2018/11/21 - 2018/11/21
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ドクターキムルさん
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海老名市日向にある石雲寺(せきうんじ)は曹洞宗のお寺で雨降山(うこうざん)石雲寺という。石雲寺は奈良時代初期の養老2年(718年)に日向の地にやってきた華厳妙瑞法師により開創されたといわれる古刹である。当初は法相宗だった。また、源平合戦で平敦盛を討ち取った源氏の武将熊谷直実が文治5年(1189年)、同寺で出家し、その記念に自作した達磨大師像が残る。
室町時代中期に、曹洞宗に変わった。曹洞開山は天渓宗恩(てんけいしゅうおん)大和尚である。
現在の本堂は江戸中期の安永4年(1775年)に再建され、耐震化工事がなされたばかりである。本堂には向背がなく、入口に「雨降山」の扁額が掛かっているが、本堂の中央からずれている。この本堂は幅があり、写真には納まらなかったが、反対側には魚鼓(ぎょく)が掛かっている。梆(ほう)ともいう。魚の形をした木板で、板状のものを魚板といい、鼓形 (つづみがた) で空洞のものを魚鼓という。寺院などでこれを打って時間や行事を報知する。木魚のもとの形(またその異名)である。
また、同時に山門も改築されたばかりである。
山号の「雨降山」は雨降山(あふりさん)大山寺と同一であるが、読みが異なる。
近くにある(伝)大友皇子の墓を管理する寺である。
(表紙写真は石雲寺本堂)
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「石雲寺(曹洞宗)」(平成9年(1997年)銘)。
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石雲寺門柱石。
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「伊勢原市指定重要文化財 有形文化財 日向渕ノ上石造五層塔」(平成18年(2006年))。(伝)大友皇子の墓の南北朝時代の初め(14世紀前半)に造られたと考えられる五重石塔。鎌倉では鎌倉末期に造られた七重石塔が14世紀後半に亡くなった上杉憲方の墓(史跡「伝上杉憲方墓」)(https://4travel.jp/travelogue/10615796)と間違われて伝えられているが、このクラスの墓で五重石塔では質素すぎないか?
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お地蔵さま。
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「六道地蔵尊」。
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石雲寺掲示板。
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三界萬霊。
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山門。
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石段。
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境内。
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境内入口階段横に3体の像。
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境内入口階段横にもう3体の像。
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十三重石塔。
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お堂。
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お堂内部。
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六地蔵堂。
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六地蔵。
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境内の木立の黄葉。
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石雲寺本堂。
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本堂に掛かる「雨降山」の扁額。
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本堂に菊の花。
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本堂に菊の花。魚鼓(ぎょく)が掛かっている。
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地蔵尊。
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境内の銀杏の木。
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境内に池とベンチ。
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庫裏。
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「石雲寺駐車場 檀信徒専用」。
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「日本遺産のまち伊勢原」。
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「石雲寺」。
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「ここは石雲寺」。
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「曹洞宗 石雲寺 車道→」。
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