。
- まむーとさん からの返信 2019/03/08 06:18:05
- 輪廻転生
- たかティムさん、おはようございます。
とても重いお言葉をありがとうございます。この先、何年経ってもこのメッセージを読ませて頂きたいと思います。その度にまたさらに発見があるように思います。
ほんと、私も思ってたんですよ。初田診療所が無くなったタイミングと同じだなと。
縁あって知り合わさせて頂いて、教えてもらったり。
しかも、妹さんとは同じ高校の同じ同好会ですし、前世では何かしら繋がりがあったに違いないですね!
その亡くなった母も同じ高校でした。
たかティムさんのお母様は6年まえでしたか。まだ最近ですね。気持ちの持ちようが大変だった事とお察しします。
私達の母は次の世に生まれて友達になるかもしれませんね
今は父の問題が出てきて、2019は思案と結団の年になりそうです。
今年は頑張らねば!と思います。
大変ありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします。
-
- yukiさん 2019/03/03 22:16:27
- まむーとさんへ
- いつもの様にメッセージを書きます
来年、再来年、ずっとまむーとさんの旅行記が続いて、楽しいページで溢れることを願っています!
これは歩みの証人ですね、、
私も、息子へ遺言のつもりで書いています。
これからは、お母さんへのラブレターですね。
愛溢れる楽しい旅行を続けてください。
カメラちゃんより。。
- まむーとさん からの返信 2019/03/04 22:54:40
- カメラちゃんの旅行復活をお待ちしています。
- カメラちゃん、こんばんは!
お久しぶりです!
息子ちゃんのお受験は終わりましたか?
この2月忙しくなる前に「カメラちゃんはどうしてるかな~」と考えていました。4トラが唯一の接点だから突然に縁が無くなるのかも知れないとすごく心配していました。
そんな中だったので今回のメッセージはいつも嬉しいけどさらに嬉しかったです。
「ラブレター」ほんと! そうですね!
あたたかな励ましを本当にありがとう!
-
- ラムロールちゃんさん 2019/03/03 18:34:58
- 不謹慎なんて、全然思いませんよ!
- まむーとさん、こんばんは。
いろいろあったんですね…。
私も高齢の両親を抱える身、いつお別れが来てもおかしくありません。
他人事とは思えない気持ちで、読ませていただきました。
長患いでいらしたお母さま、まむーとさんや皆が日本に揃っている時に、旅立たれて…。
マリオットでの皆の楽しそうな笑顔に、きっと、ご自身も笑ってらっしゃるでしょう。
お母さまの遺伝子は既に、お孫さんたちにまで続いているのですし、繋いだ命の先は、沈んでいるより、笑っている方が良いに決まっていますから。
…まむーとさん、本当に温かい家庭をつくって来られましたね。
本当にお疲れさまでした。
ゆっくりしてください。
(という間に、鳴門かな!)
ラムロール
- まむーとさん からの返信 2019/03/04 22:40:40
- 不謹慎じゃないと言ってもらい安心しました。
- ラムちゃん、こんばんは!
心安らぐ言葉をたくさん頂きありがとう!
危篤の連絡があり、みんなで会いに行くまでが一番しんどかったけれど、後は変な言い方だけど楽しく過ごしました。長患いでようやく自由になったと母は喜んだのでしょう。そんな気がします。悲しさは感じませんでした。
お通夜では会館で子ども3人が「泊まる~」と急に言い出して楽しくすごしていました。(私は自宅)
母らしくない葬儀だと思っていましたが、私が楽しく過ごせた事を思うと母らしい葬儀だったとも感じました。
優しいお言葉に感謝致します。
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