2018/06/14 - 2018/06/22
21位(同エリア215件中)
あおぞらさん
この旅行記では、ツアー3日目に訪れたカウナスの街歩きの様子をお届けします。カウナスはリトアニアの第2の都市で両大戦間の22年間、ポーランドに占領されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都でした。カウナスの街の見どころは色々ありますが、”日本のシンドラー”と呼ばれた杉原千畝さんの功績を辿る記念館への訪問からスタートしました。それから旧市街を歩き美しいたたずまいを楽しみました。最後まで宜しくお願いします。
- 旅行の満足度
- 4.5
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-
ヴィリニュスのホテルからツアーバスに乗りカウナスへ
車窓から菜の花が咲いている景色を楽しむ事が出来ました
6月に菜の花、
緑豊かなリトアニアの大地に広がる黄色の菜の花
朝からとっても癒されました♪ -
カウナスの市内中心部からは少し離れた住宅街でバスを降りて歩きます
「日本のシンドラー」と讃えられる杉原千畝氏
その杉原氏が外交官として赴任し、
ビザを発給した場所がリトアニアのカウナス
旧日本領事館が現在、杉原記念館になっています
その場所を目指します。 -
ここですね、杉原記念館の案内がありました
ちなみにこの記念館は、
リトアニアにおいて設立された杉原「命の外交官」財団により運営されているそうです
2000年一般公開開始
寄付や入館料(3ユーロが目安で,寄付金としての位置づけ)によって維持されているとのことでした。 -
こちらの入り口で写真タイム
2018年1月に安倍首相も訪問されました。 -
記念館の裏手から見たところ
この2階部分でご家族と暮らしていたそうです。 -
記念館に入ると、小さな上映室に案内されました
-
杉原千畝氏の生い立ち等
詳しく説明された
15分位のビデオを見ました -
杉原千畝氏がユダヤ人を出国させたのは
1940年(昭和15年)、第二次世界大戦の独ソ戦が始まる前の話
歴史を復習すると、独ソ不可侵条約締結が1939年8月、
9月にはドイツはポーランドに侵攻、ソ蓮軍もポーランドに侵攻
第二次世界大戦が開戦する
この頃の出来事と分かりました -
続いて当時の領事室に案内されました。
当時の部屋が再現されています
机上の資料をまじかに見たり、記念写真を撮りました
また歴史に戻りますが
-
ドイツとソ連によって国を奪われたポーランドから
大勢の人々が、隣国であるリトアニアに逃れていました
戦前のポーランドには
ヨーロッパでも特に大勢のユダヤ人が暮らしていたので
リトアニアに逃れた人々の中には
ポーランド系ユダヤ人が多数含まれていたそうです
そして 1940年9月にリトアニアがソ連に併合
すると 避難民たちは再び安住の地を奪われることになったわけです
1940年4月6日、ソ連がユダヤ人のソ連領土内の通過を認めました
当時のユダヤ人が次に安住先として選んだのはカリブ海に浮かぶ
キュラソー島
それでソ連の領土内を移動し、日本を経由して逃げる道を選んだ多くの人が
日本の通過ビザを求めて日本領事館に押しかけたわけです。 -
こちらがユダヤ人に対して発給された日本の通過ビザ
当時、日本政府の意向としてはユダヤ人に通過ビザを発行しては
ならないというものでした
ドイツの同盟国だったからですね
しかし杉原千畝氏は本国の指示に背いてビザを発行したそうです -
ビザの発給は8月の末まで続き
領事館閉鎖後も
杉原氏は滞在先のホテルで、
そしてリトアニアを脱出する列車内でも書き続けたそうです。 -
発行されたビザの数は1600に及び
実際に日本を経由して、第3国に渡る事が出来たユダヤ人は
6000人と伝えられているそうです
写真は日本を経由してユダヤ人達のその後の足跡が紹介されています。 -
掲示の中には、杉原氏の私生活についても
語られています
この御家族に囲まれながら、緊迫した情勢の中
ビザを発給されたのですね
当時リトアニアが置かれた数奇な歴史と
日本の関わりを知る事が出来て
とても感謝しました -
この記念館は世界中の人々が訪れているそうです
そして掲示されている日本地図には
訪問者の出身がマークされていました -
2015年
杉原さんをモデルにした映画『杉原千畝 スギハラチウネ』も公開されました
そのポスターが掲示されています
映画を見て、少し予備知識を得て訪れたので
実際の建物などに深い感慨を
そして目の前に助けを必要とする人がいたら
手を差し伸べよう、話を聴こうと思いました。 -
映画に出演された方々も訪れている様子ですね
-
館内の展示量はかなりのものです
-
まだ見ていない資料がいっぱい、、
でも見学時間が短くて
トイレにも行っていたら
写真を撮るだけで
終わった部屋があったのが心残り、、 -
受付のお土産の販売コーナー
日本円が使えるようです。 -
人気の蜂蜜もありました
-
道幅も狭いこの住宅街、
私達ツアー以外に歩いている人はいませんでした
救いを求めるユダヤ人らに「命のビザ」と呼ばれる
通過ビザを発行した一人の日本人
その歴史はこの静かな場所で刻まれたことを
伝えていこう
そして
もっと広い視野で世界を見られる人間になりたい -
住宅地の道は狭く
バスの運転は慎重にされていました
次の観光に移動です。 -
訪れたのはキリスト復活教会
カウナスは古い街と聞いていたけど
このモダンな教会には驚いた -
屋上からカウナスの景色を見ることになりました
-
緑が多く広がるカウナス
旧市街の様子を見るにはちょっと遠いのかな -
またバスに乗り次は旧市街の方面に移動です
-
到着したのが
カウナス城の近くです
青空に三角屋根
なんだか絵本に出てくるような可愛い外観♪ -
お城の中は博物館になっているそうです
でも私達は外観だけさくっと見ています -
すると民族衣装を来た人々がやって来ました
行進の理由は分からないけど
お城と民族衣装に出会えて嬉しかったです
何気に写真左手にアートの壁面も写っていました -
お城の周囲をぐるっと歩いて行きました
-
リトアニアは十字架の国と呼ばれているそうです
屋根の上に様々な形の十字架が立っています -
リトアニアの十字架は植物や太陽をモチーフとして
装飾性が豊かなのが特徴とされているそうです
確かに見慣れたシンプルな十字架とは違いますね -
それから
リトアニア伝統の十字架作りは
2001年、ユネスコの無形文化遺産にも登録されているそうです
午後に向かうシャウレイの十字架の丘では
ものすごい数の十字架を見る事になるのです -
てくてく歩いて旧市街の中心となる場所に来ました
青空に映えるこの建物が旧市庁舎です
白鳥に例えられるそうですが
本当に綺麗でした -
現在内部は市の結婚登記所になっているそうで
訪れた日も、数組のカップルが結婚式をあげていて
とても華やいでいました
お幸せなお二人に水を差すようですが
ガイドさんによると
リトアニアは離婚率が高いそうですね
女性の経済的自立心が強く、男性に依存しないからとか、、
いずれにしてもお幸せに♪ -
イエズス会教会の屋上から広場を見下ろしました
黄色いテントが並んで見えます
マーケットが開かれていました -
市庁舎広場に面している店
MEDEZIOTJU UZEIGA
こちらでランチになりました -
『狩人の家』という意味だそうで
装飾もそのような雰囲気です
苦手です -
ランチでは最初に冷たいボルシチを頂きました
鮮やかな色にびっくりしたけど
暑い中を歩いたので気持ち良く涼む感じでした -
これは
コルドゥナイ(リトアニア風水餃子)という料理
餃子では無いよねえ、、
と、つっこみながら食べました
美味しいけれど
いつもながら量が多かったです -
駆け足で回ったカウナス観光はこれで終了です
-
ランチの後はリトアニアの北部シャウレイに移動
十字架の丘に行きました
そしてリガへ向かいました。
いったん、ここで旅行記は終了です
最後までご覧頂きまして、ありがとうございます。
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