2018/08/13 - 2018/08/25
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urufeeさん
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8月20日 米子から津和野へ移動してきました。
津和野は以前パックツァーで訪れているのですが、パックツァーでは森鴎外記念館も入らなかったし、津和野城も訪れて無いので再訪問です。
また、福岡は元寇史跡関連の散策を主目的に訪れました。ついでに、以前時間切れで回れなかった博多駅周辺の社寺仏閣を訪ね歩きました。
8月25日 福岡空港09:25発のタイ航空で、バンコク経由でクアラルンプールへ戻りました。
マイルの特典旅行でエア発券したので、今回往路はKL→羽田のANA日中便。帰路はタイ航空で福岡→KLの日中便利用できて体が楽でした。マイル特典旅行だとエア代無料は勿論助かりますが、航空会社を別々に選べるのも助かります。年取ると夜行便は疲れますもんね。
写真は”生の松原地区”の元寇防塁の碑です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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津和野到着の翌8月21日、まずは幟が目立つ太鼓谷稲荷神社を目指します。
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立派な注連縄の太鼓谷稲荷神社。
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本来は麓から、この鳥居の連なっているルートを登ってくる予定だったのですが、何処で道を間違ってしまったのか。
今更麓まで降りる気にもなれず、この辺から雰囲気だけでも登ってきたつもりに。 -
太鼓稲荷神社駐車場の途中から、津和野城へ行く登山道を登り始めました。
昨日津和野に到着した時、駅前の観光案内所で「最近熊は出没してますか?」と聞きました。そしたら、「熊の出没が確認されたら、猟銃で威嚇射撃します。それでも危険と判断したら、観光リフトは運休にします」との回答。
「登山道で行くつもりなんですけど」と重ねて聞いたら、
「それは自己責任でお願いします」と。
そりゃそうだ。 -
途中で観光リフトを横切りました。何組かの人が利用されてましたが、登山道の方は私一人で心細い。
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やっと津和野城へ辿り着いたら、出丸は石垣の修復工事中で通行止め。ガッカリ。
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メゲズに本丸跡を目指します。
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やっと津和野城址本丸周辺へ到着。建造物は残されていませんが、石垣は結構残されていたし、眺めが最高。
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登りとは別ルートで降りる予定で、下山口は直ぐ見つけたのですが、こんな標識が。今更「熊鈴」貸してくれると言われても、リフト乗り場まで戻る気になれず、度胸を決めて下山。
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熊にも他の観光客にも遭遇せずに無事下山。昼食後に森鴎外記念館へ。記念館内は撮影禁止でした。
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これが森鴎外の生家。内部へ入ることはできませんでした。
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森鴎外記念館を出た辺りから見上げた津和野城。写真小さくて分かり難いでしょうが、山上に津和野城の石垣が見えます。
1686年に落雷で天守閣は焼失したらしいのですが、建造物が全て残っていたら壮観だったでしょうね。
この後、殿町通りへ向かいます。 -
以前パックツァーで来た時、ガイドからメタボ鯉が居ると言われたのが印象的だった殿町通りに来ました。
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今でも健在。でも今回は少しダイエットに成功したかも。
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そして津和野カトリック教会へ到着。
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津和野カトリック教会は、畳敷きの教会であるのが興味を引きます。日本でも他に見たこと有りません。
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津和野カトリック教会を出て、線路を超えて駅裏手の永明寺へ。
総茅葺の本堂が立派な約600年の歴史を持つ曹洞宗の寺院です。 -
ここには、”石見の人間として人生を終えたい”と願った森鴎外のお墓も有ります。当初は東京にお墓が建てられましたが、1953年に分骨して、生地津和野に分骨埋葬されています。林太郎は鴎外の本名です。
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永明寺から乙女峠マリア聖堂へ移動。入り口閉じられていて内部へ入ることはできませんでした。
津和野には長崎浦上の隠れキリシタン153名が、明治元年の禁教令により流刑となって移ってきました。 -
拷問改宗を迫られていた隠れキリシタンの一人である安太郎の前に、毎晩のように聖母マリアが現れ慰められた様子が表されています。
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8月22日、津和野から博多へ移動しました。荷物をホテルに預け、再度電車に乗って、福間駅から約2km歩いて宮地獄神社を参拝。
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宮地獄神社へ鳥居の階段を登った所で振り返りました。この一直線状の長い道路の先に夕日が沈むという絶景ポイント。
でも、一直線上に並ぶのは2月、10月との事なので、18切符愛用者には難しい。 -
ということで、近くに有ったパネル写真で代用。
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この宮地獄神社には、夕日が一直線上に並ぶという以外に、三つの日本一が有ります。
その一つが大注連縄。確かに出雲大社よりチョット大きいかも。 -
また奥の院にはこのような小さな神社が幾つか建っています。これは七福神社。
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奥の院とは別に、民家村自然広苑というのも有り、各地から移築された民家などが有ります。
これは19世紀半ばと推定される、対馬の高床式平柱小屋。 -
こちらは江戸菖蒲苑です。
この民家村自然広苑だけでも結構広くて、博多へ戻るのが遅くなってしまうので、この辺で今回は断念しました。 -
宮地獄神社三つの日本一その二。直径2.2mの大太鼓。
現在では更に大きな大太鼓も作られているらしいですが、1月1日の午前零時に鳴らされると、境内から数km離れた場所まで聞こえるのだそうです. -
宮地獄神社三つの日本一その三は大鈴。重さ450kgの銅製だそうです。
大太鼓、大鈴共ガラス囲いの建屋内なのでチョット見難い。 -
8月23日は博多駅周辺の社寺仏閣を徒歩観光。
まずは住吉神社から。 -
住吉神社は相撲の神様とも言われ立派な力士像が建っています。
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そして博多くんちで知られる櫛田神社へ来ました。
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次は聖福寺へ来ました。
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1191年に栄西禅師が中国から茶の種を持ち帰り、最初は佐賀県吉野ケ里で栽培されたのが日本茶の始まりと言われています。その後、この聖福寺境内で栽培されたのだそうです。
これはそれを記念して植えられたお茶の木です。 -
奥の方に本殿が有るのですが、関係者以外は入れないので断念。
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聖福寺から徒歩10分もかからない東長寺。ここは福岡藩主黒田家の墓所です。
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本殿とその奥に五重塔。
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礼拝しやすいように正面が少し広い変形の六角堂。
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東長寺から直ぐ近くに有る承天寺。
ここは聖一国師が伝えたとされる、饂飩・蕎麦・饅頭の発祥地記念の碑が建っています。 -
門内には入れなかったのですが、綺麗な石庭が有りました。
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17時過ぎになったので、夕食場所探しがてら天神へ移動してきました。
大都会のビル群に囲まれた警固神社。
今日の社寺仏閣巡りはここを最後にしました。 -
8月23日は福岡市営地下鉄が乗り放題になる一日券(¥620)を購入して、元寇関連史跡を巡りました。
まずは姪浜駅から1.5km程の生の松原地区の元寇防塁遺跡から。
唐津街道のこの案内板が無ければ分かりません。 -
ここは九州大学の演習林で、こんな警告がある柵の中に入って行きます。
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松林の中を暫く進んで行くと海に出ます。
元寇襲来の時は、兵船が満ちていたんでしょうね。 -
海に出たら右側の方に元寇防塁が残されています。
柵で近くには入れないようになっています。 -
生の松原地区から1kmほど離れた向浜地区の元寇防塁跡に来ました。
小戸公園内の一角に、”史跡元寇防塁”の碑が建っているだけで、防塁自体は残されてないみたいです。 -
向浜地区から同じく1kmほど離れた脇地区の元寇防塁。
市営姪浜北団地の裏手側で、ここも防塁跡とは思えない状態ですが。 -
姪浜駅に戻り市営地下鉄で藤崎駅へ移動しました。
藤崎駅から比較的近い場所にある、百道地区の元寇防塁。
元寇防塁は鎌倉幕府が九州各地の御家人に割り当てましたが、各御家人により構築方法に違いが有るみたいです。 -
こちらは百道地区の直ぐ近くに有った、西新地区の元寇防塁です。
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西新地区元寇防塁碑のチョット先には元寇神社が建てられています。
この神社の由来は説明板など無くて分かりませんが、最後は神頼みだったのでしょうか?
それとも凄く真新しいから元寇史跡目当ての観光客の方に沢山来て欲しいという、現代人の願望かな? -
また市営地下鉄に乗って、馬出九大病院前駅近くの元寇資料館へ。でも事前予約が必要だったらしく入り口が閉まってました。昼食もここを予定していたのですが残念。
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奥に日蓮聖人の巨像が建っています。
日蓮は1260年に「立正安国論」を表し、鎌倉幕府にいち早く元(モンゴル)軍の襲来を警告したのだそうです。 -
そしてチョット先の東公園内には亀山上皇像が有ります。
元(モンゴル)軍の来襲時、「我が身をもって国難に代わらん」と敵国降伏を祈願された亀山上皇の故事を記念して明治時代に建立されました。 -
元寇資料館に入れなかったので、地下鉄で箱崎九大前駅へ行って、九州大学内に有る博物館に来ました。
元寇防塁の命名者である中山平次郎教授の研究成果を中心に見てきました。
九大キャンパス内にも沢山の元寇防塁遺跡が発見されているのだそうです。 -
九大キャンパスは福岡空港の近くに有るので、飛行機が結構頻繁に頭上を飛んでいきます。
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また一駅だけ地下鉄に乗って、筥崎宮前に来ました。
1609年に黒田長政が建立した一の鳥居。 -
筥崎宮には東公園で見た亀山上皇の銅像の木彫原型が保管されています。
明治時代に作られたこの原型像は、明治37年に銅像が完成された後も残されました。このような大型木彫が完全な形で残されているのは珍しいのだそうです。 -
筥崎宮も元寇来襲時に社殿を焼かれたりしました。
”敵国降伏”の宸翰が掲げられるこの楼門は、1594年に小早川隆景により再建されました。
翌日8月25日、福岡09:25発タイ航空で、バンコク経由KLへ戻りました。
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