2019/02/17 - 2019/02/17
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nakaohidekiさん
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若ノ浦に、潮満ち来れば潟を波 芦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る ~万葉集・山辺赤人の詠める~
”若ノ浦”は、和歌山市内の「和歌の浦」のことである。
そもも和歌山という地名は、天下統一をなし遂げた豊臣秀吉が和歌の浦を遊覧した際、この地を治めるために築いた城に和歌の浦にちなんだ名前の「和歌山城」と名付けたのが和歌山の地名の始まりである。
秀吉も景勝地として遊覧したいと願ったほどの絶景がかつてはこの地にはあった。いまはその絶景は及ばずといったところだが、面影は随所に残っていると思われる。そのひとつが玉津島神社である。
万葉時代には玉津島神社の周辺には、六つの小高い島山(玉津島六山)があり、これらの島山は潮が引くと陸続きとなり、満潮になれば、あたかも玉のように海中に点在したという。それゆえ玉津島神社なのである。
山部赤人の賛歌に「神代より しかぞ貴き 玉津島」と詠まれている。風光明媚な神のおわしますところ、として崇められていたのである。
祭神の一人は衣通姫尊(そとおりひめのみこと)である。第19代允恭天皇の后で、「衣を通して光り輝いた」といわれるほど麗しく、またことのほか和歌に秀でていたため、第58代光孝行天皇により合祀され和歌三神の神社ともなっている。 他の二社は住吉大社と柿本神社である。
玉津島神社の裏手には安産祈願で有名な塩竃神社も小さく祀られている。
古事記にいわく、山彦が海神のこところへ行けと命じられ、龍宮の豊玉姫と結婚し、姫は安産に寄り御子を授かった。このことから、安産・子授けの神として崇められ、また潮の満ち引きが女性の出産に関係し、潮の功徳により人間が生まれることをも説いていると云われる。
結婚の後、山彦は、塩が人々の食生活に欠かせないものとして全国の8か所に製塩法を伝えたといわれ、その一つが塩竃神社だというのである。よってこの神社は安産の神様なのである。
周辺には紀州藩10代藩主の徳川治宝建設の不老橋、初代藩主の徳川頼宜建立の妹背山・海禅院などもあり、歴史と文化に満ちた、紀伊、和歌の浦なのである。
歴史や万葉集に関心のある方はぜひ訪れてほしい所なのである。
休日、地元をちょっと散策してみました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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玉津島神社の境内にある鏡山の頂上から、
~和歌の浦に潮みちくれば・・・
の和歌に浦を一望する。
いまも名勝・絶景の雰囲気は残している。
右下には不老橋が見える。 -
玉津島神社の本殿。
祭神は衣通姫尊(そとおりひめのみこと)
稚日女尊(わかひるめのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
明光浦霊(あかうらのみたま)
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境内にある天然記念物の根上り松
砂の移動などで長い年月をかけ根元が洗われ、このような根上りになったと云われている。 -
和歌の浦に関する「万葉歌碑」のプレート
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大阪大学名誉教授・犬養孝先生の揮毫による万葉歌碑。
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玉津島神社の縁起を記した表札
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万葉集の収められた和歌浦の和歌数種
後ろの赤い土塀は小野小町、衣掛けの塀と云われる。
和歌の名人、小野小町も和歌の上達を祈願してこの地に参拝した折に衣を懸けたという言い伝えがある。 -
万葉歌碑。
玉津島云々~の和歌が刻まれている。 -
「日本一社 玉津島神社」の石塔。
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玉津島神社の裏のある「塩竃神社」入り口。
子宝・安産祈願の神社として有名である。 -
参道に、子宝・安産を祈念した天然記念物の「和合の松」がある。
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「和同の松」本体。
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塩竃神社の本殿。岩窟の中に祠がある。
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塩竃神社の入り口。
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近くにある紀州藩10代藩主徳川治宝建設による「不老橋」。
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初代藩主徳川頼宜が亡き母を弔うために建立した海禅院は妹背山にある。
妹背山に渡る三段橋は昨年9月の台風により無惨な姿に。海禅院も祠しか残っていない。
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