2019/01/15 - 2019/01/15
6970位(同エリア19688件中)
熱帯魚さん
皆さんもご存じだと思いますが、
1941年12月25日から1945年8月15日までの
3年8か月、香港は日本の統治下にありました。
日本統治時代には地名が日本風に改名されたり
日本語教育が行われたりしたのですが、
神社も建設されました。
現在の動植物公園は日本統治時代には
大正公園と改名され、のちに香港神社建設のため
閉鎖されましたが、造営主任の政所善澄が
腸チフスで亡くなり、資材不足なども重なって
結局、神社は未完成のまま終わったそうです。
以前、たまたまネットで調べていて
香港神社について中国語で書かれたサイトを
見つけて、興味がわいていつか行こうと
思っていました。
その時はちょうど妊娠中だったので
行けずじまいでしたが、
娘も生まれてお散歩がてら
行ってみることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
突然思い立って、香港駅までやってきました。
IFCモールを出て、金融街をてくてくと。8に噴水…やっぱり風水ですかね。
近くには従軍慰安婦の像がありました。交易広場に日本領事館が入っているからでしょうか。香港人は特に気にも留めていない様子でした。 -
この日は私はシャツにセーター、娘はシャツにトレーナーを着て出かけたのですが、香港島に到着すると暑くって、公園に到着してからセーターとトレーナーを脱ぎました。
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トラムを見ると香港島に来た!って感じしますね。
韓国にちょうど行きたいなーと思っていたので、タイムリーなトラムでした。 -
ハンコやさんが並ぶ小道。
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○ 藝穂會(Fringe Club・フリンジ クラブ)
1892年落成。もともとは外国人記者クラブ同様、牛乳会社(デイリーファーム)の倉庫でした。倉庫は初めは新鮮な牛乳の保存用に使われていましたが、牛乳会社が1904年に倉庫の地下に会社初となる小売りの店を、1916年には香港初のスーパーをオープンさせました。倉庫は1970年代まで牛乳会社の本社として使われていましたが、のちに使われなくなりそのままになっていました。1984年、藝穂會(フリンジ クラブ)が政府から倉庫の南ブロックを借り、展覧や舞台、文化交流の場として使用しています。 -
坂の上から。
前にアート作品を見に来たことがあります。 -
○ 聖保羅堂 St. Paul's Church
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道に迷ってしまいましたが、標識を見つけて、トンネルをくぐり、
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見っけ。
Chocolate Rainのイラスト! -
○ 香港動植物公園
普通はトラム乗り場そばにある入口から入るようですが、私は己連拿利Glenealyの側から入ってしまったので、道のりが複雑になってしまったようです(^_^;) -
緑いっぱいですが、カエルの像を発見。
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とにかく駅を出てからここまでずっと上がり坂できつくて、汗だくに。
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名前がよくわかりませんが、色んな種類のおさるさんがいっぱいです。
娘が起きたので、抱っこひもから出して、一緒に見ながらお散歩。 -
娘はなんにでも興味を示して、すぐに檻の方へ近づいていきます。
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毛並み綺麗ですね。
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ちょっと檻が狭い気もしますが…
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動植物園マップ。
入場無料ですが、とても綺麗にメンテナンスされている動植物園でした。
小さい子連れが多かったです。 -
カメさん。
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このトンネルには動植物公園の古い写真が展示されていました。
このあと緩い下り坂になっていて、娘がうずくまって立とうとしたところで、頭ゴチン。大泣き…( ;∀;)
通りがかった香港人のおじさんが慰めてくれました。 -
娘が泣き止んで、辿り着いたのはこちら。
園内最古の建物だそうです。 -
こちらのパビリオン。
土台と支柱は当時のままだそうです。 -
パビリオンからの眺め。
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今度やってきたのは鳥類のエリア。
タンチョウヅルがいました。 -
フラミンゴも。
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ここにもChocolate Rainのイラスト。
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公園の中央部には、銅像がたっていました。
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イチオシ
◎ ジョージ6世の銅像
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香港開港100周年(1841‐1941)を記念して建てられたとのこと。
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こちらに詳しく書かれていました。
ジョージ6世の銅像は、イギリスの著名塑像家Gilbert Ledwardによるもので、香港開港100周年(1841‐1941)を記念して、1958年に香港動植物公園にたてられました。
銅像がたっている位置にはもともとは香港第7代総督Sir Arthur Edward Kennedyの銅像がたっていたそうです。彼の内政における功績をたたえて、公園に銅像がたてられましたが、日本統治時代に日本に運ばれ溶かされてしまったそうです。 -
銅像の前にある階段を降りていくと噴水がある広場に出ますが、噴水には水がありませんでした。
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そして最後はここです。
◎ 1914-18年、1939-45年に同盟国のため戦争で亡くなった中国人を記念して建てられたアーチ -
イチオシ
反対側から見るとこんな感じです。左右前後に獅子がいます。
香港人の方のサイトを見てみたら、鳥居をほうふつとさせる、なんて書かれていましたが、まあ少し似てますかね。 -
イチオシ
でも実は一番私が気になったのはここからの景色。
階段を降りて、ふともう一度アーチの写真を撮ろうかな?と思って振り返ったら、ん?両脇に灯籠のようなものが??上部が四角く覆われてしまっているのが不思議です。もしかして本当に灯籠だったのかもしれません。 -
イチオシ
出ました。
◎ 石柱
こちらの石柱は、かなり昔からあるそうです。 -
柱の一つにはOld Botanic Gardensの文字。
Botanic Gardenと見たら、シンガポールのBotanic Gardenを思い出しましたが、あれもイギリス植民地時代に建設されたものですね。 -
6本の石柱と階段はもともとのメインゲート。こちらの1900年前後に撮られたという写真でも見ることができます。
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公園を出て香港駅まで歩いていると、ピークトラム乗り場の近くを通り過ぎました。相変わらず長い列ができていてびっくり。平日(火曜日)の16時なのに?!さらに歩いていたら、前からツアーグループがやってきて、驚きました。
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○ 聖約翰座堂(St. John's Cathedral・聖ヨハネ大聖堂)
1849年に完成した大聖堂。13世紀の古式英国風および装飾的ゴシックに倣ったシンプルなもので、当時の教会建築で一般的な信仰復興派洋式となっています。
日本統治時代である1941年から1945年には、大聖堂は日本人クラブとして使われていました。 -
○ 終審法院大樓(旧立法会大楼)
1912年竣工。皇后像広場の隣、中国銀行大厦の向かいにあります。もともとは最高裁判所で、1983年まで最高裁判所として使われていたそうですが、そのうち1941年から1945年は日本統治のもと、香港憲兵隊本部として使われました。その後、1985年から1997年までは立法局大楼、1997年から2011年までは立法会大楼として使われ、2015年からは終審法院大樓(最高裁判所)として使われています。
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