2019/01/30 - 2019/02/01
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montsaintmichelさん
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鳥取砂丘は、山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定された日本海沿岸に広がる広大な海岸砂丘の一部です。
鳥取県が実施したイメージ調査では、鳥取に対するイメージの7割超を「鳥取砂丘」が獲得し、年間200万人の観光客が訪れています。1955(昭和30)年に国の天然記念物、2007年に「日本の地質100選」に選ばれ、伯耆「大山」と並ぶ鳥取県観光のハイライトのひとつとなっています。
近年、砂の減退が問題視されていますが、それでも南北2.4km、東西16kmに広がるスケールは壮観です。通常は観光に適した範囲を鳥取砂丘と呼び、観光可能な砂丘としては国内最大規模で、立入禁止域も含めると青森県の猿ヶ森砂丘に次ぐ規模になります。一帯は山陰海岸ジオパークでもあり、国内初の「日本ジオパーク」に認定された地球科学的にも貴重なエリアです。
尚、日本3大砂丘のひとつに数えられていますが、その他の2つについては諸説あります。例えば、鹿児島県の吹上浜砂丘や静岡県の南遠大砂丘・中田島砂丘、山形県の庄内砂丘あるいは九十九里浜などが挙げられます。
砂丘探索マップです。
http://econavi.eic.or.jp/img/ecorepo/go/001/037_map.pdf
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
-
大漁市場「なかうら」
山陰名物「松葉がに」をはじめ日本海の海の幸なら何でも揃う、境港鮮魚仲買組合の仲買人が直売するカニ・鮮魚・干物などの海産物の総合専門店です。
そしてここにはもう一つの名物「がいな(=大きい)鬼太郎」があります。
水木しげる先生自らネーミングされたそうです。
因みに、鬼太郎の石像の手前の地面には一反木綿の姿もあります。 -
大漁市場「なかうら」
頭に乗った目玉おやじを含めて身長7.7m、体重90トンあり、日本一大きな鬼太郎像です。茶目っ気たっぷりに、左手に抱えているのは境港名物「松葉がに」です。
2006年に中国の職人さんが手作りで制作された像です。
手前の碑には、水木先生直筆の文字が刻まれています。 -
大漁市場「なかうら」
身長172cm、等身大のねずみ男の像です。
これでも体重685kgあります。
握手しながらツーショットで撮影できます。 -
大漁市場「なかうら」
年間60万人が訪れるという活気溢れる店内では、元気な掛け声が飛び交い、観光客からは日本海の豊かな恵みに思わず歓声が洩れます。 -
大漁市場「なかうら」 松葉がに販売コーナー
松葉がには冬の味覚の王者と言われていますが、新鮮で身入りの良い松葉がにをGETするのは難しく、審美眼が必要だそうです。
ここではプロの目で厳選していただけるので、外れがないそうです。 -
大漁市場「なかうら」
入口のすぐ左手には休憩スペースがあり、そこには水木先生直筆の絵やサインなど、ここでしか見られない貴重な品が展示されています。
2006年に来店された時のものだそうです。 -
大漁市場「なかうら」
お茶を使った「松江茶ビール」をご存知でしょうか?
松江市に独自の茶文化を広めた松江藩主 松平治郷(不昧)没後200年の記念事業の一環として開発された郷土品で、ここでも販売しています。(販売店は限定的のようです)
製造はクラフトビール製造販売の石見麦酒が担当し、原料の煎茶は日本茶製造販売のお茶の三幸園が提供されています。 -
車窓
雨に霞む島根半島もこれで見納めです。
海岸線には風力発電用の風車が何基も建てられていますが、無風状態のためプロペラは止まったままです。北から吹く卓越風を待っているのでしょうが、自然が相手なのでままならないようです。
再生可能エネルギーは「将来の基幹電源」と目されますが、日本は欧州に比べて普及スピードが遅くなっています。日本の再エネの割合は、2016年度には水力の7.5%を含めても15.3%に留まります。その中で先行する太陽光でも4.8%と低迷、風力は僅か0.6%、火山国なのに地熱発電も0.7%に過ぎません。2015年のEUの再エネの平均が29%、うち脱原発政策を進めるドイツ29%、英国25%となっており、EUでは次世代電源の柱に育ってきています。また、世界の趨勢を見ると、再エネの基軸は太陽光よりも風力です。ドイツでは29%のうち風力は12%と太陽光6%の2倍、英国も風力は12%と太陽光2%の6倍に上ります。
こうしたロールモデルがある中、日本の再エネ普及を阻む大きな原因は、コスト高と送電線接続などの規制です。風車の多くは山地に設けられますが、造成工事や輸送路整備の費用が嵩み、付帯工事費が高コストなのです。また、送電線の新設費の一部を電力会社に支払わなければならず、この負担も巨額です。東北などでは、送電線が原発の停止や火力発電所の遊休で「ガラ空き」にも拘らず、高額な費用を請求されるケースが後を絶ちません。電力会社の言い分は、「契約している発電設備の分は停止していても空けておく必要がある」というものです。つまり、送電線の空があっても、新規参入者は利用できないという制度上の不備があるのです。その結果、日本の送電線関連費はドイツの3倍です。国策で何とかすべきではないでしょうか?
こうした世界の基軸に背を向け、未だに原発に依存しようとする安倍政権の経団連寄りの考え方は、将来に禍根を残すのではないかと心配でなりません。 -
千代(せんだい)川
中国山地にある沖ノ山(標高1319m)を源流とし、鳥取平野を北流して日本海に注ぐ一級河川です。流路は延長52kmと短く急勾配の河川であり、短時間で水量が満タンになるため、昔から頻繁に大氾濫を起こして「因幡の暴れん坊」と恐れられていました。
また、この千代川は「鳥取砂丘の母なる川」とも言える存在です。千代川が運んだ山地からの土砂のうち、比較的細かな砂粒が潮流と風の影響を受け、河口を挟んで東西に砂丘を形成し、東側にあるのが「浜坂砂丘(鳥取砂丘)」です。この川を抜きにして鳥取砂丘は語れません。 -
鳥取砂丘
大駐車場から砂丘入口まで階段を登ると「ラクダの背」に出ます。すると前方が忽然と開け、正面にある人が群れている丘陵が「馬の背」です。
10万年にも及ぶ長い歳月を費やして少しずつ堆積してきた砂の造形が鳥取砂丘です。南北2.4km、東西16kmに広がる日本最大級の海岸砂丘で、高低差は最大90mもあります。
では、このような海岸砂丘がどのようにしてできたかご存知でしょうか?
中国山地の岩石(花崗岩・安山岩・玄武岩など)が長い年月をかけて雨風に晒されて風化し、脆くなった岩石が崩れて細かい砂となって千代川に流され、日本海へと運ばれてきます。海へ流されて海底に堆積した砂は、潮流によって陸側へ寄せられます。そうした砂が更に波によって海岸に打ち上げられて砂浜となり、やがて北から吹く卓越風によって吹き上げられて内陸へと運ばれます。こうして10万年もの年月をかけて起伏に富んだ広大な砂丘となりました。まさに日本列島創生の歴史を凝縮した地球規模の歴史的地形遺産と言えます。 -
鳥取砂丘では「馬の背」と「ラクダの背」の砂丘列が知られており、入口付近の「ラクダの背」は標高67mあります。「馬の背」と「ラクダの背」の間はU字形の地形のためアップダウンがあり、帰路も地味に足にきます。
疑問なのが、日本海側で砂丘があるのは鳥取砂丘だけということです。
諸説あり、よく説明されるのが「鳥取県は地形的に脆い中国山地が近くにあり、砂の元となる花崗岩などが豊富に存在しているため」です。中国山地で風化した砂が海へと流れる千代川があることが、日本海側に鳥取県だけ唯一砂丘ができている理由とされます。 -
もうひとつ個人的に理由として挙げたいのが「たたら製鉄」の影響です。
山陰地方は、古墳~明治時代まで砂鉄を採取し、「たたら製鉄」により良質な鋼を精錬する技術が息づく地でした。鋼をつくりだすたたら製鉄を「大鍛冶」、その鋼を日本刀などに鍛える刀匠を「小鍛冶」といい、神代の時代から栄えていました。
しかし、その原料となる僅かな砂鉄を得るには、花崗岩が風化してなる膨大な量のマサ土を必要とします。また、製鉄や鍛冶には火が不可欠であり、大量の木が伐採され、その根元から土砂が大量に流れ下りました。自然に風化された砂に、人工的な「鉄穴(かんな)流し」と「木の伐採」による大量の土砂が加わり、千代川などの河川により日本海に注がれたことによると思われます。 -
砂簾(されん)
鳥取砂丘には砂丘特有の現象が見られ、「風紋」、「砂柱(さちゅう)」、「砂簾」が3大現象とされます。これらは風と砂丘が織りなすファンタジーそのものです。
砂の斜面に積もった湿った砂が乾燥する過程で、しばしば砂が雪崩のように集団で流れ降ります。この流れが「簾」を垂らしたような紋様の景観となるため、「砂簾」と名付けられています。
茶色く湿った斜面を白く乾いた砂が流れ降りて途中で停止するため、コントラストが鮮やかな造形となります。
近年は、雑草の領域が広くなって美しい風紋や砂簾が見られ難くなっており、本来の砂丘の姿を目指して「ボランティア除草」が実施されています。 -
馬の背
鳥取砂丘には、砂丘列と呼ばれる3つの大きな砂の丘があります。この砂丘列は冬季に吹く北西からの卓越風に対して直交する方向に尾根を伸ばす「横列砂丘」です。
観光客が目指す第2砂丘列は、その姿が馬の背中に似ていることから「馬の背」と呼ばれ、最も人気のあるスポットです。入口から15分程で登れます。その高さは、標高47mあり、陸側の斜度は約32度の急勾配になっています。馬の背の真下から見上げる巨大な「砂の壁」は迫力満点です。また、天候にもよりますが、頂から眺める日本海は「絶景」の一語です。 -
オアシス
馬の背の陸側にある窪地は、季節によって成長したり消滅したりする水溜まりがあり、「オアシス」と呼ばれます。この水は、雨水が地下水になって湧き出したものです。海岸線が近いことから、オアシスの水は海水と思われるかもしれませんが、標高18m程あって海面より高く、海水ではありません。冬には水深1m超の池になりますが、夏には干上がって見えなくなります。
「オアシス」は、砂丘に棲む野生のタヌキやキツネ、ウサギなどの動物たちの憩いの場となります。 -
馬の背
馬の背から見下ろす日本海です。
馬の背を登っていると、潮騒の音が徐々に大きくなってくるのが判ります。 -
海士島(あもうじま)
馬の背から北北東の方角の沖合1.5kmに「海士島」が見えます。
行政上は鳥取市福部町海士に属します。この島は地元では愛称「クジラ島」と呼ばれています。確かに、クジラが泳いでいるような姿をしています。 -
馬の背
千代川の河口付近にある賀露港方向の様子です。その遥か遠くに島根半島が霞んでいます。
鳥取砂丘には古砂丘と新砂丘とがあり、新砂丘は縄文文化以降にできたものです。焼畑農業が盛んになると、山焼きが中国山地の花崗岩の風化を促進し、洪水等によって大量の土砂が運ばれました。また、たたら製鉄や土器製造、中世の製塩や大寺院建立においては山林を大量に伐採しており、これが千代川の洪水のトリガーになったことは想像に難くありません。
つまるところ鳥取砂丘は、人類による大規模な自然破壊の始まりを神が啓示していると受け取るべき風景なのかもしれません。個人的には、映画『猿の惑星』の砂漠風景と重なるものがあります。 -
オアシス
砂丘に巣穴を作って棲む希少な昆虫「エリザハンミョウ」の生息地のため、夏季にはオアシス周辺が立入禁止になっていたそうです。エリザハンミョウは、湿った砂地に棲む体長10mm程のコウチュウ目ハンミョウ科の昆虫です。
体の色は暗緑色~銅鋼色で、斑紋は全体的に細長く、くびれが大きいものが多いようです。広島や香川、愛媛など5都県では、絶滅の恐れのあるレッドリストに掲載されています。「エリザ」というのは、この甲虫を発見したロシア人の妻の名前に因みます。
以下は、オアシス付近の生息個体数の推移です。
2015年:2300匹
2016年:1460匹
2017年:153匹
2018年:36匹
「エリザハンミョウ」の生息数が激減した元凶は、「ポケモンGO」だとされています。2017年に「ポケモンGO」のイベントが開催され、個体数は前年の1/10に激減し、絶滅に瀕する危機状態となりました。「ポケモンGO」の開発者は、鳥取砂丘を巨大な砂場程度にしか考えていなかったのでしょう。新しいものを世に出すには、あらゆるケースを想定し、社会や生態系に危害が及ばないようにするのが真の技術者です。想定内であっただろう「ながら運転」でいったい何人の罪もない人の命を奪ったのか…。会社自体がそうした倫理観を持たない以上、「ポケモンGO」の廃絶運動が起こっても何ら不思議ではありません。
2018年にも個体数が激減していますが、これは西日本豪雨で巣穴が水没した可能性や記録的な猛暑・大雪、砂丘利用者の踏圧など、複合的な影響も考えられるとしています。 -
砂柱
地球とは思えないような風景が広がっています。鳥取砂丘の見所のひとつは、こうした自然が織り成す美しい造形です。
嵐の翌日などに見られる屹立する砂の群れで、雨風で砂の表面が侵食されてできます。降雨後、湿った砂の上を毎秒12mを超える風が吹くと砂は飛ばされます。しかし、細かい粒子同士が粘着した薄膜(非生物クラスト)や小石など風に飛ばされ難いものがあると、それが核となって周囲の砂だけが飛ばされて尖った砂の柱ができます。
長さは5~25cm、高さ5~25mmの三角錐状の微細な地形で、台風の通過後には、長さ2m、高さ20cmにも達する大きな砂柱ができることもあるそうです。 -
砂柱
風上側に非生物クラスト(皮殻)が付着したもので、潰れたものは埃混じりの砂丘砂とほとんど区別がつきません。つまり、クラストが風食に対して抵抗性を示した結果、風下側に尾を引く独特の侵食微地形が形成されるというメカニズムです。
砂柱は、晩秋から早春にかけて見られることが多く、この季節の風物詩となっています。
馬の背から西側へ少し足を伸ばせば見られますが、小さいため気付かれない方が多いのが残念です。 -
風紋
「砂のさざ波」とも呼ばれ、風速毎秒5~6mの風や乾燥状態など、一定の条件が揃った時にできる砂の紋様です。
風紋の波長は3~15cmあり、波高は数~10mmが比較的よく観察されるサイズです。誰も足を踏み入れていない早朝や夕方の斜光を受ける風紋は一層綺麗に見えます。 -
風紋
砂丘と砂漠の違いをご存知でしょうか?
まず砂丘の定義は、風によって運ばれた砂が長い年月を経て徐々に堆積してできた丘状の地形を言います。砂丘は、形成された場所により、海岸砂丘、河畔砂丘、湖畔砂丘に分類されます。
次に砂漠の定義は以下のようなものです。
降雨量よりも蒸発量の方が多いために植物が生育せず、また昼夜の寒暖差が激しく、そのため土地が痩せた地域を言います。つまり、砂漠とは、大地が枯れてできた広大な荒地であり、気候条件を含んだ地域を指します。
砂漠のイメージは「砂砂漠」ですが、それは土地が痩せると土に含まれる水分の蒸発が進み、土に粘りがなくなり、やがてサラサラの砂になるからです。しかし、世界の砂漠の8割は、岩石や砂礫が露出した岩石砂漠だそうです。
因みに、日本にもひとつだけ砂漠があります。それは東京都にある「東京砂漠」!?東京は時として砂漠と揶揄されたりしますが、実は伊豆大島にあります。表砂漠、裏砂漠、奥山砂漠と地図にも「砂漠」と記されています。
ただし、これらの砂漠は本来の砂漠の定義には合致せず、三原山の噴火による火山灰や砂礫で覆われて荒地となったものであり、厳密には砂漠には当たりません。 -
風紋
鳥取砂丘は日本3大砂丘のひとつに数えられますが、「日本3大砂丘」は詠み人知らずのため、その他の2つについては諸説あります。例えば、鹿児島県の吹上浜砂丘や静岡県の南遠大砂丘・中田島砂丘、山形県の庄内砂丘あるいは九十九里浜などが挙げられます。
日本3大砂丘は、「開発を逃れ、砂丘的な光景が見られるスポットのベスト3」と言い換えることができるかもしれません。 -
砂簾
何故、「観光可能な」砂丘と限定的な表現をするかと言うと、面積だけなら青森県の猿ケ森砂丘は鳥取砂丘の30倍もの広さがあるからです。しかし、猿ケ森砂丘は観光客が立ち入ることができません。その理由は、人里離れた海岸線であるため、安全に訓練ができるという理由から、自衛隊の演習施設になっているからです。ですから、観光可能な砂丘としては鳥取砂丘が日本一の広さとなります。 -
砂丘植物
1970年頃から本来生えていない外来植物が目立つようになり、1991年には砂丘の半分近くが雑草などで覆われるようになりました。砂丘の草原化が深刻な問題になり、美しい砂丘を維持・保全するために2004年度からボランティアによる除草が継続されています。除草によって砂丘が維持されていることを物語る風景です。
砂丘に雑草とは不思議なことですが、砂丘の地下20mに湧き水が流れているからです。その量は600トン/日もあり、1年を通じて枯れないそうです。大山の噴火で降り積もった火山灰の地層が水を通さないため、砂丘に降った雨を堰き止め、火山灰の地層の上を伝って染み出てくるものと考えられています。
実は鳥取砂丘では30年前から「カエル」の目撃情報があります。地元のニュースでは、「今年も『砂丘ガエル』が現れました」と風物詩になっています。
鳥取砂丘には「尻無川」や「オアシス」という降雨が地下水として湧き出す小さな水系があり、その周辺にカエルが棲んでいるそうです。暑い夏にも飛び跳ね、砂丘の巡視を行うレンジャーからは「ど根性ガエル」と呼ばれています。しかし、砂丘の水系は存在が不安定であり、また、真夏の砂は表面温度が50℃以上にもなり、カエルが世代交代する場所には不向きです。 -
砂丘植物
何故、過酷な環境の砂丘にカエルがいるかについては、「人が持ち込んだ後、繁殖した」とも考えられますが、「近所の池などから移動してくる」という説が有力です。理由の一つがウシガエルの存在です。ウシガエルはオタマジャクシで越冬しますが、砂丘では卵もオタマジャクシも発見されていないからです。
砂丘の近くの多鯰(たね)ヶ池には数多くのカエルが棲息していますが、池からオアシスまで約1kmあり、その途中には国道も通っています。その国道を渡り切ったとしても、真夏の砂丘は地表温度が50℃を超えます。乾燥に弱いカエルがオアシスまで辿り着けるのか疑問なところです。
この「砂丘ガエルの謎」を解明しようと調査・研究を進めているのが、公立鳥取環境大学環境学部の学生さんです。砂丘でカエルの卵は未だ発見されていませんが、将来が楽しみな生物学者の「卵」がすくすくと育っていることは間違いありません。 -
砂簾
中央に足跡のようなものが残されており、遊び感覚で登ったようです。しかし、砂は雪よりも崩れ易く、砂崩に巻き込まれれば死に至ることもあります。重機の搬入も困難な場所ですので、極力リスクは避けて散策していただければと思います。
鳥取砂丘の魅力は幾つもの起伏が折り重なる景観です。しかも鳥取砂丘には起伏が3つも並んでおり、まるで砂漠に迷い込んだかのような錯覚を起こさせるダイナミックな景色を創りだしています。
では、どうして鳥取砂丘はこのように起伏に富んだ地形になったのでしょうか?
NHK『ブラタモリ(鳥取砂丘編)』では、次のように解説していました。
手前の「ラクダの背」は、大山が噴火した際に堆積した厚い火山灰が古い砂丘の表面を覆い、その形を固定したため風が吹いても動かない。火山灰が堆積した後、日本海からの風によって再び砂が吹き上げられ、火山灰の地層の上に新たな砂の丘ができた。それが現在の砂丘。また、海側の2列目「馬の背」は、風で「ラクダの背」側に砂が吹き寄せられて起伏が生じたもの。更に「馬の背」の西側にも3列目があり、それも同様のメカニズムでできたものです。 -
火山灰露出地
鳥取砂丘の砂層の中には、火山灰の層もあります。最古のものは約10万年前のものであり、鳥取砂丘が10万年以上の歳月をかけてできたことを物語るものです。第2砂丘列の中間辺りには、表面の砂が風雨で飛ばされ、大山が約5.5万年前に噴火した際の火山灰の層が露出しています。軽石層が風化により味噌のようにつぶつぶで黄色い粒になっているのものが観察されます。その他、10万年前の三瓶木次軽石、9万年前の阿蘇火山灰、2.5万年前の姶良火山灰の存在が確認されています。
壮大な地球の歴史を感じさせるスポットで、砂丘の形成史を物語る貴重な資料になっています。 -
平行葉理(ラミナ )
こちらは落書きではなく、自然が描いた平行葉理(ようり)です。葉理とは、礫や砂、泥の粒子から構成される最小単位で表す層を指します。このように互いにほぼ平行な縞状模様をなす葉理を平行葉理といいます。
砂丘での落書きは県条例「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」で禁止されています。それも、マナーとか言うレベルのものではなく、厳格に「大きさ10m以上の記号や文字を書くこと」を禁じています。条例まで必要なのかと首を傾げていた矢先の2019年1月11日、縦5mX横25mの巨大な落書きが見つかったことがニュースになりました。
「HAPPY BIRTHDAY NATALIE」と書かれ、観光客の情報などから付近にいた外国人観光客の男女2人による落書きと判明し、職員が注意したそうです。2人は英語が通じず、国籍は不明だそうですが、この2人と職員で落書きを消したようです。また、1月4日には車のタイヤ跡も見つかっています。 -
追後スリバチ
鳥取砂丘には、円弧状に曲がった急斜面に囲まれた窪んだ地形「スリバチ」が幾つか存在します。風に運ばれた砂が地山にぶつかり、風が渦を巻くように斜面を吹き上がることでできた特異な地形です。
形状がすり鉢状のため「スリバチ」と呼ばれ、天然記念物の指定に際しても「スリバチ」と明記されています。
その代表的なものが西端にある巨大な蟻地獄「追後スリバチ」です。三日月状に稜線から32度の急斜面でスリバチ状に落ち込み、その高低差は20mにも達します。このように海岸砂丘でありながら内陸砂丘の特徴を持つことが、鳥取砂丘が高く評価される要因です。
因みに、斜面が崩落し始める角度を安息角と言い、一般的には30度前後となります。砂時計も同じです。 -
追後スリバチ
1930(昭和5)年5月25日に与謝野鉄幹とこの地を訪れた与謝野晶子は、故 有島武郎への鎮魂歌として次のように詠んでいます。
「砂丘とは 浮かべるものにあらずして 踏めば鳴るかな さびしき音に」
一方、1923(大正12)年、有島武郎は45歳の時に鳥取砂丘を訪れ、次のように詠みました。
「浜坂の 遠き砂丘の中にして さびしき我を 見出でけるかも」
そしてその1ヶ月後、武郎は婦人公論記者の波多野秋子(愛人)と共に軽井沢の別荘で情死し、社会に大きな衝撃を与えました。往時、武朗が置かれた状況を思うと、「さびしき我」に深い意味があるように感じられます。
因みに、鳥取砂丘は、この歌が詠まれる以前は「砂漠」と表現されており、「砂丘」と表現したのは武朗が初めてだと言われています。この歌が、陸軍省鳥取連隊の演習場でしかなかった鳥取砂丘を一躍有名にしたそうです。 -
追後スリバチからの景観
気になるのが与謝野晶子と有島武朗の関係です。
武朗が『或る女』を発表し、それに感銘を受けた晶子が手紙を送ったことが2人が出会ったきっかけです。手紙のやり取りが続くに連れ、晶子は武朗に恋愛感情を抱くようになりました。しかし、それは叶わぬ恋でした。そんな折、武朗の訃報を聞いた晶子は、「君亡くて 悲しと伝うを少し超え 苦しといはば 人怪しまん」と胸中を詠んでいます。 -
砂丘の地番表示
砂丘を散策していると、あちらこちらでこうした木の杭を目にします。これは砂丘の砂の移動を調査するための目印で、碁盤の目のように100m間隔で約120本が設置されています。杭には「J-9」などアルファベットと数字で位置情報が示されており、「砂丘探検マップ」と照合すれば自分が何処にいるのかが判ります。砂嵐やブリザードに巻き込まれた場合は、位置や方向を確認するのに重宝するかもしれません。 -
ラクダの背
「ラクダの背」では、砂丘観光の定番「らくだライド体験」が愉しめます。旅レポで訪れる芸能人など、お約束事と言っていいほどラクダとの2ショットが定番です。
鳥取砂丘にをラクダを連れて来たのは、駱駝屋の初代社長です。1960(昭和35)年のことです。当初は記念撮影用でしたが、観光客からのリクエストもあり、背中に乗せて散策できるように調教したそうです。乗って砂丘を散策すると1300円、またがって撮影するだけなら500円、並んで2ショットだけなら100円です。近くでラクダを撮影すると有料(100円)だそうですが、このように離れて風景の一部として撮影すれば何も言われません。
そもそもラクダには肖像権はありません。また、建物など所有権を有する場合、その中では他人の行動を制限できますが、砂丘は国有地です。業者の方に確認すると、ラクダの間近で撮影しようとしている方には、有料で記念撮影の営業をしている観点から「ご遠慮下さい」と呼びかけているとのことでした。ですから「有料」とは言わないそうです。
その間、ラクダはずっとほくそ笑んでいるような表情をしていました。ラクダに罪はないのですが、我々を「金づる」とでも思っているかのように見えてしまうのは当方の器が小さいからでしょうか??? -
砂の美術館
砂丘を離れ、次の目的地へ歩を進めます。
世界初の砂像を専門に展示する美術館で、日本で唯一のプロの砂像彫刻家 茶圓勝彦氏がプロデュースされています。因みに、茶圓氏は「世界が尊敬する100人の日本人」に選ばれており、国内外で活躍されています。
尚、冬季は次年度の制作期間中のため、閉館しています。
第12期展示(予定)は次の通りです。
期間:2019年4月13日~2020年1月5日
テーマ:砂で世界旅行・南アジア編
~信仰が息づく多様な文化と平和への道を訪ねて~ -
多鯰(たね)ヶ池 弁天宮
鳥取砂丘から南へ1km強の距離に位置する多鯰ヶ池の畔には、江戸時代後期に創建されたと伝わる歴史ある「多鯰ヶ池弁天宮」が鎮まります。「相州 江の島弁財天から分霊」されたと伝えられています。
5基の鳥居があり、一の鳥居は2004年に奉納されました。従前の木造鳥居が朽ちたため、石造で再建されたようです。 -
多鯰ヶ池弁天宮
二の鳥居は1933(昭和8)年に奉納されています。
弁財天の化身は蛇や龍とされており、こうした場所には大蛇や龍神にまつわる伝説が残されています。この池にも『お種伝説』があります。
昔、裕福な長者がおり、大勢の使用人を雇っていました。ある日、長者の家に「お種」という美しい女が雇われました。長者の家では、夕方には仕事を済ませた使用人が集まり、世間話をするのが常でした。ところが、誰かが「腹が減った。何かうまいものが食いてえなぁ」と言うと、いつもお種が甘い柿の実を取って来るのでした。
ある日、若者がお種の後を追うと、お種は、多鯰ヶ池に着くと着物を脱いで白蛇となり、池の中程の小島まで泳ぎ、そこにあった柿の木に登って実を取ろうとしました。これを見た若者は、震えながら逃げ帰り、その出来事を長者に話しました。一方、素性を知られてしまったお種は、長者の家には帰れず、そのまま池の主になりました。
後日談もあります。
長者の家に住む老婆は、これを聞いてお種を大層憐れみ、池の傍に荒神さんの祠を建てて祀ってやりました。そして、毎年村の子どもたちを連れて、一斗五升の小餅を木の葉の一枚一枚に載せ、池の中に流して供養をしました。 -
多鯰ヶ池
面積25ha、最深部水深17m(中国地方の湖沼では最深)、池の周囲3.4kmの静かな佇まいの池です。
池の成因は、海に近いことから外海から隔てられた潟湖と思われがちですが、池の水面は海水面より15m以上も高く、山陰最古の堰止湖と考えられています。
流出入河川を持たない閉鎖水域であり、雪解け水や雨水、湧水などでなる「砂丘のオアシス」とも呼ばれる神秘的な池です。約10万年前に背後の丘陵前面の浸食谷に古砂丘が発達し、その上を約5.5万年前に大山が噴出した軽石が覆い、水が浸透しなくなり山地と砂丘地の凹地が古砂丘によって堰き止められてできた池です。
「日本の重要湿地500」にも選出されています。 -
多鯰ヶ池弁天宮 三・四の鳥居
荘厳な雰囲気に包まれた鳥居や拝殿の佇まいは、歴史や神社ファンの方にもお勧めです。 -
多鯰ヶ池弁天宮 五の鳥居
池の畔には多数の古墳が点在しており、社殿も直径20mの弁財天古墳と呼ばれる円墳に接して建造されています。因みに、現社殿は1934(昭和9)年に建てられたものです。「お種さん」を祀り、巳年には多くの参拝客が訪れて生卵やお酒をお供えするそうです。商売繁盛などのご利益があるとされています。 -
多鯰ヶ池弁天宮 狛犬
苔生していますが、エッジがあることから比較的新しい狛犬と思われます。
目玉が赤いため、目が合うと少し不気味な感じがします。 -
多鯰ヶ池弁天宮 狛犬
子をあやす雌の狛犬は、左側の顔面が痛々しく欠けてしまっています。
誰かの悪戯なのか、自然災害なのかは不明です。 -
多鯰ヶ池弁天宮 お種の社
池の畔には荒神さんの小さな祠が建てられており、「お種の社」と呼ばれています。
金運アップのパワースポットとして知られており、巳の日に弁財天の遣いである白蛇に願い事をすると、その願いが弁財天に届けられ、金運や財運が向上するとされます。ここで高額当籤を祈願をしたところ、1等前後賞5.5億円の当籤が出たことがあるそうです。
神幕には弁財天のお約束通り、神紋「鱗紋」が染め付けられています。鎌倉時代、執権北条時政が江の島弁財天に子孫繁栄を祈願した時、美女に変身した大蛇が3枚の鱗を残して消えたことに因むものです。 -
多鯰ヶ池 小島
池には小島・磯御前島・沖御前島の3島が浮かび、小島は『お種伝説』で記された柿の木があったとされる島です。 -
多鯰ヶ池 小島
小島の松の枝振りが冬の厳しさを物語ります。
多鯰ヶ池には、もうひとつ「幽霊譚」があります。
陸軍省鳥取第40連隊があった頃の話です。この辺りは軍事訓練の場所であり、多鯰ヶ池での訓練中に集団溺死事故が起きたそうです。それからは、池に一人で行くと水の中に引きずり込まれるという怪奇譚が広まったそうです。
また、池には巨大な蛇が現れるという伝説もあり、実際に2mを超える抜け殻が弁財宮で発見されたそうです。 -
すなば珈琲
2014年、47都道府県で唯一スターバックスコーヒーがなかった鳥取県に地元企業「ぎんりんグループ」が開業した喫茶店です。平井 鳥取県知事の「鳥取にはスタバはないけど、日本一のスナバがある」という名言にあやかってオープンしました。
2016年に実施された「鳥取県内の観光地などの認知率」調査においては、1位が鳥取砂丘、2位に水木しげるロード、3位に大山、そして4位にすなば珈琲がランキングされる健闘ぶりです。
「スタバ」は2015年に鳥取県に上陸しました。その相乗効果もあり、一般家庭の1年間のコーヒー購入額が、全国の県庁所在地や政令指定都市計52都市で鳥取市がトップに立ちました。元々、鳥取県民はコーヒー好きだそうですが・・・。 -
海士島
もういちど砂丘に登り、今度は違うアングルから海士島を撮ってみました。
2017年に「しらべぇ編集部」が実施した「印象が薄い都道府県」の調査では、1位は島根県で23.2%、2位は鳥取県で18.3%だったそうです。しかし、同年の「住みたい田舎」ベストランキングでは鳥取市がトップに選ばれています。鳥取県が打ち出した「ストレスを感じない地域づくり」に共感し20~30代の移住者が増えたそうです。「ストレスフリー」というキーワードは健やかな生活を送るには不可欠な要素なのかもしれません。
また、島根県には国宝 松江城や出雲大社、鳥取県には国立公園 大山や鳥取砂丘など、歴史や大自然を満喫できる観光名所がいくらか存在しており、観光スポットとして注目されれば今後のランキングに変動が期待できるかもしれません。この旅行記がその一助となることを願いたいと思います。 -
鳥取砂丘大駐車場
駐車場にある池の畔に大きなカエルのオブジェがありました。
「無事かえる」と言う語呂合わせなのでしょう。
このように子ガエルを負ぶっているのは珍しいのでは!?
この続きは、萬福笑來 山陽・山陰紀行⑪仁風閣(エピローグ)でお届けいたします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- まつじゅんさん 2021/06/06 00:09:39
- ようこそ鳥取へ
- montsaintmichelさん
私の拙い忘備録へのご訪問、ありがとうございます。
鳥取、境港、日野から米子、そして鳥取砂丘と鳥取県を横断されたようで、自然と美味い鳥取県はいかがでしたでしょうか。
鳥取砂丘は、良く砂漠と勘違いされるのですが、風と川の産物で最初は乾燥地農業の研究地でしたが、今は環境保全の観点が大きくなり、砂丘の保全活動に力を入れて何とか現状維持している状況です。
私も、鳥取時代毎年砂丘の除草活動に駆り出されたりしていましたが、あの迫力は凄いと毎回思っていました。
また是非、鳥取県にお越しください。
今度は中部地区、三朝、倉吉にもぜひお立ち寄りくださいませ。
matujyunn
- montsaintmichelさん からの返信 2021/06/07 13:10:14
- RE: ようこそ鳥取へ
- まつじゅんさん
こんにちは!
旅行記への訪問及びコメントをいただきありがとうございます.
当方の地元阪神地区の旅行記が多かったので、てっきりまつじゅんさんは阪神地区の方だとばかり思っておりました.出身が鳥取県ということなのでしょうね.
鳥取砂丘の保全は大変なことだと思いますが、後世に自然の雄大さを残すために今やっておきたい活動のひとつだと思います.
また、コロナが終息したら倉吉エリアをのんびりと回ってみたいと思っております.
現在は巣籠状態ですが….
まつじゅんさんの阪神地区の旅行記を愉しみにしております.
montsaintmichel
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