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寂光院と聞くと、京都大原を思い浮かべる方が多いと思いますが、愛知県犬山市にも同じ名前の寺院があります。折角犬山を訪れたのですから、「尾張のもみじでら」と称される、急峻な霊山 継鹿尾(つがお)山の山腹にある寂光院をスキップする訳にはまいりません。尾張のもみじ名所としては、6位にランキングされています。楓の木の数は山中を含めて1000本程あり、 特に背丈のある古木が多くて葉が細かく、色鮮やかに染まることで定評があります。<br />寂光院は654年に創建されたとされる尾張の最古刹です。2008年に随求堂内で、その存在が長らく確認できなかった絵巻が発見されました。それによると、寺の由来は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の魂が千手観音となって継鹿尾の地に姿を現し、千手観音像を本尊とする寂光院の開山に繋がったとの縁起を伝えています。千手観音像は日本武尊の神魂の霊作だったと言う伝承の信憑性が高まってきています。<br />寂光院のHPです。<br />http://www.jakkoin.com/<br />境内マップです。<br />http://www.jakkoin.com/keidaimap.html

秋思秋愁 尾張犬山逍遥⑤寂光院(エピローグ)

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2018/12/01 - 2018/12/01

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

寂光院と聞くと、京都大原を思い浮かべる方が多いと思いますが、愛知県犬山市にも同じ名前の寺院があります。折角犬山を訪れたのですから、「尾張のもみじでら」と称される、急峻な霊山 継鹿尾(つがお)山の山腹にある寂光院をスキップする訳にはまいりません。尾張のもみじ名所としては、6位にランキングされています。楓の木の数は山中を含めて1000本程あり、 特に背丈のある古木が多くて葉が細かく、色鮮やかに染まることで定評があります。
寂光院は654年に創建されたとされる尾張の最古刹です。2008年に随求堂内で、その存在が長らく確認できなかった絵巻が発見されました。それによると、寺の由来は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の魂が千手観音となって継鹿尾の地に姿を現し、千手観音像を本尊とする寂光院の開山に繋がったとの縁起を伝えています。千手観音像は日本武尊の神魂の霊作だったと言う伝承の信憑性が高まってきています。
寂光院のHPです。
http://www.jakkoin.com/
境内マップです。
http://www.jakkoin.com/keidaimap.html

旅行の満足度
5.0
観光
5.0

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  • 木曽川<br />左手に日本ラインで有名な木曽川の清流とその奇岩を眺めながら県道185号を進みます。

    木曽川
    左手に日本ラインで有名な木曽川の清流とその奇岩を眺めながら県道185号を進みます。

  • 寂光院 一の門<br />名鉄「犬山遊園」駅から徒歩15分程で、県道を右折した先にある寂光院「一の門」に到着します。<br />ここから更に200m程緩やかな坂道を登った所に総門があります。

    寂光院 一の門
    名鉄「犬山遊園」駅から徒歩15分程で、県道を右折した先にある寂光院「一の門」に到着します。
    ここから更に200m程緩やかな坂道を登った所に総門があります。

  • 寂光院 <br />仄暗い竹林の向こうに紅葉が透ける幻想的な景色です。

    寂光院
    仄暗い竹林の向こうに紅葉が透ける幻想的な景色です。

  • 寂光院 <br />総門の手前まで登ってきました。

    寂光院
    総門の手前まで登ってきました。

  • 寂光院 <br />境内マップです。

    寂光院
    境内マップです。

  • 寂光院 千体観音堂前<br />七福神が順番に導く「七福坂」の参道は、合計320段の石段を登ります。ゆっくり登って10分程ですが、歩き易い格好で参詣されることをお勧めいたします。<br />また、石段は結構急勾配ですので、景色に気を取られて転倒しないように注意が必要です。

    寂光院 千体観音堂前
    七福神が順番に導く「七福坂」の参道は、合計320段の石段を登ります。ゆっくり登って10分程ですが、歩き易い格好で参詣されることをお勧めいたします。
    また、石段は結構急勾配ですので、景色に気を取られて転倒しないように注意が必要です。

  • 寂光院 参道<br />千体観音堂からの登りは、曲がりくねる坂の入口に七福神の恵比寿、大黒、毘沙門天、布袋、弁天、福禄寿、寿老人が順にナビゲートしてくれます。それぞれの登り口に石段の数が表示されており、山寺ならではのユニークな参道です。<br />七福神を撫でることで、ご利益が頂けるありがたいものです。

    寂光院 参道
    千体観音堂からの登りは、曲がりくねる坂の入口に七福神の恵比寿、大黒、毘沙門天、布袋、弁天、福禄寿、寿老人が順にナビゲートしてくれます。それぞれの登り口に石段の数が表示されており、山寺ならではのユニークな参道です。
    七福神を撫でることで、ご利益が頂けるありがたいものです。

  • 寂光院 参道<br />石段の先を見上げると、山全体が燃えているような錯覚に陥ります。<br />また、色付きが深まる紅葉を愛でながら閑静な参道に歩を進めるうちに、次第に心が落ち着いてくるような気がします。<br />

    寂光院 参道
    石段の先を見上げると、山全体が燃えているような錯覚に陥ります。
    また、色付きが深まる紅葉を愛でながら閑静な参道に歩を進めるうちに、次第に心が落ち着いてくるような気がします。

  • 寂光院 参道<br />霊気溢れる仙郷の地は、「尾張のもみじでら」と称されるだけのことはあります。<br />紅葉は、秋の深まりと共に緑~黄~オレンジ~赤色のグラデーションの遷移が堪能できます。<br />

    寂光院 参道
    霊気溢れる仙郷の地は、「尾張のもみじでら」と称されるだけのことはあります。
    紅葉は、秋の深まりと共に緑~黄~オレンジ~赤色のグラデーションの遷移が堪能できます。

  • 寂光院 参道<br />石段に積み重なった散紅葉が晩秋の風情を醸します。

    寂光院 参道
    石段に積み重なった散紅葉が晩秋の風情を醸します。

  • 寂光院 参道<br />「笑迎八方来客」と読めます。<br />聞いたことのない言葉ですが、中国由来でしょうか?<br />「四方八方からの来客を笑顔で迎え入れる」という意味なのでしょう。<br />最上部には笑顔の地蔵尊が彫られていますが、文字も笑っているように感じられます。

    寂光院 参道
    「笑迎八方来客」と読めます。
    聞いたことのない言葉ですが、中国由来でしょうか?
    「四方八方からの来客を笑顔で迎え入れる」という意味なのでしょう。
    最上部には笑顔の地蔵尊が彫られていますが、文字も笑っているように感じられます。

  • 寂光院 参道<br />「念ずれば花ひらく(真民)」は、熊本県出身の詩人 坂村真民女史の詩にある言葉です。言い得て妙でよく引用される言葉ですが、女史は生涯を通じて母親の恩に報いようと努められた方です。<br />「念ずれば花ひらく」は、女史のお母さんがいつも口にされていた言葉だそうです。女史の母親は36歳の若さで小学校の校長だった夫を亡くし、それまで裕福だった一家の暮らしは一転しました。ある日、祖母が訪ねて来て、三姉妹を養子か奉公に出して幼子2人を連れて実家に戻るよう諭しました。しかし、夜半過ぎまで説得するも母親は応じず、祖母は諦めました。<br />その一部始終を次女だった8歳の女史は隣の部屋で息を潜めて聞いていたのです。母親が妥協しなかったおかげで、家族はひとつ屋根の下に留まることができ、母親の愛を全身で感じたといいます。<br />その後の母親の苦労は筆舌に尽くし難く、貧困生活が続く中、母親が口ぐせのように唱えたのが「念ずれば花ひらく」という言葉でした。どんなに苦労をしても、子どもたちに寂しい思いをさせたくないという決意、母親の強い思いが「念」という言葉に込められています。<br />ですから、単に願えば夢が叶うという意味ではありません。種を蒔いて愛情を込めて育てるのと同様に、願い事をいつも心に留めて一生懸命に育てれば(念ずる)、やがては成就の花が咲くと言う意味です。<br />そして、「花ひらけば必ず真実を結ぶ(道元禅師)」に至ることから、「念」は初心を貫徹し、願い事を成就する原動力と言えます。<br />実に深い、ありがたい言葉です。<br />合掌。

    寂光院 参道
    「念ずれば花ひらく(真民)」は、熊本県出身の詩人 坂村真民女史の詩にある言葉です。言い得て妙でよく引用される言葉ですが、女史は生涯を通じて母親の恩に報いようと努められた方です。
    「念ずれば花ひらく」は、女史のお母さんがいつも口にされていた言葉だそうです。女史の母親は36歳の若さで小学校の校長だった夫を亡くし、それまで裕福だった一家の暮らしは一転しました。ある日、祖母が訪ねて来て、三姉妹を養子か奉公に出して幼子2人を連れて実家に戻るよう諭しました。しかし、夜半過ぎまで説得するも母親は応じず、祖母は諦めました。
    その一部始終を次女だった8歳の女史は隣の部屋で息を潜めて聞いていたのです。母親が妥協しなかったおかげで、家族はひとつ屋根の下に留まることができ、母親の愛を全身で感じたといいます。
    その後の母親の苦労は筆舌に尽くし難く、貧困生活が続く中、母親が口ぐせのように唱えたのが「念ずれば花ひらく」という言葉でした。どんなに苦労をしても、子どもたちに寂しい思いをさせたくないという決意、母親の強い思いが「念」という言葉に込められています。
    ですから、単に願えば夢が叶うという意味ではありません。種を蒔いて愛情を込めて育てるのと同様に、願い事をいつも心に留めて一生懸命に育てれば(念ずる)、やがては成就の花が咲くと言う意味です。
    そして、「花ひらけば必ず真実を結ぶ(道元禅師)」に至ることから、「念」は初心を貫徹し、願い事を成就する原動力と言えます。
    実に深い、ありがたい言葉です。
    合掌。

  • 寂光院 参道<br />福禄寿坂は、左手に地蔵尊を拝みながら紅葉のトンネルを抜ける風情溢れる坂道です。<br />福禄寿坂43段に続き、不動堂の前から寿老人像が見守る寿老人坂104段が待ち構え、そこを登り切ると本堂裏手に到着です。

    寂光院 参道
    福禄寿坂は、左手に地蔵尊を拝みながら紅葉のトンネルを抜ける風情溢れる坂道です。
    福禄寿坂43段に続き、不動堂の前から寿老人像が見守る寿老人坂104段が待ち構え、そこを登り切ると本堂裏手に到着です。

  • 寂光院 参道<br />山麓広場から寂光院随求堂までは、スロープカーが運行されています。<br />年配の方や足の不自由な方のための乗り物です。ただし、乗降口が階段のためバリアフリーではなく、車椅子の持込は不可です。<br />全長160m、高低差90mを4分程で移動し、随求堂の手前に到着します。6人乗りで、一人200円のご志納で乗車できます。

    寂光院 参道
    山麓広場から寂光院随求堂までは、スロープカーが運行されています。
    年配の方や足の不自由な方のための乗り物です。ただし、乗降口が階段のためバリアフリーではなく、車椅子の持込は不可です。
    全長160m、高低差90mを4分程で移動し、随求堂の手前に到着します。6人乗りで、一人200円のご志納で乗車できます。

  • 寂光院 参道<br />急登に喘ぎながらふと足元に目をやると、散紅葉が「Go for it !」と優しく囁きかけます。

    寂光院 参道
    急登に喘ぎながらふと足元に目をやると、散紅葉が「Go for it !」と優しく囁きかけます。

  • 寂光院 参道<br />参道の中ほどにある不動堂周辺の紅葉は、グラデーションが一段ときれいです。<br />この不動堂には弘法大師作と伝えられるお不動さん「厄除不動」が祀られ、神秘的な雰囲気に包まれています。弘法大師が逗留した時に一刀三礼して彫ったもので、不動の智剣で厄を除くものだそうです。以降、1200年以上の間、篤く信仰されてきました。

    寂光院 参道
    参道の中ほどにある不動堂周辺の紅葉は、グラデーションが一段ときれいです。
    この不動堂には弘法大師作と伝えられるお不動さん「厄除不動」が祀られ、神秘的な雰囲気に包まれています。弘法大師が逗留した時に一刀三礼して彫ったもので、不動の智剣で厄を除くものだそうです。以降、1200年以上の間、篤く信仰されてきました。

  • 寂光院 本堂<br />寂光院は、真言宗智山派の寺院です。正式名称は、継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院(つがおざん はちようれんだいじ じゃっこういん)と言います。地元では通称「継鹿尾観音」と呼ばれて親しまれています。尚、寂光院の創建当初の寺名は「白鳥山神宮寺」と称したと伝わります。 <br />本尊は千手観音像、随求堂の本尊は大随求菩薩像を祀ります。一説には、千手観音像は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の神魂の霊作と伝えられています。

    寂光院 本堂
    寂光院は、真言宗智山派の寺院です。正式名称は、継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院(つがおざん はちようれんだいじ じゃっこういん)と言います。地元では通称「継鹿尾観音」と呼ばれて親しまれています。尚、寂光院の創建当初の寺名は「白鳥山神宮寺」と称したと伝わります。
    本尊は千手観音像、随求堂の本尊は大随求菩薩像を祀ります。一説には、千手観音像は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の神魂の霊作と伝えられています。

  • 寂光院 願いの鐘 <br />「音色を楽しむために打つのではなく、世の幸せを願って打つのだよ」との説明文があります。<br />随所に筆先の彫像があるのは、弘法大師との所縁を表わすものです。

    寂光院 願いの鐘
    「音色を楽しむために打つのではなく、世の幸せを願って打つのだよ」との説明文があります。
    随所に筆先の彫像があるのは、弘法大師との所縁を表わすものです。

  • 寂光院 願いの鐘 <br />寺伝によると、654(白雉5)年に孝徳天皇の勅願により南都元興寺の法相宗の僧 道昭によって七堂伽藍が建立されたのが寂光院のはじまりです。その後、弘仁年間(810~23年)には弘法大師が来山し、法相宗から真言宗に改め、支院18、寺領500石を有する大寺になりましたが、その後火災に遭って退転しました。<br />戦国時代には織田信長も参詣して清洲城の鬼門鎮護として復興を遂げ、江戸時代も寺領を維持していました。現在は寺域33万㎡(10万坪)を有し、参道は全て東海自然歩道になっています。また、境内全域が飛騨木曽川国定公園になっています。尾張西国三十三観音霊場第三十三札所(満願霊場)でもあります。

    寂光院 願いの鐘
    寺伝によると、654(白雉5)年に孝徳天皇の勅願により南都元興寺の法相宗の僧 道昭によって七堂伽藍が建立されたのが寂光院のはじまりです。その後、弘仁年間(810~23年)には弘法大師が来山し、法相宗から真言宗に改め、支院18、寺領500石を有する大寺になりましたが、その後火災に遭って退転しました。
    戦国時代には織田信長も参詣して清洲城の鬼門鎮護として復興を遂げ、江戸時代も寺領を維持していました。現在は寺域33万㎡(10万坪)を有し、参道は全て東海自然歩道になっています。また、境内全域が飛騨木曽川国定公園になっています。尾張西国三十三観音霊場第三十三札所(満願霊場)でもあります。

  • 寂光院 本堂 <br />手前にある屋根に鯱を載せているのが随求堂です。随求堂は本堂と渡り廊下で繋がっています。<br />2008年にこの随求堂内で、その存在が長らく確認できなかった江戸時代後期に描かれた絵巻が発見されています。寺の由来は、日本武尊の魂が千手観音となって継鹿尾の地に姿を現し、霊験あらたかな地として千手観音を本尊とする寂光院の開山に繋がったとの縁起を伝える貴重な史料です。

    寂光院 本堂
    手前にある屋根に鯱を載せているのが随求堂です。随求堂は本堂と渡り廊下で繋がっています。
    2008年にこの随求堂内で、その存在が長らく確認できなかった江戸時代後期に描かれた絵巻が発見されています。寺の由来は、日本武尊の魂が千手観音となって継鹿尾の地に姿を現し、霊験あらたかな地として千手観音を本尊とする寂光院の開山に繋がったとの縁起を伝える貴重な史料です。

  • 寂光院 展望台 <br />展望台からは、犬山の観光スポット「日本モンキーセンター」の観覧車やその右手には犬山城も見られます。また、天気が良ければ、小牧城をはじめ岐阜城、名古屋駅ビル群まで眺められるそうです。<br />1565年(永禄8年)2月に従兄弟の信清が籠る犬山城を落城させた信長ですが、同年9月に柴田勝家を伴って寂光院に参詣した記録があります。寂光院を居城「清州城」の鬼門鎮護の霊刹と定め、黒印50石と山林50町歩を寄進したとあり、信長は寂光院の中興の祖と扱われています。つまり、この時期に信長の支配が犬山にまで及んだことを示しています。その後、信長は本拠地を岐阜城へ移しています。<br />この展望台からは信長も同じ目線で景色を眺めたはずです。木曽川対岸の美濃国を眺めながら攻略法を考えていたのかもしれません。

    寂光院 展望台
    展望台からは、犬山の観光スポット「日本モンキーセンター」の観覧車やその右手には犬山城も見られます。また、天気が良ければ、小牧城をはじめ岐阜城、名古屋駅ビル群まで眺められるそうです。
    1565年(永禄8年)2月に従兄弟の信清が籠る犬山城を落城させた信長ですが、同年9月に柴田勝家を伴って寂光院に参詣した記録があります。寂光院を居城「清州城」の鬼門鎮護の霊刹と定め、黒印50石と山林50町歩を寄進したとあり、信長は寂光院の中興の祖と扱われています。つまり、この時期に信長の支配が犬山にまで及んだことを示しています。その後、信長は本拠地を岐阜城へ移しています。
    この展望台からは信長も同じ目線で景色を眺めたはずです。木曽川対岸の美濃国を眺めながら攻略法を考えていたのかもしれません。

  • 寂光院 随求堂 <br />随求堂に掛けられたモミジの形をした赤い絵馬も、「もみじでら」ならではのものです。<br />

    寂光院 随求堂
    随求堂に掛けられたモミジの形をした赤い絵馬も、「もみじでら」ならではのものです。

  • 寂光院 本堂<br />現在の本堂は、1879(明治12)年に第12代当主の時代に再建されたものです。桁行5間、梁間5間、単層寄棟造、正面1間向拝付、桟瓦葺で、4周に切目縁を回らしています。山号扁額「継鹿尾山」は、江戸時代後期の法鱗山文永寺住職 平手蹄道和尚の揮毫です。<br />尚、装飾を押さえた伝統的形式になる本格的な仏堂建築として、本堂・随求堂・弁天堂・薬医門は2005年に国の登録有形文化財に登録されています。<br />また、随求堂の天井画には、人物や動物の絵が色鮮やかに描かれています。

    寂光院 本堂
    現在の本堂は、1879(明治12)年に第12代当主の時代に再建されたものです。桁行5間、梁間5間、単層寄棟造、正面1間向拝付、桟瓦葺で、4周に切目縁を回らしています。山号扁額「継鹿尾山」は、江戸時代後期の法鱗山文永寺住職 平手蹄道和尚の揮毫です。
    尚、装飾を押さえた伝統的形式になる本格的な仏堂建築として、本堂・随求堂・弁天堂・薬医門は2005年に国の登録有形文化財に登録されています。
    また、随求堂の天井画には、人物や動物の絵が色鮮やかに描かれています。

  • 寂光院 本堂<br />本尊の千手観音は秘仏で60年に1度の甲子年に限って開帳されます。最近では1984(昭和59)年に開帳されましたが、例外として「平成大修理」落慶記念で2010年にも開帳されました。秘仏 千手観音厨子の「お前立ち」の像は、南北朝時代の作とされています。本尊の千手観音像の右手に不動明王、左手に毘沙門天が脇侍の役目を果たしています。<br />本堂の左手には、大随求(だいずいく)菩薩像が祀られています。大随求菩薩は、護摩木を持ち、御真言、般若心経を唱え、時計方向に堂宇の周りをを3度回ることで願い事を叶えてくれる仏様です。

    寂光院 本堂
    本尊の千手観音は秘仏で60年に1度の甲子年に限って開帳されます。最近では1984(昭和59)年に開帳されましたが、例外として「平成大修理」落慶記念で2010年にも開帳されました。秘仏 千手観音厨子の「お前立ち」の像は、南北朝時代の作とされています。本尊の千手観音像の右手に不動明王、左手に毘沙門天が脇侍の役目を果たしています。
    本堂の左手には、大随求(だいずいく)菩薩像が祀られています。大随求菩薩は、護摩木を持ち、御真言、般若心経を唱え、時計方向に堂宇の周りをを3度回ることで願い事を叶えてくれる仏様です。

  • 寂光院 <br />本堂の奥には、深紅に身を纏った楓の古木が佇みます。<br />本堂の本尊は千手観音像と言われていますが、 正式には十一面千眼観世音菩薩像です。また、本堂は「千手大悲殿」と呼ばれ、 大悲とは「この世の人々の苦しみ・悩み・うめき声をよく観きわめ、 聞き届け、それを代わって受けて下さる」ことです。

    寂光院
    本堂の奥には、深紅に身を纏った楓の古木が佇みます。
    本堂の本尊は千手観音像と言われていますが、 正式には十一面千眼観世音菩薩像です。また、本堂は「千手大悲殿」と呼ばれ、 大悲とは「この世の人々の苦しみ・悩み・うめき声をよく観きわめ、 聞き届け、それを代わって受けて下さる」ことです。

  • 寂光院 <br />犬山周辺では、こうした岩肌の露出が随所に見られます。これは「チャート」と呼ばれる堆積岩の一種で、遙か遠い昔、海中に生息していた放散虫の遺骸が堆積してできた岩石です。犬山産のチャートは、砂や泥のような不純物が混ざっていないことから、1億数千万年ほど前のジュラ紀と呼ばれる中生代に、遠く離れた温かい深海で形成されたものであると考えられています。<br />犬山城編でも紹介しましたが、チャートは硬いことから犬山城の石垣にも使われています。

    寂光院
    犬山周辺では、こうした岩肌の露出が随所に見られます。これは「チャート」と呼ばれる堆積岩の一種で、遙か遠い昔、海中に生息していた放散虫の遺骸が堆積してできた岩石です。犬山産のチャートは、砂や泥のような不純物が混ざっていないことから、1億数千万年ほど前のジュラ紀と呼ばれる中生代に、遠く離れた温かい深海で形成されたものであると考えられています。
    犬山城編でも紹介しましたが、チャートは硬いことから犬山城の石垣にも使われています。

  • 寂光院 参道<br />復路は紅葉のトンネルを見下ろす目線となり、紅葉の愛で方もバリエーションに富み飽きさせません。

    寂光院 参道
    復路は紅葉のトンネルを見下ろす目線となり、紅葉の愛で方もバリエーションに富み飽きさせません。

  • 寂光院 参道<br />参詣からの帰途、このように弘法大師が見送ってくださります。<br />

    寂光院 参道
    参詣からの帰途、このように弘法大師が見送ってくださります。

  • 寂光院 参道<br />誰もがふと歩を止め、暫くの間、寡黙に古木を見上げます。

    寂光院 参道
    誰もがふと歩を止め、暫くの間、寡黙に古木を見上げます。

  • 寂光院 参道<br />往路で見かけた石段を下ってみます。

    寂光院 参道
    往路で見かけた石段を下ってみます。

  • 寂光院 参道<br />こちらのエリアは、黄葉モミジが鮮やかです。<br />

    寂光院 参道
    こちらのエリアは、黄葉モミジが鮮やかです。

  • 寂光院 参道<br />黄色に色付くのを黄葉(コウヨウ)と言いますが、定説では黄葉も含めて紅葉とされています。 <br />黄色の方は緑色色素のクロロフィルが分解して黄色色素のカロチノイドが残ることから黄色くなります。一方、葉が赤くなるのは、葉の中の緑色のクロロフィルが分解して赤色色素のアントシアンが生成されることで起こります。<br />万葉集の歌に詠まれる「もみじ」は、「黄葉」が大半で、「紅葉」は僅かです。その理由には「奈良時代には黄色く色付くものが注目されたため」との説がありますが、否定的な説もあります。<br />「故郷の初黄葉を手折り持ち 今日ぞ我が来し見ぬ人のため」(読人不知)<br />こうした旅行記も、紅葉狩りに行けなかった方々にはせめてもの慰めにはなるのかもしれません。

    寂光院 参道
    黄色に色付くのを黄葉(コウヨウ)と言いますが、定説では黄葉も含めて紅葉とされています。
    黄色の方は緑色色素のクロロフィルが分解して黄色色素のカロチノイドが残ることから黄色くなります。一方、葉が赤くなるのは、葉の中の緑色のクロロフィルが分解して赤色色素のアントシアンが生成されることで起こります。
    万葉集の歌に詠まれる「もみじ」は、「黄葉」が大半で、「紅葉」は僅かです。その理由には「奈良時代には黄色く色付くものが注目されたため」との説がありますが、否定的な説もあります。
    「故郷の初黄葉を手折り持ち 今日ぞ我が来し見ぬ人のため」(読人不知)
    こうした旅行記も、紅葉狩りに行けなかった方々にはせめてもの慰めにはなるのかもしれません。

  • 寂光院 参道<br />優しい眼差しをした3体の地蔵尊に見送られながら、犬山の旅を締め括りました。<br />翌日は仲間たちと巨匠フランク・ロイド・ ライトが設計した帝国ホテル中央玄関などがある「明治村」を訪れましたが、プライベート色が濃いため、旅行記へのアップは控えさせていただきます。<br /><br />一時はこの旅行記は越年かと諦めかけていましたが、最後の追い込みで年内にやりじまいできました。<br />皆さんも、よいお年をお迎えください!<br /><br />最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

    寂光院 参道
    優しい眼差しをした3体の地蔵尊に見送られながら、犬山の旅を締め括りました。
    翌日は仲間たちと巨匠フランク・ロイド・ ライトが設計した帝国ホテル中央玄関などがある「明治村」を訪れましたが、プライベート色が濃いため、旅行記へのアップは控えさせていただきます。

    一時はこの旅行記は越年かと諦めかけていましたが、最後の追い込みで年内にやりじまいできました。
    皆さんも、よいお年をお迎えください!

    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

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