2019/01/30 - 2019/02/01
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montsaintmichelさん
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四季を問わず牡丹の花が咲き、漢方薬として知られる高麗人参が特産の不思議な小島が、島根・鳥取両県にまたがる汽水湖 中海に浮かぶ大根島です。
大根島は、年間180万本を生産する「牡丹の里」として知られ、その規模は全国一を誇ります。それ故、牡丹の花は「島根県の花」に制定されています。牡丹の原産地は中国ですが、空海が日本に持ち帰ったと伝わり、「百花の王」と称されるほど大輪の花を咲かせ、種類も豊富です。
その大根島の中で最も牡丹で有名なのが「由志園」です。「牡丹と雲州人参の里」というキャッチフレーズで知られ、足立美術館と比肩する本格的な日本庭園を誇ります。1975(昭和50)年にオープンし、今では年間30万人の観光客が押し寄せます。開園は日本庭園としては比較的新しい時代のものですが、一方で最新のテクノロジーを用いた企画などが話題となり、毎年、噂が噂を呼び、まさに山陰の「秘密の花園」へと進化しています。
フランス旅行ガイドブック『ブルーガイド・ジャポン』では、最高ランクの「3つ星」評価を獲得しており、1万坪の回遊式池泉庭園を散策すれば、春夏秋冬の折々に牡丹をはじめとした様々な草花が咲き誇ります。
由志園のHPと園内マップです。
http://www.yuushien.com/yuushien/
http://www.yuushien.com/yuushien/emap/index.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
大根島にある由志園に到着したのは、少し薄暗くなってからでした。由志園の入口に当たる長屋門は、200年の時を隔てて復元されたものです。
由志園はどちらかと言えばマイナーな観光スポットですが、来園者からは「かの足立美術館に負けていない」と評価されています。足立美術館も日本庭園を売りにしていますが、趣向が大きく異なり、こちらの庭園は回遊式ですので園内を自由に散策でき、自分を風景の一部に同化させながら自然と触れ合える醍醐味が魅力です。
半ば人工的な庭園でありながら、それを遠くから眺めさせるだけの「整形立体式絵画」と揶揄される足立美術館とは趣を違えています。ここは元々存在した自然の有形を最大限活用していることも奏功し、回遊する中に奥深さを秘めています。足立美術館で消化不良を起こされた方は、是非ここまで足を伸ばしてみてください。 -
假屋崎省吾氏の作品展示
島根県の片田舎に浮かぶ大根島ですが、時には、假屋崎氏やダニエル・オスト氏など著名フローリスト達の作品に出会うことができます。
エントランスの中央に展示されているのが、假屋崎氏の作品になります。 -
假屋崎省吾氏の作品展示
一輪の小振りなピンクの牡丹が可憐です。
假屋崎氏の作品は、単に「生け花」という言葉で片づけることのできないユニークな世界観を築き上げており、空間芸術家としての視点が随所に見受けられます。 -
假屋崎省吾氏の作品展示
由志園とはこれで8回目のコラボレーションになるそうです。
美輪明宏さんの「美を紡ぎ出す手を持つ人」という言葉にも納得できる作品群です。
園内では年中牡丹は咲いていますが、オンシーズに比べ見劣りする時期をボトムアップする企画のようですが、これを目当てに来園される方も少なくないようです。 -
雲州人参
大根島は牡丹で有名ですが、もう一つの特産品が「雲州人参」です。栽培できる条件が厳しいうえ、薬効を持つに至るまで、植え付けから6年もの歳月を要します。大根島の豊かな水、ミネラル分が豊富な大地、澄んだ空気の中で大切に栽培されています。また、連作を嫌うため、土壌力が回復するまで15年間も植え付けができません。こうしたことから、「雲州人参」が如何にパワーを秘めたものか想像に難くありません。
300年も前からこの地で栽培されていましたが、往時は一般人には決して手に入らない超貴重品でした。今では世界中に輸出され、一級品としての名声を得るに至っています。
由志園では、この貴重な宝物である「高麗人参」を産地ならではの品質と価格で手に入れることができます。お馴染みの「高麗人参エキス」や「粉末」をはじめ、「人参酒」や「石鹸」、「美容液」、「お茶」などの商品を販売しています。
独自にブレンドした人参茶は、サポニンという成分が含まれているため茶せんでたてた泡が消えにくく、血流が改善されて病を防ぐそうです。
「高麗人参アイスクリーム」は人気です。 -
新田松
エントランスから一歩踏み出すと、そこには足立美術館を彷彿とさせる絵に描いたような庭が広がっています。
ここの池泉回廊式日本庭園は、出雲国の風光明媚な景色を凝縮した箱庭であり、出雲国の代表的な風景がイメージされていることから出雲式庭園とも呼ばれます。
「新田松」は逞しい幹模様(曲がり)と風情ある枝ぶりが特徴の黒松で、大根島育ちの防潮用の松です。家屋や水田を守り続けてきた「新田松」は護岸工事のために撤去されてしまいましたが、この庭園に植樹された黒松はかつての島の風景を偲ぶよすがとなっています。冬季の鈍色の空に黒松の緑が映えます。
因みに、園内に約120本ある黒松は、いずれも葉を短くした出雲流剪定がなされています。 -
白砂
大根島の黒松「新田松」や島石の石組、潤沢な地下水を利用したダイナミックな水の流れなど、大根島の資源を有効に活用し、出雲地方の雄大な自然や神話をあしらい、ストーリー性を持たせて造営されています。 -
寒牡丹
雪よけの薦(こも)を被り、寒さをしのいでいる寒牡丹です。
小振りで華やかさは控え目ですが、冬の寒さに耐えて凛と咲くその姿は、出雲の鈍色の世界に可憐さを湛えています。何とも微笑ましく、眺めているうちにほっこりさせられます。
「そのあたり ほのとぬくしや 寒ぼたん」(高浜虚子)
薦の中で紅やピンクの色鮮やかな花を咲かせる姿は、そこだけぬくもりがあるように感じられ、まさに高浜虚子の詠んだ俳句通りの景色です。 -
寒牡丹
寒牡丹は、春だけでなく冬にも花を付ける2季咲きという種類です。
冬場の開花時期は10月下旬~1月下旬ですので、雪の中、寒風に耐えながら咲く牡丹の花はなんとも健気で可憐に映ります。春の艶やかさとは一味違う表情を持つ冬仕様の牡丹も見逃せません。 -
寒牡丹
まさに旬の寒牡丹。一株ずつ、腰をかがめて覗き込めば、そこには旬の華やぎが誇らしげに待ち構えています。
大根島での牡丹栽培のはじまりは、300年前に遡ります。八束町にある全隆寺の住職が遠州(静岡県)の秋葉山で修業し折、薬用として持ち帰り、境内に植えたのがはじまりとされます。その後、徐々に島内の農家に普及し、明治時代以降は上方からの移入や島内での品種改良がなされ、僅かな種類だった品種も現在では300種にも及びます。 -
紅葉橋から眺める景色は、中海を模したダイナミックな池泉です。
水辺の空間は、中国山地に源を発する斐伊川が、宍道湖や中海を経て日本海へと注ぐ様を表現しています。石組みの大滝が「中国山地の水源」を表わし、渓流が「斐伊川」、大池は「中海」、そこに浮かぶ中島は「大根島」、水際のなだらかな曲線は「弓ヶ浜」がイメージされています。 -
庭園では、表面に無数の穴が開いた島石が石組や庭石に使われています。島石は、地中から掘り起こされる「山石」と海中から採取される「海石」の2種類に分けられます。山石は火山灰などの土が付着し赤茶色を呈しており、海石は玄武岩本来の黒っぽい色を呈しています。
また、島石には上・下の面に違いがあります。マグマに含まれる水分が水蒸気となって上方へ移動して抜け出すため、上面には気泡が通った無数の孔が開いています。庭園の島石は、自然と同様に上面を上にして置かれています。 -
牡丹の館
この館では美しい大輪の牡丹が一年中鑑賞できます。
本来4月下旬から5月中旬が牡丹の花の見頃ですが、球根を冷蔵保存する等の栽培技術が発達したのが奏功しています。ここでは毎日植え替えが行われており、温度や湿度の調整に細心の注意を払うことで、年中美しく咲き誇る牡丹を愛でることができます。ここ由志園には、大根島の人々が300年に亘って培ってきた牡丹栽培の技と心が宿っています。 -
牡丹の館
今では年間30万人もの観光客で賑わう庭園ですが、由志園の開園に至るには多大な困難と歳月を費やしました。
波静かな中海に浮かぶ大根島の風光明媚な環境に着目し、観光開発の一助になればと日本庭園を造ろうと志したのは、後に「由志園」の初代園主となる門脇栄氏でした。昭和42年から8年の歳月を経て開園に漕ぎ着けました。今でこそ堰堤上道路で陸続きとなった大根島ですが、由志園がオープンした頃は、船が唯一の交通手段であり、数トンある庭石は船で運び入れたそうです。 -
牡丹の館
栄氏は、病弱な両親に代わり、牡蠣の養殖や赤貝、鰻の卸商で家計を支えていました。 昭和30年代、牡丹の行商に向かう島の女性たちの寂しげな後ろ姿を見た栄氏は、島の発展を考えるようになりました。そして「行商に出なくても済むよう、全国から観光客が訪れる日本庭園を造ろう」と志しを立てたのが由志園の原点でした。ですから、由志園は、今でいうインバウンドの魁とも言える施設です。 -
牡丹の館
周囲の大反対を押し切って造営した庭園こそ、栄氏の亡き父 由蔵氏が志したものでした。両親への感謝を忘れたことのない栄氏は、後世まで父の名が残るようにと庭園の名を「由志園」と名付けました。それ故、愛郷心と親を思う心、そして島の歴史が息づく深い日本庭園として、訪れる人の心にいつまでも残るのです。
こうして誕生した由志園は、広大な池泉を廻る緑豊かな山水の庭です。丁寧に剪定された庭木や清潔な敷石、一幅の山水画を彷彿とさせる大滝や雪見燈籠など、風情を凝らした回遊式日本庭園として、京都の名所に勝とも劣らぬ侘び寂びを湛えています。 フランス旅行ガイドブック『ブルーガイド・ジャポン』が最高ランクの「3つ星」評価をしているのも頷けます。 -
牡丹の館
大根島で栽培された牡丹の苗は、昭和の時代には行商によって日本各地へ売られていましたが、今では全国から観光客が大根島の牡丹を求めてこの島にやってくるようになりました。これこそ栄氏が故郷への恩返しのために成し遂げたかった願望でした。
因みに、大根島では由志園以外の場所でも沢山の牡丹の栽培がなされています。 -
牡丹の館
この「苔と牡丹」をコンセプトにした館をプロデュースするのは、国際ガーデニングショーの最高峰「英国チェルシーフラワーショー」でエリザベス女王から「緑の魔術師」と絶賛され、世界を魅了している石原和幸氏です。
苔を素材にした作品において、チェルシーフラワーショーでは前人未到の4年連続ゴールドメダルを受賞したのをはじめ、ガーデンワールドカップなどを受賞され、ています。 -
牡丹の館
由志園が存在する島の名を口にすると、多くの方が「あの大根(だいこん)の大根島?」と訝しがります。
大根島の名の由来には諸説ありますが、有力なのは「たこ島」がなまったというものです。奈良時代の『出雲国風土記』には、「杵築の御崎のたこを捕らえた大鷲がこの島に飛来したことにより『たこ島』と名付けられた」と記されています。「たこ」から「太根(たく)」そして「大根(たいこ)」と変化し、現在に至ったと考えられています。 -
牡丹の館
別の説は、高麗人参に由来するネーミングです。
大根島は日本最大の牡丹の産地であることから「牡丹島」の方がしっくりきますが、こうならなかったのはもう一つ特産品があったためです。それが滋養強壮剤として名高い高麗人参でした。高麗人参の栽培は、江戸時代中期の宝暦年間に松江藩の財政を補うために始められました。往時の高麗人参はまさに高嶺の花。しかし、高麗人参を栽培していると知れれば、貴重なお宝を盗む者が現れるのは世の常です。そこで「表向きには、高麗人参ではなく大根を育てていることにしよう!」と知恵を絞り、「人参島」から「大根島」に呼び名を変えたと伝わります。 -
花札「藤に不如帰」
独特の色彩感覚に偉才を放つ華道家 假屋崎氏による、「花札の図柄をテーマにした新たな試み」の作品群が展示されています 。構想に約9ヶ月、制作期間に3ヶ月を掛けた渾身の作品が揃っています。假屋崎氏は、由志園で4日掛けてお花を生けられたそうです。
花札の大胆な色使いや繊細な筆遣いを感じさせ、ダイナミックながらも細部に亘って繊細さが伝わってくる生け花です。
花材:牡丹、枝垂れ桑、旅人の木、着色流木 -
花札「藤に不如帰」
こちらも同じテーマの別バージョンです。
こうした假屋崎氏の研ぎ澄まされた感性は、ピカソの作品を彷彿とさせます。ピカソの作品は、その時々の感情や触発されたエネルギー、自己の悲惨な戦争体験などから得たインスピレーションの産物であり、それ故に観る人の心を捕らえて離しません。人生の機微を原動力とし、常に作品に変化をもたらし続けています。
翻って、假屋崎氏の作品もそれに近い要素があるのかもしれません。氏の美学である「美は美を生む」を具現化すべく、その意図するものを常に希求されています。この瞬間に、この空間の中で、この花材を使って、自己の感性を余すことなく表現する一期一会の作品…。 -
花札「梅に鶯」
オリーブの朽ちた幹と根を「梅の老木」、そしてカラフルに着色したパームボートを風車のようにして梅の木の大きさに負けないほどの巨大な「鶯」に見立てています。
パームボートとは、ヤシの葉柄で果実を守る「鞘」のようなものです。パームボートを使う生け花は、決して珍しいものではなく、花展などではよく見られるものです。しかし、このド派手な色彩感覚には脱帽です。
また、推定樹齢500年のオリーブの幹と根元は、重さ1トンもあるそうです。運び込むのも難儀されたと思いますが、スケールの大きな野外作品です。
花材:オリーブ、着色パームボート -
花札「萩に猪」
赤い井桁を色付いた「萩」に、素の流木をスリムな「猪」に見立てています。
流木の「猪」の造形は、ロールシャッハ・テストの世界観です。
日本独特の美意識の概念である「侘び寂び」は、假屋崎氏の作品に隠された意図や暗号を紐解くキーワードでもあります。作家レナード・コラン氏は、著書『Wabi-Sab』の中で、「侘び寂び」を儚い無常さを受け入れる日本の美意識を表すものと説明しています。日本人は、美を永久的なものではなく、不完全で未完なものとして捉えているのだといいます。この言葉は、言い得て妙です。
花材:牡丹、着色流木 -
花札「菖蒲に八橋」
アイリスを白とピンクのかすみそうでパステル調にやわらかく包み、目の覚めるような黄色の板を八つ橋に見立てています。
花材:アイリス、かすみそう -
花札「松に鶴」
牡丹と松で華やかなお正月の雰囲気を演出し、鶴の羽をヤシの葉を漂白して表現しているのも斬新な発想です。こうした自由闊達な発想が假屋崎氏の真骨頂だと思います。
花材:松、牡丹、トルコキキョウ、ストレチリア、ビロウヤシ(漂白) -
花札「牡丹に蝶」
ショッキングピンクに着色した流木を牡丹に見立て、そこにブルーの小さな蝶を散らしています。妖艶な中にもドキッとさせるものがあります。
花材:牡丹、アンスリウム -
花札「紅葉に鹿」
流木を「鹿」に見立てて組んであります。
生まれたての小鹿がか弱そうに震えながら立ち上がる姿を彷彿とさせる造形で、観る側のイメージが幾らにも膨らみます。
花材:牡丹、着色流木、着色パネル -
假屋崎省吾氏の作品展示
鮮やかなブルーに着色した流木に多彩な色のバラ。
モスグリーンの借景によく映えます。
花札「紅葉に鹿」のお隣にありましたので、「親鹿」でしょうか? -
花札「桐に鳳凰」
鮮やかなブルーを背景に、目の覚めるような黄金色の牡丹が印象的です。
ライティングの巧妙さも見所です。光と影を効果的に使って表現しています。
花材:牡丹、桐 -
花札「芒に月」
ススキを使わずにこの絵柄を表現するのは、さぞ難しかったと思います。モクレンのか細い枝をススキになぞらえています。
花札の絵柄は、ススキの山に満月が昇った光景が描かれています。絵柄の構図は、意図的に少しだけ左寄りに月も山も寄せて奥行や高さを強調しています。
余談ですが、京都にこの花札「芒に月」のモデルになったとされる山があります。金閣寺の北側に大文字山がありますが、この更に北側に鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰の3峰が連なり、この3山を総称して鷹峰三山と言います。この3山の中央の「鷹ヶ峯」がモデルとされます。
昔は「兀山(はげやま)」と呼ばれており、この山を北側にある光悦寺の庭から眺められる場所があります。江戸時代、この辺りに住んでいた琳派の画家が、この兀山を見ながら『日月山水図』に似せた山と月の絵を描き上げ、後に花札の絵柄に使われるようになったとも伝わります。
花材:牡丹、モクレン -
この流れは斐伊川を模しており、小島にも拘らず潤沢な水量に吃驚させられます。大根島の縁辺部には随所に湧泉があるそうですが、中海に囲まれ、川もない大根島に真水が存在するのは不思議なことです。実は、大根島に淡水の池や真水が存在するのは、地下に真水の溜まった「淡水レンズ」と呼ばれる層があるからです。この由志園にある大池の水も地下水を汲み上げたものです。
中海自体は真水と海水が混じる汽水湖ですが、風の影響を受けない地下では真水と汽水は2層に分離した状態を保ち、互いが混ざり合うことはありません。大根島に降った雨は地下に浸み込み、溶岩の隙間に貯留されます。しかし汽水は真水に比べて比重が大きいため、汽水の上に真水がレンズ状に浮かんだ状態になっています。こうした湧泉のひとつに島根県の名水百選に指定された「波入の湧水(はにゅうのかわ)」があります。 -
島石は、一見柔らかそうに見えますが、松江城の石垣や家屋の基礎石、墓石などにも使われており、とても頑丈な石です。
現在も、土を掘れば地表から2m程の所に島石が眠っているそうです。
「赤い雲丹」のようなオブジェは、假屋崎氏の巨大な作品です。 -
赤橋
池泉に架けられた艶やかな朱色の橋です。橋の付近は宍道湖の景色をイメージしたもので、橋の下に八ツ橋を設けて水辺と親しめる空間が設けられています。 -
中国山地に源を発する斐伊川をイメージした流れのあるダイナミックな渓流の景観です。
神々が集う出雲の地は「雲州」と呼ばれ、そこで収穫された高麗人蔘は雲州人蔘として親しまれています。江戸時代、茶人大名として有名な松江藩7代藩主 松平治郷(不昧)が財政を再建するために始めた高麗人蔘の栽培も、今や世界の一級品として高く評価されています。由志園では200年の歴史ある伝統的な栽培風景の保全もなされています。 -
人工の渓流にも島石(玄武岩)が潤沢に使われているため不自然さがなく、景観を破綻させていないのがこの日本庭園の魅力です。
一方、これだけ島石がゴロゴロしていると、牡丹や高麗人参の栽培には向かないと思われるかもしれません。大根島の歴史を紐解くと、20万年前、江島からの一連の火山活動の中、中海周辺の火山噴火で誕生したのが大根島です。島石と呼ばれる玄武岩の上に火山灰が堆積した黒ボク土はミネラル分が豊富で、肥沃な土壌が必要な牡丹や高麗人蔘の栽培に適しました。蚕の生産が衰退した後、藩政時代から島の特産品として奨励され、大切に育くまれてきたのです。 -
薬用人参は1960(昭和35)年が生産量のピークだったそうで、現在はその1/3に減少しています。安価な中国産に取って代わられたそうですが、大根島原産ブランドの付加価値の高い高級品として現在も生産が続けられています。由志園は2009年に農業生産法人を設立し、年間約1トンを生産しているそうです。
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竜渓滝
出雲神話の八岐大蛇伝説が息づく斐伊川の源流である奥出雲の荒々しい渓谷を模した景観です。源流には、島石を組んだ落差7mの竜渓滝があります。屹立する溶岩の山から幾重にも糸を引くようにうねりながら流麗に流れ落ちる滝は神秘的でもあります。
また、潤沢な水量には吃驚ポンです! -
竜渓滝
落下する水流を突き出た分水岩が2分する様は、八岐大蛇が体躯をくねらせながら滝を遡上していく姿を彷彿とさせます。
天候が悪く、薄暗かったのも奏功し、シャッタースピードが自然に遅くなり、白糸の様な神秘的な写真が撮れました。因みに、SSは1/20秒です。ズームアップ+手持ちでは、手ブレ限界に近い状態です。このSSで糸を引くのは、流量が潤沢な証左です。 -
沢飛石
日本特有の機能美を備えた飛び石で、「翠柳庵」へと続いています。
大根島は、今から20万年前の更新世時代、現在よりも寒冷な気候で海水面が低かった時代に陸上で噴出した玄武岩溶岩からなる火山の島です。玄武岩は溶岩の粘性が低いため、中央の大塚山を除き、その地形勾配は1~3度とほぼ平坦な地形です。 -
大根島は中海という湖に浮かぶ、ほぼ平らな島ですが、実は最高地点が標高42mと日本一低い「火山の島」でもあります。島の中央にある大塚山は日本で最も低い火山とされ、噴火口から吹き出したマグマが飛散冷却されてできたのがその周囲の丘です。
大根島は外観からは平坦な島に見えますが、地下には蟻の巣のように無数の溶岩洞窟が巡らされています。そしてその内部を垣間見ることができる場所が「幽鬼洞」や「竜渓洞」という溶岩洞窟です。 -
それらの洞窟内には、世界的にも珍しい生物が暮らしています。洞窟内の環境に適応するため、目が退化していたり、体色が白い生物、世界でもここにしか生息していない生物がいます。
コムカデと呼ばれる白い生物は、5億年前から姿を変えずに生きている「生きた化石」と呼ばれています。
こうした世界的にも希少な生物が生息していることから、各国から学術研究者が訪れる場所でもあります。 -
枯山水
大根島の海岸には海面から顔を覗かせる岩礁が多く見られ、これらは熔岩が波に浸食されてできた波蝕台です。枯山水の庭園「白砂青松庭」は、こうした大根島の岸辺の風景を石組みと白砂、黒松で表現しており、北方から容赦なく吹き付ける卓越風を受けて白波を打つ大根島の姿を彷彿とさせます。
黒松は美保関の「五本松」、石組は島石波間に顔を覗かせる「岩肌(波蝕台」を模しています。 -
牡丹観音菩薩
戦中~戦後、厳しい生活を強いられてきた島の女性たちは、籠に牡丹の苗木をいっぱい詰め、全国各地へ行商に歩いて行きました。そんな女性たちへの感謝の気持ちと功徳を讃え、初代園主 門脇栄氏が観音像を建立しました。
観音菩薩にお参りすることで、家族を思いやる気持ちを授かることができます。 -
熔岩庭園
園内の一画を掘り起こし、土の中から姿を現した天然の岩盤を「熔岩庭園」と名付けて公開しています。溶岩を本来の姿で鑑賞できる趣向の庭園です。
大小無数のパホイホイ溶岩やチューブ状、饅頭型、波紋を広げた溶岩など、実に多彩な表情が読み取れます。熔岩庭園は、大根島の誕生の様子が窺える貴重な庭園でもあり、古代ロマンが宿る聖地とも言えます。 -
熔岩庭園
玄武岩溶岩が流れる際、その溶岩の表面が縄模様になったものを「縄状溶岩(パホイホイ溶岩)」と言い、陸上噴火により大根島ができた証でもある地質学上貴重な溶岩です。また、溶岩から発泡したガスが溶岩流の上面や下面に溜まり、溶岩の流動と共に表面がスラグ(鉱滓)で覆われたような、ガサガサで刺々しい状態になったものを「アア溶岩」と言います。因みに、「アア」は刺々しい状態を示すハワイ先住民の言葉です。 -
花札「桜に幕」
とても謎の多い絵柄とされます。中国から渡来した図案だとか、不老長寿を願ったありがたい図案など、諸説ありはっきりしていません。その他、『菅原伝授手習鑑』の松、梅、桜から採用したとの説や、明治時代以前の幕に有職文様が描かれていことから、画家がこの絵柄に「高貴・風雅・気品」といった位の高い人々の宴をイメージしたものではないかとも考えられています。
満開の桜の下に描かれた幕は幔幕と呼ばれ、ここが花見の会場であることを示しています。花見の風習は平安時代からあったものの、庶民が本格的に花見を愉しんだのは江戸時代からと言われています。
1720年には徳川吉宗が庶民の花見を奨励し、浅草や飛鳥山に桜を植えさせたという記録も残っており、花札が誕生したと思われる文化年間(1804~16年)には、多くの人々が花見を愉しんだことでしょう。
「満開に幔幕(まんかいにまんまく)」は、頭韻になっているという説もあります。
花材:河津桜、牡丹、着色流木、麻幕 -
假屋崎省吾氏の作品展示
こちらも河津桜と牡丹をあしらった作品です。 -
花札「桜に幕」
このように外部の景色を織り交ぜることで生け花の表情ががらりと変るから不思議です。
明治時代以前の花札「桜に幕」の絵柄には、幕の右端に2匹の細長い虫が縦に並んでいる絵柄があったそうです。江戸時代の絵柄であること、花札が賭博の道具として用いられたこと、脚の多い昆虫の代表「ムカデ」を採用したことを総合すると、「おあしが多い」という洒落ではないかとの説があります。
江戸時代、お金を「お足」と呼び、賭け事でお金を儲けたい者にとり、ムカデは縁起の良いお金持ちの虫と捉えられていたようです。2匹並ぶ理由については、「ムカデはつがいで行動する」という俗説から描かれたとの説もあります。 -
喫茶「一望」
ここでは、広く大きな窓越しに、お茶を飲みながら季節の移ろいが眺められる趣向です。中海を模した池の州浜の向こうに大根島に見立てた小島が見られます。
財政難で9年間も参勤交代が出来ず、36歳で隠居した父 松平宗衍( むねのぶ)に代わり、不昧が藩主になったのは17歳のことでした。老練な家老 朝日丹波郷保と共に「御立派の改革」に着手し、江戸屋敷の経費を抑えるなど質素倹約に努め、大阪の商人からの借金を74年間かけて完済する道筋を付けました。
宗衍が始めたロウソクの原料「ハゼ」や木綿、高麗人参の栽培が軌道に乗り始めた他、たたら製鉄を奨励しました。財政が好転すると、斐伊川や佐陀川を改修したり、藩有の船(御手船)を建造したりして商品流通の利便性を高めました。 -
喫茶「一望」
雲州で高麗人参の栽培を始めたのは、不昧の父6代藩主 宗衍でした。凶作による飢饉などで傾いた藩財政を「石高制に頼らない収益」で再建しようと試みましたが、栽培は難しく、成功を見ずに他界しました。つまり、宗衍は「種まきじいさん」で花が咲いたのが「不昧」の時代でした。不昧の治世に、幕府直轄の栽培地があった下野国(栃木県)で技術を学んだ藩士により成果を上げ始め、後に中国への輸出などで莫大な富を得て藩財政が潤うようになりました。
不昧は『茶湯心得』に「先達の仕置し事は、何れの流れにも限るべからず。取用能事を、我のちからにすべき事」と記し、流派を問わず先達から学び、それを力にせよと教えました。茶会記には、牡丹を飾って客をもてなしたとの記録も残されています。
不昧の進取の気概とDNAは、牡丹と人参の島の改革者 栄氏を経て次世代へと受け継がれているようです。 -
紅葉亭
庭園散策後、由志園内の食事処「紅葉亭」にて夕食となりました。かに鍋御膳です。
松葉がには、資源保護のために漁期と漁獲量の制限が定められています。しかし、今期は天候に恵まれ、豊漁過ぎたために年末には兵庫県の漁獲枠の80%、鳥取県では94%を超えたとの報道がありました。
カニ料理がお預けになるのかと気を揉んでおりましたが、その後、国から各県に追加の漁獲量が割り当てられ、事なきを得ました。漁期末の3/20まで安定供給できる目途が立ったそうです。
消費者にはありがたい話なのですが、何のための漁獲量の制限なのか、首を傾げたくもなります。うなぎのように、将来の漁獲量に影響しなければいいのですが・・・。
などと、最初は考えておりましたが、何時の間にか無心にカニを突いている自分がそこにいました。皆さんも無口で、会場はし~んと静まりかえっています。 -
紅葉亭
鍋の湯気で曇っているわけではありません。
カメラのレンズが温度差で結露した影響です。
シャッターチャンスを逃さないためにも、冬場や夏場はこうしたことにも注意が必要です。 -
紅葉亭
帰り際には、風情を湛えた「薦を被った寒牡丹」が足元をやさしく照らしながら見送ってくれます。
カメラのレンズの曇りを逆手に利用し、ハートに見えるような構図にしてみました。これもタイミングを推し量る必要があります。 -
紅葉亭
行灯風にライトアップされた姿は、「薦」を纏っているとは思えないほどエレガント&キュートです。こうした光景が見られただけでも、由志園で食事をした甲斐がありました。
これでようやく2日目が終わりました。
この続きは、萬福笑來 山陽・山陰紀行⑩鳥取砂丘でお届けします。
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