伊香保温泉から猿ヶ京・法師温泉の旅(二・三日目・完)~猿ヶ京・法師温泉の玄関は水上温泉、谷川岳と同じく上毛高原駅。三国温泉郷の名前も広域合併に合わせて「みなかみ18湯」に統合されましたが、やはり別物の趣きです~
2018/09/07 - 2018/09/08
2位(同エリア132件中)
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この旅行記のスケジュール
2018/09/07
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後閑駅に到着
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バスで猿ヶ京温泉まで
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猿ヶ京温泉から法師温泉までバス
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法師温泉の周辺の散策
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法師温泉から猿ヶ京温泉までバス
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猿ヶ京温泉の散策 猿ヶ京で宿泊
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猿ヶ京温泉の散策
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たくみの里経由、上毛高原駅までバス
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この旅行記スケジュールを元に
伊香保温泉から回った後半の猿ヶ京と法師温泉は、上越線の後閑駅からバスで。高崎から越後湯沢に向かう上越線を離れるので、かなりひなびた温泉スポットを行く旅のつもりだったのですが、ここは旧三国街道という中山道の脇街道沿い。上杉謙信の関東遠征でも利用されたり、江戸時代は参勤交代でも使われたり。つまり、歴史的にはこちらの方が江戸と越後を最短で結んでいた表街道だったんですね。高崎から、渋川、沼田、水上、越後湯沢に向かう上越線の沿線は、もう何度も行き来していて、なじみのあるエリアなんですが、確かに宿場町というのは聞いたことがない。なるほど。そういうことだったんですかという新鮮な驚きがありました。
加えて、旧三国街道沿いには、宿場町と合わせて、湯宿、猿ヶ京、川古、法師、赤岩、奥平といったさらに多くの温泉が点在していて、かつては旧三国温泉郷とも呼ばれていた地域。しかし、広域合併によって、この辺りも水上市になったことで「旧三国温泉郷」の名前は過去のものとなり、「みなかみ18湯」の名前で売り出し中。ただ、その名前は浸透しているとは言い難いし、むしろ、旧三国街道、旧三国温泉郷のせっかくの栄光ある歴史をわかりにくくしているきらいもあるような気がしました。
ちなみに、猿ヶ京温泉は、猿が大やけどを負った子供を温泉に入れて助けたという開湯伝説。また、猿ヶ京という地名は上杉謙信の命名とも言われます。かつての市街は、相俣ダムが作られたことで赤谷湖に沈みましたが、それを眼下に眺める高台に移転し、また別の魅力が備わった感じ。
そして、法師温泉は、猿ヶ京温泉のさらに先。その一軒宿、長寿館は与謝野晶子も訪れたという名物旅館。温泉が風呂の底から湧きだすという湯屋は、風情満点。湯気を通す吹き抜けに洒落た窓が印象的な木造の建物で、少しぬるめの湯に浸かると風が心地よく流れて行く。いつまでも浸かっていたくなるような心地よさがありました。今回は、昼食付の休憩コースを利用しましたが、帰りの3時のバスのぎりぎりの時間まで食事処を使わせてくれるものいいと思いました。
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前日の伊香保温泉から、朝一番の列車で上越線の後閑駅に到着。そこからバスで猿ヶ京に向かいます。
終点の猿ヶ京に到着。バス停の目の前は旧三国街道。中山道の高崎から分かれて、北陸街道の寺泊までを結ぶ道。聞かない名前ではありませんでしたが、それが群馬と新潟を結ぶメインの街道だったことは今回初めて知りました。 -
猿ヶ京から法師温泉は町営バスで。時間の関係もあって、まずは、このまま法師温泉に向かいます。
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猿ヶ京から法師温泉に行く途中の新三国大橋。山あいに現れる赤いアーチ形の橋です。かつての三国街道は、この橋の架かる谷の底からわけ上がって行くルート。
ただ、この橋によってこそ自動車が通れる道が確保されたもの。橋の上からは遠くの山々もはるかに望めます。 -
ほどなく、法師温泉に到着です。
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なかなかの構えの一軒宿ですね。
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昼食付の休憩コースを予約していましたが、まだ時間ではないということで、周辺を少し散策します。
法師温泉から始まって三国峠に向かう山道は上信越遊歩道と呼ばれるんですが、 -
法師温泉の人の情報でも山に入ると普通にヒルがいますということ。塩を持って行って、食いつかれたら塩をかけて撃退するみたいなことだそうでした。
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少し歩きましたが、
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すぐにやばそうな感じになってきたので途中から引き返しました。
かつて法師温泉に泊まった与謝野晶子は籠を頼んでこの道を登ったのだとか。歴史の道ではあるのですが、整備する人も少なくなって、なかなか昔のようにはいきません。 -
さて、そろそろ時間かなあ。
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中へ入ると、
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イチオシ
すぐ目に入るのは、玄関を上がってすぐの待合い。
徐々に期待が高まります。 -
受付を済ませて、さっそく奥の湯屋に向かいましょう。
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さてさて。。
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イチオシ
ほー。
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なるほどー。
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ポスターで見ていた通りの眺めですよ~
吹き抜けの木造湯屋は、しゃれた窓から心地よい風がやさしく吹き込みます。 -
温泉は無色透明。透き通っているので、風呂の底からボツボツと湯の湧きあがるのがよく見える。いいじゃないですかあ。
湯はけっこうぬるめ。寒いというほどではないんですが、どっちにしても、長く浸かっていてもこれなら問題なし。山深い大自然と一体になったゆったり感を時間をかけて存分に楽しめます。
露天風呂が人気の昨今ですが、この気持ちよさは湯屋ならではのもの。酸ケ湯なんかもそうですが、露天風呂が気持ちいいというのはまだまだ温泉のことが分かっていない人の言うことです。 -
温泉を楽しんだ後は食事です。
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せんべいはお土産にして、
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これは山菜おこわ。
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イチオシ
むむ。これは単に炊き込んだおこわではありませんね。くっきりした味わい。
たぶん、油で炒めた山菜を最後に混ぜているんでしょうか。ここでも、ちょっとしたサプライズがあって、老舗旅館の片鱗を見たような気がします。 -
ここで改めて温泉に入ってゆっくりするにしても、まだまだ時間がある。
予定にはなかったんですが、せっかくの旧三国街道。旧永井宿にも足を延ばしてみることにしました。 -
緑の深い渓流沿いにさっき来た町営バスのルートを歩いて戻ります。けっこうあって4キロ弱なんですが、まあ、その距離を歩いてみるのも街道をそれなりに体感する意味はあるでしょう。
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猿ヶ京と法師温泉の中間あたり。ちょっと寄り道して、みなかみ町営赤沢スキー場へ。山あいに整備された小さなスキー場です。
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シーズンではないので誰もいないと思ったら、重機が動いていて整地をしている様子。こんなちっぽけなスキー場でも、シーズンオフからちゃんと手を入れて準備をしている。そのことにちょっと驚きました。
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再び、ルートに戻って進みます。
当然なんですが、歩いている人なんか誰もいませんね。 -
とうとう旧永井宿です。
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法師温泉から歩いて小一時間かかりましたね。
さっそく、永井宿の中ほどにある郷土館へ。 -
田舎の施設だと思っていましたが、
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展示はなかなかに充実していて、
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永井宿のことだけではなく、群馬と新潟を結ぶ重要な役割を担っていた三国街道の全体を解説していることが素晴らしい。
佐渡の金山から金が運ばれたり、越後の米や酒、三条の金物、塩沢紬、小千谷縮に十日町絣などの織物も。各種の生活物資がここを通ったことは、それだけ重要なルートだったことの証。意外に豊かな街道のイメージが湧いてきました。 -
長岡藩の河井継之助もこの街道を歩いた有名人の一人。戊辰戦争での活躍が知られていますが、その前哨戦としてこの三国峠でも、永井宿からほど近い大般若塚で、会津兵と上州8藩からなる新政府軍の戦いがあったとか。小さな歴史も紹介されています。
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ほか、地元に伝わる郷土芸能や
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美術品に工芸品の展示も美しい。
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イチオシ
これは珍しい。ガラスに描いた錦絵です。
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永井宿郷土館から坂を進んで、旧永井宿の中心部へ。
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これは、永井本陣跡。草の生えた空地のような場所で、傍らに永井宿の説明板がありました。
説明によると寛治年間(1087~1092年)、奥州の安倍頼時の家臣、長井左門兼政が安住の地を求めている間にこの地で亡くなる。その家臣たちがここにとどまり、この地を長井と名付けたのが始まりということ。
江戸時代には参勤交代の宿としても賑わったのですが、ただ、今は寂れて往時の面影はほとんどありません。 -
ほか、三国路自然遊歩道は、永井宿から三国峠に向かう道。永井宿の途中に「旧三国街道遊歩道案内図」という立て看板があって、永井宿周辺だけですが、地図で示されていました。
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山の中に細く続く道はまあまあよく整備されて。全体からみればごく一部ですが、この辺りだけなら安心して歩けます。
法師温泉に戻って、また温泉でまったり。帰りのバスの時間ぎりぎりまでゆっくりさせてもらいました。 -
法師温泉から、猿ヶ京まで帰ってきました。
今夜の宿は、こちらの旅籠しんでん。観光地図では市街のまあまあ中心にあると思ったのですが、実際はかなりの坂を上った先。荷物もあったし、厳しい坂をふうふう言いながら上りました。 -
ただ、施設はしっかりした建物。坂地に建っているので、建物の中も上がったり下りたりがあって、気にならないことはないのですが、部屋や風呂などゆとりがあって、建物自体も頑丈そう。このコンセプトはありかな。女性スタッフも親切です。
なお、あとで入りましたが風呂は岩風呂。湯が意外にしっかり熱くて、法師温泉とは大違い。ちょっと驚きました。 -
ここから猿ヶ京温泉の市街を散策です。
ところで猿ヶ京には、三国街道のおがんしょと言われるスポットがいくつか残っていまして。この神明神社は、その中心的存在。山の上に続く長い石段を登った先に古びた社殿が建っていました。 -
由緒書には雨宮千勝という人物が役人に負われて割腹自殺。その後疫病が流行ったのでそれを鎮めたとか。人の往来が活発だったことは、逆にいろんな事件も多かったということ。そんなことを背景にしたおがんしょです。
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新月は、まんてん星の湯も近い場所。外観は少しくたびれたような感じなんですが、
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イチオシ
ここの酒饅頭は絶品。
麹菌でふっくら仕上げた生地が程よい深みのある味わい。酒粕も少し使っていると言っていましたが、酒粕の香りがまったく邪魔をしていません。餡子の伸びやかな甘さもいいし、いっぺんに目が覚めたような気持ちになりました。 -
ところで、現在の猿ヶ京温泉は高台にあって、これはダムができたために移転した土地。猿ヶ京の市街から見下ろす美しいダム湖、赤谷湖ですが、実はかつての猿ヶ京の市街はこのダムの底なんですね。
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しかし、湖は市街から見下ろしてもよし。ダムの方から市街を見上げるようにして眺めるもよし。いずれも雰囲気があって、美しい眺め。今では猿ヶ京に新たな魅力を添えることになりました。
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猿ヶ京の市街には、立派な日帰り温泉の施設がありまして、それがこのまんてん星の湯。
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今夜は宿の風呂があるしもう温泉は入る必要がなかったのですが、食事をしようと思って訪ねました。
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一階が貸切だったので、
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二階の大広間に通されて、これはいい。
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豚肉の丼をいただいた後、しばらく広間でごろごろして寛ぎました。
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市街には、手湯なんかもありまして、移転はしてもそれなりに豊富な湯量が確保されていることを感じます。
さて、この日はこれでおしまいです。 -
翌日も猿ヶ京の散策の続きです。
猿ヶ京関所跡は、猿ヶ京温泉の市街地の端。バス道路沿いです。 -
群馬と新潟を結ぶメイン街道、三国街道の関所。三代将軍家光によって設けられた幕府直轄の役宅で、現存するのはここだけという貴重な史跡です。
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旧役宅の内部は有料施設。
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当時使われていた旅の道具や書類関係も美しく展示されているほか、
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書院とかなかなか勿体がある感じ。今でも格式と歴史を感じます。
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係りの人がなにかと説明を添えてくれるのですが、
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この展示を見れば、
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イチオシ
当時の街道の賑わいがおのずと伝わってくる。
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永井宿の郷土館もよかったんですが、ここもいい。
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旧街道に残る歴史と文化はわずかなものではありません。
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そして今度は。。
猿ヶ京には与謝野晶子紀行文学館というのがあると知って訪ねてみました。 -
これは、隣りの猿ヶ京ホテルの女将さんが収集した個人的なコレクションを展示する施設。
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与謝野晶子は、かつて猿ヶ京、法師温泉を訪ねていて、それは地域の誇りとして大事に伝えなければならないもの。ビデオの解説を拝見して、晶子と猿ヶ京、また水上温泉の縁の深さを実感しました。
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イチオシ
展示品は、鉄幹、晶子の歌を百首、屏風に書いたものとか、まるでお宝の数々。
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また、晶子の生涯の研究テーマであった源氏物語の世界もセンス良く表現してあって、これは並みの博物館ではないように感じました。また、晶子が法師温泉から籠を仕立てて、三国峠に向かったことや連れの一人が私と同じように法師温泉から永井宿を訪ねたこともここで知ると余計思いが重なって、私的には堺の与謝野晶子記念館より感動が深かったような。素晴らしい内容だと思いました。
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この体験は続きがありまして、晶子も愛した源氏物語の世界。やはり、これは日本の歴史と文化を旅の目的とするたびたびとしても、いつかは原典に触れてみたいと思っていたテーマ。これを機に瀬戸内寂聴の源氏物語を読むことにしました。まだ途中ですが、意外に人間臭い女性論もあれば、その輝く美しさと溢れる才能で人々を魅了する光源氏の女性遍歴は目くるめくような夢の世界。そのインパクトはやはりすさまじいものでした。そして、それは、日本人の心の動きである「あわれ(しみじみ)」の世界でもあるんですね。
蛇足ですが、これに対して、韓国では「恨(ハン)」。前者は、他への共感を求めつつも自分の心の中で感情が昇華していく一面があるのですが、後者は他への気持ちが諦めきれず、それをむしろ許さないイメージ。優劣の問題ではないにしても、その違いはとても大きいような気がします。 -
ここで猿ヶ京の市街を離れて、赤谷湖の方に向かいます。
その途中の岡村うどん店。 -
看板には元祖と書いてあって、何が元祖なんですかと尋ねると、「このコシのあるうどんは自分にしかできないから。この辺りでは、コシのあるのと堅いのとの区別がついてないんですよね」まさに我が意を得たりという答えが 返ってきてとても嬉しくなりました。
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讃岐うどんのように何度も鍛錬してグルテンを出す手法。柔らかくてつるつるのうどんにいい感じのコシが入っている。
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北関東ではこの良さがなかなか分かってもらえないかもしれませんが、ご主人の頑固なこだわりには深く敬意を表したいと思います。
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店内には源氏物語の紹介なんかがひょっこりあって、猿ヶ京を訪れた与謝野晶子の影響なのかなと思ったのですが、「たまたまです」みたいな返事。御主人は意識していなくても、や;ぱりどこかでつながっているとは思いますけどね。
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さらに進んで、日枝神社は、赤谷湖記念公園や相俣ダムのエリア。
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バス道路沿いなんですが、林の中にあって、周囲から隠れるように建っています。廃墟のような感じもしなくはないですが、赤谷湖記念公園にあるさかさザクラには、上杉謙信が三国峠から関東に兵を出した際、上杉憲政ゆかりのこの神社に戦勝祈願を行ったとか。それなりの由緒のある神社であることが説明されていました。
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その赤谷湖記念公園は、こちら。
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その一角にあるのが相俣のさかさザクラです。
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相俣ダムに進むと
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赤谷湖の正面に出る。
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イチオシ
猿ヶ京の市街を遠望で来て、それもなかなかの眺めです。
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そして、これが相俣ダム。
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利根川に合流する赤谷川の治水と水力発電を目的としたダムで、谷あいにへばりつくように造られて、ダム湖の大きさと比べると効率の良さも感じられます。
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近くに管理事務所のような建物があって、
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ダムの歴史を解説したり、
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この日は流木を使った作品の企画展示も行われていました。
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ここから上毛高原までバスで帰るのですが、まだ時間があるので、近くのそば屋、
眞心庵に寄ってみることにしました。さかさ桜のバス停から歩いて5分です。 -
イチオシ
なんでも、ここのそばは、自分で栽培したそばで、それを自分で粉にしてそばに打っている十割そば。そんなそば屋さんなんかあるんですねえ。
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ただ、十割そばは堅いそばなので、堅いそばが苦手な私にとってはギリギリ許容範囲かな。広間で悠々いただける感じも含めて、そばどころ山形にいるような気持ちになりました。
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上毛高原まで帰るバスに乗ったのですが、せっかくなので、湯宿温泉で途中下車することに。
冒頭触れましたが、猿ヶ京温泉や法師温泉はかつては三国温泉郷。水上市に合併されたことでみなかみ温泉の一部に組み込まれてしまいました。 -
その中にあって、湯宿温泉は、その熱い湯で知られる特徴ある温泉。
(猿ヶ京の湯もけっこう熱かったんですけどね) -
限られたエリアなんですが、それらしい温泉街も残っています。
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日帰り温泉の施設があって、
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地元の人に尋ねると鍵を開けてくれたので
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少し料金を払って入れてもらいました。
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しかし、この湯は熱すぎ。あまりにも熱くて全然入れませんでした。地元の人は本当にこんな湯に入るのか。とんでもない熱さです。
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そして、ここまで来たならと、歩いてたくみの里を目指します。
バスルートにあたるので、本来であればそうすればいいのですが、いい時間がないので歩くことにした次第。
うーん、坂道をけっこう歩きますねえ。 -
道の駅 たくみの里に到着です。
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お土産物屋さんや
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産直コーナー、
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食事処があるのは道の駅としては普通のことなんでしょうが、
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イチオシ
ここの特徴はその広がり。
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道の駅の施設の周辺にはスイーツのお店とか軽食のお店とか集まって、ちょっとした街を形成しています。この感覚はほかではないこと。つまり、ここは三国街道の須川宿があった場所のようなんですね。
ということで、たくみの里から少し歩きますが、須川宿資料館を訪ねます。途中のの道は旧三国街道なんでしょうか。幅もあってまっすぐな道。とんでもなく立派な道路でした。 -
こちらはかつての参勤交代に使われた本陣跡ということですが、
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籠なども含めて、展示品は旅の道具とか。けっこうぎっしり。
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賑やかに展示してあって、ここでも旧三国街道の人の往来が想像以上に活発であったことが感じられました。
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たくみの里でバスを待つ間に、もう一軒。
一之宮cafe たくみの里は、基本的にはバームクーヘンのお店。 -
ショーケースのバームクーヘンは美しくて、ため息が出そうです。ただ、食べ歩きしようと思って、どら焼きキを購入。ここのどら焼きは、皮がケーキみたいに香りがいい。やっぱりバームクーヘンのお店が作るとこうなるんでしょうか。ちょっと感心しながらいただきました。
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黒岩渓谷は、上毛高原駅に向かう途中。バス道路沿いに続いていて、ほどなく川向こうにむき出しの岩肌とかが見えてきます。黒岩八景というバス停がありますが、ただ、そこからの眺めがいいかというとそうでもないような。鉄道の橋の辺りが一番迫力があると思います。
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そうして、新幹線の上毛高原駅に到着。
最後に少しここの周囲も散策してみましょうか。
矢瀬遺跡は、上毛高原駅から上牧駅に向かう途中。利根川のほとりに出たところ。道の駅矢瀬親水公園という施設があって、その奥の方。丘陵っぽい地形の中に竪穴式住居が復元されていて、これは縄文時代の遺跡のよう。 -
ただ、周囲は大規模な段丘。どうしてここに遺跡が残ったのか。ちょっと不思議な感じがしなくもありません。
さて、これで後半の猿ヶ京と法師温泉の旅も終了。伊香保温泉から三日間、お疲れ様でした。
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