2018/09/29 - 2018/10/01
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entetsuさん
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9月末、日本列島を駆け抜けた台風24号。この時「高知」に滞在中でした。
転勤で3年間(H3.4~H6.3年)生活した高知で宴会があり、家内と共に久々に出かけてきました。
台風接近で宴会翌日は折角の日曜日、名物の日曜市を始め各種観光施設も軒並み閉館。
台風一過の10月1日(月)は、一転快晴。
高知在住時代には訪れたことのなかったスポットも含め、しばし観光をします。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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台風一過とはうまく言ったもので、ご覧の快晴です。
2008年に高架化され、同時に三代目駅舎が美しく建て直された高知駅です。高知駅 駅
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イチオシ
駅前広場の「土佐三志士像」はセッティング中です。
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中央の坂本龍馬もセッティング完了。
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ホテルすぐ隣のトヨタレンカーで車を借ります。
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イチオシ
高知駅前ひろばの「土佐三志像」。
左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の順に並んでいます。
武市半平太は、尊王攘夷思想を掲げて土佐勤王党を結成しました。
中岡 慎太郎は、陸援隊隊長で、坂本龍馬らと共に薩長同盟の斡旋に尽力するも近江屋事件で横死しました。 -
ホテルから最も近い「高知八幡宮」から観光スタート。
正面の鳥居です。高知八幡宮 寺・神社・教会
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西側の旧参道の鳥居。
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約700年前(南北朝時代)、高知市周辺の領主・大高坂松王丸が大高坂城(高知城)の守護神として京都石清水八幡宮から城内に勧請したと伝えられています。
慶長年間には、山内一豊公が土佐に入国、高知城築城に際し、西ノ口に社殿を建立し、以降、藩主の崇敬篤く城内城下鎮守の神として崇敬されてきました。 -
明治3年~4年にかけ、本宮を氏子の中心地である現在地に奉遷しました。
こちらは、昭和の代になって再建された社殿・幣殿・本殿です。
祭神は応神天皇、神功皇后、宗像之三女神と伝わります。 -
巫女さんですが、装束に着替える前に掃除をされていました。
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今年は戌年だった・・・。
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境内社がいくつかあります。
これは、恵美須神社。
祭神は、事代主命(えびすさま)。 -
釣船神社。
祭神は、釣船大神(つりぶねおおかみ)。釣船神社 寺・神社・教会
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社伝によると、「その昔、御畳瀬(みませ)の浦の船が釣りをしているとキスゴ(鱚)の漁が多く、その中に御神体を釣り上げて、釣船大神と祭った」とあります。古来、熱病退散の霊験著しく、遠近から日々参詣祈願者が絶えません。また、祈願、奉賽には 鱚をお供えする風習があり、一般には「きすごさま」と呼ばれています。
(神社HP) -
左から包丁塚、箸塚、魚供養の碑。
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神馬像。
「高知八幡宮」。
それ程大きくないですが、しっとり落ち着いたいい神社でした。 -
高知城にやって来ました。
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山内一豊像。
織田信長→豊臣秀吉→徳川家康にそれぞれ仕えたのち、1601年(慶長6年)、掛川から土佐に移封となり、浦戸城に入城したのち、こちらの高知城を築城しました。高知城 (高知公園) 名所・史跡
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追手門側面と追手門東北矢狭間塀は、いずれも重要文化財。
ここに野中兼山の邸宅跡があったとされます。野中兼山(のなか けんざん)は、江戸時代初期の土佐藩家老・儒学者。
灌漑、築港、社会・風教改革、各種産業の奨励など活動は多岐にわたりましたが、過酷な労働を強いたことから領民の不興を買い失脚、一族が絶えるまで宿毛で家族全員幽閉されました。野中兼山先生邸址 名所・史跡
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イチオシ
追手門から見上げる天守。
天守の上方には半月の月も見えます。高知城 (高知公園) 名所・史跡
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門の入り口は枡形の巨大な石垣で囲まれていて、敵を3方から攻撃できるようになっています。江戸時代からの現存です。
高知城 (高知公園) 名所・史跡
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追手門を潜り、場内を進むと目についたのが「板垣退助像」。
高知出身の政治家で、明治維新の元勲。自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受けていました。
岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷した際、出血しながら「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言い、これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになりました。
しかしながら、この時の傷はそれほど酷いものではなかったらしく、その後27年後82歳で亡くなりました。
最近人気の、「残念な日本史」にも取り上げられるエピソードですが、板垣の功績は変わりはありません。板垣退助銅像 名所・史跡
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美しい天守が近くなってきました。
石垣に「石樋」という設備があります。
これは、雨の多い高知城特有の排水設備で、三ノ丸に降った雨水を集めて2か所の石樋から排水することにより、石垣内部に泥水が入り目詰まりによるゆるみが生じないよう設けられたものと考えられます。高知城 (高知公園) 名所・史跡
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更に進むと、「山内一豊の妻の銅像」があります。
山内一豊の正室である見性院は、嫁入りの持参金(またはへそくり)で夫・一豊の欲しがった名馬を購入し、主君織田信長の馬揃えの際に信長の目に留まり、それが元で一豊は加増されたといわれます。
この逸話は、家制度の道徳である良妻賢母と結びついて行き、第二次世界大戦以前の日本において、賢妻のモデルとして高等女学校の教育に採用されました。
しかしながら、これも山内家の伝記に購入譚が記述されておらず、名馬購入譚は江戸時代になってから作られた話であるとするのが定説で、「残念な日本史」の一つです。高知城 (高知公園) 名所・史跡
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現存しませんが、ここの城壁の上に藩主の居住空間である二ノ丸御殿がありました。
高知城 (高知公園) 名所・史跡
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だいぶん上がって来ました。
桜で有名な高知公園まで来ると、天守はこの大きさです。高知城 (高知公園) 名所・史跡
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高知城懐徳館です。
本丸御殿を利用して展示がされています。料金420円。高知城懐徳館 美術館・博物館
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天守は昔から解放されていましたが、随分整備され綺麗になりました。
「撮影OK」も有難い! -
パンフレット。
日英中韓など各国の言語版がありました。 -
欄間に注目。
高知市の製菓メーカー「浜幸」の特徴的なマークと同じもので、鯨と黒潮の波をモチーフにしています。 -
こちらはまた別の欄間。
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古い階段で上に上がって行きます。
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高知城の天守は国の重要文化財に指定されている 望楼型天守の典型だといわれます。
外観は4重、内部は3層6階建ての建物で、入母屋造りの屋根の上に望楼を載せています。 -
最上階にやって来ました。
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360度、四方が見渡せます。
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30年近く前、高知の地に転勤で赴任し、営業の前線の仕事をしていた時、ここに来て、「高知は田舎だなんていうけど、こんなに家があるではないか」と自らを奮い立させたことを思い出します。
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天守の見学と、天守からの景色を見て、降りてきました。
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イチオシ
三ノ丸にやって来ています。
現存しませんが、三ノ丸御殿が建っており、年中行事や儀式を行う大書院・裏書院・藩主の控えの間である御居間などから構成されていました。
ここから見上げる、天守(本丸)が一番綺麗でした。
高知城は、天守、追手門など15棟が重要文化財に指定されています。
江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、城跡は国の史跡に指定され日本100名城にも選定されています。
(なお、天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみ、天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所です)
久々に訪れましたが、家内とも「こんなに綺麗な城だったんだね」と改めて話した次第でした。高知城 (高知公園) 名所・史跡
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つづいてやって来たのは、「山内神社」です。
1806年、土佐藩10代藩主山内豊策公の時代に、山内一豊公と同夫人・見性院(千代)、2代藩主山内忠義公を祀るため、高知城内に藤並神社が建てられました。
1871年(明治4年)、土佐藩最後(16代)の藩主で、初代知藩事となった山内豊範が、藤並神社の御旅所であった現在地に山内神社を創建しました。 -
山内家の家紋は「三つ柏紋」
三菱財閥創始者の岩崎彌太郎は、この「三つ柏紋」を基にして、三菱マーク(スリーダイヤ)を考案したとされるのが通説です。山内神社 / 山内容堂像 名所・史跡
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社殿です。
スッキリしていて美しい。
「三つ柏紋」も映えます。 -
「山内容堂像」。
土佐藩15代藩主、容堂は当初は幕府を擁護していたが、倒幕へと傾いた時代を止めることは出来なかった。幕府が委託されている政権を朝廷に返還する案および「船中八策」を坂本龍馬より聞いていた後藤象二郎は、これらを自分の案として容堂に進言し、容堂はこれを妙案と考え、老中・板倉勝静らを通して15代将軍・徳川慶喜に建白しました。
これにより慶応3年10月14日(1867年11月9日)、慶喜は朝廷に政権を返還した。
山内容堂は、今では大政奉還の重要なキーマンであったというのが通説です。 -
近くのホテル「三翠園」にやって来ました。
三翠園 宿・ホテル
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このホテル、地元では有名な老舗ホテルですが、ここに幕末1866年に土佐藩15代藩主山内容堂の下屋敷(南御屋敷)として侍屋敷7軒を召し上げて建設された武家屋敷内に建てられた長屋があります。
屋敷の警護に就く多数の足軽が宿泊するために建設されたものとされますが詳細は不明です。
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下屋敷(別邸)は明治時代は拡張され山内家の本邸として使用されていたが戦後に売却されて、跡地はホテル三翠園になっています。
現在は、この長屋のほか門と物見亭が現存します。物見亭は慶応3年(1867年)2月に容堂と西郷隆盛が会見した場所として有名です。旧山内家下屋敷長屋展示館 美術館・博物館
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「土佐神社」にやって来ました。
土佐神社 寺・神社・教会
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土佐国一宮、旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社という立派な格式高い神社ですが、初めてやって来ました。
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土佐の国代々の領主は土佐神社に対して崇敬が篤く、現在の主要社殿は戦国大名の長宗我部元親による造営とされます。
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ご覧のように神社には珍しい、森めぐりができます。
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また、靴を脱いでの参拝も珍しい。
祭神は、「味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)」と「一言主神(ひとことぬしのかみ)」。 -
社殿は、国の重要文化財。
入母屋造りの前面に向拝を付けた本殿とその前方の十字形の幣殿、拝殿、左右の翼、拝の出からなります。 -
前日通り過ぎた台風で飛び散った葉っぱなどを総出で清掃中。
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重要文化財の一部をなす本殿。
美しいです。 -
摂社である「大国主神社」「西御前社」「事代主神社」をお参りして裏の森に向かいますq
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大きい杉の木。ご神木です。
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土佐神社消防団。
現在では、谷水流入時の調整池だそうです。
すごい。 -
更に院内社を見つけました。
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神明宮です。
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祭神は、「天照皇大御神(あまてらすのおおみかみ)「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」です。
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「鼓楼」。
国の重要文化財です。 -
鼓楼は、江戸時代前期の慶安2年(1649年)、土佐藩第2代藩主山内忠義による造営です。
社殿、鼓楼に加え、参道入り口に立つ楼門は「神光門」とも称される重要文化財ですが、気付かず通り過ぎてしまいました。 -
末社の「厳島神社」。
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隣にある神社が四国八十八箇所霊場の第三十番札所「善楽寺」。
善楽寺 寺・神社・教会
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善楽寺は、真言宗豊山派に属する寺院。
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百々山(どどさん)、東明院(とうみょういん)と号します。
それでは、最後のスポットを目指します。 -
最後のスポットに向かう途中、ランチに立ち寄ったのは・・・。
豚太郎 大津店 グルメ・レストラン
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ラーメン、ギョーザの豚太郎!
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メニューです。安い!
豚太郎は、昭和42年(1967年)12月、高知市菜園場に1号店となる「豚太郎本店」をオープンさせたという老舗。
私が、高松市の高校に通っていた昭和48年ごろには高松市内にも支店が出来ていて、初めて食べたのもこの頃でした。 -
私は、トリプルセット。ラーメン、餃子、炒飯の黄金トリプル(笑)。900円です。
ラーメンは「塩」にしてます。 -
家内は、虹セット。
ラーメン、麻婆丼、サラダで830円。
サラダがあるからヘルシーと思いきや、結構ヘビーです。 -
最後のスポットに選んだのが「竹林寺 」。
ここは、四国八十八ケ所の中でも私が知る限り一番美しいお寺。
ここにも高知在住時代は来たことがありませんでしたが、その後初めて訪れてその美しさに感動し、今回もやって来ました。竹林寺 寺・神社・教会
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竹林寺は、四国八十八箇所霊場第三十一番札所です。
さっき行った善楽寺の次のお寺ということになります。 -
参道である階段を上がり、さっきの山門を潜らず、右に進みます。
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虚空蔵菩薩堂。
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このお寺の最大の魅力は、苔です。
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鐘楼。
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宝物殿。
中に入る時間が無かったけど、多数の重要文化財の仏像を拝観できるそうです。竹林寺 寺・神社・教会
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山門。
「竹林寺(ちくりんじ)」は、高知市五台山にある真言宗智山派の寺院で、山号は五台山(ごだいさん)。 -
入母屋造楼門で、左右に金剛力士(仁王)像が安置されています。
こちらは右側。 -
左側。口を閉じて、手を開いているのが特徴的です。
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山門を潜り進んで行きます。
この辺りも、苔が美しい。 -
「日吉神社」。
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元は、山王権現と奉称されていた五台山鎮護のために歓請された神社です。
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鹿の像。
以前は、この山にも多くの鹿が住んでいたとのことです。それを偲ぶ様に記念碑を建てています。 -
本堂。
国の重要記念物です。
文殊堂とも呼ばれ、室町時代の建立とされます。竹林寺 寺・神社・教会
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ご本尊は文殊菩薩。
切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられます。四国八十八箇所のうち文殊菩薩を本尊とするのはここだけです。 -
本堂前の広場から見上げると、高さ31.2mの五重塔が見えます。
竹林寺 寺・神社・教会
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薬師如来さん。
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五智如来石像。
大日如来の悟りの世界を表した立体曼荼羅です。 -
大師堂。
竹林寺 寺・神社・教会
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1644年(寛永21年)、土佐藩2代藩主山内忠義によって建立。
大師像(弘法大師=空海)を拝観できます。 -
更に上段にある五重塔。
総檜造で、昭和55年(1980年)に再建されました。
寺院HPより。
「当山には古くは三重塔がありましたが、明治32年(1899年)の台風により倒壊。爾来、塔再建を悲願としてきましたが、昭和55年(1980年)、高さ31メートル、総檜造り、鎌倉時代初期の様式をもつ五重塔として復興しました。」(以下略) -
一言地蔵。
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叶えたい願いを、一度に一つだけ叶えてくれるという地蔵様です。
ということで、朝から市内に点在するいくつかのスポットを駆け足で巡りました。
取り分け、「土佐神社」の荘厳さと、「竹林寺」の美しさは感動物でした。 -
竹林寺門前の商店で購入した「高知名物アイスクリン」。
牛乳の代用品として鶏卵、脱脂粉乳などを使って作られたアイスクリーム風の氷菓。
子供が小さい頃、あまり買ってあげなかったのを、2人の息子(もう30過ぎですが)今だに恨みに思ってるらしい。竹崎商店 グルメ・レストラン
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高知駅前店で借りたレンタカーを、高知空港店で返し、高知龍馬空港へ。
2階のレストランチャオで乾杯しましょう。チャオ グルメ・レストラン
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ここにもありました土佐料理。
「ウツボのたたき」です。
元々は中土佐地方の漁師さん料理でしたが、今では県内何処でも食べることができる様になりました。
ゼラチンがプルプルで人気です。 -
帰りの機内。
非常口席で、やや広め~。
という事で、懐かしい面々とも会えて、行った事の無かったスポットにも訪れる事のできた高知の旅でした。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
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旅行記グループ 駆け抜けた台風24号。この時「高知」にいました!
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