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キュラソー国際空港から世界遺産の町、主都ウィレムスタットへ向かう。空港は北海岸にあるが、ウィレムスタットは島を南に横切った南海岸にある。12㎞ほどあるので歩いては行けない。バス乗り場を探すがよく分からないので、結局人に聞きまくる。英語は通じるのだけど、バス乗り場は非常に分かり難くい。明確にサインとかがないんだよな。やっとここだろうと云うところ、空港の出口に近い空港ビルの西の端で待つが、なんか全然バスらしきものは現れない。事前に調べた情報ではいくらでもあると云う話だったのに・・・ やっと乗ったのはたぶんもうお昼の12時頃だったように思う。空港に飛行機が降りてから3時間近く経ってたが、何してたんだろう私。<br /><br />バス、と云っても実際には1ボックスカーだったが(下の写真は帰りに乗ったバス)、もしかしたら長い間待ってる間にバスとは思わなくて見逃したかしら? ダウンタウンに行くことを確認して乗り込む。地元の人の足となってるバスで、細かい道をいろいろ回って20分ほどでここがダウンタウンだと云うことで降ろされる。料金は2ドル(US$)。ちなみにこのキュラソーには独自の通貨、アンティル・ギルダー(Netherlands Antillean guilder(NAf)=1US$が1.79NAfの固定レート)ってのがあるんだけど、米ドルが普通に使えるので、両替の必要がない。ただし、コインは使えないし、お釣りは現地通貨の可能性が高い。カリブ地域ではこう云う国がいくつもあることをジャマイカに住んでからケイマン諸島やバハマに行って知ったが、この時は知らずに、コインで払おうとして拒否された。最初なんでダメと云われてるのか分からなかったら、たまたま同じバスに乗ってた韓国人の方が助けてくれた。で、米1$札も持っていたので、ようやくOK。さらに降りたら自分でドアを閉めないといけないんだよね。韓国人の彼と話をしながら歩きだしたら、クラクションを鳴らされ、閉めろと云われた。まあ、実態はワンボックスカーだし。<br /><br />で、ここからちょっとの間は、韓国人の彼と行動を共にする。彼もトランジットだそうで、ただ次の便が夕方なので、早目に空港に戻るとのことだった。いくつくらいだったかなあ。あまりよく覚えていないが、多分40代くらいの方だったと思う。彼とたぶんこっちの方向だろうと来た方と反対側に歩き出す。<br /><br />このウィレムスタット(Willemstad)は、キュラソーの主都で人口は約15万人。キュラソーを国と考えれば首都にあたる。2010年に解体されたオランダ領アンティル(Nederlandse Antillen)の主都でもあった。なお、日本ではヴィレムスタットとかウィレムスタトあるいはウィレムスタードなどと表記されることもある。元々は1634年にオランダ人がスペインから島を占領した時に要塞の周辺に造られた町。町の名前は1672年にオランダ総督(Stadhouder)となり、その後1688年にイングランド王(Rex Angliae)、スコットランド王(Rex Scottorum)になったオラニエ公ウィレム3世(Willem III van Oranje-Nassau)に由来していると云うのが通説だが、1647年に就任したその父、オラニエ公ウィレム2世(Willem II van Oranje-Nassau)に由来していると云う説もある。19世紀半ばに奴隷制度が廃止されるまでは奴隷貿易の拠点として発展し、20世紀になると産油国であるベネズエラの沖合に位置し、深い港を持っており、また政治的に安定していることで、重要な港湾都市かつ石油精製基地として発展した。一時期世界最大であった精製所は1915年にロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell)によって建てられた。現在は、優遇税制を引いているので多くの金融機関がこの町に本社を置いている。プロ野球スワローズ(Tokyo Yakult Swallows)のバレンティン選手(Wladimir Balentien)はこの町の出身。<br /><br />観光が主要産業で、カジノも多い。町の中心部にはパステルカラー(pastel color)の17、18世紀に建てられたオランダ植民地時代の建造物が立ち並び、97年に「キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区(Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curacao)」として世界遺産となった。パステルカラーの建物が多いのは、1817年に総督の命令があったため。当初の建物はオランダ船にバラスト(ballast)として積まれていたレンガを使って建てられていたが、足りなくなって地元の珊瑚石が使われた。しかし、脆弱な珊瑚石を質の悪いモルタル(mortar)で固めた建材は崩れやすく、補修のたびに表面の白いプラスター(plaster)も塗りなおす必要があった。これをパステルカラーで塗ることになったのは、白い壁面に照り返される強い太陽光の有害性を説いた医師がいたことによると云う。ただ、実際には総督がオランダの塗装工場と結託して命令を出したことが分かっているそうだ。現在では法的拘束力は失われているが、地元住民は自発的にパステルカラーで塗り直している。<br /><br />この歴史地区は、5つの地区から成り立っているが、中心となるのはこの町発祥の地となるプンダ(Punda)地区とオットロバンダ(Otrobanda)地区。プンダ地区こそが1634年に最初に町が造られたところで、名前はオランダ語の「端」(de punt)から来ている。オットロバンダ地区はプンダ地区とセント・アナバーイ(Sint Annabaai)と云う内陸部に広がったスコッテガト(Schottegat)と云う自然港と繋がる深い海峡を隔てた地区で、1707年以降に開発された。名前はパピアメント語で「もう1つの岸」を意味する。後に渡るクィーンエマ橋開通以降に急速に拓けた。<br /><br />バスを降りたのは、このオットロバンダ地区のほぼ中心にあたるところ(その時には分からなかったが)にあるショッピングセンターの前。で、選んだ道は正解で、ブレーデ通り(Breedestraat)と云う町の中心のブリオン広場(Brionplein)に通じる道。歩き出すとすぐにクリーム色の立派な洋館がある。「Kranshi」と呼ばれるこの建物は今は市庁舎の一部として使われているが、1865年から84年にかけて建てられたもの(表紙の写真)。ブレーデ通りにはさっそくパステルカラーの建物が立ち並び可愛い。<br /><br />10分ほどでブリオン広場に到着。セント・アナバーイ海峡を挟んでプンダ地区と向き合う町の中心広場。19世紀の南米自由闘争に多大な貢献をしたキュラソー出身の提督、ルイス・ブリオン(Pedro Luis Brion)の名前に由来した広場で、北側には彼の銅像がある。広場の南側はキュラソー島にあった8つの要塞のうちの1つリフ要塞(Riffort)跡で、現在はギャラリー、ショップ、レストランが並ぶモールになっている。南西隅には警察署がある植民地時代の建物。西側はかわいらしいパステルカラーの建物のショップが並び、北側はカジノのあるオットロバンダホテル(Otrobanda Hotel)があり、さらにその奥には奴隷貿易に関しての展示を行っているクラフランダ博物館(Museum Kura Hulanda)がある。と書いているが、ここを訪れた時には、そんなことは丸っきり分かってなかった。来ようと思ってきたところではなかったし、来ることが決まったのが出発の直前で、事前予習を全くしてなかった。おお、なんか綺麗な建物に囲まれた可愛い広場だなと思っただけ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1873954706007878&amp;type=1&amp;l=3938c794c3<br /><br /><br />で、来る前にこれは見たいと唯一思ってたクィーンエマ橋(Koningin Emmabrug)へ続く。

キュラソー ウィレムスタット (Willemstad, Curacao)

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2017/11/14 - 2017/11/14

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旅行記グループ オランダ領キュラソー

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ちふゆ

ちふゆさん

キュラソー国際空港から世界遺産の町、主都ウィレムスタットへ向かう。空港は北海岸にあるが、ウィレムスタットは島を南に横切った南海岸にある。12㎞ほどあるので歩いては行けない。バス乗り場を探すがよく分からないので、結局人に聞きまくる。英語は通じるのだけど、バス乗り場は非常に分かり難くい。明確にサインとかがないんだよな。やっとここだろうと云うところ、空港の出口に近い空港ビルの西の端で待つが、なんか全然バスらしきものは現れない。事前に調べた情報ではいくらでもあると云う話だったのに・・・ やっと乗ったのはたぶんもうお昼の12時頃だったように思う。空港に飛行機が降りてから3時間近く経ってたが、何してたんだろう私。

バス、と云っても実際には1ボックスカーだったが(下の写真は帰りに乗ったバス)、もしかしたら長い間待ってる間にバスとは思わなくて見逃したかしら? ダウンタウンに行くことを確認して乗り込む。地元の人の足となってるバスで、細かい道をいろいろ回って20分ほどでここがダウンタウンだと云うことで降ろされる。料金は2ドル(US$)。ちなみにこのキュラソーには独自の通貨、アンティル・ギルダー(Netherlands Antillean guilder(NAf)=1US$が1.79NAfの固定レート)ってのがあるんだけど、米ドルが普通に使えるので、両替の必要がない。ただし、コインは使えないし、お釣りは現地通貨の可能性が高い。カリブ地域ではこう云う国がいくつもあることをジャマイカに住んでからケイマン諸島やバハマに行って知ったが、この時は知らずに、コインで払おうとして拒否された。最初なんでダメと云われてるのか分からなかったら、たまたま同じバスに乗ってた韓国人の方が助けてくれた。で、米1$札も持っていたので、ようやくOK。さらに降りたら自分でドアを閉めないといけないんだよね。韓国人の彼と話をしながら歩きだしたら、クラクションを鳴らされ、閉めろと云われた。まあ、実態はワンボックスカーだし。

で、ここからちょっとの間は、韓国人の彼と行動を共にする。彼もトランジットだそうで、ただ次の便が夕方なので、早目に空港に戻るとのことだった。いくつくらいだったかなあ。あまりよく覚えていないが、多分40代くらいの方だったと思う。彼とたぶんこっちの方向だろうと来た方と反対側に歩き出す。

このウィレムスタット(Willemstad)は、キュラソーの主都で人口は約15万人。キュラソーを国と考えれば首都にあたる。2010年に解体されたオランダ領アンティル(Nederlandse Antillen)の主都でもあった。なお、日本ではヴィレムスタットとかウィレムスタトあるいはウィレムスタードなどと表記されることもある。元々は1634年にオランダ人がスペインから島を占領した時に要塞の周辺に造られた町。町の名前は1672年にオランダ総督(Stadhouder)となり、その後1688年にイングランド王(Rex Angliae)、スコットランド王(Rex Scottorum)になったオラニエ公ウィレム3世(Willem III van Oranje-Nassau)に由来していると云うのが通説だが、1647年に就任したその父、オラニエ公ウィレム2世(Willem II van Oranje-Nassau)に由来していると云う説もある。19世紀半ばに奴隷制度が廃止されるまでは奴隷貿易の拠点として発展し、20世紀になると産油国であるベネズエラの沖合に位置し、深い港を持っており、また政治的に安定していることで、重要な港湾都市かつ石油精製基地として発展した。一時期世界最大であった精製所は1915年にロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell)によって建てられた。現在は、優遇税制を引いているので多くの金融機関がこの町に本社を置いている。プロ野球スワローズ(Tokyo Yakult Swallows)のバレンティン選手(Wladimir Balentien)はこの町の出身。

観光が主要産業で、カジノも多い。町の中心部にはパステルカラー(pastel color)の17、18世紀に建てられたオランダ植民地時代の建造物が立ち並び、97年に「キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区(Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curacao)」として世界遺産となった。パステルカラーの建物が多いのは、1817年に総督の命令があったため。当初の建物はオランダ船にバラスト(ballast)として積まれていたレンガを使って建てられていたが、足りなくなって地元の珊瑚石が使われた。しかし、脆弱な珊瑚石を質の悪いモルタル(mortar)で固めた建材は崩れやすく、補修のたびに表面の白いプラスター(plaster)も塗りなおす必要があった。これをパステルカラーで塗ることになったのは、白い壁面に照り返される強い太陽光の有害性を説いた医師がいたことによると云う。ただ、実際には総督がオランダの塗装工場と結託して命令を出したことが分かっているそうだ。現在では法的拘束力は失われているが、地元住民は自発的にパステルカラーで塗り直している。

この歴史地区は、5つの地区から成り立っているが、中心となるのはこの町発祥の地となるプンダ(Punda)地区とオットロバンダ(Otrobanda)地区。プンダ地区こそが1634年に最初に町が造られたところで、名前はオランダ語の「端」(de punt)から来ている。オットロバンダ地区はプンダ地区とセント・アナバーイ(Sint Annabaai)と云う内陸部に広がったスコッテガト(Schottegat)と云う自然港と繋がる深い海峡を隔てた地区で、1707年以降に開発された。名前はパピアメント語で「もう1つの岸」を意味する。後に渡るクィーンエマ橋開通以降に急速に拓けた。

バスを降りたのは、このオットロバンダ地区のほぼ中心にあたるところ(その時には分からなかったが)にあるショッピングセンターの前。で、選んだ道は正解で、ブレーデ通り(Breedestraat)と云う町の中心のブリオン広場(Brionplein)に通じる道。歩き出すとすぐにクリーム色の立派な洋館がある。「Kranshi」と呼ばれるこの建物は今は市庁舎の一部として使われているが、1865年から84年にかけて建てられたもの(表紙の写真)。ブレーデ通りにはさっそくパステルカラーの建物が立ち並び可愛い。

10分ほどでブリオン広場に到着。セント・アナバーイ海峡を挟んでプンダ地区と向き合う町の中心広場。19世紀の南米自由闘争に多大な貢献をしたキュラソー出身の提督、ルイス・ブリオン(Pedro Luis Brion)の名前に由来した広場で、北側には彼の銅像がある。広場の南側はキュラソー島にあった8つの要塞のうちの1つリフ要塞(Riffort)跡で、現在はギャラリー、ショップ、レストランが並ぶモールになっている。南西隅には警察署がある植民地時代の建物。西側はかわいらしいパステルカラーの建物のショップが並び、北側はカジノのあるオットロバンダホテル(Otrobanda Hotel)があり、さらにその奥には奴隷貿易に関しての展示を行っているクラフランダ博物館(Museum Kura Hulanda)がある。と書いているが、ここを訪れた時には、そんなことは丸っきり分かってなかった。来ようと思ってきたところではなかったし、来ることが決まったのが出発の直前で、事前予習を全くしてなかった。おお、なんか綺麗な建物に囲まれた可愛い広場だなと思っただけ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1873954706007878&type=1&l=3938c794c3


で、来る前にこれは見たいと唯一思ってたクィーンエマ橋(Koningin Emmabrug)へ続く。

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