2018/11/24 - 2018/11/24
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Weiwojingさん
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日頃愛読している白洲正子の著書の中に『かくれ里』という本がある。彼女が全国各地を寺社や仏像を求めて歩いた紀行文であるが、その中に近江路を歩いた「油日の古面」と「油日から櫟野寺へ」と題した2編があった。
「秘境と呼ぶには人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋かそれた所に、今でも ”かくれ里”の名にふさわしいような、ひっそりとし真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。」
これは「油日の古面」の中の一節であるが、今回の小生の旅は正にこうしたもので、都会から離れた人里離れた鄙びた里を巡るものであった。しかも、今回正子が歩いた近江の同じかくれ里をたどる旅であった。
再度この2編を読みかえした。そして、彼女が歩いた山里を辿ってみた。
- 旅行の満足度
- 5.0
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11月24日(土)早朝、夜行バスで東京から滋賀県JR大津駅に到着した。ここからJR草津線に乗り、油目(あぶらひ)駅を目指した。朝6時少々過ぎての出発であったので、途中でこのような日の出の光景を見ることが出来た。
厚い雲に覆われた空から次第に茜色に染まった陽の塊が現れ、一気に広まった。久しく見たことがないような光景であった。 -
途中の停車駅から見た農家と柿の木。木には実がまだ残っていて、何か旅情を感じるものがあった。
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単線のためいくつかの駅では対向電車が来るまで4~5分待たなければならない。しかし、そんなことはあまり気にならず、ゆっくり、のんびり乗車することが出来た。
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予定の時間より随分早く油日(あぶらひ)駅に着いてしまつた。ここは三重県の伊賀と共に忍者の里として知られている甲賀市ににあり、駅は1889年(明治22)に草津ー三雲間で草津線が開通した70年後の1959年 (昭和34)に誕生した。
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時間の余裕があったので、しばらく駅の構内や駅周辺を歩いてみた。
駅舎がJRにしては中々ユニークな造りで、忍者の里「甲賀」(こうか)にふさわしい造りである。2002年に駅舎の改修に際して、地元の小学生のデザインによる「巻物を持つ忍者」をイメージしたそうである。 -
駅の名前が「油日」とあるが、最初何と読むのか戸惑ってしまった。
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ホームには駅員はおらず乗客はただ一人いるだけで、至ってのどかである。こんなところが今回の旅行の良いところである。
この駅はもともと有人駅であつたが、1970年(昭和45)国鉄の合理化目的の無人化の方針を示し、翌年から無人駅となった。 -
駅の待合室は正面に格子状の窓があり、桜の時期にはここから満開の花を見ることが出来る。
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外に出てしばらく駅舎の姿を色々な角度から見てみた。
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このような建物を見ていると、油日駅は駅というよりは寺院といった雰囲気が強く感じられる。
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電車が来た。あまり降りる人もおらず、あっという間に通り過ぎた。
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「忍者電車」なるものがやって来た。いきなり忍者が飛び出して来るような具合だ。一日に数回運行しているようだ。
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巻物風の駅の案内図。ここでは貸し自転車を利用できるようで、何人もの人が借りていた。通常有料であるが、この日は無料で借りることが出来るようであった。
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駅から近辺を少し歩いてみた。この旧道は昔は相当人の往来もあったものと思われるが、今は寂れ果てて、立派な建物だけが残されている。
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油目駅周辺にはわずかに昔の面影を残している街並みが見られた。
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人間の顔に似せたような眼をした壁があり、愛嬌たっぷりとした感じである。
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民家の屋根の上には様々な彫像があり、それらをまとめてみた。
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朝日に照らされた民家があり、まるで輝いているように見える。
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道路に作られたマンホールに目が留まった。よく見ると、真ん中に忍者が2人走り抜ける姿が描かれている。
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空を見上げると、「メダカの学校」ならぬ「雀の学校」が繰り広げられていた。
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民家の玄関口にもう秋の終わりだというのに、きれいな花が咲いている。
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大きな鳥居がある。ここは油日神社に向かう入り口の鳥居か。朱色のなかなか大きな鳥居だ。正面に「油日大明神」という文字が見える。
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忍者スタイルの男性がいた。ひょうひょうとしていて、一見頼りなさそうに見えたが、道を訪ねると的確に教えてくれた(さすがに地元の人である)。
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「木内城跡」という印がある。城跡となっているが、その痕跡らしきものは何もない。
この周辺には甲賀武士ゆかりの城跡が数多く点在していて、正に城跡密集地帯で、9カ所もの城館跡が分布している。土塁や曲輪も良好な状態で残されている。 -
周囲は山林で、ただ木が生い茂つているだけである。
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斜面らしきものが築かれている。もしかして、これが石垣があったことを示すものかもしれない。
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城跡からすぐに道に出た。この日は秋晴れの快晴状態で、遠くに鈴鹿の山並みが見える。ひたすらこの道を歩いて行った。
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こんな風景を見ながら歩くのは快適である。周囲はもう稲刈りの終わった田圃ばかりである。
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所々にススキが茂っている。秋の深まりを感じるとともに、やがて訪れる冬への備えを各所で見ることが出来た。
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木立の中に小さな社がある。名前は分からない。
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田園の中をさらに歩いて行った。天気も良く、快適なウォークである。正子もこの風景を見ただろうか。
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やっと油目神社に来た。正子はここを1964年(昭和39)に訪れている。
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境内の紅葉が美しい。
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正にこの時期紅葉が美しい。
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山門をくぐって中に入った。
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油目神社と言うだけあって、サラダオイルとかごま油等の奉納があるのだろうか。
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地元のお酒も奉納されている。
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油日神社の境内には「甲賀歴史民族資料館」がある。ここには白洲正子が目にした「福大夫面」(左側)と「ずずい子」(右側)がある。
福大夫面は1508年(永正5)作の墨書銘がある木造の面である。油日神社でかつて行われていた五穀豊穣を祈る神事に使われていたという。作者は桜宮聖出雲という人物で、油日大明神神田に寄進されたということが分かる。白洲正子はこの力強い彫刻は、片田舎の農民芸術ではなく、最高の技術を持った名工の作に違いないと推察している。そして、この面に犯しがたい気品をを感じ、推古朝の伎楽面呉公との近似性を指摘している。 -
小さいながらも鐘楼がある。
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園内には樹齢750年 (推定)と言われる「コウヤマキ」が聳え、これは県の指定自然記念物で、「高野槙」と書く。
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油目神社から櫟野寺(らくやじ)へ向かった。
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道路には石灯籠がたくさん並んでいる。
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小高い丘を登って滝川城址にやって来た。ここも木立が生い茂る山林の中にあり、こんなところに城趾があるとは思えなかった。
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前方に看板がある。
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近づいてよく見ると、「滝川城跡」と書かれた文字が見える。
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看板の脇にシイタケを栽培するための原木が集められているが、この時期はもう終了したのか全然見られなかった。
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小さな川が流れていて、名前が櫟野川(いちのがわ)とあり、この橋を渡ると、すぐ櫟野寺である。赤い欄干が目に付いた。
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橋のあるところから櫟擽寺 (中央の高い屋根のある建物)と集落が見えた。
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櫟野寺に到着した。今回の甲賀を歩く旅はここがメィンで、ここまで来るのにかなり疲れた。
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正子はここにも足を延ばしている。油目神社の住職から勧められて訪れている。
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仁王門には2体の木造の金剛力士像があり、にらみを利かしているような姿をしている。
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何十という仏像が置かれている。壮観だと言ってもよさそうだ。
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本堂は1968年 (昭和43)焼失したが、その後、再建されたために建物は比較的新しい。
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今回の「碁本尊十一面観音菩薩 大開帳」の案内チラシであるが、この菩薩像に大いに関心を覚えた。
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本堂の裏側に宝物殿(大悲閣)があり、「十一面観音菩薩」をはじめ、20体余の平安仏が特別公開 (大開帳)されている。しかし、宝物殿内は撮影は出来ない。
この観音菩薩像は昨年東京の国立博物館で開かれた「平安の秘仏展」で展示されたもので、今回奇しくも再度拝見することが出来た。
* この画像は国立博物館で展示したものを絵葉書に作成した一枚である。 -
これは上記の仏像の顔の部分を拡大したものであるが、この観音像は頭と体を一本の木から彫り出す一本造(いちぼくづくり)で、総高5.31M (像高3.12M)ある。
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昼食はお寺の境内でラーメンを始め弁当、団子等が販売されていた。あまり時間がなかったので、このような団子を購入した。
普段はあまり参拝者はいない寺も10月6日から12月9日まで御本尊の十一面観音菩薩像大開帳ということで、多くの人でにぎわっていた。そのため何軒もの屋台や食べ物屋が出ていた。普段は何もないのだろう。 -
1時間半ほどの見学を終えて、櫟野寺を後にして移動した。
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櫟野川沿いに進んだ。
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こんな天気のいい日に田園地帯を歩くのは気持ちよい。
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道路を進んで行くと、小高い丘が見えててきた。山道を登って行く。
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少し登って行くと、「養徳寺観音」という小さな祠が見えてきた。中をのぞいてみると、小さな観音像が置かれている。
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さらに少し登って行くと、山頂らしきところに出て、ここに「北上野城祉」という石碑がある。この辺が城跡なのだろうか。
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最後に「極楽寺」まで歩いて来た。ずっと徒歩で移動してきたのでかなり疲れたが、何とか歩いてくることが出来た。
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本堂に安置されていた仏像を見させて頂だいた。
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寺の入り口に江戸時代のものであろうか、道標が建っている。右へ行けば○○、左へ行けば○○ となっているが、判読できない。
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相当古い地蔵像が7体並んでいるが、真ん中の1体は削り取られてしまったようだ。
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立派の墓石が並んでいる。どんな方々の墓石だろうか。
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極楽寺を訪ねて、これで今回の白洲正子が歩いた近江路散策は終った。正子が歩いた道は出会う人もおらず、辺鄙というわけではないが、ひなびた風情のある心地よいウォーキングであった。
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