2018/01/10 - 2018/03/10
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目黒警部さん
ラーンナー王朝創始者、マンラーイ王は1296年にチエンラーイからチェンマイに都を移した際、都市計画を練り上げ、
敵国の侵攻を防ぐため、漁業や貯水などの資源を確保するために、街の周囲をお堀と城壁で囲みました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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チェンマイは かつてはタイ北部一帯を治めた「ランナー・タイ王国」の首都であり、今でも城壁や城門が残る歴史豊かなタイ北部最大の都市です。
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旧市街である街の中心部は四角形で、東西南北を一辺およそ2km弱の長さの城壁に囲まれ、その外側にはお堀があり外敵を守る、構造をしています。
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城壁の北西の角
チェンマイ旧市街北西の角はシェーンフアリンと呼ばれています。 -
旧市街の北に築かれた城門、チャンプアック門
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チェンマイを建設したさい最初に建てられた城門で、昔はチェンマイの凱旋門として位置づけられていました。
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もともとフアリアン門という呼称が使われいましたが、戴冠式に招かれたガウィラ王がこの場所に白象の記念碑を建てたことにより、チャンプアックに変更されました。*チャンプアックは白象の呼称です。
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チャーンピアック門前の広場は、夜には飲食露店街になります。
詳しくは後日レポートします。 -
チャーンプアック門前の広場にはドイステープ行きの赤バス乗り場があります。
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チェンマイのシンボル、東門のターペー門
現在見られるゲートは、1985~1986年に復元された。 -
街の東の城壁に位置し、その起源は1296年、タイ北部のランナー王朝のメンライ王がチェンマイを首都とした時に時代は遡ります。
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元々は付近の村の名前から「チェン・ルアック・ゲート」(Chiang Ruak Gate)と呼ばれたようですが、街の外側の城壁の名前「Outer Tha Phae Gate」につられて「Inner Tha Phae Gate」(内側のター・ペー・ゲート)と呼ばれるようになり、その後、外側のゲートがなくなってからは、単に現在の呼称「ター・ペー・ゲート」と呼ばれるようになったということです。
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サンデーマーケットの入り口にもなっており、日曜日の夜はゲートを潜るも一苦労するほど混み合っています。
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チェンマイの人気スポットでもあります。
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日曜日の夜ゲート前の広場には露店も出ていました。
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旧市街の南に築かれた城門、チェンマイ門
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近くに市場があり、賑わっています。
時にサタデーマーケットの夜は、多くの観光客が訪問します。 -
サタデーマーケットの入り口に位置する、チェンマイ門前は土曜日の夜には、サタデーマーケットへ行く赤バスにツクツク、車でいっぱいになります。
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チェンマイ旧市街南西の角は、ジェーンクーウアンと呼ばれています。
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城壁南西のコーナー
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城壁は、所々に残っているがこの周辺は、崩れずに残っています。
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ランナー王朝2代目セーンプー王の財宝を奪って捕まったウアンという人物の骨が埋まっているのでこの名前が付きました。
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