2017/02/19 - 2017/02/19
202位(同エリア243件中)
ガッサンさん
日本全国に小京都と言われる都市が53個所あります。その中に埼玉県比企郡小川町があります。小川町は埼玉県のほぼ中央に位置し、四方を山に囲まれた盆地にあります。ほとんどの人が知らない町だと思います。
小川町は、古くから知られた小川和紙の産地です。小川といえば「和紙」といわれるほど有名です。楮(こうぞ)を使用した「細川紙」の製造技術は、国から「重要無形文化財」の指定を受け、その後、細川紙は2014年に「ユネスコの無形文化遺産」に登録された。
和紙などを扱う商家が30軒もあったという。商人がいたから経済が発達し、多方面に経済的波及効果を起こしました。造り酒屋(三軒)、割烹旅館二葉、隠れ家的な料亭、呉服屋などを今に残し、その土蔵の家並や古い商家が連なる町です。その小さな呉服屋の一つは、日本全国津々浦々に展開する「ファッションセンターしまむら」です。しまむら発祥の地も訪ねました。敷地の狭さに驚きました。また、関東地方に展開するスーパー「ヤオコー」の発祥の地です。
小川町では正午に防災行政無線で音楽を流しています。その音楽の題名は「小京都おがわ」です。流しているのはメロディーのみですが、詩は小川町の美しい自然・伝統を歌った詩です。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
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東武東上線・JR八高線の小川町駅です。駅前で小川町の観光ボランティアガイドの皆様(3名)と待合せをしました。
駅前にザックを背負った大勢の人がいました。小川町には官ノ倉山(標高344.7m)や石尊山(標高344.2m)など、ハイキングに手頃な山があります。小川町駅 駅
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小川町駅から徒歩で約10分の所に 「小川町和紙体験学習センター」があります。 当センターは、昭和11年(1936年)に和紙の近代化の為、和紙の研究施設として埼玉県が建設した「旧埼玉県製紙工業試験場」です。平成11年に埼玉県より小川町に移管され、手漉き体験ができるほか、和紙で作成された展示物を見学することができる施設になりました。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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小川町和紙体験学習センターのフェンスに[おめでとう 細川紙 ユネスコ無形文化遺産に登録決定]の横断幕が掛かっていました。
水平的な屋根に縦長の窓が連なるライト式建築、どこか垢抜けた近代化へ通ずる建造物に見えてきます。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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イチオシ
小川和紙の起源は、8世紀の頃と伝えられ「正倉院文書」の「図所寮解」(774年)や「延喜式」(924年)などの文献に紙を奉じた記録が残っています。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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「重要無形文化財 細川氏」の印が押された和紙が飾ってありました。
小川和紙を代表する紙:細川紙
細川紙は、約1200年程前、光仁天皇の頃から小川町・東秩父村で作られている楮100%の未晒し紙で、独特の技術と上品かつ素朴で丈夫な紙の資質から、国の重要無形文化財の指定を受け、小川を代表する和紙となりました。
紙面は、淡黄色の明るい紙色と光沢を持ち、地合の締った、毛羽立ちが生じにくく、強靭で存在感のある風合いが特徴です。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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楮(こうぞ)など様々な木の皮を剥ぎ漉いた見本。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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紙漉き作業所です。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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[小川和紙の行程と呼称]
小川での呼び名は「かずさらし」、一般的には「ちりとり」という。水の中のザルに原料を入れ、ちりやきずを手で取りのぞきます。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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[小川和紙の行程と呼称]
小川での呼び名は「かずさらし」、一般的には「ちりとり」行程です。小さなゴミを手で取りのぞきます。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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切った「こうぞ」を1時間ほど蒸むし、いちばん外側の皮 をたんねんに取りのぞきます。 取りのぞいたあとのやわらかい皮 が、紙の原料になります
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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小川町和紙体験学習センター内に植えられている楮(こうぞ)の木です。楮を使用する為、切り取った跡です。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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紙漉き作業場です。写真は「漉き槽(すきふね)」です。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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細川紙の原料、楮の木です。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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紙を生産する設備機器もあります。この設備を借りることも出来る、と説明していました。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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小川町和紙体験学習センターはかつて、埼玉県が建設した和紙の研究施設だった、という。近代的な設備も残っていた、その名残りでしょうか。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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安全柵に案内板が掛かっていた。
[高圧釜(地球釜)]
「マニラ麻など100度以上でなければ煮えない製紙原料を圧力をかけて100度以上の温度で煮る。」
と書かれていました。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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[高圧釜(地球釜)]です。
小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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よく叩いた原料を、「ビーター」と呼ばれる機械ににかけて水といっしょに撹拌(かくはん)し、繊維が一本一本バラバラになるようにほぐします。少量の原料を1~2%の低濃度にして処理します。
写真は「なぎなた・ビーター」です。楮のような極めて細長い繊維を含み且つ、節のある原料は、なぎなた状の歯がついた「なぎなた・ビーター」を使います。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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煮熟釜
水洗された原料を煮るための釜です。釜にアルカリ薬品が添加された水を入れ原料を約2時間煮熟します。このため薬品に強い鋳鉄製の釜が用いられます。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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小川町和紙体験学習センターは「旧埼玉県製紙工業試験場」でした。学校のような建物は、高圧釜(地球釜)煮熟釜などがある「煮熟室」の裏側です。
昭和初期の産業遺産は和紙の歴史が詰まっており、非常に重要な歴史的遺産だ、と感じました。小川町和紙体験学習センター 名所・史跡
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道の片隅に古い石像が立っていました。
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古い板塀の建物は、江戸末期創業の旧萬屋(よろずや)旅館です。立派な玄関は裏口だったそうです。この界隈には古い歴史を感じる建物が結構ありました。
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呉服店の隣に空いている小さな間口のスペースがあります。ここが【日本全国津々浦々に展開する「ファッションセンターしまむら」の発祥の地です】と観光ボランティアガイドさんが自慢げに説明してくれました。
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「ファッションセンターしまむら」の発祥の地をUPで撮影しました。創業者は小川町を離れ、小川町から次に店を移転した所に住んでいます。私も同じ市内に住んでいます。偶然ですが、創業者と同じ理容店を利用しているので、ときに噂を耳にします。
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古風な造りの建物は小川町立図書館です。「武蔵小京都 おがわ」をイメージしたデザインかもしれませんね。外見からは図書館とは想像も尽きません。
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玄関に掲げられた「図書館」の看板、下に館内のごあんないがあります。真新しく感じる図書館は平成13年5月10日、小川町立図書館としてオープンしたそうです。
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図書館の造りは地下1階、地上2階です。地下1階に「町民ギャラリー」があります。
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館内の様子です。中々洒落た造りです。
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1階から地下1階の町民ギャラリーを見ています。
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小川町立図書館の図書収蔵能力 250,000冊、その内訳は
・一般開架(郷土・AV資料含む) 70,000冊 ・児童開架 20,000冊 ・公開書庫
55,000冊 ・移動図書館書庫 19,000冊 ・特別収蔵庫 4,000冊 ・閉架書庫
72,000冊 ◎合計 250,000冊 です。大きな図書館です。 -
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小川町駅を出るとメインストリートの歩道の隅に万葉歌碑が所々に立っています。その由緒は仙覚律師に始まります。
仙覚律師は難解で読めなかった万葉歌を生涯をかけて読み解く歌の解読でした。それが我国で初めての解読書となった『万葉集註釈』です。1269年(文永6年)、小川町「麻師宇郷(ましうごう)」の地で成し遂げられたそうです。仙覚律師遺跡 名所・史跡
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仙覚律師遺跡(万葉の碑)は東武東上線小川町駅を下車、小川町立図書館を目指し歩くことをお勧めします。仙覚律師遺跡への入り口は特にわかり難い。小川町立図書館前を通るコースが確実です。図書館前を八幡台地に向って直進すると、急勾配の坂(直進:忠霊塔方面、左折:晴雲酒造方面)にぶつかる。案内(春日会館:仙覚律師遺跡)があるので、右折して民家の小道のような坂道を上って行きます。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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正面に建っている社は「半僧坊大権現堂」と言います。中城跡の土塁の上に建っているので階段になっています。「半僧坊大権現堂」は「仙覚律師遺跡」と同じ中城跡内にあります。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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「半僧坊大権現堂」の参道の両脇に46体の地蔵様が並んでいました。表情がそれぞれ違っていました。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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「忠魂碑」の石碑も立っています。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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中城址は現在「仙覚律師遺跡」です。端が高いのは城の土塁跡です。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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「仙覚律師顕彰碑」の石碑です。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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「仙覚律師遺跡」の案内掲示板です。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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仙覚の業績を讃え、仙覚律師保存会によって「仙覚律師顕彰碑」の石碑が建立された。撰文は国文学者で歌人の佐佐木信綱、書は岡山高蔭です。特に、保存会の佐佐木信綱の仙覚に対する思い入れは深く、石碑建立の実現に労を惜しまなかったと言う。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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比企郡内は鎌倉時代から人びとが往来する道筋にあった。鎌倉と上州・信州を結ぶ鎌倉街道上道が比企郡内を通っていました。本来は軍馬が行き交う軍用道路として整備されたものですが、人びとの交流や物資の輸送にも重要な役割をはたしました。仙覚律師もこの道を辿って、麻師宇郷(ましうごう)につき、『万葉集註釈』を完成させたと思われます。
仙覚律師遺跡 名所・史跡
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中城は中世の土豪、猿尾氏の居城と伝わっています。戦国時代は腰越城の支城として利用され、江戸時代に入ると旗本・金子伊予守の陣屋が置かれました。
眼下に見えるのは城の堀です。仙覚律師遺跡 名所・史跡
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この地は室町時代後半の15世紀後半に築造された中城の跡で、周囲に土塁と深い堀が残っており、町の史跡に指定されています。
眼下に幅の広い堀が見えました。仙覚律師遺跡 名所・史跡
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埼玉県は清酒出荷量が常に全国上位に位置する酒処です。小川町に造り酒屋が3社あります。・晴雲の晴雲酒造株式会社 ・帝松の松岡醸造株式会社 ・武蔵鶴の武蔵鶴酒造株式会社の3社です。
仙覚律師遺跡から歩いて約10分くらいの所に「晴雲」の晴雲酒造株式会社があります。時間は午前11時過ぎ、昼食の時間、「晴雲」の食事処「玉井屋」に来ました。晴雲酒造 名所・史跡
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埼玉県にある造り酒屋のほとんどが近江商人だった、と聞きました。
晴雲酒造 名所・史跡
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イチオシ
「食事処・ギャラリー 玉井屋」は晴雲酒造株式会社が経営する店です。
玉井屋 グルメ・レストラン
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百年の歴史を感じるたたずまいの空間でゆっくり楽しんでいただきたいと玉井屋はこの店を作ったそうです。
昼食が終わると12:30頃でした。玄関を出ると長蛇の列が出来ていました。特に若者層が多かった。人気の高さに驚きました。玉井屋 グルメ・レストラン
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