2019/02/10 - 2019/02/10
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Matt Yさん
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この旅行記のスケジュール
2019/02/10
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バスでの移動
新大阪駅までリムジンバス
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電車での移動
新大阪から新快速で大津京へ
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電車での移動
山科から京都までJR
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バスでの移動
伊丹空港行きリムジンバス
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3連休、初日は休養に充てたく、最終日は出勤。
せめて中日はどっか行きたいなぁと思っていたところサクッと関西に日帰りで行ってしまえ、ということに。
でどこへ行こうと検討した結果、百人一首ゆかりの地を巡ることに。
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2月の三連休、初日はパタゴニア旅行から帰ってきたばかりだったので休養したかった事、月曜日は休日出勤することになったので何も予定を入れていなかったのですが、やはり旅立ちたい虫が疼き中日だけで関西日帰りすることに。
羽田9時の便ですが、朝早く起きるの辛かった...
地元駅を出るのもようやく明るくなったころ。 -
これから旅立つ!って雰囲気のこの出発ロビー結構好きなんです。
羽田空港 第2旅客ターミナル 空港
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機材は787-8です。
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7割くらいの搭乗率。
貨物の搭載が遅れたとかで20分遅延。東京と大阪の間ってそんなに航空貨物あるのかな?(トラックなイメージ) -
本日の富士山。
今日は高度が低く若干距離がありました。 -
出発時の遅延そのままで20分の遅延で伊丹着。いつもその後どうするか迷いますが、今回は新大阪にバスで出てそこから敦賀行きの新快速に乗ります。
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京都を過ぎ、大津京駅で降りると
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近江神宮へ行く案内板が出ていました。京阪の石山坂本線の線路をくぐるなどちょっと複雑な道のりです。
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少し行くと天智天皇が飛鳥から遷都して造営した都の遺構が。朱雀門の柱があったところに丸太を配しています。
しかし遷都してわずか5年で放棄されるなんてなんと不運な都。実際来てみると、湖と山に挟まれた狭いところで、交通の要衝を抑えるという防御的な意味ならいいのかもしれませんが、「都」というような感じがしません。当時の人も反対したそうですがなるほど来てみると理由もわかるかな?というような地形でした。 -
みやこに関する石碑ですが、読めない、、、
ちなみにここに天智天皇が造営したみやこがあったことは確かですがその名称には議論があるらしく、JRの駅が西大津から元々文献には登場しない大津京という名に改名になった時にも議論があったそうです。
私としては西大津という駅名は知っていたけど大津京なんて駅あったけ?といった具合にいつのまにか改称されてて位置関係が若干わからなくなっていましたが... -
みやこの名前の議論はさておきこの辺が南門。
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この辺に内裏があったようです。今も通りが通っているところが中心線だったそうです。
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みやこの遺構を過ぎたあたりに近江神宮があります。
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鳥居をくぐった先に朱塗りの楼門が聳えています。石段の上にあるので迫力満点。
今回回ったコースは春節時期に関わらず殆ど中華系の方は見かけませんでしたが、ここにはこれを見て超テンション上がっている台湾女子を見かけました。漫画か映画にここがシンボル的に出てきているのかな?(漫画・映画の「ちはやふる」でここが描かれているのは知っているのですが、見てないので、、、) -
外拝殿
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外拝殿から振り返って見た楼門です。
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外拝殿から見た内拝殿です。ちょうど神事が行われていました。
歴史がない神社ではありますが、神社らしい引き締まった空気が清々しかったです。 -
天智天皇の御製。百人一首の一枚目として有名ですよね。
元々近江神宮は大津京を造営したという理由天智天皇をお祀りするために1940年に創建された新しい神社です。 -
神社の敷地のはずれに近江勧学館があります。ここは研修・宿泊施設なのですが、、、
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ここの二階が競技かるたの名人・クイーン戦が行われる会場です。
緊張感みなぎる決定戦の様子はテレビ等で見たことあり、ここがあの会場か、と感慨深いのですが、今は和みの雰囲気すら漂っています。 -
短歌コンテストの入賞作品が展示されていましたが、通学時の胸キュンシチュエーションをうたった短歌にはおっさんの私もはるか昔の学生時代に思いを馳せてしまいました(笑)。
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近江神宮を見終わり京阪石山坂本線に乗ります。
ちょうど来た電車はちはやぶるラッピング電車 -
三井寺駅で降りると琵琶湖第一疎水が流れていました。
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疎水にかかる石橋もいい味出しています。
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琵琶湖をチラ見することができました。
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琵琶湖疏水の取水場
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疏水の取水場。先ほどの反対側です。
京都側までトンネルを掘り水を通した先人達に敬服です。 -
疎水の取水場から少し坂を登ると
三井寺に到着、の前に門前でぜんざいに手を出してしまいました。 -
仁王門。
何だか惹きつけられてしまう力を持つ門でした。 -
金堂。時計回りに多くの仏像を拝む構造になっていました。割と近くでいろんな様式の仏さんが拝めるので面白かったです。
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三井寺の晩鐘。
近江八景に指定されているそうで、有名なんだそうです。
観光客に突かせているのでちょっとうるさくなってしまいますが、
いい音で響いていました。形も美しいですね。 -
一切経蔵。
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内部はお経が収められています。やもすれば仏像偏重な日本のお寺ではお経そのものをこんな感じで扱っているのはそんなに多くない気も。私が知らないだけかもですが。
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唐院潅頂堂と三重塔。ミニ興福寺風
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石灯籠が並び絵になる通路。
私のセンスではインスタ映えな感じには撮れませんが、上手い人が撮ったらより絵になりそうです。また映画のロケスポットにもなっているそうです。境内にはここはなんの映画のロケスポットか、などの案内があるのですが、残念ながら私が見たことごある映画は見かけませんでした。 -
観月舞台。ミニ清水の舞台のような構造で崖にせり出しています。
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観音堂
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琵琶湖の眺望が眺められます。
ここから見るだけでも広く見えますが、見えているのは琵琶湖のお尻の狭まった部分だけなので、いかに琵琶湖が広いかわかると思います。 -
北側方向の眺望です。
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大津算盤の顕彰碑。
今は算盤といえば播州算盤がメジャーらしいのですが、もともとは大津の人が中国から教わりかつては大津が算盤の本場だったそうです。大津算盤は中国同様ふた玉だったとか。 -
琵琶湖が眺められる展望台から。
見える範囲の琵琶湖は広く見えますが、これでも琵琶の柄の部分というか、細くくびれた部分なのでいかに琵琶湖が広いかがわかります。 -
三井寺の境内を南側から出る急な石段を降り、結構急なアップダウンがある道を行きます。
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こんな山道を通って行きます。県庁から徒歩10分ほどでこんな自然があることに驚きです。
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しばらく歩いて行くと京阪京津線の線路にぶつかります。
通過時にレールを擦る音を軽減するためにスプリンクラーが霧状の水を撒く仕組みがあって、興味深かったです。 -
旧東海道の道に出ました。
左手から国道1号線が迫ってきてこの先で合流します。 -
逢坂ってずっと大坂に行くための関との意味で逢というのは当て字かと思っていたのですが、説明板によると日本書紀に武内宿禰と忍熊王がばったり逢ったことが由来なんだそうです。
よく考えれば大阪という地名は新しいのですから平安時代にある方がおかしいですよね。 -
国道1号線と合流し、国道沿いに少し進むと旧東海道本線のトンネルの跡があります。東海道本線は今はここより少し北からトンネルに入り逢坂の関を越えて行きますが、今の線路は後から付け替えたもので、最初はここからトンネルに入ったそうです。
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下りのトンネルの最初の方は入れるようになっています。トンネルの開口部のアーチの上には三条実美が「楽成頼功」と揮毫した扁額が掲げられています。落成と書くべきところ落盤に通じるため忌避し、「楽成」とした、と案内板にありました。
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いかにも古くからあるトンネル、と言った感じの煉瓦積みの壁面です。
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トンネルの中から外を見たところ。
元の路盤は今の国道1号線に引き継がれていることがわかります。このトンネルができた当時は一旦膳所の方に向かった後スイッチバックして今の浜大津辺りに大津駅があり、ここから船で長浜まで渡っていたそうです。
(位置関係的にはここからまっすぐ行くと浜大津、山に沿って右手にカーブした先に膳所があります)
廃線跡巡りではないですが、Googleマップを見てみても、国道のルート取りは地形の影響もあるでしょうが鉄道独特の緩いカーブをえがいてあるように見えます。そういえば先ほどの旧東海道との合流地点あたりの国道1号線は盛り土の上を通っている感じの構造や勾配のように見えました。 -
旧トンネル入口を過ぎたあたりから結構な勾配の切り通しといった道を進みます。
国道の片側だけに設置されている狭い歩道をテクテク歩いて行くと、頭上に名神高速道路の双子のアーチ橋が現れます。歩いてみると「関門」を実感できる逢坂の関も車なら橋とトンネルでサクッと一瞬なんでしょうね。 -
坂の中腹に関蝉丸神社があります。
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「蝉丸」の扁額を掲げた鳥居をくぐって境内へ。
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本殿の前に舞台があります。神楽だけでなく、蝉丸は琵琶の名奏者だったことや能の演目にもなっている事から、祭りでは能なども披露されるそうです。
あとで分かったのですが、ここは関があった場所の出先というか記念碑的な上社で、手前に神社としての本社というか下社があったようなのですが、見落としてしまいました。
そこには歌碑とかもあったようなので、ちょっと残念。 -
もともと狭い土地に道を通しているので国道1号線と言えども歩道は狭くそれも南側だけに設置してあります。
歩いてる人もいないのですが、時折自転車がものすごい勢いで下ってくるので、ボヤッとするのは禁物です。 -
距離自体はそれほどありませんが、勾配がかなりあり、ジムの機械で負担をかけた状態な感じです。
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切り通しの道路ののり面に
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
との蝉丸の歌が埋め込まれていました。
百人一首には清少納言の
夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ
という歌も収められています。 -
歩いてきたところを振り返ると、蛇行しながら道を登ってきたことがわかります。ここで道路を渡ったところに…
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逢坂の関の跡を表す石碑と常夜灯ご設置してありました。
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国道1号線の標識。
この道がずっと東京までつながっていると思うと感慨深いです。無駄に車で走破してみたい気もします。 -
逢坂の関の碑の先で、切り通し区間が終わり少し土地がひらけている事もあって、旧東海道の道筋が残っています。
民家が両脇に並んでいる他は鰻屋があるだけですが(そしてこの鰻屋がやたら広告看板出していて品位が落ちています) -
旧東海道沿いの集落のはずれに蝉丸神社がありました。
ややこしいのですが、先ほどのは関蝉丸神社です。
関蝉丸神社に上社と下社があることは認識していたのですが、ここが下社と誤認していました。 -
石段があり、上った先にお社がある典型的なパターンです。
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蝉丸神社
先程の関蝉丸神社上社同様舞台があります。 -
旧逢坂山トンネルの反対側の出口は案内板はあったものの、トンネルの開口部は崖に埋もれて特に何もありませんでした。
開口部の延長線上には・・・名神高速。 -
集落の中にある京阪京津線の大谷駅に到着。
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大谷駅の構内踏切から山科方面を見たところ。
ここから下り坂になります。 -
京津線は20分間隔なので、ちょっと待ちぼうけ感あります。せめて10分か12分間隔で走らせて欲しいけれど赤字なので仕方がないかもしれません。
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ようやく京津線の電車が来ました。結構な乗車率でした。
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京阪山科までは3駅。
駅に掲示されていた枚方パークのポスター。
開催が決まった大阪万博をいじったネタはさすが。 -
JRに乗り換え・・・
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京都駅へ移動し
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京都駅駅前から伊丹行きのバスに乗ります。ギリギリの時この選択はリスクを伴う(満員とか渋滞とかだと取り返せないので)けど今回は割と余裕があるので京都からのバスにしました。それでも結局満席で補助席の人もいました。
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渋滞もなく伊丹到着。写真にはきれいに撮れなかったけれどターミナル越しの夕日が綺麗でした。
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ホントはお好み焼きか、せめてたこ焼きだけでも食べたかったのだけど、長蛇の列だったので、なぜか高級ハンバーガーを食べてしまいました。
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結局慌ただしく羽田行きへ搭乗。
機内では着いた時新大阪駅で買った広島駅の駅弁炙りあなご飯。
うん、行きに食べた穴子寿司より美味しいです。 -
羽田にはやや遅れて到着。
この照明に照らされた白と青の機体が好き。
今回はちょっと遠足、というか前日の23時過ぎに行こうと思い始めたくらい関西はお手軽にこれるけど、やっぱり次は日帰りではなく泊まりで来たいなぁと思うのでした。
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