2018/10/09 - 2018/10/09
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マキタン2さん
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犬山城(いぬやまじょう)は、愛知県犬山市にあった日本の城である。現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている。
尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名の白帝城は李白の詩「早發白帝城」にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。
犬山城の天守は、外観3重、内部は4階、地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守である。窓は突上窓と火灯窓、両開き窓なと、地階1・2階出入口を含めて、総延面積は698.775平方メートルに達する。天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートルある。天守の高さは19メートルある。
1935年(昭和10年)5月13日、旧国宝に指定。1952年(昭和27年)3月29日付けで文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定された。
1階:納戸の間、東西9間・南北8間。床面積は282.752平方メートル。
2階:武具の間、東西9間・南北8間。床面積は246.006平方メートル。
3階:破風の間、東西3間・南北4間。床面積は81.936平方メートル。
4階:高欄の間、東西3間・南北4間。床面積は49.835平方メートル。
1961年(昭和36年)から1965年(昭和40年)に行われた犬山城天守の解体修理と古文献等によって、この天守は下の2重2階の主屋が1537年(天文6年)または、1601年(慶長6年)に建てられ、1620年(元和6年)頃に3、4階を増築。その後唐破風の付加などが行われて現在の姿になったと考えられている。 成瀬家7代の当主正壽がオランダ商館長と親しかったことから、天守の最上階に絨毯を敷いたと伝えられ、昭和の修理で再現された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
犬山城 については・・
http://inuyama-castle.jp/
https://inuyama.gr.jp/castle.html
日本の戦国時代は、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である応仁・文明の乱以後の乱れた世相を、当時の公家が古代中国の「春秋戦国時代」の乱世になぞらえ「戦国の世」と表現したことに由来する。 日本史の時代区分としての「戦国時代」という術語が一般でも広く使われるようになるのは、明治維新以後である。 長篠の戦いや小牧・長久手の戦いなどがあった安土桃山時代も、戦国時代の末期として含まれるという見方が多い。
1493年の明応の政変により中央政権としての機能が決定的に失われた事が始まりであるとするのが近年の説である。 戦国時代の終期にも複数の見解が並立している。戦国時代は室町時代・安土桃山時代と重なる年代区分であり、織田信長が安土へ進出して「天下人」へと飛躍した1576年、あるいはさらに後世に進み、関ヶ原の戦いを最後とする見方や、さらに後の大坂の陣を最後とする考え方、島原の乱を最後とする考え方なども存在する。
1560年に、尾張国の織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、1567年に美濃国を斉藤氏から奪い、1568年、信長は上洛する。信長は足利義昭の名で四方大名へ命令を発布、天下人への道を歩み始める。
この頃になると、各地方の有力な大名も勢力を伸ばしてゆく。桶狭間の戦いの後に今川氏の庇護下から松平氏の旧領三河を回復した徳川家康、関東の後北条氏、甲斐・信濃の武田氏、北陸の上杉氏、中国地方の毛利氏、四国の長宗我部氏、九州の島津氏などである。これらの大名は信長と同盟を結んだり、あるいは他の大名と同盟を結んで信長に対抗したりした。織田信長はこれらの敵対勢力を次々と屈服させ、1582年までには日本中央部を制圧し、天下統一の寸前までを実質的に成し遂げたが、最後は本能寺の変で明智光秀に攻められ自害する。
信長の死後、織田家重臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)はいち早く山崎の戦いで明智光秀を倒し、翌年には柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り覇権を確立した。
信長の嫡孫三法師を擁して覇権を確立した羽柴秀吉(豊臣秀吉)であったが、家康は秀吉に臣従する形となったが豊臣政権で重く用いられている。
秀吉は惣無事令を発布して日本全土を名目的に統一、更には太閤検地、刀狩、身分統制令、貨幣統一を行い、1590年には小田原征伐で後北条氏を滅ぼし名実ともに統一を達成した。
秀吉の死後、豊臣政権の五大老の一人徳川家康を中心とする東軍と豊臣政権の五奉行の一人石田三成を中心とする西軍が戦った関ヶ原の戦いで東軍が勝利し、東軍総大将を務めた徳川家康は関ヶ原の戦いの戦後処理として諸大名の転封や改易を行い、1603年、征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開いた。家康は1605年に将軍職を三男の徳川秀忠に譲り、将軍職は世襲により継承するものであることを諸大名に徹底確認させた。家康はその後も大御所として影響力を持ち、1615年の大坂夏の陣(大坂の役)で豊臣秀頼の居城大坂城を攻め豊臣氏を滅ぼす。そして17世紀中期、3代将軍徳川家光が死去し4代将軍徳川家綱が就任した頃より幕府の政治は武断政治から文治政治へと転換してゆく。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
し‐せき【史跡/史蹟】
1 歴史上重要な事件や施設などのあった場所。
2 文化財保護法に基づいて文部科学大臣が指定する重要な記念物の一つ。 出典 小学館/デジタル大辞泉
『名古屋城本丸御殿と戦国時代の名城・古戦場10箇所めぐり 3日間』
クラブツーリズム
◆歴史の流れに沿って戦国時代の名城・古戦場⑩ヶ所へ
①1542年:「岡崎城」にて徳川家康生誕
②1560年:「桶狭間の戦い」織田信長VS今川義元
③・④1575年:「長篠の戦い」織田信長・徳川家康VS武田勝頼
⑤1582年:「清洲会議」豊臣秀吉の歴史を変えた会議
⑥・⑦1584年:「小牧・長久手の戦い」豊臣秀吉VS徳川家康
⑧1600年:「関が原の戦い」石田三成VS徳川家康
⑨1615年:徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城
●2018年復元工事完了!本丸御殿公開の「名古屋城」は開園時間から入場 「金シャチ横丁」の散策も
⑩徳川家康が晩年を過ごした城
●桶狭間古戦場・長篠城跡・小牧山城・関ヶ原は案内人が同行して戦場の歴史を詳しく説明いたします!
2日目(10月9日・火)
名古屋-【移動約30分】-⑤清洲城(1582年歴史を変えた清洲会議の舞台)-【移動約40分】-⑥犬山城(小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉が入城)-【移動約30分】-⑦小牧山城(1584年小牧・長久手の戦いの舞台/案内人付)-【移動約40分】-⑧関ヶ原(1600年関ヶ原の戦いの舞台/案内人付)-【移動約50分】-名古屋(泊) ※名古屋めしの夕食
宿泊 :名古屋クラウンホテル 052-211-6633
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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戦国史跡-9 犬山城(国宝・現存天守) 51/ 1
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