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キュラソー(Curacao)の主都ウィレムスタット(Willemstad)の世界遺産の歴史地区であるオットロバンダ(Otrobanda)地区とプンダ(Punda)地区の間、200m前後の幅で約1.6㎞続く深い海峡、セント・アナバーイ(Sint Annabaai)にあるのがこれも世界遺産に登録されているクィーンエマ橋(Koningin Emmabrug)。幅9.8m、長さ167mのこの橋は、世界でも珍しい常設のポンツーン橋(Pontoon bridge)。ポンツーン橋は舟橋とも呼ばれ、河川の中に並べた船(ポンツーンと呼ばれる平底舟)の上に板を敷いて造る橋。渡河作戦などの軍事上の必要に応じるために軍隊によって架設される橋の多くがこのポンツーン橋。<br /><br />と書いているが、実は実際にこの橋を渡っている時には、そう云う橋だと分かってなかった。パステルカラーの建物群の間に架かってる橋で、景色がきれいだと云うことしか分かってなく、実際きれいで気持ちいいし、それだけで満足してた。で、渡った後、プンダ地区側を歩き回って、約30分後にセント・アナバーイ海峡に戻って来たら、あれ?、橋がない! その時初めて、この橋がポンツーン橋で、船を通すためにオットロバンダ側を起点として内陸側に旋回し、航路を開けるようになってると分かった。良かった~、たまたま開いて。<br /><br />この橋は16のポンツーンを橋脚とした木造のポンツーン橋で、さらに橋が旋回して航路を確保する珍しい橋だった。実際に目の前で橋が元に戻るのを見たが、動きは早く、数分で元に戻った。現在の頻度は不明だが、多い時は日に24回開き、長い時は何時間も開いていたこともあったそうだ。地元では「揺れ動く老婦人(Swing Old Lady)」とも呼ばれている。<br /><br />最初に造られたのは1888年で、キュラソーでアメリカから輸入した氷を売って大儲けしたアメリカ人の商人レオナルド・B・スミス(Leonard B.Smith)が建造した。橋の名前は、この町の名前の由来になったと云われる17世紀のオラニエ公ウィレム3世(Willem III van Oranje-Nassau)とは違う19世紀のオランダ王、ウィレム3世(Willem III)の王妃で、王の死後、1890年から娘のウィルヘルミナ女王(Wilhelmina der Nederlanden)が成人する1898年まで皇太后として摂政を務めたエンマ女王(Emma van Waldeck-Pyrmont)に由来している。<br /><br />1901年から34年までは有料(ただし靴も買えない貧しい人は無料)だったそうだが、その他は無料で、今も無料。橋が開いている間は、2台のフェリーが代行運航するが、これも無料。車は1974年に内陸側にあるクイーンユリアナ橋(Koningin Julianabrug)の完成に伴い、この橋は通れなくなり、歩行者専用となっている。何回か改装されているが、最近では2005年から06年に450万ユーロ掛けて大改装された。一部のポンツーン以外のほとんどが置き替えられたそうだ。<br /><br />クィーンエマ橋はほぼ外海に近いところに架けられているが、橋から内陸部を見ると高いところにそのクイーンユリアナ橋が見える。カリブ海で最も高い56.4mの高さがあり、一部のクルーズ船を除くほとんどの船が下を通過できる自動車専用橋。この橋は1961年から建設準備が始まったが、67年に15人が亡くなる崩壊事故を起こし、再設計されて74年に開通した。橋の名前は先々代のオランダ女王(現国王の祖母)、ユリアナ女王(Juliana der Nederlanden)に由来している。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1873951266008222&amp;type=1&amp;l=f8940e6e36<br /><br /><br />プンダ地区へ続く

キュラソー ウィレムスタット クィーンエマ橋 (Koningin Emmabrug, Willemstad, Curacao)

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2017/11/14 - 2017/11/14

36位(同エリア37件中)

旅行記グループ オランダ領キュラソー

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ちふゆ

ちふゆさん

キュラソー(Curacao)の主都ウィレムスタット(Willemstad)の世界遺産の歴史地区であるオットロバンダ(Otrobanda)地区とプンダ(Punda)地区の間、200m前後の幅で約1.6㎞続く深い海峡、セント・アナバーイ(Sint Annabaai)にあるのがこれも世界遺産に登録されているクィーンエマ橋(Koningin Emmabrug)。幅9.8m、長さ167mのこの橋は、世界でも珍しい常設のポンツーン橋(Pontoon bridge)。ポンツーン橋は舟橋とも呼ばれ、河川の中に並べた船(ポンツーンと呼ばれる平底舟)の上に板を敷いて造る橋。渡河作戦などの軍事上の必要に応じるために軍隊によって架設される橋の多くがこのポンツーン橋。

と書いているが、実は実際にこの橋を渡っている時には、そう云う橋だと分かってなかった。パステルカラーの建物群の間に架かってる橋で、景色がきれいだと云うことしか分かってなく、実際きれいで気持ちいいし、それだけで満足してた。で、渡った後、プンダ地区側を歩き回って、約30分後にセント・アナバーイ海峡に戻って来たら、あれ?、橋がない! その時初めて、この橋がポンツーン橋で、船を通すためにオットロバンダ側を起点として内陸側に旋回し、航路を開けるようになってると分かった。良かった~、たまたま開いて。

この橋は16のポンツーンを橋脚とした木造のポンツーン橋で、さらに橋が旋回して航路を確保する珍しい橋だった。実際に目の前で橋が元に戻るのを見たが、動きは早く、数分で元に戻った。現在の頻度は不明だが、多い時は日に24回開き、長い時は何時間も開いていたこともあったそうだ。地元では「揺れ動く老婦人(Swing Old Lady)」とも呼ばれている。

最初に造られたのは1888年で、キュラソーでアメリカから輸入した氷を売って大儲けしたアメリカ人の商人レオナルド・B・スミス(Leonard B.Smith)が建造した。橋の名前は、この町の名前の由来になったと云われる17世紀のオラニエ公ウィレム3世(Willem III van Oranje-Nassau)とは違う19世紀のオランダ王、ウィレム3世(Willem III)の王妃で、王の死後、1890年から娘のウィルヘルミナ女王(Wilhelmina der Nederlanden)が成人する1898年まで皇太后として摂政を務めたエンマ女王(Emma van Waldeck-Pyrmont)に由来している。

1901年から34年までは有料(ただし靴も買えない貧しい人は無料)だったそうだが、その他は無料で、今も無料。橋が開いている間は、2台のフェリーが代行運航するが、これも無料。車は1974年に内陸側にあるクイーンユリアナ橋(Koningin Julianabrug)の完成に伴い、この橋は通れなくなり、歩行者専用となっている。何回か改装されているが、最近では2005年から06年に450万ユーロ掛けて大改装された。一部のポンツーン以外のほとんどが置き替えられたそうだ。

クィーンエマ橋はほぼ外海に近いところに架けられているが、橋から内陸部を見ると高いところにそのクイーンユリアナ橋が見える。カリブ海で最も高い56.4mの高さがあり、一部のクルーズ船を除くほとんどの船が下を通過できる自動車専用橋。この橋は1961年から建設準備が始まったが、67年に15人が亡くなる崩壊事故を起こし、再設計されて74年に開通した。橋の名前は先々代のオランダ女王(現国王の祖母)、ユリアナ女王(Juliana der Nederlanden)に由来している。
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プンダ地区へ続く

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