2018/11/05 - 2018/11/12
360位(同エリア588件中)
らぱぱ代さん
いよいよメインイベントのペトラ遺跡です。この時期に旅行したのはペトラを暑くも寒くもないベストシーズンに行きたかったため。シーク、エルハズネまではるんるん。ちょっとずつ天気が悪くなり、エドディルは登りましたが、下りてきたらたいへんなことに。
1日目 11月5日 成田出発モスクワ乗継テルアビブ着
2日目 11月6日 エルサレム観光
3日目 11月7日 ガラリア湖畔、ヨルダン入国、ネボ山
4日目 11月8日 死海、マダバ、ウムアルラサス
5日目 11月9日 ペトラ
6日目 11月10日 イスラエル入国、ベツレヘム
7日目 11月11日 テルアビブ観光、イスラエル出国
8日目 11月12日 成田帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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宿泊のアムラ・パレス。2連泊。残念ながらペトラ遺跡のビジターセンター近くのエリアではなく、ワディムーサの街中にあるので、遺跡入口まではバスで移動です。
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ワディムーサの街。熱海か長崎か、というような坂だらけの街です。歩く時間はありませんでしたが、上り下りきついでしょうね。
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部屋はせまいです。2つスーツケースを開けられるのかしらん。テレビはどうやっても砂嵐のまま。湯沸かし器無し。
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バスタブのブースに扉があるのはいいですね。ハーフタイプの仕切りだと私はどうしても外を濡らしてしまいます。ただし、バスタブの栓無し。またシリコンの蓋が活躍。連泊なので十分死海で使った水着を干せました。
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8時半すぎにビジターセンターの遺跡入口でセキュリティチェック。
ペトラ遺跡は、紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけて建設されたナバテア人の遺跡で、それ以前それ以後の遺跡も複合的に残っています。1985年世界遺産登録。 -
厩舎、馬の診療所(ペトラ遺跡で配布される日本語の地図(ようやく日本語版ができたそうです!)にそう書いてあります)。馬さん、たくさん働いています。馬はここにいるのか。じゃ、らくだやろばは? ベドウィンの人と一緒に出勤するのかな?
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ジン・ブロック。墓と考えられています。
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さて、ここからシーク(狭い岩山の裂け目)ですよ~!
ここまではゆるやかな登り道で、シークはエルハズネに向かって下っていく道です。 -
両側切り立った細い道です。こんな道が1.2キロ続きます。
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見上げると岩山の細いすき間から美しい青空が。
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この狭い道を馬車が通ります。希望者は乗ってよいですよ、と言われましたが、どなたも乗りませんでした。
シークのところどころに水害に備えるダムがあります。これは遺跡ではなく、現在も必要なものだということが後刻思い知らされました。 -
振り返るとどこに裂け目があるかわからないようなところです。
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カップルの岩。チュッ。
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裂け目が入って、今にも崩れ落ちてきそうです。
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ドゥシャラー(主神)とウッザー(女神)の石板。
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象の岩。
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キャラバンの像。上部は風化してしまっています。ベドウィンのボク、しばらく待ってもどいてくれないので、一緒にパチリ。
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ちらっ。いよいよ近づいてきました。
頭の中には、インディ・ジョーンズの音楽が♪♪♪。その昔インディ・ジョーンズ最後の聖戦を見たときにはすごい世界観だと感動したものですが、実在する遺跡でロケをしたことを知り、2度びっくり。是非実物をこの目で見たいと思ってから30年後に実現しました~。でも30年間ずっとナバテア人を知らなかったのでごめんなさいです。 -
じゃ~ん!
高さ45メートル、横幅30メートルのファザードの装飾が見事です。女神の頭部が壊されているのは、ビザンツ時代に行われたイコノクラスム(聖像破壊運動)のため。モーセの十戒にある「偶像を作ってはならない」によっています。
両側の2列のくぼみは、彫刻の作業のための昇降用。あんなんで昇れるのかしらん。 -
見上げると大きさがよくわかります。そして彫刻のみごとさも。
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定番のらくだを入れた写真を撮ってみようとしたのですが、なかなかうまくいきません。
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そのうち、お客さんからくだに乗って仕事を始めてしまったので、ギブアップ。
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名残惜しいですが、帰りにまた堪能することにして(このときはそのつもりでした(泣))先を進みます。
ファザード通り。お墓が並んでいます。 -
ファザード通りにあるサンドボトル屋さん。名入れ注文可能。行くときに前金でお願いしておくと、午後3時仕上がりで帰りに引き取ることができます。
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ローマ円形劇場。紀元前1世紀頃ナバテア最盛期の王アレタス4世により建築が始まり、106年のローマ支配時に客席部分が拡張されました。残念ながら中に入っての見学はできません。
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ふつうはこのまままっすぐ列柱道路へ向かうのですが、現地ガイドさんは王家の墓へ回って案内をしてくださいました。午後の帰路の自由時間に自分で回るつもりだったので、助かります。
あのアーチ部分の上に上がるので、ここでトレッキングポールを出しました。 -
アーチ部分の上にある壺の墓。ファザードの頂点部分に壺の彫刻があります。(エルハズネにもエドディルにもありますが)
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コリント式の墓。エルハズネに似ています。でも保存状態はエルハズネの方がずっと上。
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宮殿の墓。
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はるか下には列柱道路が見えます。かなり高いことがわかりますね。このときはこんなに穏やかなのに。
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王家の墓を見終わって列柱道路へ下ります。大神殿が見えますね。
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振り返ると、今見学してきた王家の墓が。
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列柱道路の西端の凱旋門。誰の凱旋門かは諸説あるそうです。
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カスル・アル・ビント。大神殿に並ぶペトラで重要な神殿です。このあたりでぽつりぽつり雨が降ってきました。傘を出すほどではありませんが。
カスル・アル・ピントの向かいにあるレストランのバシンで昼食。ビュッフェスタイルでアルコールもありました。数少ないレストランの一つですからずーっと満席。観光客の多さに比べてキャパはさほどでもないですから、大多数の人はランチ持参で遺跡見学をしているのでしょう。ツアーだとその苦労がなくて楽チンです。食べていると雨がそこそこ降ってきました。土砂降りというほどではありませんが、傘なしではとても無理というレベル。レストラン外のテラスで食事をしていた人たちもみんな建物内部に入って雨宿りで、中は大混雑。 -
レストランで昼食をとって午後は自由、希望者はエドディルへ登りましょうという予定でした。12時半過ぎに雨が小降りになってきたので、傘をさしながらエドディルを目指して出発。
ビジターセンター入口からここまでの平坦な道のりとは違って階段状の登りがずっと続きます。でも、エドディルまで800段とか950段とかいう階段の数にためらっていたツアーの同行者の方も結局皆さんエドディルまで上がりましたよ。高尾山ハイキングができる気力体力があれば楽勝です。歩きたくない人用にロバくんが働いています。道ですれ違う時には要注意。片側絶壁の崖なんてところがいっぱいありますから。ロバに乗っても下りは落とされないようにしがみつくため筋肉痛になりそう。
雨は上がりましたが、時々雷鳴が聞こえます。山の雷の怖さはよ~くわかっているので、とにかく先を急ぎました。(引き返すことはしない(笑)) -
赤い岩。鉄分が多いのかな。これも階段1段とカウントされます。
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かなり上ってきました。遠くに午前中に見た王家の墓が見えます。そしてその上に雨雲が。。。
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じゃ~ん。エドディル到着。晴れていい具合に太陽が当たりばっちりです。高さ45メートル幅50メートル。エルハズネより大きい。ただファザードの装飾はエルハズネの方がずっと上です。そしてこちらは遺跡入口から遠いですしね。人はずっと少ないです。
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振り返って反対側を見ると、頂上に茶店があります。展望台になっているようなので更に登ってみます。
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上から見下ろしたエドディル。ここまで上ってくると達成感があります。
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頂上からエドディルでない側を見る。荒れ山が続きます。
満喫していると、茶店のベドウィンのおばさんが、「雷だ、早く下りなさい」というので下りました。このときにはもう雷は鳴り終わっていたのですが。エドディルの前まで下りてくると同行ツアーの遅れてきた方たちに会いました。頂上に上ろうとしたら係員に止められたとのこと。さっさと歩いてよかった。頂上の茶店にも何か連絡が行ったのかもしれません。 -
下りはのんびり写真を撮りながら下りました。振り返ってカメラを向けたらポーズをとってくれたイタリア人カップル。
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ところが!
レストランバシンまでくると、ものすごい音と見慣れない色!
カスル・アル・ビントとレストランの間の水路に濁流がうずまいています。もっと増水するとトレイルも水につかるのではないかとあわててバシンのテラスに上がりました。カスル・アル・ビント前の橋はもう通行止めです。 -
午前中に大神殿の中を見学できなかったので、帰路見学しようと思っていましたが、この水路にかかる橋は全部あふれた水がかかり通行止め。対岸に渡ることができません。救急車やブルドーザーのような土砂除去車(?)もいます。これらの車はどこから入ってきたんだ? シークを通れるはずもないのに。
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これは大神殿どころではない、早く遺跡入口にもどらなければと、とことこ歩いていると、らくだに乗ったベドウィンの人に「そちらへは行けない、戻れ!」と言われました。ホントかな? 新手のらくだの営業?と半信半疑で、遺跡の警備員(それなりのコスチュームを着ていたので)の人にビジターセンターに戻りたいと尋ねると、やはり通行止めで、レストランバシンへ戻れとのこと。え~っ!
ローマ円形劇場まえですが、騒然としていますね。アカバに着いた大型クルーズ船からのエクスカーション参加者もたくさんいました。これが2時半くらい。運よくツアー同行者の方そして添乗員さんとも合流できて(全員そろいました、ほんとに幸運)、ちょっと安心はしましたが、ペトラ遺跡から脱出できるのか、不安が先だって写真を撮る余裕無し。 -
結局、バシンの裏に車用のゲートがあり(救急車などはここから入ったんですね)、そこからジープで高台にあるベドウィンの集落(以前遺跡内に居住していた人達を強制的に移住させたそうです)まで移動しました。ジープを待てずにこの坂を歩いている人もたくさん。
ジープに乗るのも行列なんて無し。来たジープにとにかく乗ってくれとの指示。このあたりで、シークから鉄砲水がでてエルハズネ前の広場が泥水で水没という情報が入ってきました。泥水を頭からかぶった人がエルハズネの中に運び込まれて手当てを受けていたなんて話も。ジープもいつくるかわからないし来たら来たで乗っていいジープかどうかもわかりませんが、とにかくわけもわからず荷台に飛び乗って、当然立ち乗り。申し訳ないけど難民気分でした。当初このジープに乗ればビジターセンターに連れていってくれるような話でしたが、ベドウィンの集落に着いたらジープを降ろされ、バス乗り換えです。ここでもまたどのバスに乗ればよいかわからない。列なんて無しその2。一人10ドルで送るというぼったくりカーがわんさか。
そうこうしているうちに昼食後別れた現地ガイドさんが現れ(救世主に見えました、ほんと)、朝ホテルからビジターセンターまで送迎に使ったバスをここまで回してくれるように話がつき、ほっとしました。暗くなってくるし、また雨が降り出して冷え始めましたし。
ホテル到着は5時半すぎでした。
皆さん無事でよかった。 -
翌日トイレ休憩で立ち寄ったドライブインで見た新聞記事。ペトラ遺跡内にいた3500人の観光客は全部無事だったそうですが、近くでは死者もでる被害があったそうです。
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シークを濁流が流れています。一段高くなった横の水路に避難している人たち。この日はペトラ遺跡はクローズだったそうです。
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旅行記グループ
イスラエル・ヨルダン
この旅行記へのコメント (2)
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- Takeさん 2019/02/28 23:02:56
- ニュースで見ました
- はじめまして
あこがれの聖地旅行をうらやましくも楽しく拝見させてもらっています。
洪水のニュースは日本でもインターネットで流れました。一時数名の方が流れに飲まれたとのこと、とても驚いたのですが、その場に居合わせた方の旅Blogを読めて少し興奮気味。
砂漠の地とはいえこういう事態もあるんですね。
このあと続きを楽しみに読ませてもらいます。
- らぱぱ代さん からの返信 2019/03/04 08:16:43
- Re: ニュースで見ました
- コメント、ありがとうございます。今となっては得難い体験だったとよい思い出になっています。遺跡内で丸一日時間があれば、エルハズネだけでなく十分堪能できると思います。是非お出かけください。
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