2017/10/06 - 2017/10/06
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frau.himmelさん
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ヨーロッパ中に大きな被害をもたらした大暴風雨「Xavier(ザヴィエル)」。
特にドイツでは7人の犠牲者を出し、ドイツ中の長距離列車を運行不能にし、ベルリンやハンブルクなどでは市内交通を麻痺させました。
10月5日、私たちがクルーズのために訪れたヴァンゼーでは最高時速を記録する強風が吹き、路面電車68番で景観を楽しもうと立ち寄ったケーペニックでは倒木のために死者が出たそうです。
また夕刻のサラリーマンの帰宅時にはSバーン、路面電車、バスなど公共交通機関が全て停止しており、わずかに動いている地下鉄アレキサンダープラッツ駅は多くの人で溢れかえっていました。
そんな中、私たちはベルリン市内をフラフラしていたのですから、今考えれば恐ろしい。
一夜明けた6日は幸いベルリン市内公共交通は復旧しましたが、長距離列車は軒並みストップしたままで、ベルリン中央駅は一日中混沌としていました。
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朝からテレビでは大暴風雨「Xavier」のニュースばかりやっていました。
ドイツ中に大きな被害をもたらし、ベルリンも大変なことになっていたようです。
しばらくニュースの映像をご覧ください。
テレビでは、長距離列車が動かなくなり、ベルリン中央駅に押し掛けている人々を映し出しています。 -
倒木のため線路をふさがれて立ち往生している長距離列車。
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列車が全てストップしたハンブルク駅では、ICEやICをHotelzug(列車ホテル)として開放しました。
昨日(4日)私はちょうどハンブルク駅の11番ホームの写真を撮っていましたが、1日経った同じホームがこんなことになっていようとは。
ドイツ鉄道は列車ホテルとして、ベルリンやハノーファー、ケルン、デュッセルドルフなど20本の長距離列車を提供したそうです。 -
食事の提供がされました。
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デンマークとの国境近く、北ドイツの街がすっかり駅が水没しています。
私たちも1日遅れてフレンスブルクを出発していたら、ベルリンにはたどり着けないところでした。 -
ニーダーザクセン州の港町Wilhelmshavenでは大きなクレーンが転倒しました。
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長距離列車が立ち往生して、取り残された乗客が救出されている様子。
この後乗客は、市のスポーツ施設などの緊急宿泊所に収容されたようです。 -
ドイツ鉄道からは混んな注意も。
ベルリン・ハンブルク・ハノーファー・マクデブルク・ライプティヒなどの長距離主要路線がストップしていると。
復旧にしばらくかかるそうです。
私たちは明日(7日)ベルリンからベルギーのブリュッセルに移動しなければなりません。
明日は動くのかしら。 -
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NHKワールドニュースにチャンネルを変えてみました。
倒木によってベルリンの交通がズタズタになったニュースを取り上げています。
強風で大きな木が根こそぎ倒された。
乗っていた車の上に木が倒れ、死亡者が出た。 -
いったん朝食を摂ってから部屋に戻り、再びテレビを点けます。
ベルリン中央駅の中継をやっていました。
予定が立たずに、心配そうに時刻表を見上げている人々。 -
長距離列車は軒並みストップしています。
中央駅は大勢の人々で溢れかえっています。 -
昨日の地下鉄アレキサンダープラッツ駅の混雑。
倒木で道をふさがれたSバーン、トラム、バスなど地上を走る交通機関が全てストップし、唯一動いていた地下鉄に殺到した人々。
そうです、私たちが劇場に行くために、U2クロスターシュトラーセ駅からアレキサンダープラッツ駅に降り立った時はまさにこんな状況でした。 -
チケットがどうなるのか、不安そうな表情のお年より。
私たちも明日、ブリュッセルへ行きますので、動くかどうか心配です。
後で中央駅に行ってみよう。 -
心配だけど、私たちもテレビを見てゆっくりしていられない。
このホテルは2泊だけで、今夜は中央駅近くのホテルに移らなければなりません。
せめてチェックアウト時間までこの近くを散策しよう。 -
ホテルの付近はニコライ地区、ベルリンでもっとも古い地区でベルリンの発祥の地と言われています。
向こうに見えるニコライ教会を中心に発展してきたそうです。
ニコライ教会の方までぶらぶらと散策してみましょう。 -
フランシスコ会修道院教会の廃墟です。
1250年に建てられましたが、1945年4月3日の第二次世界大戦の空襲で破壊されました。
戦争の教訓としてそのまま残してあります。 -
爆風で吹き飛ばされて屋根がない教会です。
ここには何度か訪れていますが、庭園にはいろんな彫像や碑があります。
それにしても入口には棘の冠と十字架の像。
これって?
畏れ多いのでこれ以上は何も言いません。 -
アルテス・シュタットハウス。
1860年代よりベルリン人口の急増により、赤の市庁舎だけでは職務をこなせなくなった。
そこで1902年から1911年にかけて新しく建てられた第二の市庁舎です。
第二次大戦で被害を受けましたが、戦後、可能な限り元の状態に復元されました。 -
ドームの上には女神フォルトゥーナの像(赤丸)
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ノイエ・シュタット・ハウス(新市庁舎)。
1930年代に商業施設として建てられた。 -
落葉の中を秋を踏みしめて歩きます。
昨日のXavierの影響で落葉したり、倒木した木々もあったでしょうね。 -
ニコライ教会が顔を覗かせた素敵な石畳の路地。
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バッジやフラッグ屋さん。
いかにもDDRって雰囲気が漂っています。 -
色っぽい目つきをしたベルリンのクマ子さん。
ベルリンの紋章は熊、熊はベルリンのシンボルです。
彩色された熊の像を街の至る所でみかけます。 -
それにしても賑やかなクマ子さんですね。
上半身は赤の市庁舎とニコライ教会、お腹はベルリン王宮とネプチューンの噴水、足元にはベルリンの壁崩壊で喜んでいる人々など。
ベルリンの観光名所を全て背負った観光クマ子さんです。 -
写真が下手で見難いですが、この噴水も熊です。
ドイツの鷲の紋章の楯を抱えています。 -
これは熊ではなく鷲の紋章のマンホールのふた。
ベルリン市の最古の紋章で、1253年のものだそうです。 -
ニコライ教会に着きました。
1320年建造のこのニコライ教会はベルリン最古の教会です。
ベルリン発祥の地であるニコライ地区は、この教会が名前の由来となっています。
なぜかまともな教会の写真は1枚もありません(汗)。 -
古さをうかがわせる教会の石造りの壁。
壁にはニコライ教会に貢献したヨハン・クルーガーやパウル・ゲルハルトの銘碑が掲げられています。 -
そんな中に日本人の名前が。
CHIHARU SHIOTA。大阪出身の芸術家「塩田千春さん」。
ニコライ教会ではちょうどその時塩田千春さんの「Lost World」(失われた言葉)という特別展があったのだそう。
しかし開館が10時なので、まだちょっと早すぎました。 -
教会横の広場には「Die Allegorie der Wissenschaft(科学の寓意)」の像
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ちょっとクスッとする面白い像もあります。
花売り娘?
娘じゃないわね~。 -
角度を変えると前方には赤の市庁舎
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赤の市庁舎の背後からテレビ塔が見える。
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赤の市庁舎の前では工事用機械が何台も作業をしていますし、資材や廃材置き場もあります。
何が始まるのでしょう? -
これがヒントです。
赤の市庁舎と黄色い電車。
黄色の電車と言えばベルリンの地下鉄ですね。 -
今ベルリンでは、テレビ塔のあるU5アレキサンダープラッツ駅とU55号のブランデンブルク門駅間を接続する工事をやっています。2020年に開通予定だそうです。
その間には「赤の市庁舎駅」、「博物館島駅」、「ウンター・デン・リンデン駅」の3駅が新設されるそうです。そうなるとベルリンの有名観光どころが地下鉄1本で移動でき、スピードアップが図られることになります。 -
この黄色い電車は工事中の目隠しと言うわけですね。
ユニークなとっても楽しい絵の中の乗客たち。
ちょっとちょっと、これは何!?(笑)。左端の赤丸の部分をご覧ください。
いかにもベルリンらしい・・・です。 -
私たちは森鴎外ゆかりのマリエン教会へ。
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ネプチューンの噴水とマリエン教会。
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もう10時過ぎていますから開いていますね。
森鴎外の「舞姫」の舞台となったとされるマリエン教会。
主人公豊太郎は、この教会の前で泣いているエリスと出会い、心奪われるのです。 -
美しい教会です。
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特に目を奪われたのが、中央祭壇と説教壇。
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中央祭壇は、A・クリューガーの後期ゴシック様式です。
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説教壇を守っている天使たちの愛らしいこと。
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小祭壇
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パイプオルガン
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教会の壁には素晴らしい展示品の数々。
教会って素晴らしい芸術品に出会えるので好きです。
聖書の中の様々な場面を思い出しながら鑑賞しました。 -
帰りかけてふと横を見ると、なんとここにも「死の舞踏」が。
死の舞踏はいろんなところで見ました。
リューベックでは同じマリエン教会で、フッセンでも見ました。
最も印象に残っているのは、ガイド本には載っていない小さな町、エッピンゲンで見たもの。
迷い込んだ中世の街 エッピンゲンを彷徨い歩く
https://4travel.jp/travelogue/11109332 -
死の舞踏とは、14世紀から15世紀、ペストが流行った頃にヨーロッパで流布した寓話。
ペストの流行により人々がバタバタと死んでいくさまを、生者と死者が一緒に踊り狂っている図で表しています。
死は、老いも若きも、男も女も、皇帝や教皇、国王やこじきも健常者や病人も、それらの身分や立場を超えて平等にやってくる、といったことを示しています。 -
そろそろホテルに戻ってチェックアウトの準備をしましょうか。
赤い市庁舎とネプチューンの噴水、それに地下鉄接続工事の黄色い電車の張りぼて。
次回ベルリンを訪れる時には地下鉄の接続は完了しているでしょうか。 -
新しい集合住宅に、「ニコライ・フィアテル(ニコライ地区)」と「1237」の年号が。
ベルリン発祥の地である古い歴史を持つニコライ地区、
第二次世界大戦の市街戦で街は壊滅的な被害を蒙りました。
戦後はその後に新しい建物も建てられましたが、わずかに残った古い歴史的な建物を修復し、昔の街並みを再現する努力がされてきました。 -
ここもできるだけ前の姿を残すように造られた建物ですね。
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赤の市庁舎も、アルテス・シュタットハウスもそうですね。
さて、私たちは二晩お世話になったニコライ地区のホテルを後にして、タクシーで今夜のホテルに向かいます。
ダラダラと長くなりましたので、前編・後編と分けます。
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この旅行記へのコメント (3)
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- ペコリーノさん 2019/01/21 22:33:02
- こんなことになっていたなんて!
- frau.himmelさん、こんにちは。
XAVIERの被害状況のテレビ報道の様子、今更ながら、びっくりしながら見させていただきました。
本当にすごい被害だったのですね。
ベルリンの地下鉄の混雑もものすごいです。
私が翌日テレビで見たのは、ハンブルク空港に飛行機がゆらゆら揺れながら着陸する様子と、倒木で線路がふさがれたところぐらいです。もっともっと沢山の被害が出ていたのですね。
これを見たら、私はとてもラッキーだったのだと思いました。
当時の貴重な情報をありがとうございました。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2019/01/22 21:10:15
- RE: こんなことになっていたなんて!
- ペコリーノさん、こんばんは。
そうなんです。
ベルリンはかなりひどかったみたいです。
あのアレキサンダープラッツ駅の地下鉄の人の波は、ちょうど私たちも遭遇しましたが、ベルリンもラッシュアワーはすごいのね〜なんて呑気に考えていたくらいでした(笑)。
翌日ですね、こんなに酷かったのかと思ったのは。
テレビでもどこにチャンネルを変えてもずっと被害状況を放映していましたし、中央駅は一日中混沌としていましたし、テレビのレポーターなどもいたし。
と言っても考えてみたら私たちには何の被害もなかったのでした。
森鴎外記念館にもちゃんと行きましたし。
それよりペコリーノさんの経験は凄かったと思います。
列車ホテルのお世話にもなったし、緊急避難所にも泊まられたし、あの長距離をタクシーを飛ばすなんて、私には考えられません。
ペコリーノさんの「旅歴史」に残る重大な出来事に数えられるでしょうね。
あれもこれも「ベルリンフィル」のため・・ですね。
なんだか二人で盛り上がっているような気がしません?(笑)
旅計画は進んでいますか?
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2019/01/22 22:14:04
- RE: RE: こんなことになっていたなんて!
- frau.himmelさん、お返事ありがとうございました。
> それよりペコリーノさんの経験は凄かったと思います。
> 列車ホテルのお世話にもなったし、緊急避難所にも泊まられたし、あの長距離をタクシーを飛ばすなんて、私には考えられません。
私自身も凄い経験をしたな、と思ってましたが、物事を「俯瞰で見る」ということがとても大事なのだなと思いました。
そう思ったら、ちょっとうまくいかないことも高い場所から見たら大したことはないのだなと思うことができるのかもしれないですよね。
> なんだか二人で盛り上がっているような気がしません?(笑)
旅行先で起きた事で盛り上がることが出来るって、凄く貴重な事ですよね。
とても楽しいです!
> 旅計画は進んでいますか?
いろいろ忙しくて、全然進んでいないのです。
どうしましょうねぇ。
ペコリーノ
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