2018/09/28 - 2018/09/28
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belleduneさん
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朝倉氏は、兵庫県養父市八鹿町の豪族でしたが、南北朝時代、朝倉広景が主家の斯波高経に従って、越前に入国しました。朝倉孝景の時代に、応仁の乱(1467)で活躍したことで、一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放し、越前を平定したそうです。その後、朝倉孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代(103年間)に亘って、越前の中心地として繁栄しました。この時、京や奈良から貴族、僧侶ら文化人が下向したため、北陸の小京都と呼ばれていたそうです。義景は、足利義昭を南陽寺に迎えて、観桜の宴を催したこともありますが、1573年、刀根坂の戦いで織田信長に敗れ、朝倉氏は滅びました。城下町も焼き討ちにあい、全て灰燼に帰すこととなってしまいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
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一乗谷は福井市街の東南約10kmに位置し、戦国大名朝倉氏の城下町の跡が全て田畑の下の地中に埋もれていました。
九頭竜川の支流、足羽川の更に下流になる一乗谷川沿いの谷合いに位置します。
まず、平面復原地区から見ていきます。この地区には幹線道路が南北に通り、西の山際には多くの寺院跡があり、土塁、柿経、卒塔婆、墓地などが発見されました。道路沿いには大甕を並べた紺屋(染物屋)をはじめ、数珠屋、鋳物屋、檜物師、刀研ぎ師などの職人の家や坪庭のある医者の家が立ち並び、町屋を形成していたそうです。原寸大の立体模型は、日本初で、平成7年(1995)に発掘結果や史料などを参考にして、200mに亘って当時の街並みが復元されています。 -
朝倉ゆめまるのパンフレットにあった平面復原地区の地図です。まだまだ地下に埋もれた発掘調査が行われています。一般の方も参加できる発掘調査は事務所へ問い合わせてください。
一条谷には約40の寺院があったと考えらるそうです。 -
一乗谷は東西やく500m、南北やく3kmと細長く、福井平野の端から山地へと続くすぐのところにあり、近くには北陸道、大野盆地に続く美濃街道、鹿俣峠があり、更に越前府中(現・越前市)へと続く街道、朝倉街道などがある交通の要衝となっています。また一乗谷は、東西、南を山に囲まれて、山峰には城砦や見張り台が築かれ、北は一乗谷川が流れているというこの辺り全体が大きな要塞群と言えます。
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これは昔の井戸。
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侍屋敷跡が並んでいます。
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これから職人の家を見ていきます。
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この下の石を積み重ねた部分はそっくり土砂に埋もれていたそうです。
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雨水などを家の外へ流す溝がちゃんと造られています。
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どの家の中にも井戸がありました。
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裏手には厠があります。
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ここには少し大きな厠がありました。
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家の中には明かり取りの格子の入った窓が作られています。
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どの梁もちゃんと削られています。
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道路に面した窓
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染物屋(紺屋)の家には甕が並んでします。
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当時の出で立ちをした案内人がいらっしゃいました。
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侍屋敷後には門、庭園、蔵、納屋、井戸、厠などがありました。
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道路の向こうには一乗寺城のある一乗城山が見えます。
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屋根は、瓦ではなく、石で屋根板を押さえてあります。
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焼き物屋で売るのは、主に夫人だったそうです。主人は、戦いに行く時、武士として出陣するための腹巻鎧や刀が置いてあるという。
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奥の納戸は、引き戸で仕切られていています。冬の夜は寒かったでしょうね。
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棚に下段に置かれたアンカです。炭を入れた暖房器具だったのでしょう。
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ここも侍屋敷跡で現在は門だけが復元されています。
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門を入った景色です。
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内部の建物を復元された侍屋敷を見にいきます。
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この屋敷は、約30m四方の標準的な広さで、周囲を土塀で囲み、西の道路に向かって表門を建ててあります。
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30坪ほどあり、正面い蔵、左手に納屋があります。
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中央に井戸があります。左手は納屋です。
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塀中門の向こうに主殿の納屋が見えます。
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納屋部分とその隣が主室部分です。
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板蔵
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板蔵の入り口
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屋敷内の南半に6間X4間の主殿を配しています。
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ここは台所です。
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主室の座敷です。畳敷きで、舞良戸、明り障子などの引き戸が多く使われています。木材の加工には、鉋、ヤリ鉋、手斧などの用具を使われていました。かなり進んだ建築様式だったことが分かり、一乗谷の文化水準の高さが伺われます。
越前朝倉将棋対戦中の人形がありました。当時の正式なルールは、現存していないのですが、現在の本将棋に醉象を加えたものだそうです。持ち駒が再使用できないということが一番異なる点のようです。 -
この主室は、接客や日常生活の場でした。
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縁側にはヒラ釘が使われています。
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離れは、三畳の小間
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復原地区の模型
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これから道路を渡って、朝倉館跡へ向かいます。奥に見える山が一乗寺山で、山頂に一乗寺城跡が残っています。
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一乗寺側の反対側の景色です。
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朝倉館跡正面に建つ唐門は、幅2,3mの唐破風造り屋根の向唐門。朝倉氏の遺構ではなく、後に建てられた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔う為に造られたと伝えらえています。門表に朝倉家の三ッ木瓜の紋が刻まれています。現存している門は、江戸中期頃に再建されてものだそうです。
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朝倉館跡は、一乗谷の中心部にあり、朝倉家当主が住んでいたところです。西、南、北の三方を高さ1,2m~3mの土塁で囲まれ、その外側を幅約8m、深さ約3mの堀で囲んであります。三方の土塁に其々隅櫓、門他あり、西方の門が正門(御門)で、現在は唐門です。平坦部の面積は、約6400平方mで、内部には17棟の建物があったそうです。最大の常御殿は、東西約21,4m、南北約14,2mで、南側には主殿、会所、数奇屋、庭園、花壇など接客用の建物があり、北側には台所、持仏堂、湯殿、蔵、厠などの日常生活の施設があったそうです。建物は全て礎石に角柱を立て、その上に建てられていました。杮葺の屋根を葺いていたと考えられていますが、鬼瓦や棟石も発掘されています。舞良戸や明り障子などの引き戸も多く見られ、畳を敷き詰めた部屋も多くあったらしい。
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護岸石を館の礎石に兼用し、庭園を囲むように接客用の館が建てられていました。池は数奇屋跡の南の山裾にあり、滝口前方には水分石がありmした。滝石組が中央に配され、付近には橋挟石と石橋の破片が遺存しているそうです。池には大きくて平らな川石が敷き詰められていたという。東側の急斜面には、小砂利を化粧敷きにして、庭石を数個配した枯山水があったとされています。この庭園の庭石の一部には海石である安島石(普通輝石紫蘇石安山岩)や青石(緑色片岩)が使われていたそうです。
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昭和43年(1968)に常御殿の南側中庭で、日本最古の花壇の遺構が発見されましたが、東西9,8m、南北2,8mの長方形で、花粉分析からシャクナゲ、ボタン、キク、ハギなどが植えられていたことが判明したです。
正面奥やや右手に朝倉義景墓が見えています。天正4年(1576)に村人によって建てられた小祠の場所に、寛文3年(1663)、福井藩主松平光通が墓塔を建立したそうです。 -
標高473mの一乗山に、15世紀前半に築城された中世山城であると考えられています。一度も戦闘せずに、廃城となっっています。ここへ行くには、登山道を登っていかなければなりません。曲輪、空堀、堅堀、土塁、伏兵穴跡などの遺構が残っているそうです。全長1,5km、幅200mの曲輪を配して、主郭部分は約600mと200mとなっています。本丸(千畳敷)は標高416mにあり、枡形虎口のある観音屋敷跡、福井平野が望める宿直(物見台)跡、赤渕明神跡、月見櫓跡などがあるという。東南方向に尾根伝いに一の丸(443m)、二の丸(463m)、三の丸(473m)となっています。各曲輪は堀切で区切られている連郭式城郭だそうです。西側には飲料水として使われた湧き水の不動清水があります。
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諏訪館は朝倉義景の側室「小少将」の館です。
諏訪館跡庭園は上下二段で構成される回遊式庭園で、上段は滝石組と湧泉石組、下段は、大きなヤマモミジの下に高さ4,13m、幅2,5mの日本最大の滝副石を使った豪壮な滝石組があります。 -
今はまだ青い山紅葉も今頃は紅葉して、真っ赤に色づいていることでしょう。
落差が大きいため、水落石は四段組になっています。水分口が滝口の前方にあって、立派な石橋が池尻に架けられています。礼拝石、橋挟石なども型通りに配され、当時の庭園様式をよく表しています。4つの庭園(湯殿跡庭園、南陽寺跡庭園、朝倉館跡庭園、とここ諏訪館跡庭園)の中で、ここが一番規模が大きく、回遊式庭園としては第一級の豪華さを持つものとされています。 -
滝副石の表面に心月寺十八世月泉和尚の筆による教景、貞景、孝景の法号を刻んで、供養しています。
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諏訪館跡庭園から下を眺めています。
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先程上から見ていたところは、米津で、一乗寺川右岸の上条戸跡から朝倉館跡との中間にあります。城下町の中心部に近いことから重要な場所だったと考えられています。平成19年に発掘調査を行い、遺構は一部削平されていましたが、土塁を巡らせた敷地には、いくつかの建物跡、井戸跡のほか、敷地内南東部には炉跡が確認されています。また、遺物には、日常生活で使用されたものの他、刀装具を型押しした土製の型や金属を加工する材料、道具が出土しています。このことから、この地には朝倉氏から特別な権限を与えられ、特殊な製品である刀装具を製作したお抱えの金工師がいたと考えられています。
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