2019/01/03 - 2019/01/07
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2013tomoさん
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この旅行記のスケジュール
2019/01/03
この旅行記スケジュールを元に
コタキナバルの郊外にある日本人墓地をお参りしました。
事前に「サバ州観光局」を訪ねてスタッフの方へ行き方を
聞いたところとても丁寧に教えてくれました。
スタッフの方から「私的な質問ですが日本人墓地にはあなたの
関係者が祭られているのですか?」と言う質問をいただきました。
「直接の関係者はおりませんが日本とコタキナバルとは
長い歴史的な関係があると考えています。
私は良好な関係づくりに貢献頂いた先輩方たちに
日本人として敬意をこめてお参りしたいと思っています。」
と説明すると
感情をこめた眼差しをしながら「素晴らしいことですね。」という
言葉をいただいた。
墓参後に再度「サバ州観光局」を訪問し担当者の方に報告を
兼ねてお礼を申し上げた。
地理的、文化的な差異はあるかもしれないが人間の胸の底にある
「深い想い」には共通する部分が多いと感じる出来事でした。
コタキナバルの観光ツアーに参加して
地元の人々の日本人への印象は概ね良好であると感じました。
これは現在、観光のため来る日本人のマナーが良いというだけ
ではなくもっと長期的な歴史的背景があるのではと思っていました。
関連サイトで少し調べてみると
(太平洋戦争以前)
戦国時代から安土桃山時代を経て、徳川幕府による鎖国が始まる
江戸時代初期まで、多くの商人が東南アジアを拠点とする、
いわゆる南蛮貿易や御朱印船貿易に携わった。
彼らは南シナ海を押し渡り、東アジアと東南アジア地域に
商圏を拡げていった。
その過程で、ボルネオ島をはじめアジア各地に日本人町が
建設されている。
近代に入ってからも
明治以降、相当数の日本人が東マレーシアに移り住んでいる。
この日本人移民のなかでも最も特異な現象は、
いわゆる「からゆきさん」が多数含まれていたことであった。
彼女達は、外務省の分類では「芸妓、娼妓、酌婦其他」とされて
いたが、そのほとんどは事実上の娼婦だったと考えられている。
「からゆきさん」たちは、その過酷な労働条件を耐え忍び、
その収入の中から倹約・貯金をしては家族に送金を行なった。
「からゆきさん」たちは自らを犠牲にして
日本の家族の生活を支えたと言えるかもしれない。
日本人の東南アジアへの移民史の中で、だれが、本当の先駆者で
あったかについては諸説あり、はっきりとした結論はないが、
「からゆきさん」がアジア地域において日本人居住地が
つくられる際に重要な役割を果たした傍証は数多い。
(太平洋戦争の影響について)
また長期的な観点から見ると、第二次世界大戦は、
東マレーシアにおける日系人社会の持続的な発展と、
日本・東マレーシアの長期的な関係に好ましくない影響を
与えたことは間違いない。
歴史を学ぶものは、「もしもあの事件が起こらなかったら」
とか、「もし、戦争を回避できたら」などの解答不能な問いに
頭を悩ますことがある。
ここでも仮に、第二次世界大戦が発生しなければ、
かなりの数の日系移民が現在でも東マレーシアに在住し、
マレー系やその他のブミプトラ系、中国系、インド系に伍して、
マレーシア社会で、政治・経済分野を中心に、
かなりの影響力を持つことになったのではと想像することができる。
「東マレーシアと日本の歴史的関係に関する考察」
(研究プロジェクト:人材活用型地域開発の国際比較)より
1941年に太平洋戦争(第二次世界大戦)が始まり、
12月に(旧)日本軍はボルネオ島に上陸しました。
日本軍はボルネオ島の各地を攻略し、
占領軍として北ボルネオを軍政(占領地の行政)により支配しました。
この当時のことを、ボルネオの人は、日本による植民地時代といいます。
しかし、戦争の末期になって、日本軍が占領していたジェセルトン
(現在のコタキナバル)及びサンダカンなどは、連合国軍の
激しい空爆の的になり、主要な街のほとんどが破壊されて
しまいました。
この激しい空爆の結果、コタキナバルの街で残った建築物は
現在の「サバ州観光局」、私たちが宿泊した「ジェッセルトンホテル」
ともう一つ(名前を忘れました)の3つだけだったそうです。
<旅のスケジュール>
(2018/12/27~2019/1/7の 12日間)
1月1日(火)12月30日の出発が
約3時間早まるとのメールが出発5日前にあり
(旅で会った方は早めに出発が2日前に早まったとの事。
ホテルをキャンセルしたり計画が狂ったと言っていた。)
<Malaysia Air>MH3252Muluota12:00発⇒Kinabalu12:55着
①Mandarin Hotel Kota Kinabalu(マンダリン ホテル コタキナバル)
三ツ星、朝なし、スーペリアツイン
1日イン3日チェックアウト(2泊)¥10,736税込11,897円
(MYR378.10税込424.83)
Number 138, Jalan Gaya,, 88000 コタキナバル, マレーシア
(電話:+6088225222)無料で空港まで行くシャトル有
②The Jesselton Hotel(ザ ジェッセルトン ホテル)三ツ星
支払い済みキャンセル不可。デラックスツイン。朝なし
3日チェックイン5日チェックアウト(2泊)
¥14,750(MYR519.47税込550.64)
1MYR28.878で計算
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
コナキタバルで1月3日,4日と2日宿泊した
ザ・ジェッセルトンホテルです。
サバ州観光局の白い建物ははここからガヤ通りを
北方面に歩いてすぐの所にあります。
道向かいに日本食レストラン「錦」があり2回行きました。
3日にはフリー(無料)ウォーク観光に参加しました。
出発はサバ州観光局からです。
10:00に出発し2時間程度でコタキナバル・ラマ地区周辺を
歩いて回ります。
最初はボランティアのガイドさんと私だけのさみしいスタートでしたが
途中でクアラルンプールから正月休暇で来ていた中国人系マレーシア人の
ご家族連れの4人と合流しようやくにぎやかさが増してきました。ジェッセルトン ホテル ホテル
-
観光局、インフォメーションセンター
親切で誠実な対応が素晴らしい by 2013tomoさんサバ州観光局 観光名所
-
まずは観光局の裏手にある階段を登り
コタキタバルの街を見渡せる展望台へ登ります。
途中で若い日本人の家族出れに会いました。 -
展望台からの眺望です。
かつてはこの小高い丘のすそ野の下まで海岸線があった
そうで英国植民地時代はここから前面を航行する船舶に
進路を教える大きな旗が設置されていたそうです。
(ブキット「丘」・バンダラ「旗」と呼ばれていました)
今は眼下に大きなショッピングセンターのスリア・サバを
中心としたショッピング街やホテル群が見えています。 -
写真が逆光で良く見えませんが左がガイドのロジャーさんです。
奥さまがイギリス人だということできれいな英語を話します。
もともとはコタキナバルに昔から住んでいた少数民族出身だと
おっしゃっていました。
右側は中国人系マレーシア人のお父さんと息子さんです。
10歳と8歳の息子さんを連れて来ていました。
ご家族間の会話は英語を話していました。
お子様たちもきれいな英語を話すので
「小学校で英語を学習しているのですか?」と質問すると
「インターナショナルスクールに通わせています。」という
回答でした。
ガイドさんとの会話も英語を使っていましたので共通言語は
マレー語ではなく英語でした。
マレーシアという国が成立してきた背景から来る多文化共生の
一場面を体験できた気持ちがしました。
マレーシアの国民構成は
マレーシア人口3,000万人の内訳として
マレー系65%、中国系25%、その他がインド系と少数民族です。
文化、宗教、言語等が異なる多民族国家ですので
多文化共生という概念を実生活の中で実践しているのが良く
理解できました。
このことは私が日本人墓地を訪問する際にも体験いたしましたので
後ほど説明いたします。 -
現在この丘はすべて私有地となっていて
お金持ちの中国人達が豪邸を建てて住んでいるという
説明がありました。
マレーシアが英国植民地から独立するときにお金がなかった
のでこの辺りの土地を私有地として売却したのだそうです。
丘の上に白い豪邸が立っていました。
ホテルかと思っていましたが個人の私邸でした。 -
観光ポイントの一つであるアトキンソン時計台です。
ここには戦争で若くして戦死したイギリス人兵士の
母親が息子を偲んで建立した黒色の時計台があった
そうです。
何度か建て直されて現在は白い時計台となったという
説明がありました。
この時計台の左下に大戦後に独立宣言がおこなわれた
ムルディカ(独立)広場があります。
ムルディカ広場の前にはコタキナバル空港からの空港バスの
バスターミナルがあります。
私たちが最初に宿泊したマンダリンホテルはこのバスターミナルから
歩いてすぐの所にありました(目の前に見えています)。
この地点からKK(コタキナバル)・ラマ地区が始まります。アトキンソン時計台 建造物
-
ムルディカ広場の入口には美しい花が咲いていました。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
(「白頭を悲しむ翁に代かわりて」より、唐代の詩人劉希夷)
という漢詩を思い出しました。
歴史に翻弄される我々人間の命のはかなさに向かって
ボルネオの美しい草花が
「そんなつまらないことはよしなさい。」
と語りかけているようでした。 -
私たちは市役所前を通り過ぎて海岸側にある
Sinsuranマーケットに歩いて行きます。
若い人たちは現代風のショッピングセンターで
買い物をするのを好むそうですがここはコタキナバルの住民が
昔から新鮮な食料が調達できる大きなマーケットです。
ガイドのロジャーさんのお母様も日常の買い物では今でも
このマーケットを利用していると言っていました。 -
途中に戦争記念碑がありました。それぞれの大戦で戦死した
イギリス軍やアメリカ軍の兵隊さんたちが祭られていました。 -
記念碑の塔にはプレートが貼られていない
面が一つあります。
「これは将来もう二度と戦没者のプレートは貼りたくない。」
という強い想いが込められているという説明がありました。
私たち一般市民にとって戦争には正義や勝ち負けという
崇高な概念はなくただ悲しさだけが残るように思います。 -
マーケットへは陸橋を渡って行きます。
小さな子供たちがダッシュの練習をしていました。
陸橋の上では露天商が小物類を売っていました。
ここで印象に残る光景を見ました。
中国人系マレーシア人家族の二人の息子さん達は
ここで自分で買い物をしていました。
露天商のおばさんと小物の値段を交渉し手頃な値段まで
値下げが出来るとポケットから小さな財布を取り出して
自分のお小遣いからお金を支払っていました。
お母さんは息子さん達の行動を静かな笑顔で見守っている
だけです。
お母さんに「息子さん達は買い物ではいつも自分お財布から
お金を支払っているのですか?」
と聞くと
「自分の予算内で買いたいものを安く買えるように
躾けているです。」ということでした。
幼い時からこのような経済観念を躾けるご家庭は素晴らしいと
思いました。
因みにご主人はクアラルンプールでバッグを販売している
会社の社長さんでした。
いつもお母さんにおねだりして好きなものを買ってもらって
いる私の孫達では彼らに太刀打ちできないのが良く理解できました。 -
マーケットの中は色とりどりの商品が陳列されていて
コタキナバルの生活感が輝いていました。 -
これはとうがらしかな?
-
大きなカボチャです。
-
彼等は瓜でしょうか。
-
買い物客たちには高齢化が進んでいるように感じました。
若い人たちはやはり大きくて明るいショッピングモールに
行くのが流行かも知れません。 -
道路に面したマーケットの軒先です。
私の目には幼いころに母と一緒に行った
懐かしい市場の光景に見えます。 -
このマーケットの一角にはフィリピンの
マルコス政権時代の難民たちが営む市場がありました。
フィリピンマーケットと呼ばれているそうです。
サバ州は彼らを難民として受け入れてこの市場を生計を
立てる場として提供したとのことです。
これも多文化共生が具現化されたところと思いました。 -
市場の前でガイドのロジャーさんと一緒に撮影しました。
かれは20年近くこのボランティアガイドをしているとの
ことです。
私も2020年の東京オリンピックでは都市ボランティアに
参加する予定ですので彼の博識さやホスピタリティは
とても参考になりました。
その土地の歴史、文化、生活等に精通していること、
相手の使用言語(英語だけではなく)を分かりやすく的確に
話せること、
ただ情報を伝えるだけでなく相手の関心があるテーマを
伝えるというホスピタリティ精神の高さと人間性(ヒューマンスキル)
の高さ等を学ぶことが出来ました。
最後に彼から次のような話を聴きました。
彼のお父様は大戦前にコタキナバルの鉄道関係のお仕事をして
いましたがその時に日本人の床屋さんが友人だったそうです。
戦争が始まって彼が兵隊さんとして軍隊に召集されたそうですが
その日本人の友人のお陰で村が戦争から守られたので彼には
感謝していると言っていました。
ロジャーさんのライフヒストリーにも私たち日本人先輩たちの
活躍が反映されていたのです。
私がロジャーさんに
「コタキナバルの日本人墓地をお参りに行きたいのですが
場所を教えて下さい。」とお願いすると地図にマークをして
行き方を教えてくれました。
「歩いて行くと遠いので観光協でバス路線を確認した方が
いいですよ。」というアドバイスもいただきました。
ロジャーさんの親切には深く感謝したいと思います。
翌日の朝に私はコタキナバルの日本人墓地を訪ねることになります。 -
中国人系マレーシア人のご家族と一緒に撮影しました。
私が遠慮がちに
「記念に後ろからでも写真を撮って良いですか?」とお願いすると
「前から私たち家族を撮影してください。」という返事をいただき
幸福そうなご家族を写真に収めました。
旅でのささやかな触れ合いですが懐かしい思い出になりそうです。 -
翌日の朝はコタキナバルの日本人墓地へ訪問いたしました。
日本人墓地へのバスはシャングリラホテルの前にある
近郊行きバスステーションから出ています。
料金は2MR(約60円)です。
トァラン通りを経由してウィスマ・ワニタ(女性会館?)
前で下車し、ウィスマ・ワニタの裏側にある小さな丘の上に
日本人墓地があると観光局のスタッフから説明を受けました。
直ぐにバス停が見つかると高をくくっていたのですが
いつもの通り道に迷ってしまいました。
すると辺りを歩いているマレーシア人たちが私に
「ニーチーナアリ?、ニーチーナアリ?」と聞いてきます。
(あれ!中国語で「ニィ・チィ・ナァリ?」と言っているのかな?)
きっと中国人風のお爺ちゃんが道に迷って困っているのだろう
ということで中国語で「どこに行くの?」と尋ねてくれているのです。
彼等は中国人風に見える私にはマレー語や英語で話しかけてくる
のではなく中国語を使ってくれるのだと分かりました。
これも多文化共生社会の作法だと思いました。
「郷に入っては郷に従え」という態度ではなく
「相手の立場に立って考える」という共生姿勢です。 -
私がマレー語(実はインドネシア語)で
「ウィスマ・ワニタ行きのバス停に行きたいのです。」
と応えると「なんだこの中国人風のお爺ちゃんは我々の
言葉が話せるのか!」という顔をして今度はマレー語で
「この道をまっすぐ行くと左側にバス停があるよ。」と
説明してくれました。
彼等からは「相手の立場に立って考える」という共生作法を
教えて頂きました。 -
バスの運転手さんに2MRを支払い
「ウィスマ・ワニタで下車します。」と
伝えました。
基本的な会話が少しでも話せれば旅の不安感は
激減します。
新しい国を訪問する時は少しでもその国の
基本会話を学ぶように努力しています。
私が言語を新しく学ぶときに「3き」という言葉を
自分に言い聞かせています。
「根気」と「暗記」と「勇気」です。
「学習を継続する継続力」と「暗記しようとする意志」と
「間違っても良いから使ってみる勇気」が必要だと思って
います。 -
バスはトゥアラン通りを走ります。
私は運転手さんのすぐ後ろの座席に
座りました。 -
運転手さんが
「Wisma Wanita(女性会館)ですよ。」と伝えてくれました。
「Wisma Wanitaはこの道を左に入った所にあります。」と
親切に教えてくれました。
私は左に曲がったところで早速道に迷ってしまいました。
近くに小高い丘が見当たりません。
仕方がないのでWisma Wanitaの中に入り、丁度開館から出てきた
若い男性に「日本人墓地に行きたいのですが行き方を教えて下さい。」
と英語で伝えました。
マレーシアでは若い方はみなさん英語を話すようです。
彼は親切に道の外まで一緒に出てくれて
「あの丘の上に日本人墓地がありますよ。」と指さしてくれました。 -
トゥアラン通り沿いに少し歩くと
日本人墓地がある小高い丘にやってきました。
丘の上には大きな木が生い茂っていました。 -
墓地への階段を登ります。
-
下から白い標識が見えています。
-
横標識には日本語文字が書かれているようです。
-
ここがコタキナバル日本人墓地です。
白い標識には緑陰がかかっていました。 -
墓地への門は施錠されて閉まっていました。
写真は入口から撮影したものです。
墓石はまだ新しい状態でした。
十数基の墓石があります。
右側にある墓石には名前や出身地(山口県と判読
できました)、没年月日が彫られています。
他の墓石には「無名日本人の墓」と書かれているものが
ほとんどです。
からゆきさん達や事故で遭難した漁師さん、また戦没した
無名の兵隊さん達の無縁仏を集団で埋葬したお墓でしょうか。 -
私はまず合掌し、
持参したペットボトルの水を庭の緑に灌ぎ、
口の中で「南無阿弥陀仏…。」、
と読経しながら再度合掌いたしました。 -
最後にお腹の底から大きな声を出して
「日本から観光でやってまいりました。
みなさん、ありがとうございます!」と
感謝の言葉を手向けました。 -
日本人墓地の中央には大きな樹木が
生い茂っていました。
この小高い丘には緑の影の下を
「よい風(アギン「風」・マニス「甘い」)」が
静かに通り抜けて行きました。
クリスチナ ・ロセッティの「風」という詩を思い出しました。
「誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木(こ)の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく
誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく」
(西條八十訳)
<参考>
岡田忠軒氏訳
『純愛の詩人ークリスチナ・ロセッティ、詩と評伝』
(P79)より
「風を見たひと、だれかいる?
わたしも、あなたも、見ないけど
木(こ)の葉、木(こ)の葉が、震えてる
そのとき風が通(とお)ってく
風を見たひと、だれかいる?
あなたも、わたしも、見ないけど
どの木もみんな、お辞儀する
そのとき風が過ぎてゆく」(『シング・ソング』)
<英詩原文>
Who has seen the wind?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro'.
Who has seen the wind?
Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by. -
帰りのバスはマイクロバスのような小さなバスが
道向かいのバス停にやってきました。
私の日本人墓地へのお参りは終わりましたが
「人間は一人では生きられない」という
アドラー心理学の言葉を思い出しました。
私たちは
「過去に生きていた人の流れの中に生き、
現在生活している人と共に生き、
明日に生まれてくる人にバトンタッチする役目がある。」
と考えながら家内が待つコタキナバルの市内に帰っていきました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- らーめんさん 2025/03/20 06:19:12
- 素敵な紀行文でした
- 質問回答ありがとうございます。
質問の方で返信できなかったのでこちらにコメントさせてもらいました。
多言語でのコミュニケーション凄すぎます!
インフォメ行ってみますね!
- 2013tomoさん からの返信 2025/03/20 07:03:44
- Re: 素敵な紀行文でした
- 2013tomoです。
コメントありがとうございます。
旅を通して様々な出逢いを頂いています。
旅は私の人生を豊かにしてくれると思っています。
らーめん様もコタキナバルの旅を大いに楽しんでください。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
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