2018/09/08 - 2018/09/09
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Huumaさん
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2018年9月8日(土) 幕末、明治初期に主に越後国(新潟)で活動した彫刻家、石川雲蝶(いしかわうんちょう)の名作を訪ねて魚沼市の永林寺、西福寺開山堂へ参ります。魚沼を中心に絵画を含めた作品は1000点以上が現存しているといわれています。
9月9日(日)直径4尺(約120cm)の玉、大きさ日本一の花火が上がる片貝花火大会への新潟発バスツアーに参加します。
表紙は、曹洞宗永林寺の彫刻、石川雲蝶作天女
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 自家用車
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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9月8日(土)関越自動車道、堀之内ICを下りて懐かしい「堀之内やな場」に立ち寄ります。
まだ高速がなく、東京ー新潟を国道17号で往復していた頃、時々鮎を食べに来たものです。 -
越後三山をはじめとする山々の雪解け水が流れを激しくしています。
堀之内やな場 グルメ・レストラン
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堀之内やな場
多くの知名人が来られています。 -
永林寺
案内書によると、〝約500年前に創建され、松平光長(越後高田藩主)の菩提所として本堂建築を認められると共に、葵の紋章を許された曹洞宗の名刹”とあります。 -
永林寺本堂
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彫工 石川雲蝶(いしかわうんちょう)
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約13年の月日をかけ、欄間をはじめとする彫工や絵画など多くの作品を手掛け、中でも欄間に施された天女の透かし彫りは有名。
永林寺 寺・神社・教会
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石川雲蝶代表作のひとつ、天女(カタログ撮影)
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石川雲蝶代表作のひとつ、天女(カタログ撮影)
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石川雲蝶代表作のひとつ、雲水龍・右(カタログ撮影)
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石川雲蝶代表作のひとつ、雲水龍・左(カタログ撮影)
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永林寺 御朱印
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永林寺周辺、魚沼市根小屋の田園風景
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赤城山 西福寺山門(赤門)
案内には、〝第一の山門である赤門の前には、石川雲蝶の彫った石碑が二つ立っています。
右には火除地蔵が立ち、この村を火災から守っています。そして、左側には「禁葷酒」と刻まれた石塔が立っています。これは、禅宗の山門に立つ戒めを説く石碑で、葷とは、にんにく、にら類のことをいいます。葷や酒を食した直後に、山門に入ることを禁ずるという意味で、山内の清浄を汚してはならないという戒めの言葉です。″ -
西福寺山門(白門)
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石川雲蝶 源正照
〝本名安兵衛。文化11年(1814)江戸雑司ヶ谷に生まれる。20歳代で江戸彫刻石川流の奥義を極め、幕府御用勤彫工として苗字帯刀を許される。
30歳になった頃、越後の金物商内山又蔵の依頼を受け三条へ入る。その後、酒井家の婿養子となり越後人となる。
39歳の時、当寺23世蟠谷大龍和尚の命を受け、約6年間の開山堂荘厳の制作に携わる。開山堂の大作を機にあまた依頼がかかり、雲蝶は越後の名匠となっていく。
各地で制作活動に打ち込んだ後三条に戻り、明治16年(1883)享年70歳で生涯を閉じる。
雲蝶が、仏の教えを尊び探究心旺盛な努力家であったことは、越後に残された数々の傑作から見て取れる。
この像は、雲蝶が当時開山堂にある仁王像を彫りあげている場面を再現したものである。”
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西福寺開山堂入口
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赤城山 西福寺(せきじょうさん さいふくじ)
創建年 1534年 開山 芳室祖春 開基 波多野義重 本尊 阿弥陀如来 -
西福寺 開山堂
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西福寺 開山堂
〝安政4年(1857)に、23世蟠谷大龍和尚によって建立され、建築様式は鎌倉時代禅宗仏殿構造。屋根は茅葺き二重層、上層部は入母屋造り。唐破風の向拝を有しています。
開山堂の中には当西福寺の開山茅室祖春和尚と、曹洞宗の開祖道元禅師が祀られています。
また、堂内の天井、欄間、壁面等には、石川雲蝶作の彫刻、絵画がふんだんに施され、それらの作品は新潟県重要文化財に指定” -
西福寺開山堂 向拝虹梁の彫刻装飾
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西福寺開山堂天井彫刻(案内書撮影)
石川雲蝶が6年かけて作ったとされる「道元禅師猛虎調伏の図」(約5.5m四方)西福寺 開山堂石川雲蝶の彫刻 寺・神社・教会
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西福寺 御朱印
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関越自動車道・越後川口SAにある展望台から臨む越後三山
右から八海山、中之岳、越後駒ケ岳越後川口サービスエリア 道の駅
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八海山(標高1778m)
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中之岳(標高2085m)
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越後駒ケ岳(標高2003m)
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越後川口SA展望台からの信濃川(魚野川合流地点)と刈り取りを待つ金色に実った田圃。
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9月9日(日)昨日より、新発田に1週間ほど宿泊して周辺の新潟、山形羽黒山、福島南会津を廻ります。今日は、新発田市内を走り、そして夜は小千谷の片貝花火大会です。
新潟県新発田市「白壁兵舎広報史料館」
当史料館は、明治7年に陸軍兵舎として建築されたフランス様式と和風城郭様式の和洋折衷小屋組等に見られる歴史的建造物である白壁兵舎を移築復元し、平成26年5月から「広報史料館」として開館されています。 -
旧陸軍歩兵第16聯隊がおかれた現陸上自衛隊新発田駐屯地の前、新發田兵舎跡地に移築復元されています。
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新發田兵舎之跡の石柱
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史料館の2階から廻ります。窓から自衛隊の中、そして右に新発田城櫓が見えています。
2階に新発田城、白壁兵舎、旧軍関連、八甲田山各コーナー、1階に自衛隊コーナー、オープンシアターとなっています。 -
新発田城城郭図
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新発田歴代藩主 溝口秀勝侯肖像 溝口氏略系
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堀部安兵衛の掛軸、左は新発田市・長徳寺の「義士堂」に安置されている木像図掛軸
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新発田駐屯地兵舎(白壁兵舎)の構法研究と復元模型の制作
新潟職業能力短期大学校 住居環境課 平成25年度総合政策実習
大沼 陽平氏 水野 雄介氏
説明では、〝・・・外壁は純白な漆喰塗のモダン建築物であり、雁木などの雪国に立つ建物の特徴をもった建物です。建物の大きさは梁間方向約10m、桁行方向は100mを越える横長の二階建て、屋根は寄棟屋根、正面から見ると左右対称の木造建物です。 模型縮尺 1/50 ” -
白壁兵舎の概要
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新発田兵営配置図
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歩兵第十六聯隊
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歩兵第十六聯隊内菖蒲城址大手門
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ガダルカナルの戦闘
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アメリカ製250kg爆弾
昭和20年8月、Bー29爆撃機により群馬県大田飛行場に投下され、不発のまま地中に没した。
昭和40年5月、当時の目撃者から届出があり、自衛隊の手によって回収した。(尾翼は破損してとれている) -
最後の御前会議
昭和20年8月14日午前10時ころ宮中吹上御苑の地下防空壕内にて行われた。 新潟市の方から寄贈 -
淺原神社秋季例大祭奉納大煙火(片貝まつり)
打上時刻 19:30~22:20 打上数 約1万5000発(2日間で)
新潟発のバスツアーで参加しました。新潟出発の時は豪雨、小千谷に近づくと雨は上がってきました。 -
ツアーバスの中、片貝花火の番付リストが回ってきました、そこには、
世界一四尺玉煙火筒
重量 420kg 空での大輪 800m 地上より上がる高さ 800m -
頭上に開いている、大きさ、音がもの凄い!
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近くまで屋台が廻ってきたので、桟敷席から少し出てみます。
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自分たちグループの花火がサー上るぞ!と大喝采をあげています。
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そして自分たちスポンサーの花火が上りました、熱狂です!
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スターマインです。
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夜空一面が紫色です!
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夜空一面が緑色です!
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線香花火です!
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22時、四尺玉が上りました!身体にズシーンと重く響きます!
カメラでは、この大きさ、凄まじさを表現するには技量が必要です、しかし大満足です!片貝まつり浅原神社秋季例大祭奉納大煙火 花火
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流れ落ちていきます!
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22時30分、花火は終了、ツアーバスが待つところへ向かいます。
新潟でバスを降り、留め置いた自用車で新発田の宿泊先「深層湯温泉 紫雲の郷」に着いたのが、翌10日午前2時を過ぎたところでした。
10日(月)は、新発田、深層湯温泉 紫雲の郷で入泉し休眠後、終日新発田の所用に走り、
11日(火)は、新潟の「豪農の館 北方文化博物館」を鑑賞します。
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