2018/08/13 - 2018/08/25
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urufeeさん
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2018年夏の18切符の旅後半です。7月豪雨の影響を受けて山陽本線が複数個所で不通になってしまいました。勿論代行バスは運行されていましたが、思い切ってルートを変更しました。当初は”敦賀→広島→中津→福岡”で計画していましたが、急遽、広島と中津のホテルをキャンセルし、”敦賀→米子→津和野→福岡”の山陰本線メインのルートに変更しました。
8月13日 自宅→村井。いつもの健康ランドで先ずはノンビリ。
8月16日 村井→敦賀。この日は移動だけです。
8月16日 敦賀観光。
8月18日 敦賀→米子。この日も移動だけです。
8月19日 堺港の水木しげるロード中心に観光。
8月20日 米子→津和野。津和野は温泉宿にしたので、15時頃チェックインしましたが温泉だけ。
8月21日 津和野観光。
8月22日 津和野→博多。ホテルに荷物預けて博多→福間→博多と移動し、宮地獄神社見学。
8月23日 博多周辺の社寺仏閣を見学。
8月24日 市営地下鉄一日券購入し、元寇関連の史跡を観光。
8月25日 福岡空港09:25発のタイ航空で、バンコク経由でクアラルンプールへ戻りました。
写真は水木しげるロード上に在る、ゲゲゲの鬼太郎像。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
健康ランドでノンビリして、8月16日の敦賀移動からが実際の旅行開始みたいなものです。敦賀到着の翌17日、まずは敦賀港近くに在る、”人道の港敦賀ムゼウム”からスタート。
内部は撮影禁止でしたが下記2点の資料が中心です。
(1)1920年にウラジオストックから船で敦賀港に到着した、ポーランド孤児。当時の日本の暖かい対応を、今でもポーランドの人は記憶に留めてくれているみたいです。
(2)杉原千畝氏の命のビザで日本へ目指した人達が、最初に到着したのが敦賀港なので当時の様子を中心に展示されています。 -
以前は敦賀港近くに鉄道駅が有って、新橋発の直通列車で敦賀駅へ。そして敦賀港からウラジオストクへ船で渡り、シベリア鉄道を使ってフランス・パリへ行く国際列車が走っていました。
現在は鉄道資料館になっている、旧敦賀駅舎です。 -
次に金ケ崎城址へ。
金ケ崎城は南北朝時代に、新田義貞軍と足利尊氏軍の戦い。
戦国時代には織田信長が朝倉義景を攻めた時と、2回の大きな戦の古戦場です。特に織田信長がここから京へ引き返した時、秀吉が殿を務めた場所としても有名です。 -
その後一帯は金崎宮の境内になり、現在は周回できる公園として整備されています。
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金崎宮から降りてきた麓に在る金前寺。
お寺に必要なものを一カ所にまとめた感じで効率的。 -
この日は”敦賀ぐるっと一日券(¥500)”を購入したので、バスで松原神社へ来ました。
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境内に残された”水戸烈士記念館”。
京都を目指していた水戸烈士823名が収容された鯡倉16棟の一つを、記念館として残したみたいです。 -
すぐ近くに水戸天狗党を率いてきた武田耕雲斎の銅像が建っていて、奥に同時に処刑された水戸烈士の慰霊の墓碑が有ります。
水戸から京へ向かうのに、江戸を通過して東海道を進む訳には行かなかったのでしょうね。 -
またバスに乗って氣比神宮へ来ました。
810年に創建された後、度重なる災害に会い両柱を榁樹各一本で1645年に再建した朱塗りの大鳥居。 -
こちらが本殿です。
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本殿左手奥に、末社・摂社が並んでいます。
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その一番奥の末社が、神明両宮です。
千木の形からお分かりのように、右側が天照大神で、左側が豊受大神です。この二宮だけは更に屋根で覆われています。やはり別格なんですね。 -
日本では他国の人でも神として崇めるとは聞いてましたが、初めて実例を見ました。
これは角鹿神社(つぬがじんじゃ)で、祭神は都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこ)です。任那の皇子とのことです。 -
敦賀駅前のシンボルロード上には、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」に関するブロンズ像がズラッと並んでいました。その写真は撮り忘れてしまいましたが、氣比神宮前のバス停もこんな感じ。
帰国してから敦賀と松本零士氏の関係を調べました。
敦賀は国際列車の敦賀港駅を拠点とした駅と港が有ります。そして、国内最初の本格的交流電化がなされた地との事で、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」を、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」に重ね合わせたみたいです。 -
でも地域一丸となっているという点では境港は別格です。
8月19日は通常切符でJRに乗って、米子→境港へ行きました。
米子駅と境港駅間は全てニックネーム駅名が付いています。
ここ米子駅のニックネームは、”ねずみ男”駅。
電車はゲゲゲの鬼太郎でペインティング。 -
電車乗ったら、座席には砂かけ婆や猫娘たちが。
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途中全ての駅の駅名表示板もご覧のように。この妖怪は聞いたこと有りませんでしたが。
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終点は勿論、ゲゲゲの鬼太郎駅。
駅待合室の椅子。 -
駅の外へ出たら、ポスト上にゲゲゲの鬼太郎像が。
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境港から隠岐の島へフェリーが出ていますが、そのフェリーターミナル。
街灯は目玉オヤジを上手く利用してます。 -
この日は水木しげるロードを一部閉鎖して、下駄飛ばし大会開催中。
会場は2カ所作られていて、こちらは子供用会場。 -
ロード上にはこんな感じで妖怪の彫刻が随所に置かれています。
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タクシーの天井灯に目玉オヤジが。
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お菓子だって作っちゃいます。妖菓 目玉オヤジ。
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そして水木しげる記念館を見学。
水木しげるの生い立ちが年表形式で詳細に出ています。ナカナカ面白い経歴でした。ゲゲゲの女房を読みたくなりました。 -
内部は基本的に撮影禁止ですが、この書斎を再現した辺りからは撮影ok。
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その後出口まではトンネル状になっていて、壁には妖怪たちがいます。
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昼食時間です。
境港は明治時代の地引網からマグロ漁業の歴史が有るとの事で、名物の”本まぐろラーメン”。
食べ進むと、ゲゲゲの鬼太郎の仲間達が現れてきます。
食べ終わると丼の底から目玉オヤジが、「見つかってしまったわい」と出てきます。 -
お昼も終わって観光再開。
ここはお土産ショップみたいな感じでした。 -
ゲゲゲの鬼太郎関連をチョット離れて、大港神社。
海上安全の神として有名で、江戸時代には各地から石造物が奉納されてました。
この鳥居は現在の神戸市の「廻船中」から1743年に奉納されたもの。 -
この中には入りませんでしたが、妖怪倉庫。
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妖怪倉庫の前でも下駄飛ばし大会が行われてました。こちらは大人の会場。
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ソロソロ米子に戻る時間なので、また水木しげるロードに戻りました。
ここは妖怪神社。鳥居の形が妖界への入り口みたいですね。 -
水木しげるロードの途中に有る、妖怪公園。
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駅近くの鬼太郎交番。警察だって街の活性化に協力してます。
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そしてフェリーターミナルビル内に有る鬼太郎売店でお土産買ってください。ここまで徹底してやられると、本当に凄いと感心してしまいました。
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米子駅へ戻ってから、2度目の米子城址へ到着。
前回はここから登った筈なのですが、 -
今回はこの弘法大師像の先にある登山口から。
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こんな山道を登って行きました。
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米子城は建造物は残されてませんが、立派な石垣は残されています。
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頂上から中海を見た所です。
この日も本当に暑い一日でした。
米子観光終了した翌日は津和野へ移動しますが、津和野からの旅行記は別に分けました。
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