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 真鶴町・真鶴港の西側には鵐窟(しとどのいわや)がある。これは、伊豆に流されていた源頼朝が挙兵した治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた時にこの岩屋に難を逃れたとされる。かつては、岩屋は高さ2m、奥行10m以上の広さがあり、波が打ち寄せていた。<br /> また、「新編相模風土紀稿」によると、真鶴町の北にある岩漁港近くの前ノ浜は、石橋山の戦いに敗れた頼朝が房州(安房国)に脱出した際に船出した浜と伝えられている。<br /> その年には頼朝は鎌倉に入り、軍備を整えて平家追討を画策する。頼朝の再起はその年の治承4年(1180年)の富士川の戦いから始まり、文治元年(1185年)、ついに平家を滅亡させ、鎌倉時代が始まった。伊豆半島を挟んだ源平の戦いの端緒がここ真鶴半島にも残されていたのである。

鵐窟(しとどのいわや)

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2018/07/27 - 2018/07/27

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 真鶴町・真鶴港の西側には鵐窟(しとどのいわや)がある。これは、伊豆に流されていた源頼朝が挙兵した治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた時にこの岩屋に難を逃れたとされる。かつては、岩屋は高さ2m、奥行10m以上の広さがあり、波が打ち寄せていた。
 また、「新編相模風土紀稿」によると、真鶴町の北にある岩漁港近くの前ノ浜は、石橋山の戦いに敗れた頼朝が房州(安房国)に脱出した際に船出した浜と伝えられている。
 その年には頼朝は鎌倉に入り、軍備を整えて平家追討を画策する。頼朝の再起はその年の治承4年(1180年)の富士川の戦いから始まり、文治元年(1185年)、ついに平家を滅亡させ、鎌倉時代が始まった。伊豆半島を挟んだ源平の戦いの端緒がここ真鶴半島にも残されていたのである。

  • 源頼朝の線刻と業績を刻んだ石碑。

    源頼朝の線刻と業績を刻んだ石碑。

  • 鵐窟(しとどのいわや)。

    鵐窟(しとどのいわや)。

  • 鵐窟(しとどのいわや)内部。

    鵐窟(しとどのいわや)内部。

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