2017/10/29 - 2017/10/29
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カメちゃんさん
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最終日の朝になりました。
台風はどうなっているのでしょうかね~(-_-;)
テレビの進路予想を見ますと、奄美大島直撃コースになっているんですよ~(>_<) でも、割と静かな朝を迎えましたので、きょうの日程は何とかなりそうな感じもしました。
きょうの日程(当初日程)では、「西郷南洲流謫跡」の見物が予定されています。2日目の龍郷町生涯学習センター「りゅうがく館」で、西郷さんのことに触れられていましたが、それほど詳しくなかったので、「西郷南洲流謫跡」を訪ねるのを少し楽しみにしていました。
きょうも朝一番にホテルの周辺を歩きました。地域の違い・文化の違いを感じますね。きょうはどんなところが見られるのか?楽しみです。
詳しいことは本文にて。
写真は「南洲西郷流謫跡」です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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-
レストランの窓から街を見ましたら、猫ちゃんがお出掛けしてきていました(^^) 猫ちゃんも台風が心配で、見回りに来ているのかも知れませんね(^o^)
-
何はともあれ、腹ごしらえです!!
そうですよね~。「腹が減っては戦も出来ぬ」ですよね!!
台風に備えて、たくさん食べておきましょう!!
これはね、カミさんのやつだと思いますよ。 -
これが、私の「本日の朝食」なんですよ。
炭水化物と脂っこいもの、甘~い!物は、ちょっと控えめにしています。
左の赤いソースが掛かっているやつは、「ヨーグルト」です。味噌汁や納豆も持ってきましたよ!! -
これは、カミさんが持ってきた菓子パンです。
私はこういう甘いパンが大好きなんです!! 昔からある「あんパン」が大好きで、今でもたまに買って貰いますよ(^^) ですから、カミさんのパンもチョットお願いしてホンの一口だけいただくのです。
パンはホントに美味しいですね~!(^^)! -
「おかあさん 撮るよ」
奄美の朝は、こんな感じで過ごしていますよ~(^^) -
カミさんを撮れば、私も・・(^o^)
料理も美味しいですから、たくさん食べて、きょうも元気よく行きたいですね。 -
朝食をいただいてから、ホテルの玄関前で記念の写真です。
奄美大島も、きょうでお別れですからね。 -
とても奇麗な赤い花が、周囲の緑と対照的でさらに奇麗ですね!!
このハイビスカスも、南国ならではの花ですね。 -
きょうも少しだけ時間に余裕があったので、朝の散歩に出ました。
台風が近づいているというのに、今朝は風雨ともに収まって静かになっています。或いは、台風は通り過ぎてしまったのでしょうか? -
こちらはラーメン屋さんのような感じです。
昨日に続いて食べる話しになりますけど、きょうもそういうところに目が向いてしまいそうです。
皆さんはこのメニューの内、どれに決められますか?? 私だったら、「こく辛味噌らーめん」にしてみたいと思いますよ。辛いのも好きですからね(^^) -
お店の戸が締められたままになっています。
もうだいぶん年月が過ぎているようですね。この辺りは、以前お店や料理店があったところでしょうね。 -
昨日、チラッとだけ見えた写真ですが、きょうは大きく撮ってみました。
こういう船の形を見ていますと、「日本の漁船だなぁ~」としみじみ思います。
海外ではアラスカとかマルタ島などで漁船を見ていますが、沿岸漁船でも船の形は日本の漁船とは全然違いますからね~。もちろん、漁法や文化の違いもあるからですけどね。
とは言え、愛知・三河とは気候や海域・魚の種類も違う奄美の船が、三河の船と殆ど同じ形をしているなんて、嬉しくなってしまいます!!
そうですね、日本中の沿海漁船は基本的には同じような形をしているんですよね~。 -
路地に入ってきました。居酒屋さんなんかがありますね。
私は自分では居酒屋さんに入ったことがないんですよ(若いとき友達や先輩と1~2度くらいは入っているかも?)。だいたい、お酒を出すことをメインとしたお店には関心がないんです(レストランでビールをお願いすることはありますけどね)。
でも、最近知ったことですけど、居酒屋さんには割と美味しい料理があることを知ったんですよ。チョット美味しそうな料理名を検索すると、居酒屋さんが結構出てくるんですよね~。あと少し命ある内に、居酒屋さんに行って馬とかイノシシのお肉でも食べてみたいな~と思っているんですよ。
どなたか、ご一緒して下さいませんか??(^_^) -
また素敵な料理写真が並んでいますよ。
私が食べたいのは、「馬肉のたたき」「地鶏のたたき」または「せせりニンニク揚げ」かな?「せせり」って何だか知らないけど、そこは取ってみての勝負だね(^_^;) 「生ダコのカルパッチョ」も、面白そう。
奄美って、ホントに料理が豊かですね。
今度奄美に来る時には、4泊5日くらいの計画を組んで、奄美料理を食べ尽くしたいです!! -
こちらにも、料理屋さんが並んでいます。
-
町の散歩を終えて、バスに乗りました。
あれ??
カラスが整列して飛んでいるのが、窓に映っているよ。
それにしても、行儀良く並んで飛んでいますね。
私たちの居住地のカラスは、黒い塊のような集団で飛んでいますからね。
やっぱり、行儀良く並んでもらいたいですね(^^) -
大きな波が崩れようとしています!!
海が荒れていますね~!
私たちは、きょうの飛行機に乗れるのでしょうか? 乗れなければ旅行も延期となって、奄美をさらに楽しめますから嬉しいですけどね。これが、旅行社任せで行く団体旅行のお気楽さ!!というモンですね。 -
バスは山道に入ってしまったようですが、どこを走っているやら全然分かりません。
そう言えば、この時スマホのマップを開けば分かったのに~と、これを書いている段階で気付きました。気付くのが半年も過ぎてからなんて、ホント、ダメだね~(-_-;)
ホント、スマホの地図を活用しなければモッタイナイですよね~。そもそも、スマホを扱うこと自体が好きじゃないから、大事なときに活用できないんですね(-_-;) -
再び海岸沿いに出ました。やっぱり海は荒れていますね。
この岬の名は分かりませんが、とにかく写真を撮っておきました。こういう形ある物は後で場所とかを調べる時の目印になりますからね。この岩場は名付けるほどの岬でもなさそうで、今井崎からほぼ西に1.3kmの地点の岩場でした。
こんな日は、10万トンのクルーズ船でも大揺れになると思いますよ。
私たちは、2005年の3月のクイーン・エリザベス2世号(QE2)の大阪→香港クルーズの際に、東シナ海が荒れて大揺れに揺れたことを経験しました。テーブル上の皿が次々に落ちて割れる音が、絶えませんでしたよ。 私のキャビンでも花瓶が落ちて、床が水浸しになってしまったものでした。
カミさんはこの時だけ、船に酔ってしまいまいした。でも、船好きは変わらず、2ヶ月後にはカリブ海クルーズに喜々として出掛けて行ったものでした。 -
こんな岩と遠くの山が見えて来ました。
この風景が見た岩のある場所は、Google mapで特定することが出来ました(^^)
あの岩の場所は、笠利湾入り口の西側の今井崎先端から西に約620m余のところにあります。その岩までは堤防があって歩いて渡ることが出来そうです(港の堤防でもある)。
と言うことは、私たちのバスは国道58号線を東進せず、県道81号線で東シナ海側の海外沿いを走ってくれたことになりそうです。昨日は太平洋側を、きょうは東シナ海側を見せてくれたんですね~(^_^) -
海岸沿いに、こんな石碑がありましたよ。
右は「渡久地政信先生の顕彰碑」で、左は「島のブルース」の石碑です。
作詞・作曲・歌手名の後に、「島のブルース」の歌詞が書いてあります。
「島のブルース」って、懐かしいですね。
三沢あけみさんの声がいいし、唄いっぷりもいいですから、私はこの歌が好きですよ。
歌い出しのところだけなら、私も気分良く歌えます(^^) 、但し、2番3晩の歌詞までは覚えませんでしたし、歌詞を見て唄っても調子が合わせにくいです(-_-;) なんせ、大の音痴ですからね(^O^)
島のブルースの歌詞を書きだしてみますね。
奄美なちかしゃ 蘇鉄のかげで
泣けばゆれます サネン花ヨ
ながい黒髪 島むすめ
島むすめヨ
愛人(かな)はいまごろ 起きてか寝てか
淋しがらせる 浜千鳥ヨ
南風(はえ)のふく夜(よ)は ねむられぬ
ねむられぬヨ
夏のおどりは 七日と七夜
みんな知り候(しよ)る 月の夜ヨ
名瀬の港の 船がでる
船がでるヨ
着せてみせたい 大島つむぎ
わすれられない あのひとにヨ
なさけひとすじ 島むすめ
島むすめヨ
これを作曲されたのが、渡久地政信さんだったのです。春日八郎さんの「お富さん」も作曲されていたんですね。
皆さんも、是非歌ってみて下さいよ。私は調子外れながらも、何とか歌えますよ(^o^)
★島のブルースの詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9 -
きょうのガイドさんです。
ガイドさんは2日目の方と、3日目・4日目のとは交代されました。お二人のガイドさんのお世話になったのですよ。
どちらのガイドさんも、とてもお話上手で、私たちを楽しませて下さいまいした。奄美は観光地だけに、ガイドさんも洗練されているようですね。
ガイドさんの後ろのモニターに貼ってある用紙には、
「また奄美ち いもりんしょうれ」
「ありがっさまりょうた」
と書いてありました。
「また奄美にいらっしゃい」
「ありがとう御座いました」
ということかと思います。
そう言えば、昨日でしたか? 奄美言葉を教えて下さいました。
次ぎに、奄美言葉を印刷した用紙をご覧に入れますね。 -
これが、それです。
方言自体は全国各地にありますから珍しくないのですけど、豊田市のように北海道から九州までの方々が仕事を求めてやってくる地域では、多様な方言が聴かれます。
しかし、奄美地方や沖縄の言葉は聞いたことがありません。その点では本当に珍しいです。
一昨日、「いもーれ 奄美パーク」へ行ったときには、奄美言葉も知らずにちょっと誤解してしまったようです。あの表示は「いらっしゃいませ 奄美パーク」へと言う意味だったんですね。
この奄美言葉の中で面白いのは、「あら、まあ」という軽いビックリ表現が、奄美では「ハゲエー、アゲエー」と言われることです(^O^)
実際には「ハゲー!」と聞こえるようで、禿頭の方には気になる言葉ですね~(^o^) もし、私が奄美を再訪した時には、「ハゲー!カメちゃん(あらまあ、カメちゃん!)来てくれたのね」と仰っていただけるかも知れませんよ!!(^_-)
これを是非お聞きしたくて、奄美再訪を果たしたいと思っています(^_-)!(^^)! -
浅瀬が見えて来ました。
普通の自然な浅瀬ではなくて、人口の浅瀬とのことです。
浅瀬の周りを、写真のように「カキ(垣)」と言われる石積みの堤で囲い、満ち潮で魚が来た後に堤を閉じて魚を囲い込み、満潮時に入ってきた魚を、潮が引いた後出られなくなった魚を獲るのだそうです。これを「平家漁法跡」というのだそうです。
これ以上の詳しいことは分かりませんが、そういう方法で魚を獲るという自然感覚の漁法が面白いですね。
800年以上の昔、壇ノ浦の合戦で負けた平家の人々が、「落人」となって全国に散ったのですが、船に乗って奄美大島にも流れ着いたのです。平家の人々は日本のたくさんの生活文化を奄美に伝えたようですけど、「平家漁法跡」というのも、その一つですね。奄美の人たちも、これによって魚が少しでも多く獲れたことと思います。
こうした漁法跡はあちこちにあったようですが、今ではここにしか残っていないとのこと。一ヶ所でも残っていて良かったですね。 -
発電所のような煙突が見えて来ましたね。
この発電所は「龍郷発電所」のようです。
奄美大島には5ヶ所の発電所があるようです。その内3ヶ所が火力発電所で、水力発電所が2ヶ所あるとのことです。5ヶ所の発電所の合計出力は8万8815キロワットです。
龍郷発電所は出力1万kwのディーゼル発電機を6機備えているとのことで、合計出力は6万kwとのこと。ディーゼル発電機と聞きますと、船の発電を想像してしまいます(^^)。
大型クルーズ船などでは、15万トンクラスの有名な客船クイーン・メリー2を例に取りますと、ガスタービンエンジンで発電機を回して11万7000kw(15万7000馬力・2017末時点)を発電し、その電気を船内の動力源にしています。船の4基スクリューは86000kw(約11万5200馬力)の電力を使用してモーターを回転させ、船を運航しています。
大型船も大きな発電所みたいになっている時代ですね。 -
きょうの見学先の一つである「奄美大島酒造」の工場に着きました。
だいぶ走ったような気がしましたけど、東シナ海側の海岸線を通ったために少々時間が掛かったのですね。
時間を掛けてやってきたのでありますから、ここは一枚記念写真をとりましょう。
「おかあさん、カメラを見て!!」
こちらも奄美焼酎をつくっているのですよ。
「高倉」って言う黒糖焼酎の名が、「高倉健」さんを連想させるため、妙に印象的付けられてしまうのです。まさか、高倉健さんのお名前を借用したワケじゃないよね。
そこで、チョット調べて見ると、「高倉」の名前の由来は、私たちが27日に泥染めの見学に行った際に説明のあった、4本柱の建物で茅葺きの屋根裏が蔵になっている高床式倉庫です。奄美では、茅葺き屋根の姿をした建物のことですね。奄美独特の古代建築だそうです。その奄美の伝統的建築である「高倉」を名前にした焼酎だったようです。
東京都小金井市桜町の「江戸東京たてもの園」で、屋根裏倉庫である「奄美の高倉」が見られるようですよ。
★奄美大島酒造のことは↓にて
http://www.jougo.co.jp/company.html -
お兄ちゃんがタンクの中の絞り汁を棒でかき混ぜています。
お酒の熟成工程には、人の手による攪拌作業などの支援が結構あるのですね。このあたりは、まだ初期の工程のようです。この段階ではどんな味がするのか??チョット飲んでみたいですね。
この攪拌作業は、大切な原液を均一に発酵させて、美味しい焼酎をつくるために欠かせない作業なんですね。 -
お酒の工程とそれに伴う作業を説明して下さったおじさんです。お話の内容は全て
忘れてしまいましたが(-_-;) とても詳しく説明して下さったことだけは、忘れていませんよ(^^)
自慢にもならないけど、薬の多用とも相俟って私の痴呆症はどんどん進み、物忘れは最近急速に進んでいますからね(-_-;)。皆さんは如何ですか?? -
階段を登って、工場内を高い所から見学します。
ご覧の通り、大きなタンクが並んでいます。その上に攪拌用の?長い木の棒が渡してありますから、ここでも熟成過程を調べて、必要に応じて攪拌作業がなされているようですね。
もの作りの中には全自動の工程も多いこの時代、美味しいお酒をつくるのはなかなか手の掛かることが多いようです。
私も、カミさんから見れば手の掛かる亭主ですけど・・(^^;) -
この大きなタンクは蒸留器でしょうか。
これまで何度も攪拌したりして、十分に発酵させた原液を加熱してお酒となる液体を蒸発させる装置かもね。
どんな奄美焼酎が出来上がってくるのか、先ずは楽しみですね。でも、まだ後工程がありそうです。
単式蒸留器の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E5%BC%8F%E8%92%B8%E7%95%99%E5%99%A8 -
蒸留された液は次のタンクに移されて・・
-
また攪拌されるのでしょうか?
昨日の工場見学の際もそう感じましたが、焼酎造りも大変な労力と装置が必要なんですね。自動車作りでも同じですよ。 -
様々な工程を経て、美味しい焼酎が出来上がりました。
手に持っておられるのは「浜千鳥乃詩」という、奄美黒糖焼酎です。
早速頂いてみたいものですね!!!(^^)! -
どの焼酎も高級品ですね。
「浜千鳥乃詩」は、1.8リットル当たりでも3800円余ですから、値段的にも高級品ですね。でも、お値段よりも「飲みたい!!」気持ちが大切ですよね~(^o^)(^-^)
私ももう一度元気になって、これらの美味しい焼酎を「キューッ」と飲んでみたいですよ!!男の幸せの一つは美味しいお酒を飲めることですからね!!皆さんもそう思われませんか?? -
こちらには色々なお酒が並んでいます。
右端の瓶のお酒は「グァバ(Guava)のお酒」のようです。
その左の赤っぽいお酒は「スモモのお酒」です。
もう一つ左のお酒は「タンカンのお酒」です。
右端から4本目が“ぎゅぎゅっとヘルシー”「うめのお酒です」
この工場では焼酎ばかりではなく、このように色々なお酒もつくられているようですね。
私は「ぎゅぎゅっとヘルシー”『うめのお酒です』」を選びたいと思います。カミさんも許してくれると思いますよ(^^) -
工場から一旦出ましたら、工場への出入り口には3つの焼酎がとっても大きな瓶になって飾ってありました。
とても誇り高く、堂々とした感じに見えますね。
世界食品コンクールで最高の「金賞」を受賞したようですね。
これは立派なことですね~。 -
工場を見たあとは、付属の「美術工芸館」の方を見学させていただきます。
-
皆さんとご一緒に、館内で展示・販売しているお店の方を拝見しました。
飲んでみたくなるような焼酎がたくさん並んでいますね。
一本だけ飲めるとしたら、皆さんはどれにしますか?? 私は「原酒」を飲んでみたいと思いますね。 -
こちらはね、試飲コーナーですよ。
「おかあさん、ちょっとだけ、チョットだけ飲んでいい?」
「ちょっとだけだよ~」
ちょっとだけ飲んでみたけど、焼酎は良いねぇ。
私はお酒の味をストレートで味わいたい性分なので、ストレートで「チビッ!」と頂きましたけどね。 -
「御印象は、如何ですか?」
とてもご満足された様子ですね。一口頂いて五臓六腑に染み渡る感覚に浸りますと、何とも言えない美味しさと幸せを感じますからね(^-^)!(^^)! -
ご満足なさったところで、ご試飲の方、工場の方とご一緒に記念写真を撮らせて戴きました(^^)。
こういうところでこそ、記念の写真を撮りたいですね!! -
ホントにたくさんの焼酎が飾ってあります。
お酒好きに方には、たまらない気持ちになりますね(^^) -
「高倉原酒」
これはお勧めだと思いますよ~。
今の私の体では飲めませんけどね。 元気になったら、ぜひ是非!!飲みたいです!!!
そう言えば、先ほどの試飲でこの「原酒」を飲むのを忘れてしまいました。
やっぱり、認知症が進んでいるんだよね~(-_-;) -
こちらでは黒砂糖が並んでいました。
大の甘党の私のこと、幾つか試食させて戴きましたよ!!
白砂糖はただ甘いだけだけど、黒砂糖の味は何とも言えない味があるね。コーヒーなんかにも、黒砂糖を使うとコクのある甘味が珈琲を美味しくさせてくれますよ。
コーヒー店によっては、蜂蜜を置いているお店がありますけど、粉末にした黒砂糖を置くのも良いかもね。 -
こちらは黒糖を使った菓子類です。
-
当家のカミさんは、ちょっとだけお土産を買ってくれましたよ(^-^)
このあと、奄美大島酒造さんとお別れして、バスに乗りました。
どこに向かうのか、全然分かりません。全てガイドさんにお任せですよ!!(^^)! -
電柱のような柱にセミがとまっていました。
そう言えば、ここへ来る途中もですが、他のところでもセミの鳴き声が聞こえていましたね。10月も29日だというのに、セミがいて鳴き声も聞けるなんて、私達の愛知県と奄美との気温・気候の違いを、しかと感じましたね。
愛知県ならば、8月下旬頃の気温と言うことになるでしょうか? -
こんな花も咲いていました。
-
昔、西郷さんが愛加那さんと暮らした家を見に来たんですよ。
左の門柱に「龍」っていうお札が掛かっているけど、誰の名前でしょうかね?
どんなところで、どんな家に住んでいたのか?興味あるところですね。 -
南洲流謫跡(なんしゅうるたくあと)
こんな説明碑がありましたけど、撮影時の角度が悪くて文字が読めません。(^^)
何枚かの写真に分けてとれば良かったのに、一枚の写真じゃぁ無理ですね~(-_-;)
失敗写真になってしまって残念です(T_T) -
こちらは何とか写っていたのですけど、カビの生えているところは字が読めないんですよね。
↑の石碑もそうですけど、カビは取らなくても良いけど、文字の中だけは掃除して、黒い墨かペンキまたはエナメルとかを塗り込んで、読めるようにしておいて欲しいですよね。
私達観光客は、大金を使ってわざわざ奄美大島で来ているんですからね。
まぁ、わたしも分割して撮影するなど工夫すべきだったのですけど、ついつい油断してしまうのです。 -
西郷さんが愛加那さんと一緒になって、長男が生まれてから造った家です。
流謫(島流し)の身で一軒の家が持てたことは、幸せなことですよね。
当時としては普通の建て方で、立派なモンだと思います(この家は当時の形を再現した家です)。
この家は、菊次郎が生まれたことも考えて、一軒の家を構えようとして西郷さんが設計したとか。場所の選定も村内を回って台風の風が当たりにくいところを選んだとか。建築費も鹿児島から支給されていた米を売って賄ったとか。
こうして、西郷さんはこの家で愛加那さんと子どもたちと共に、幸せな日々を送ったことでしょう。
私も、こういうところで当家のカミさんと二人きりの、静かな余生を送りたいです。
もっとも、カカア天下の我が家のことですから、大変ですけどね。 -
私達の西郷流謫跡見学の際に説明をして下さった方です。
お話では、西郷さんの血筋に当たる方とか。それならば、説明に力が入りますよね。 -
だいぶボケボケの写真ですが、「質実剛健」と書いてあります。
薩摩藩の武士の「質実剛健」は有名ですね。薩摩藩の武士の子弟教育組織であった「郷中教育」での核となったのが、「質実剛健」の思想でしたね。
それは、何事にも飾り気無く真面目に取り組み、心身共に強く逞しい人になることを意味していると思います。
「質実剛健」と聞きますと、ついつい「体が大きく頑強で、強い口調で人に指図する人」の姿を思い浮かべてしまいます。しかし、「強い口調で人に指図する」割には考え方の基本が定まっておらず、問題・課題によって自分に都合の良いことを言う人が多いですね。
西郷さんにも、若干そういう言動があるような気がするという指摘があちこちでなされているとのことです。私もそのあたりを確かめてみたいのですけどね~。
私は質実共に超軟弱な人間でありますので、薩摩人でなくて良かったな~と思います。質実剛健なんて聴くだけでも、身震いがして逃げ出したくなりますよ。 -
写真の上に方に、「敬天愛人」と書いた額があります(“敬”と“人”の文字は私には読めませんでした)。
知覧武家屋敷を訪れた時「敬天愛人」の額を見たのですが、咄嗟のことでよくわからず、普通の「愛人」のことかと思ってしまいました。
ところが、西郷さんのことを知るうちに「敬天愛人」の言葉がよく出てくるのですね。その意味は「天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし(「敬天愛人フォーラム21」より)とのことらしいです。
西郷さんは、とっても良いことを言っていますね。
「人を愛する」
私も同感です!! 人々を差別・区別することなく大事にし、その人格と命を大切にし、幸せに暮らせるよう祈り共に行動することですよね。
しかし、西郷さんの行動を見ますと、あの西南戦争で西郷軍の敗北が分かった後も、降伏して兵を故郷に帰すことなく(部隊指揮官の判断で降伏した部隊も幾つかあった。一部では兵の帰郷を認めましたが、西郷さん自身は部下の命を守るために、降伏したり、部隊を解散すること命じたりしなかった)、鹿児島の城山にまで逃げ込んで多くの仲間を死に追い込みましたね。西南戦争での戦死者は両軍で13000人を上回ったというのです。
また、戊辰戦争前に江戸市中で続いたと言われる浪士たちによるテロ事件も、多くの市民の命と家財を破壊し江戸薩摩藩邸の焼討事件に繫がりましたが、これも西郷さんが幕府を倒すための戦争(戊辰戦争)の口実とキッカケ作りのために企図したと言われています。この戦争での死者数は両軍で8500人近いとか(諸説あり)。
西南戦争にしても、それ以前の京都や江戸市中での暗殺とかテロ作戦にしても、戊辰戦争にしても、西郷さんの考え方次第で起こさずとも済んだ事だという話が、近年になって多くなってきています。西南戦争にしても戊辰戦争にしても、あの太平洋戦争での玉砕や特攻に結び付くような戦いのあったことも見逃せません。
「敬天愛人」を言うのであれば、多大な犠牲を伴う戦争や争乱によらず、話し合いによる国家建設をこそ追求して欲しかったですね。
★西南戦争の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89
★薩摩藩邸の焼討事件のことは、「薩摩藩邸の焼討事件」にて検索されてみて下さい。 -
きょう、私は大失敗をしてしまいました(>_<)
せっかく一眼レフのカメラも持っていったのに、この時は小型カメラで撮影の調整もせずやや暗い屋内写真気軽に撮ってしまったのです。
そのため、せっかく西郷さんが建てて暮らした家を見学出来たというのに、そこに掲示してあった資料の写真が殆どボケ写真になってしまったのです(T_T)
このボケ写真ですが、「西郷隆盛の一生」を主題にした写真と説明がありましたので、全体の雰囲気と大きな文字だけでもご覧頂きたいと思います。
西郷さんは「下級武士の子」だった。(下級武士とは言え、武士層を上士・下士・足軽以下の三つに分けた中での下士層ということであり、さらに「士農工商」という身分制度も含めて考えれば社会の上層部と言えます)。
西郷さんの父親は「下士層」の中で下位になる「城下士」に当たります。これを会社に例えれば、現場の係長又は組長クラスに相当するかと思います。だからこそ教育もあり、有能な子は良い機会に恵まれることもあったと思うのです。
西郷さん自身は、父親時代の家格より2つ上の「小番」にになっているのですから、
その位置を藩内全体から見れば、武士層が薩摩藩全体の人口比で3割余ほどもあった当時において、「下級武士」中では「下層の上」または「中の下」の階層に位置したかと勝手に想像しています。
城下士のことは↓を参照下さい(「2.8 薩摩郷士(薩摩藩)」を参照して下さい)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB#%E8%96%A9%E6%91%A9%E9%83%B7%E5%A3%AB%EF%BC%88%E8%96%A9%E6%91%A9%E8%97%A9%EF%BC%89 -
西郷さんは、3度結婚していたんですね。
ちょっと待てよ。西郷さんは「生涯不犯(しょうがいふぼん=一生女性と交わらない)」を誓っているんですよね~。まぁ、それを言ったのも、西郷さんが薩摩藩主の斉彬に男の子が授かることを祈ってのことですが、生涯不犯は“生涯”不犯ですよね。その時の西郷さんは、自分の命も「長くて3年」と考えていたことからそう言ってしまったんだと思います。
その「生涯」が延びてしまって、生涯不犯の誓いとは関係なく3回も結婚してしまったんです。私としては、「生涯不犯」をその時の都合で言ってしまった西郷さんの姿勢に、ちょっとガッカリしてしまいましたけどね。
詳しいことは分かりませんが、西郷さんは結構「女好き」のようで、妻ある身で京でも江戸でも女性の元に通い色町に通い、京では子供までつくったという話もありますね。
西郷さん自身が「生涯不犯」「敬天愛人」を言ったのであれば、そうした言葉を自分の信念とし、自身の行動に貫いて欲しいですね。京や江戸で買春らしい噂が立つような言動は、よろしくないですね(>_<)
この点では、田中一村の姿勢の方が立派だと思います。
★「生涯不犯」のことは、「生涯不犯」にて検索されてみて下さい。 -
「夢は 山よりも高く 愛は 海より深く」 西郷南洲訓より
とても立派な言葉がたくさん書かれていますね。
Wikipediaによれば、「『南洲翁遺訓』は出羽庄内藩の関係者が西郷さんから聞いた話をまとめたもの」とのことです。ですから、この内容は、西郷さんには直接の責任は無いようです。ですから、この内容の一部に問題を感じても、西郷さんを責めることは出来ません。
南洲翁遺訓の内容はあの時代を反映したもので、現代の感覚からはストレートに「理解し実行する」ことの出来ないものも多々あります。そこは、「あの時代の」薩摩武士としての考え方が反映されているものとして理解する必要があると思います。
しかし、あの時代に考え方のものであるとしても、西郷さんの実際の行動に照らしてみますと、西郷さんの行動と矛盾することがあるように思われるところもあります。
南洲翁遺訓を読むもう一つの考え方として、現在の視点からの比較・評価をすることも、「歴史をみる」という点から大事なことと思います。
ここでは、上で触れたことと関連して「敬天愛人」関わることと、「忠孝」について私の感じたことに触れてみますね。
出羽庄内藩の関係者が書いたものとは言え、ここでも西郷さんは「敬天愛人」とか
「人を愛する」ことを庄内藩の人々に語っているようです。「人を愛する」と言うからには、意見や方針の違う人であっても、その人の人格と命を大切にすることを貫いて欲しいですね。自分の考え方や政策が違うからと言って、そうした人々の命を軽んじる行動をとることは許せないことだと思います。
実際の西郷さんは人への好き嫌いが激しい性格のようで、状況判断もコロコロ変わっていたようです。そのせいで、多くの人に無礼且つ軽率な態度・行動をとったことが知られていますね。
例えば島津藩藩主(西郷さんの主君)である島津斉彬には慕い尊敬しながら、その後の主君となった島津久光には、久光の意向にも従わないことも多く、無礼な言葉を周辺に漏らしていますね。さらには、西郷さんの指示による暗殺や事件も幾つか話題に上っているようです。
これが、西郷さんの言うところの「愛」と「忠義」の実態だったようです。 -
西郷さんの様々な表情が見られます。
西郷さん撮った写真は無い!!と言われていますが、てっきり写真だと思っていた「肖像写真」もイタリアの画家「キヨッソーネ」が描いたもののようです。
ここに見る西郷さんの姿・表情は全て「絵」なんですね。
西郷さんの肖像を書いた人は、「キヨッソーネ」が描いただけと思っていたのですが、随分多くの方々が西郷さんを描いておられたなんて、これを見て初めて知りました。西郷さんの体格や表情からして結構若い時と察せられる絵もありますね。
でも、最近(2018年1月)になって、西郷さん撮った本物の写真が見つかったという話が出てきています。それは、どれも集団ので撮られた写真ばかりで、一人だけの「記念写真」ではないようです。
それらを見ますと、背丈は高いですがお顔の方は面長な感じのする絵もあります。と言うことは奄美大島へ流刑になる前は、私たちが今知るような太った体格でお顔も大きくなかったそうですから、西郷さんの若いときの姿を知っている人が描いた(或いは聴いて描いた)かも知れませんね。 -
西郷流謫の説明をして下さっています。
このお方は西郷さんの血筋を引く方で、何代目かのお孫さんに当たる方だったと思います。
録音をしていなかったので、どんなことをお話されたか思い出せません。 -
西郷さんが愛加那さんと暮らした家の縁側に出て、記念の写真を撮ってもらいました。
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西郷流謫後の見学を終えて、帰る前に愛加那さんと二人で暮らした家を振り返って撮りました。今では私の思い出の貴重な写真です。
一応流謫の身にありながら、結婚も出来て、このような一軒家に住めたと言うことは、西郷さんならではの政治的力量があったから可能なことだったと思いますけどね。
この家で雨戸を開けて外の様子を見られるお部屋(縁側〔えんがわ〕とか雨戸〔あまど〕のあるお部屋)は西向きにつくられており(↑の写真参照)、雨戸もなくて木の壁になっている方が東側(海側)になっています。話によれば、台風の風圧に耐えられるよう、強い風の来る東側の背を向けるように建てられたとか。
普段なら気持ちの良い海風が入り易い家を建てるのですが、このような家はちょっと珍しいですね。
私の木造の旧実家(大正時代に建てられ、コンクリートに基礎もなく礎石の上に建てられた)も、強い風をまともに受ける土地に建っていましたが、居間は東向きにあって、縁側や雨戸がありましたね。伊勢湾台風で倒れる寸前まで行きましたけど、何とか助かりましたね(-_-;)
★西郷流謫跡の詳しいことは「西郷流謫跡」にて検索されてみて下さい。 -
道路に出る途中、とっても綺麗な花を見つけました。
本当に奇麗ですね!!
私はこのような真っ赤な色が大好きなんです。この花は何という花でしょうか? ご存知の方、教えて下さいね。
私たちが次ぎに買う車は、真っ赤な色の車にしようと思うのですけど、果たして好みのGT系の車にこのような真っ赤な塗装があるのかな?←メーカーや車種にもよるけどね(^o^)
真っ赤なGT車から腰の曲がったツルッ禿の年寄りが、杖をつきながら降りてくる(^-^) そんな私の姿を皆さんに見て頂きたいのですけどね(^O^) -
バスに着く前に、墓地の前を通りました。
お墓の建て方には地域によってそれぞれの特色がありますので、墓地に出会いますと私は立ち止まって拝見します。
こちらでは、丸い石の上の屋根? 傘?の乗っている「3重台塔型」のようなお墓が多いですね。私の実家のある地域では、棹石(四角形の石塔)の上が平面になっているだけのお墓(「三重台角座布団型」のような形)が殆どです。
右の方にはご夫婦のお墓でしょうか?男女の像が彫られたお墓がありました。 男性は髷をしていますので、明治時代初期までのお墓でしょうか?? このようなお墓は初めて見ました。
お二人のお墓の間に文字を書いた棹石が建てられていたのですが、その棹石だけを撮っていなかったので、残念ながらお墓の由来が読めませんでした。残念!! -
ただいまお昼の12時をちょっと過ぎたころです。
お昼を頂くために、 龍郷湾を南下して郷土料理店の「 鶏飯・ひさ倉」へとやってきました。旅に出て、その土地の郷土料理が戴けることはホントに楽しいことですね。
★郷土料理店「ひさ倉」の詳しいことは↓にて
http://www4.synapse.ne.jp/hisakura/ -
これが、私たちの「鶏飯」の具です。これって「とりめし」? 「けいはん」? どっちでも良いけど、どうやら「けいはん」のようです。
鶏飯の具材ですが、どれがなんなのか? そこまではお聞きしなかったので、詳しいことは分かりません。でも、いろいろな話からこれを見ますと、右下の黄色の具は卵焼きを細長く切った「錦糸卵」のようです。そのすぐ右上の赤い具は「紅生姜」でしょうか? その左上の茶色の具は「椎茸」のようです。
左上の細かく切ってある具は、「鶏の胸肉」をそぎ落としたもののようです。海苔とネギは分かりますよね~(^o^) 左下の具は「だいこん」かも知れません。
これらの具をどんぶりに盛られたご飯の上に載せて、鶏の出し汁を掛けて頂くんですよ。
左の小皿のものは何? これは「パパイヤ漬け」だったと思いますけどね。お味の方は忘れました(^^;)
★「パパイヤ漬け」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%BC%AC%E3%81%91 -
それでは、ここで記念の写真を!!
どんぶりのご飯の上に具材を載せたところですよ~。こういう時ってとっても幸せだよね~(*^_^*) -
「おとうさんも撮るよ」
いつものようにカミさんが撮ってくれました。 -
この出し汁を、具を載せたご飯に掛けて頂くんですよ。
ちょっとお茶漬け風になりますけどね。 -
こんな感じになりますね~(^^)
★鶏飯の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E9%A3%AF -
たくさんの方が「久倉」さんへ鶏飯の感想とお礼を書いておられました。
そうですよね。美味しいものをいただいたら、ちょっと感想とお礼を申し上げたいですね。私は引っ込み思案の人間なので、頂いた料理の感想とお礼を書いたことは一度もないです(-_-;) -
鶏飯を頂いた後、席を外して店内を拝見しました。
鶏と椎茸の出し汁はこうして出来るんですね。 -
皇后陛下がこのお店で頂かれた料理のメニューです。
もし、私が再度奄美に来たときには、これと同じメニューをお願いしてみようかな?
そのためにも元気でいないとね!(^^)! -
お店にあった写真です。
日本のクルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」号も奄美大島の寄港しているんです。
クルーズで奄美を訪れるというのも、素敵なことだと思いますよ。
★「ぱしふぃっくびいなす」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B1%E3%81%97%E3%81%B5%E3%81%83%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%81%B3%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%99 -
「にっぽん丸」のプレートもありました。
いつか奄美に来られるとするなら、その時はクルーズ船で来たいものです。外国のクルーズ企業にも宣伝して、世界のクルーズ船が着てくれるともっともっと良いですね。
★「にっぽん丸」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AB%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%82%93%E4%B8%B8 -
郷土料理店「ひさ倉」さんを出てから、バスで「ケンムン村」までやってきました。
「ケンムン村」は「用安海岸」の浜沿いにある施設です。 -
坂道を登りましたら立派な民家がありました。
この民家は、旧安田邸で江戸時代末期(130年前)に建てられた家とのことで「ヒキモン構造」がこの家造りの特徴とのことです。
安田家から寄贈されたとのことで、平成19年12月5日に国の有形文化財に指定されたとのことです。
奇麗に保存してありますね。
★「ヒキモン構造」のことは、「ヒキモン構造」にて検索されて下さい。 -
旧安田邸の庭先から南西方向を見た光景です。素敵な光景ですが、もし台風でも来たら暴風と大波で荒れ狂うかと思うと、平穏な日々が続くことを祈りたくなりました。
この海は太平洋ですよ。
このあたりは遠浅になっていて、波打つ浜辺から300m~500mほど沖に岩場が並んでおり、ちょうど「波消しブロック」のよう感じで波が砕けています。
このような光景は、初日に行った「あやまる岬」や「土盛り海岸」からの海岸風景でも見られましたね。
海岸から数百mの沖合で波が砕けて白い線となっている様子は、用安海岸から北部(特に奄美空港から北部)をグーグルマップの航空写真でごらんになりますと、よくわかりますよ。 -
こちらは南東方向を見た様子です。
海に突き出している海岸線と緑豊かな光景がとても素敵だと思いました。
出来ることなら、こんな環境の中で暮らしたいですね。 -
旧安田邸の内部を拝見しようとお座敷に上がらせて頂いたところ、すでに奄美三味線(奄美サンシン)の音色と歌を皆さんが楽しんでおられました。
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奄美サンシンを弾きながら歌っておられる方は、私たちと御一緒の旅仲間の方です。
旅の初日、ホテルでの歓迎会の舞台で演奏されていましたね。
演奏も歌もとっても良かったですよ!! 奄美の伝統建築のお座敷で、こんなに身近に歌と演奏を聴かせて頂けるのは二度と無い機会であって、とても嬉しいことです。
「奄美サンシン」をひと目見ただけでは、太鼓の皮に目を惹かれること以外には日本の三味線と同じように見えました。でも、チョット違うところがあるみたいですよ。
太鼓の皮はヘビの皮ですが、奄美と沖縄のハブの皮かと思ったのですけど、ニシキヘビの皮を使っているそうです。そうだよね~、ハブでは太鼓の皮が作れるほど胴回りが太くないですからね。大人のニシキヘビですと胴回りが50cm以上はあるようですからね。
でも、最近の奄美サンシンの太鼓の皮には人工の蛇皮にニシキヘビの模様をプリントしているのを使用しているようです。奄美サンシンの太鼓の皮はぴーんと張り詰めるため、本物の蛇皮では破れやすいとか。そこで人工の蛇皮に変わってきているようです。その分、音色も良くなっているとか。
そのほかのことは↓のWikipediaに記事をご覧になってみて下さいね。
★三線(さんしん)の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B7%9A
★三弦、日本の三味線との違いについてもご覧下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%BC%A6 -
ちょっと他のお部屋を拝見させて頂きました
ミシンが置いてありました。
これにはちょっとビックリ! 家を建てがのが江戸時代末期とのことですから、家財道具も江戸末期から明治時代の頃のものと思い込んでいましたから・・。
このミシンはどの時代に造られたものか? それは分かりませんが、ミシンが一般家庭に普及しだしたのは戦後になってからかと思いますから、この家が生活の場だった時代のものが残してあったんですね。
日本で最初にミシンを使った人は、幕末時代の徳川将軍・家定のところに嫁入りした篤姫さんとのことです。でも、江戸~明治~大正時代には輸入品が多く、国産品が少なかったことから、富裕層が求める以外には一般には普及しなかったようです。
旧安田家では家の構えからして一定の資産がありそうに思えますから、戦前時代にミシンを揃えられたかも知れませんね。
当家のカミさんも嫁入り道具の一つにミシンを持ってきましたが、最近ではミシンが嫁入り道具になることも無くなってきたようです。
★ミシンの詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%B3 -
これは「くど」ですね。これを拝見して、懐かしさがこみあげてきました。
一般には竈(かまど)と言われるかも知れませんが、私たちは「くど」と言っていました。
左の「くど」にはお釜用の穴(金輪)が2つあり、煙は戸外に排出される構造ですね。
私の実家の「くど」は、お釜と鍋、さらに輪が少し小さい茶釜用の3つの金輪穴があり、煙突は茶釜用の金輪の後ろにありました。そして「くど」の外面はタイル張りになっていましたよ。
私が小中学生の頃、竈で火を焚く役割を良くやっていました。最初は木の枝葉の「芝」から燃やして、それから太い薪を入れていくのですけど、薪に火が付かないこともあったりして苦労しました(^^;)
お勝手の竈やお風呂(基本は竈と同じ構造)で使う芝や薪を採るために、毎年冬になると山へ芝刈りに出掛けたものです。
あの時代が本当に懐かしいです!!家族みんなが働いた時代でしたね。
★くど・竈の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%88_(%E3%81%8F%E3%81%A9)くど・竈 -
こちらには流し台がありました。
私が子供の頃と全く同じ流し台とも言えるほど、「そっくりさん」でした。
私は末っ子なので、体の弱かった母の傍にいることが多く、家事もよく手伝いました。
母が伏せっている時には、このような流し台でニンジンジュースを時々つくったり、年に数度は頂いたリンゴでリンゴジュースを造って、母に飲ませてあげたりもしました。 -
これも懐かしい!!
食事用に用意した食べ物を入れておく戸棚ですけど、私たちはこの戸棚のことを「はいちょ」と言っていました。今では「冷蔵庫」に変わりましたが、昔はこの「はいちょ」が欠かせませんでしたね。
★蠅帳(はえちょう・はいちょ)の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A0%85%E5%B8%B3蠅帳 -
こちらには鉄瓶や湯たんぽがありました。
子供の頃には、冬となると足下に湯たんぽを入れて寝たものでした。これも懐かしいです。
これらは戦前から戦後間もない頃までのお勝手用具でしたが、これらを拝見しておりますと私自身の命を守ってくれ且つ、人生を形成してくれたお仲間(お道具のこと)のような気がしてきました。
ホントに、どれもこれも懐かしいです!! -
この小屋は、↑で見た「くど」や流し台のあった小屋です。
私は小屋の外部の姿も知らずに内部を見ていたのですが、今まで見ていた「お勝手場」は旧安田家本宅の外側に付属するようにつくられていたのかと思います。
昔はお勝手とかお風呂、トイレなどの水回りのものは母屋の土間の端とか、戸外に設置されいたものでしたからね。私の旧実家も水回り場は土間の右奥の一角に井戸と共にあり、お風呂とトイレは戸外にありました。 -
最後はお座敷の前の縁側と戸箱の様子です。
これも、昔の実家と様子と全く同じです。
旧安田家の様子を拝見して、私の子供時代の暮らしの様子が生々しいほどに思い出しました。本当に懐かしいことばかりです。
今にしてみれば、(私たちの生活に関する限りで)あの時代は本当によい時代だと思います。貧乏生活でしたが、真面目な父と病弱の母を中心に、私たち子供も家事や田畑や漁業のお手伝いをしながら、山羊や兎や鶏と猫と共に楽しく暮らしてきました。
「もう一度、あの時代に・・」と、あの頃に想いを致すこの頃です。 -
「おかあさん 一枚撮るからそこに立って」
戸外に出ましたので、記念の写真を撮りましょう。
後ろの木は何という樹木か知りませんが、これで一本の木なんでしょうかね?根っこが露出してしまったのか、木の幹部分が元々このように複雑だったんでしょうかね? -
上の樹木のすぐ隣にこんな炉がありました。
何か焼き物でもしていたのでしょうか? -
建物の外観も撮らずに、作業場のような建物の中に入らせて頂きました。
ここにも小さい炉がありました。何かの焼き物をやっているんですね。 -
こちらには、その作品のようなものが並んでいます。
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写真がちょっとボケてしまったのですが、棚には土器類の作品が並んでいます。
今にしてみれば「作品」である土器ですが、古代においては大事な生活用具だったことでしょう。
棚の下の掲示板には「古代土器手作り体験」と書いてあります。
やっぱり先ほど見た炉で、土器を焼いていたのですね。 -
こちらにも土器の作品と説明の記事が展示されていました。
あの草履も粘土から作った焼きものなんでしょうかね? 詳しく見なかったので分かりません(-_-;) -
↑の写真の左側あった新聞記事を撮ってみました。
先ほどから焼きもの用の炉があったり、焼きものが展示されたりしていましたが、この奄美大島には縄文時代からの古代文化が根ざしていたんですね。
この記事では赤木名中学の一年生が縄文式土器作りに挑戦した様子が紹介されています。粘土から器の形を作って3時間ほどで完成したとか。
土器が作られるようになったのは「縄文早期(1万2000年前~7000年前ごろ)」からとのこと、あの時代以後の土器作りを体験しながら、古代の人々の知識・技術・技能の素晴らしさに思いを馳せ、「昔の人はすごい」と感じたこととおもいます。
私は青森の三内丸山遺跡で縄文文化を見学しましたが、私もあの縄文時代の人々の知識・技術・技能の凄さを教えられましたよ。
★三内丸山遺跡訪問記は↓にてご覧下さい。
https://4travel.jp/travelogue/11269054
★縄文時代の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3 -
こちらの記事では、六調太鼓の据え付け取り外しが簡単にできるコンパクトな太鼓台を工夫された話が紹介されています。
演奏会場を移動するにも、大きな木の台となる枠に代わって、カメラの三脚台の上に3本の曲線アームを組み付けて太鼓を据えるように工夫されたもののようです。 -
こちらの掲示では、軽自動車で「チャイ」やお菓子販売しているよ~!!って言うことを紹介しているようです。
「チャイ」とは、「煮出したミルクティーに数種類のスパイスをブレンドした「スパイシーミルクティー」とのことです。ほかにも、「自家製サングリア」、奄美大島産のしょうがを使ったオリジナルジンジャーシロップをソーダで割って出来た「自家製ジンジャエール」等々・・が販売されているようですね。
皆さんも、再度奄美大島をお訪ねになった際には、是非ご賞味下さいね。それにしても、カタカナ名の商品が多いですね。 -
この新聞記事には、「ケンムン」のこと紹介されています。
ケンムンって、いま私たちがいる村の名前ですね。そう、「ケンムン村」に居ますから。村が甦ったかと思ったら、この記事によれば「ケンムン」とは、奄美の妖怪のことだったんですね。
妖怪と言っても恐ろしいものではなく、姿はカッパに似ているようで、奄美の自然の守り神とのこと。優しい心を持っていて、人々には人気があったようです。
★ケンムンの詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%B3 -
「ケンムン神社」に立ち寄って、「運だめし」でもどうぞ!!ってことですね。
優しいケンムンのことですから、そんなに悪いコトは言わないでしょう。
私もいつか再訪したときには「ケンムン神社」にお参りしたいと思います。ケンムンさんのお姿も見られるかも知れませんね。 -
ケンムンさんのお話をしていましたら、ケンムンさんがおられました。
手をたたいて調子をとりながら歌でも唄っているように見えますけど、如何でしょうか?
やはり、カッパさんに似ておられますね。 -
こんなリーフも置いてありました。
島唄体験、島人になる体験、お菓子作り体験など、如何ですか? -
こちらでは、ばしゃ山村の「ジマム菓子」のことが紹介されています。
ジマムは「地豆(ジマム=ピーナッツ)」のこと何ですね。「じまむ菓子」を是非にということでしたが、果たしてあの時に賞味したかどうか、お土産に買ったかどうか?申し訳ないですが、全然記憶にありません(-_-;)
私の実家の方では「地豆」のことを「落花生」とは言わず。「ジマメ」と言っていました。これが田舎っぽく聞こえることから、都会のスナックやバーなどで「ピーナッツ」と言わずに「ジマメ」と言いますと笑われますよ。
ところで、「ばしゃ山村」って、本当は「馬車山村」と言うんではないの?とズーッと思っていました。それが、私の想いとはチョット違っていました。
「ばしゃ山」とは、「バショウ」というバショウ科の多年草が群生しているところのことのようです。「バショウ」は繊維が多いことから、以前の大島紬を織る「バシャギン」と言う繊維を作っていたそうです。
こんなことが「ばしゃ山村」の名前の由来かな?と想像しています。
「バショウ」の詳しいことは↓にて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6 -
チョット場所を移動して、新鮮なジュースを戴けるところへ来ました。
機械があって、紙コップが置いてある(^^)
さて、私たちは何をしに来たのでしょうか? -
機械から材木が出て来ましたよ~。
いや、これは材木ではありません(^o^) サトウキビを絞ったカスなんですよ。
どんどん出てきますね~(^^)
なんか楽しみになってきました(^_^) -
実はね、あの機械でサトウキビを絞って、新鮮なジュースをつくっていただいたのですよ。
いやぁ、これは良かったですよ。新鮮で香りも良く、天然の甘味のお味も良かったね。サラリとしたジュースかなと思っていましたけど、以外にトロリとした感触がありましたね。
こういうジュースづくりって、町のスーパーでもやってくれると良いんだけどね。 -
ケンムン村の見学を終えて、海岸に降りました。
ここはケンムン村を降りてすぐの用安(ようあん)海岸です。このあたりは砂浜が長く続いていますので、海水浴なども楽しめるそうです。
それもあって、用安海岸付近はリゾート地にもなっているようで、近くにはホテルやコテージなどもあるとのことです。
カミさんの背後にも、休息施設が見えていますね。 -
近くにはこんな岩場もありました。
右側の岩の上には、草が生えているかと思いましたが、網が干してあるみたいですね。 -
当家のカミさんが何か捜し物をしています。
実は、カミさんはこの海岸で白っぽいのものを見つけたんです。近くにおられた方にお尋ねしましたら、
「これはサンゴですよ」
と教えて下さいました。大きくても小指の一節分ほどのサイズですが、カミさんは俄然その気になってサンゴを探し始めました。小さいサンゴが見つかったのでカミさんは大喜び。奄美大島からの貴重なお土産になりました(^-^) -
移動の時刻になりました。
そしてやってきたのは、あの毒蛇のハブを見せてくれる「原ハブ屋」です。
昨日もハブを見に行ったのですが、きょうもハブに会いに来てしまいました(^^)。
元気の良さそうなハブですよ。いきなり客席に飛びかかっていくんではないかと心配になってしまうほどでした。蛇の類というのは、いつ見ても気持ち悪い物ですね。
私は蛇嫌いだったので、畑などで蛇を見ると必ず追っかけていって殺してしまったものでした。
こんな時、蛇を食べる習性があったら結構なご馳走になったかも知れませんね(^o^) -
ハブのことを説明して下さる方です。
手にお持ちの物は、ハブの皮でしょうか。ハブの皮は他の蛇に較べ鱗の数が多いため、模様が奇麗とのことです。
ハブの皮は、財布ばかりかキーホルダーやスマホケースほか100種類以上もの製品の表面模様に使われていますね。
私もカミさんにお願いして、スマホケースを買ってもらおうかな(^^) -
この写真は「ハブのショー」をしておられる様子です。
おじさんのすぐ前をハブが這っているのに、怖くないのですかね? ハブもおじさんに飛びかからないのかな? ほんと、見ている私たちは心配でならなかったですよ!! ハブが素直にしていることが、不思議ですね。
この方は身振り手振りも素敵でしたけど、お話がとてもお上手なんですよ!!
岐阜県南部の「関刃物センター」のおじさんのように、流暢なお話ぶりに皆さんが引き込まれていましたよ。 -
このようなヘビの姿を見るたび、背筋がゾッとします(>_<)
孫の姿を見ると、ニッコリしちゃうんですけどね(^-^)
ところで、奄美や沖縄ではハブに襲われて病院へ駆け込む話が聴かれますが、ハブは自分の体温より高い動物を襲うとのことです。
で、ハブの体温ですが、ハブは変温動物で定まった体温はないとか。ハブの生存適温は18~26度で24度付近が元気で30度の温度下に10分もいると死んでしまうとか。これじゃ、風邪を引いても分かりにくいですね。それはともかく、人間も狙われるわけですね。
ハブの好物は各種のカエルやネズミ、ほかにはトカゲとか小鳥も獲るとか。「焼き鳥」なんかは喜ぶかも知れませんね(^o^) -
ガラスのケース内に入れられているハブです。丸いピンク色は目だと思います。
意外なことに、ハブは加工の仕方によって健康食品であったり、元気のもとにもなり、薬にもなるんです。まぁ、本土の毒蛇である「マムシ」と同じようなモンですね。
「ハブ酒」なんか、是非!!ですね。ドリンクはもちろん、粉末まであるとか。ご飯にかけて頂いてみては如何ですか??
でも、お土産に「ハブ酒」を買って貰うことを忘れてしまいました。残念無念。もし買って貰っていたら、今頃の私は元気になっていたかも??と思われてなりません(-_-;) -
原ハブ屋から見た海岸風景です。
あの岩場までの海岸は「土浜海岸」です。
岩場を持つ遠浅の海岸ですね。遠くの方で波の崩れる白い線が見えますが、ちょうど波消し岩のようにも見える岩場ですよ~。
「原ハブ屋」さんは、「ばしゃ山村」から奄美空港へ向かう途中にあります。
★原ハブ屋さんの詳しいことは↓にて
https://harahabuya.com/hp/top-01.html -
奄美空港へやってきました。
台風は通過して、飛行機には定刻に乗れるようになりました。
台風の経路と移動速度次第では、飛行機に乗られなくなって「一泊追加」なんてコトになりはせぬかと案じたものでしたが、無事に帰ることが出来そうです。
この飛行機は小さいですね。
奄美空港の滑走路の長さは2000mなので、海外に行くとき乗る飛行機と違って飛行機が小さいですね。私はこのようなプロペラ機に乗ったことがないので、一度こういうやつに乗ってみたいです。これは日航の飛行機のようですが、私たちの飛行機もこのようなプロペラ機になることを期待しているんですけど、どうなりますかね? -
空港ターミナル内に掲示してあった画像です。
「人と自然が還る島 奄美」
奄美の印象について、私も同じことを感じました。
奄美の海岸風景をはじめ、奄美三味線と太鼓のリズムに乗って、喜々として歌と踊りを楽しむ奄美の方々のお姿。泥染めなど人々の細かな作業を介して、自然と人情織り込まれている奄美大島紬。地元の原料から作られる奄美焼酎とか奄美黒糖。そして、ハブなどの姿も見学させて頂くなど、人と自然の調和する姿を拝見したように感じましたね。
本土での観光地巡りとは、ひと味もふた味も違う奄美の旅でした。
祭りや四季の行事のあるときとかに来たら、さらに楽しいでしょうね。
また、沖縄や徳之島も含めて、奄美大島をもう一度訪ねたいと思います。 -
これが、私たちが乗る飛行機のようです。
残念ながらプロペラ機ではないですね(-_-;) これで名古屋までひとっ飛び!!
次回奄美や沖縄を訪ねるときには、新幹線と船とを鹿児島で乗り継いで往復したいと思います。私は電車&船の旅が好きですからね(^^) -
「おかあさん、もっと右の方へ行って」
なんて言っていましたら、係りの方が来られて
「こちらには来ないで下さい」
と言われて、飛行機の全体をバックに入れた写真が撮れなかったのですよ(-_-;)
残念だったね~(T_T) -
それなら、ここで撮ろうか。
私も真剣ですからね。これで、搭乗機とカミさんを撮ることが出来ました。 -
名古屋へ向かう機内から見えた夕焼けでした。この夕陽が
「奄美への旅は良かったですね。ご苦労さん」
と語りかけてくれているように思えました。
きょうも酒造会社を始め何ヶ所も見学しました。
奄美大島での黒糖焼酎造りは盛んですね。西郷流謫跡では説明文が読めないような写真を撮ってしまって大失敗をしてしまいました。西郷さんについては、改めて調べ直してみたいと思います。鶏飯は良かったです。ケンムン村の見学は懐かしい思い出と共に歴史の勉強もできました。
そして「ハブ」。奄美にはハブは欠かせませんね。一度は「ハブ」の焼酎を飲んでみたいものと思いますよね~。
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旅行には良く出掛けてきた私たち夫婦ですが、奄美への旅は考えたこともなかったのです。
初日の歓迎会で感じましたように、奄美の文化には「奄美サンシン」の音色のように、心躍らせる味わいがあると感じたものです。それは明るく活発な方々の歌や踊りに接すれば、誰でも感じられるものです。
これまで4日間見てきた奄美大島のこと、とても好きになりました。
私も元気を取り戻して、もう一度奄美の方々の心と文化、歴史に触れてみたいものと思いました(^^)。奄美焼酎、ハブ焼酎もね(^-^)!(^^)!
新年会に一度お誘い頂いただけなのに、中部奄美会には再びご好意を賜り、こうして奄美旅行までをもお誘い下さったこと、本当に嬉しく思っております。
(おわり)
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この旅行記へのコメント (2)
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- 白い華さん 2018/10/30 23:59:19
- 「西郷南洲流謫跡」は、 行ってみたい・・・私。
- 今晩は。
最終章!の「西郷南洲流謫跡」から 拝見しています。
他の 「奄美大島 旅行記」は ゆっくり!と 見させてもらいますね。
丁度、1年前・・・の 秋。 「4日間の 奄美大島旅行」に 参加したのですね。
かつて、 ありましたよね~。
「中部 奄美会!の 集い・・に 参加した」って。
そんな ご縁!で 「本場! 奄美大島へ 飛んだそう。な カメちゃん ご夫妻」。
今回は、「台風の 襲来!の 心配。 飛行機が 飛ぶか ?」も 心配しながら。の 旅。でしたね。
でも、 ちゃんと、「帰り!の 飛行機も 飛べて 何より・・・でした」。
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西郷さん!が 愛伽奈・夫人。と 住んでいた・・・「西郷南洲流謫跡」は
とても、興味ある 場所。
先日、テレビで 紹介してて 「行ってみたいなぁ~」と 思っていた。ので
説明文も とても、面白く・・・勉強に なりました。
この ご旅行!の 後、 2018年の お正月から 大河ドラマ 『 西郷どん 』 が スタート。
また、カメちゃんも、 ドラマ・・・を 見ながら。の 旅!だと
いろいろ、 違って・・・見えたこと!も あるかもしれませんね。
ドラマでは、「愛伽奈との 流人!での 島・・・での 生活」が
忙しくて、 ドラマチック人生・・・の 西郷さん。には
「人生で 一番、 何も 考えなくて いい。 静か!な 平和な 時間だった」に 納得。
そんな・・・ 「息子を 設けて、 ただ、愛伽奈を 愛すればいい!だけ」の 島時間。
こうゆう 「茅葺き!の こじんまりした・・・家」で 生きていたんですね。
子孫の 説明係!も 大河ドラマ 『 西郷どん 』の 放送・直前。だと、
力が 入りましょうね。
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そして 「QE2」の 東シナ海・・・では、 大時化!に あったそう」で 大変でしたね。
私も、「高校の 九州修学旅行」が 川崎港!から 宮崎・日向へ・・・の フェリー 『 美々津丸 』 で 一泊で、 大時化。
「全員が、船内での 朝食タイム!は 無理」でした。
帰り!は 「博多 ~ 東京駅」の 新幹線でした。
また、 他・・・の 「奄美大島」を 楽しみ!に しています。
返事は、 無理せず。で いいデスヨ。
私の コメント!を 読んでくれれば、 嬉しいデス。
これからもよろしくお願いします。
- カメちゃんさん からの返信 2018/11/02 14:41:13
- RE: 私も、もう一度「西郷南洲流謫跡」を訪ねたいです。
- 白い華さん
コメントをお寄せ頂き、ありがとう御座いました。
白い華さんには「西郷南洲流謫跡」を訪ねたいとのお話。是非奄美の方へお出掛けになって下さいね。
西郷さんと言えば、幕末から戊辰戦争を通じて明治時代を切り開いた中心人物ですから、彼が活動し、暮らしたところを是非見たいですよね。
「西郷南洲流謫跡」にはもう一度行って、じっくり観察したいですし、写真も丁寧に撮りたいです。
私もそうでしたが、西郷さんの言動をじっくり調べてみますと、改めて明治の在り方とか日本の近代史についての認識が変わってくるかも知れませんね。
奄美の歌と踊りと奄美サンシンの音色などは、私たちを楽しませてくれると思いますよ。是非ぜひ、奄美をお訪ねになってみて下さいね!!
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「QE2」での大時化の体験は、今にしてみれば貴重な?体験でした。でも、2度は体験したくないですよね〜(^o^)
カメちゃん
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