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 これはホーエンツオレルン城へ行った時の話です。<br /> ホーエンツオレルン城はノイシュバンシュタイン城、ハイデルベルク城と並びドイツの三大名城に列せられるお城です。三大名城のうち観光客数が最も多いのはノイシュバンシュタイン城でしょう。<br /> <br /> 他方最も少ないのはホーエンツオレルン城であると思います。私が行ったのは1999年で11月でした。自分以外の日本人は一人もいませんでした。私の他にはドイツ人の12,3名の団体くらいでした。<br /> <br /> 855mの山頂に立つ雄姿はこの上ない素晴らしい景観です。(写真)<br />第一次世界大戦終了の1918年まで続いたプロイセン王国の王家の祖先の居城です。 <br /> この写真は国道32号線の待避所から撮ったものです。とても素晴らしいので車を停めました。私はドイツのレンタカー旅行は以前1993年に経験しているので今回も躊躇なくレンタカーを使いました。<br />  <br />  この前日、私はシュツットガルトに泊まりました。ホテルは日本で予約した当地で最も高級とされるシュタイゲンベルガー=グラフ=ツェッペリンホテルでした。たまには高級とされるホテルをと考えました。それにこの年は1ドイツマルクが60円台(ユーロは2000年から、同通貨は2002年1月から)であり、円の強さが抜群でした。グラフは伯爵のこと、ツェッペリンは有名な飛行船に名がついていたあの伯爵です。なぜその名がついたのかは知りません。<br /> 翌朝これもあらかじめ日本で予約していたハーツレンタカーに行き、一人なのでベンツの小型車で出発です。ドイツのハーツは簡単な事務手続きのあと鍵を渡され指定の駐車場へ取りに行き勝手に乗ります。このときはDB(ドイツ鉄道)のParkhaus(駐車場ビル、への字の下にPのマーク)の16-23だということでしたので一人で行きました。Parkhausを出てから市電と並走する広い坂を昇って行きました。ホーエンツオレルン城まではアウトバーンは使いませんでした。その日は夕方まで国道か市町村道で、暗くなりかけてからアウトバーンを使ってライン川近くのOffenburgまで乗りました。<br /> ドイツのアウトバーンについては6年前に初体験をしていました。それは改めてということにします。<br /> 今回は主に国道です。青い色の行き先案内板のアウトバーンに対して国道の行き先案内板は黄色です。国道といってもドイツの国道は日本の幹線の高速道路並みです。制限速度は90kmでした。<br /> 

ヒストリカルストーリイ7th.

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1999/11/15 - 1999/11/16

219位(同エリア455件中)

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やすたびろくさん

 これはホーエンツオレルン城へ行った時の話です。
 ホーエンツオレルン城はノイシュバンシュタイン城、ハイデルベルク城と並びドイツの三大名城に列せられるお城です。三大名城のうち観光客数が最も多いのはノイシュバンシュタイン城でしょう。
 
 他方最も少ないのはホーエンツオレルン城であると思います。私が行ったのは1999年で11月でした。自分以外の日本人は一人もいませんでした。私の他にはドイツ人の12,3名の団体くらいでした。
 
 855mの山頂に立つ雄姿はこの上ない素晴らしい景観です。(写真)
第一次世界大戦終了の1918年まで続いたプロイセン王国の王家の祖先の居城です。 
この写真は国道32号線の待避所から撮ったものです。とても素晴らしいので車を停めました。私はドイツのレンタカー旅行は以前1993年に経験しているので今回も躊躇なくレンタカーを使いました。

この前日、私はシュツットガルトに泊まりました。ホテルは日本で予約した当地で最も高級とされるシュタイゲンベルガー=グラフ=ツェッペリンホテルでした。たまには高級とされるホテルをと考えました。それにこの年は1ドイツマルクが60円台(ユーロは2000年から、同通貨は2002年1月から)であり、円の強さが抜群でした。グラフは伯爵のこと、ツェッペリンは有名な飛行船に名がついていたあの伯爵です。なぜその名がついたのかは知りません。
 翌朝これもあらかじめ日本で予約していたハーツレンタカーに行き、一人なのでベンツの小型車で出発です。ドイツのハーツは簡単な事務手続きのあと鍵を渡され指定の駐車場へ取りに行き勝手に乗ります。このときはDB(ドイツ鉄道)のParkhaus(駐車場ビル、への字の下にPのマーク)の16-23だということでしたので一人で行きました。Parkhausを出てから市電と並走する広い坂を昇って行きました。ホーエンツオレルン城まではアウトバーンは使いませんでした。その日は夕方まで国道か市町村道で、暗くなりかけてからアウトバーンを使ってライン川近くのOffenburgまで乗りました。
 ドイツのアウトバーンについては6年前に初体験をしていました。それは改めてということにします。
 今回は主に国道です。青い色の行き先案内板のアウトバーンに対して国道の行き先案内板は黄色です。国道といってもドイツの国道は日本の幹線の高速道路並みです。制限速度は90kmでした。
 

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  • 国道32号線から右の山道に入ります。頂上近くの駐車場で車を降りて歩きます。この時期にしては早いと思われる積雪がありました。<br /> 写真では右折の矢印がありません。ここを右折した記憶がありますがだいぶ前なのではっきりしません。

    国道32号線から右の山道に入ります。頂上近くの駐車場で車を降りて歩きます。この時期にしては早いと思われる積雪がありました。
    写真では右折の矢印がありません。ここを右折した記憶がありますがだいぶ前なのではっきりしません。

  • 天気は悪いがおとぎ話に出てくるような風景です。この城を紹介する写真には上空から空撮したものがありますが普通の人が見るにはここは良いと思います。<br /> 駐車場はまだ先です。ここからでは大変な距離があります。

    天気は悪いがおとぎ話に出てくるような風景です。この城を紹介する写真には上空から空撮したものがありますが普通の人が見るにはここは良いと思います。
     駐車場はまだ先です。ここからでは大変な距離があります。

  • 山頂からです。

    山頂からです。

  • 寒かったです。

    寒かったです。

  • 中庭です。

    中庭です。

  • これはウィルヘルム一世の像。プロシャ国王で初代のドイツ皇帝です。<br />なおウィルヘルム二世は第一次世界終了で退位してます。<br /> 城自体は何百年の間に、建替えや城主の入れ替わりがあり、一時は廃城にもなったようです。しかしプロイセン王家は祖先の城であるために19世紀に再興しました。現在も子孫が管理しているらしいです。

    これはウィルヘルム一世の像。プロシャ国王で初代のドイツ皇帝です。
    なおウィルヘルム二世は第一次世界終了で退位してます。
     城自体は何百年の間に、建替えや城主の入れ替わりがあり、一時は廃城にもなったようです。しかしプロイセン王家は祖先の城であるために19世紀に再興しました。現在も子孫が管理しているらしいです。

  •  この城に着く前に寄ったテュービンゲン駅前です。借りた車は右の黒い車です。<br />テュービンゲンは大学町です。ただ駅に寄って見たかったのと買い物をするためです。<br />一方でテューリンゲンは旧東ドイツです。エアフルトや、アイゼナハ、イエナがあります。地名にはこうした似たところがよくありますね。時々思い出さないと混同します。                                           ではまた

     この城に着く前に寄ったテュービンゲン駅前です。借りた車は右の黒い車です。
    テュービンゲンは大学町です。ただ駅に寄って見たかったのと買い物をするためです。
    一方でテューリンゲンは旧東ドイツです。エアフルトや、アイゼナハ、イエナがあります。地名にはこうした似たところがよくありますね。時々思い出さないと混同します。                                           ではまた

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