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私の属しているウオキングクラブでは、2か月に一度のペースでウオーキングを続けています。その旅行記は折に触れ、4トラに掲載してきました。このウオーキングクラブの新しいテーマとして大山街道を歩いてみることにしました。<br /><br />私は、2015年、単独で大山街道を歩きましたので、今後ウオーキングクラブのメンバーとともに歩いてみます。第1回は私の下記の旅行記と同様に、身近な「鷺沼~荏田宿」のルートを歩きました。<br /><br />「大山街道① 鷺沼(川崎市宮前区)~荏田(横浜市青葉区)」<br />https://4travel.jp/travelogue/10994289<br /><br />表紙写真は、旅人の喉を潤し、雨乞い、喘息、風邪に霊験があるとされた「霊泉の泉」です。<br />

大山街道ウオーク① 鷺沼~荏田宿

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2018/10/05 - 2018/10/05

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元カニ族

元カニ族さん

私の属しているウオキングクラブでは、2か月に一度のペースでウオーキングを続けています。その旅行記は折に触れ、4トラに掲載してきました。このウオーキングクラブの新しいテーマとして大山街道を歩いてみることにしました。

私は、2015年、単独で大山街道を歩きましたので、今後ウオーキングクラブのメンバーとともに歩いてみます。第1回は私の下記の旅行記と同様に、身近な「鷺沼~荏田宿」のルートを歩きました。

「大山街道① 鷺沼(川崎市宮前区)~荏田(横浜市青葉区)」
https://4travel.jp/travelogue/10994289

表紙写真は、旅人の喉を潤し、雨乞い、喘息、風邪に霊験があるとされた「霊泉の泉」です。

同行者
その他
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 江戸時代「赤坂御門」から足柄峠手前の「矢倉沢関所」に到る「矢倉沢往還」と呼ばれる街道がありました。江戸時代中期以降、この街道を使って江戸庶民の「大山詣で」が盛んになり「大山街道」とも呼ばれるようになりました。この街道は下図のように、東海道と甲州街道の中間に位置する「脇街道」として重要な役割を果たしてきました。現在では、この街道をベースにした国道246号線が、東京から私たちの住む神奈川を走る重要な幹線道路となっています

    江戸時代「赤坂御門」から足柄峠手前の「矢倉沢関所」に到る「矢倉沢往還」と呼ばれる街道がありました。江戸時代中期以降、この街道を使って江戸庶民の「大山詣で」が盛んになり「大山街道」とも呼ばれるようになりました。この街道は下図のように、東海道と甲州街道の中間に位置する「脇街道」として重要な役割を果たしてきました。現在では、この街道をベースにした国道246号線が、東京から私たちの住む神奈川を走る重要な幹線道路となっています

  • この日のスタート地点の東急田園都市線の「①鷺沼駅」です。<br />(以下の〇番号は、巻末のルートマップの番号です)

    この日のスタート地点の東急田園都市線の「①鷺沼駅」です。
    (以下の〇番号は、巻末のルートマップの番号です)

    鷺沼駅

  • 大山街道は、鷺沼駅から少し離れた「鷺沼交番前」から始ます。

    大山街道は、鷺沼駅から少し離れた「鷺沼交番前」から始ます。

  • みずほ銀行の角を左折します。

    みずほ銀行の角を左折します。

  • 左折すると、急な下りの「②八幡坂」になりました。

    左折すると、急な下りの「②八幡坂」になりました。

  • 八幡坂を左に曲がると、茅葺き屋根の残る古風な民家が見えるので、入っていきました。

    八幡坂を左に曲がると、茅葺き屋根の残る古風な民家が見えるので、入っていきました。

  • 見事な茅葺き屋根の残る「③上村家」です。

    見事な茅葺き屋根の残る「③上村家」です。

  • 国道246号線に入りました。

    国道246号線に入りました。

  • 国道246号を少し進むと「④阿弥陀堂」があり二体の石仏がありました。

    国道246号を少し進むと「④阿弥陀堂」があり二体の石仏がありました。

  • ここで、国道246号線を横切りました。

    ここで、国道246号線を横切りました。

  • 国道を横切って進むと「馬頭観音」がここにあるはずでしたが、取り払われていました。

    国道を横切って進むと「馬頭観音」がここにあるはずでしたが、取り払われていました。

  • 前回私が、ここを訪れて時の写真です。

    前回私が、ここを訪れて時の写真です。

  • 前回見た、道標を兼ねた笠付き馬頭観音でした。

    前回見た、道標を兼ねた笠付き馬頭観音でした。

  • 少し進むと「⑤小高い民家」がありました。この家の方向が現在の道路とずれていますが、以前この家の向きに大山街道が通っていた名残です。

    少し進むと「⑤小高い民家」がありました。この家の方向が現在の道路とずれていますが、以前この家の向きに大山街道が通っていた名残です。

  • 少し進むと「有馬さくら公園」がありました。

    少し進むと「有馬さくら公園」がありました。

  • 標高66mあり、このあたりの最高点です。

    標高66mあり、このあたりの最高点です。

  • 先に進むと大山街道は「⑥川崎・横浜市境」となりますが、ここにはわずかな斜面を利用して植木やミカンが育てられていました。

    先に進むと大山街道は「⑥川崎・横浜市境」となりますが、ここにはわずかな斜面を利用して植木やミカンが育てられていました。

  • モニュメントのような植木です。

    モニュメントのような植木です。

  • ミカンも栽培されていました。

    ミカンも栽培されていました。

  • セルフサービスでのミカンの販売テーブルがありました。

    セルフサービスでのミカンの販売テーブルがありました。

  • その先に植木屋さんの「⑦皆川園」の正門がありました。この家には江戸時代大山街道の「立場」が置かれていました。

    その先に植木屋さんの「⑦皆川園」の正門がありました。この家には江戸時代大山街道の「立場」が置かれていました。

  • 「皆川園」の右手の石段を降りていきました。

    「皆川園」の右手の石段を降りていきました。

  • 石段を降りたところに「⑧馬頭観音の碑」がありました。碑文には「大山街道沿いにあった馬頭観音を土地区画整理事業に伴い、この地に移転安置した」とありました。

    石段を降りたところに「⑧馬頭観音の碑」がありました。碑文には「大山街道沿いにあった馬頭観音を土地区画整理事業に伴い、この地に移転安置した」とありました。

  • 石段を戻って進むと急な坂道になりました

    石段を戻って進むと急な坂道になりました

  • この坂は「⑨血流れ坂」と呼ばれ、現在は新興住宅街になっています。血流れ坂は、罪人を処刑したことからつけられた名前といわれていますが、この付近の土地が鉄分を多く含んでおり、雨が降った時に赤茶けた水が流れることから名づけられたようです。

    この坂は「⑨血流れ坂」と呼ばれ、現在は新興住宅街になっています。血流れ坂は、罪人を処刑したことからつけられた名前といわれていますが、この付近の土地が鉄分を多く含んでおり、雨が降った時に赤茶けた水が流れることから名づけられたようです。

  • 幹線道路「日吉石川線」を横切ると「⑩牢場谷(ろうばやと)」です。これも忌々しき名前ですが、「牢場」は当て字で、「ろうば」は出入り口が狭い谷をいうようです。

    幹線道路「日吉石川線」を横切ると「⑩牢場谷(ろうばやと)」です。これも忌々しき名前ですが、「牢場」は当て字で、「ろうば」は出入り口が狭い谷をいうようです。

  • その先、「⑪横浜市営地下鉄の高架橋」の下をくぐりました。

    その先、「⑪横浜市営地下鉄の高架橋」の下をくぐりました。

  • 地下鉄高架橋の先に、不動の滝がありました。

    地下鉄高架橋の先に、不動の滝がありました。

    不動の滝 / 老馬鍛冶山不動堂 自然・景勝地

  • 説明版によると「⑫霊泉の泉」は、雨乞い・喘息・風邪に霊験があると書かれていました。

    説明版によると「⑫霊泉の泉」は、雨乞い・喘息・風邪に霊験があると書かれていました。

  • 泉の右の狭い急な石段を登ると「⑫牢場鍛冶山不動堂」ありました。

    泉の右の狭い急な石段を登ると「⑫牢場鍛冶山不動堂」ありました。

  • 「⑫牢場鍛冶山不動堂」と並び稲荷社がありました。

    「⑫牢場鍛冶山不動堂」と並び稲荷社がありました。

  • 大山街道にそって「早渕川」が流れていました。

    大山街道にそって「早渕川」が流れていました。

  • いよいよ荏田宿に入って来ました。写真は荏田下宿の庚申塔です。

    いよいよ荏田宿に入って来ました。写真は荏田下宿の庚申塔です。

    荏田下宿 庚申塔 名所・史跡

  • 悦明板には、江戸時代荏田宿の婦人たちが建てたと書かれていました。

    悦明板には、江戸時代荏田宿の婦人たちが建てたと書かれていました。

  • お堂の内部です。

    お堂の内部です。

  • その先に江戸時代の「⑭荏田宿の地図」がありました。現在も屋号・位置は大体そのまま残っているようです。

    その先に江戸時代の「⑭荏田宿の地図」がありました。現在も屋号・位置は大体そのまま残っているようです。

  • 大山街道を離れて「⑮真福寺」に立ち寄りました。江戸時代には荏田上宿にありましたが、大正時代老朽化のため、ここに移されたようです

    大山街道を離れて「⑮真福寺」に立ち寄りました。江戸時代には荏田上宿にありましたが、大正時代老朽化のため、ここに移されたようです

    真福寺 寺・神社・教会

    古くから荏田の住民だけでなく、近在に農村からも信仰を集め、多くの絵馬が奉納されています。 by 元カニ族さん
  • 入口の石段脇に地蔵堂と庚申塔があります。

    入口の石段脇に地蔵堂と庚申塔があります。

  • 真福寺の山門です。

    真福寺の山門です。

  • 真福寺の本堂です。

    真福寺の本堂です。

  • 荏田宿に戻ると民家の庭に「⑯荏田宿常夜燈」がありました。

    荏田宿に戻ると民家の庭に「⑯荏田宿常夜燈」がありました。

    荏田宿常夜燈 名所・史跡

    小泉家の庭にある常夜灯です。 by 元カニ族さん
  • 説明板には「荏田宿の繁栄を語るものとして常夜燈が残されている」と書かれていました。

    説明板には「荏田宿の繁栄を語るものとして常夜燈が残されている」と書かれていました。

  • 荏田宿で、常夜灯と小泉家の位置です。地図にも「小泉家 農家 豆腐屋」と標記されています。

    荏田宿で、常夜灯と小泉家の位置です。地図にも「小泉家 農家 豆腐屋」と標記されています。

  • 大山街道の面影を残す道を進と、金網の中の草むらに小さな「⑰庚申供養塔」がありました。

    大山街道の面影を残す道を進と、金網の中の草むらに小さな「⑰庚申供養塔」がありました。

  • そして、東名高速道路のガードをくぐると「⑱小黒谷地蔵堂」があり、三体の地蔵尊が祀られていました。

    そして、東名高速道路のガードをくぐると「⑱小黒谷地蔵堂」があり、三体の地蔵尊が祀られていました。

    小黒谷地蔵堂 寺・神社・教会

  • この日のウオーキングを終えて、江田駅前の「かごの屋 荏田駅前店」にて、昼食にしました

    この日のウオーキングを終えて、江田駅前の「かごの屋 荏田駅前店」にて、昼食にしました

    かごの屋 江田駅前店 グルメ・レストラン

  • この日のルートマップです。

    この日のルートマップです。

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