2018/09/17 - 2018/09/17
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横浜市保土ヶ谷区岩井町の旧金沢街道(かなざわかまくら道)の「いわな坂」(「石名坂」、「磐名坂」、「石難坂」と諸説があるという。)には「政子の井戸」と呼ばれる井戸がある。「鎌倉時代、源頼朝の妻政子(正確には源頼朝の妻(御台所))がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、」とあり、頼朝の生前の出来事なのであろう(没後は未亡人となり、尼将軍と呼ばれていたが、晩年には正式名を「平政子」としている。)。また、記載された「鎌倉時代」(1185年~1333年)というのも怪しい。頼朝が鎌倉に入って以降の平安時代末期(1180年~1185年)であってもおかしくない。少なくても政子が亡くなる嘉禄元年(1225年)までのことでないのなら、井戸が「政子の井戸」と呼ばれることはなかったであろう。
さらに、江戸時代になると、「保土ヶ谷宿」(程ヶ谷宿)「の苅部本陣に」「将軍が休息した時、御膳水としてこの井戸の水を使用したと伝えられ」るほどの名水であり(、天皇が東幸なされて苅部本陣に寄られた際にも使用されたという記載があるWebもあるが、戸塚宿のように明治天皇の東幸の際の御在所の記念碑は見かけなかったので誤記であろうか。)、咽を潤したのであろう。後の政子となる御台所も女性であったから、化粧に使ったといつの時代かに変わったのであろうか?
少なくても、乗蓮寺(井土ヶ谷上町)にある今も水が湧いている「尼将軍化粧の井戸」を見た後では、月とスッポンで、この政子の井戸は取るに足らないものである。
(表紙写真は御所台の井戸(政子の井戸))
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御所台の井戸(政子の井戸)。
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「横浜市地域史跡 御所台の井戸」史跡標柱。
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「御所台の井戸(政子の井戸)」(平成4年(1992年)銘)プレート(看板)。
「御所台の井戸(政子の井戸)
この道は、旧金沢道(金沢・浦賀往還)、俗称金沢横町と呼ばれる道で古くより鎌倉へ到る道として知られていました。この坂は石難坂(石名坂)といい、坂の上の辻に北向地蔵があります。
鎌倉時代、源頼朝の妻政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、「御所台の井戸」とよばれています。
また、保土ヶ谷宿の苅部本陣(保土ヶ谷町一丁目68番地)に江戸時代、将軍が休息した時、御膳水としてこの井戸の水を使用したとも伝えられています。
(社)横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課」
「(社)横浜国際観光協会」とあるが、昭和36年(1961年)2月16日に設立された「(社)横浜市観光協会」が昭和61年(1986年)7月23日に「(社)横浜国際観光協会」に改称したもの。 -
御所台の井戸(政子の井戸)。
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御所台の井戸(政子の井戸)。
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