2018/07/11 - 2018/07/11
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ペコちゃんさん
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6月の○○会行事は、都内散策と落語鑑賞会。
梅雨明けの猛暑が続く中、午前中は東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅周辺の散策、午後は国立演芸場での落語鑑賞で仲間9名と楽しいひと時を過ごしました。
東京の中央部に位置する文京区には、武家屋敷跡・神社・庭園などの見どころが多く、4つの散歩コースが設定されており、昨年は「文学浪漫コース」を歩きました。
https://4travel.jp/travelogue/11242873
今回は、江戸川橋周辺を回る「芸術浪漫コース」・・・肥後細川庭園・関口芭蕉庵・東京カテドラル関口教会・鳩山会館などを見て回り、昼食後は国立演芸場の寄席へ・・・汗を拭きながらも楽しく笑った一日でした。
写真は、青空に聳え建つ「鳩山会館」・・・戦後の近代政治に貢献した鳩山家の住居だった建物です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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東京メトロ・有楽町線の「江戸川橋駅」・・・かつては都電の主要停留所だった「江戸川橋」も1971年に廃止され、有楽町線が1974年に開業した際に駅名が踏襲されました。
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地下鉄出口から地上に出ると、神田川に架かる「江戸川橋」があります。
江戸川と言えば、東京と千葉の境界を流れる利根川水系の江戸川ですが、かつてはこの周辺の神田川も江戸川と呼んでいました。(1970年から神田川に変更・統一) -
昔から江戸川橋は桜や蛍の名所でした。
今も神田川に沿って145本ほどのソメイヨシノが植えられており、満開の時期には花見の名所として親しまれています。 -
高速道路の下から神田川沿いに広がる「江戸川公園」は、神田川の拡幅工事に伴って1984年に改修されました。
左側にはトイレもあります。 -
トイレの前には、周辺の観光スポットが分かりやすく掲示されています。
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1928年に設置された大井 玄洞(1855~1930)の銅像・・・薬学者・政治家・軍人で、度々洪水を起こした神田川の治水に尽力した人物です。
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神田川に沿って東西に細長い散策路を進むと、モニュメント風の石の広場や藤棚のテラス、時計塔のある東屋など変化に富んだ景色が次々と現れます。
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神田川に架かる一休橋と大滝橋。
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神田川は、三鷹市・井の頭恩賜公園内にある井の頭池(ここから18.1km)に源を発し、両国橋脇で隅田川(ここから6.3km)に合流。
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江戸川駅から歩いて15分ほどで「肥後細川庭園」へ。
この庭園は最近まで「新江戸川公園」という味気ない名前でしたが、改修工事を機に新名称が公募され、そもそもが熊本藩・細川家の屋敷だったことから「肥後細川庭園」となりました。
しかも、無料で公開されています! -
南門から庭園へ。
この公園周辺は、幕末に細川家(54万石)の下屋敷(しもやしき:庭園などの別邸)になり、明治15年には細川家の本邸となりました。
その後、昭和36年に東京都が買収して「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管された美しい庭園です。 -
池泉回遊式庭園の肥後細川庭園は、大名庭園の風情があり、池には橋や中島などが配置されています。
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正門へ向かって歩くと、突き当りに「松聲閣」の建物が見えます。
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水辺には、雪見燈籠も・・・僅かに残った菖蒲の花やカモの姿も見えます。
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綺麗に手入れされた庭園。
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小高い所にある石塔。
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池に面した「松聲閣(しょうせいかく)」・・・明治時代に細川家下屋敷跡に学問所として建設され、大正時代に改修された木造2階建の建物。
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肥後細川庭園は、平安貴族が好んだ「鑓り水」(やりみず)の手法により、目白台台地の崖下からの湧水を池に取り入れています。
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カエデの巨木・・・秋の紅葉は見事で、庭園全体が夜間ライトアップされます。
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ここが正門。
門柱に掲げられた園名は、元首相で肥後細川家の第18代当主・細川護熙氏の揮毫によるもの。 -
松聲閣は、細川家の住まいとして使用されていた時期もあります。
建物の保存・修復を行って、2016年にリニューアルオープンしました。
玄関に掲げられた扁額も細川護熙の揮毫。 -
玄関に入ると、くまモンのお出迎え。
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各部屋には肥後六花(菊・椿・山茶花・花菖蒲・朝顔・芍薬)の名が付けられています。
これは1階の「菊の間」。 -
2階のトイレのドアも大正ロマン・・・
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2階の「山茶花の間」。
床の間には、室町時代から熊本に伝わる紙と糊で作った山鹿金灯籠(かなどうろう)が飾られています。 -
展望所にもなっている2階からは庭園全体が見渡せ、冷房もよく効いて涼しい!
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暑い中、仲間の皆さんもご苦労さん。
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肥後細川庭園の次は、神田川沿いの道を引き返し「関口芭蕉庵」へ・・・川に面して正門がありますが、ここはクローズ。
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左側にある「胸突坂」の途中に入り口があります。
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江戸前期の俳人・松尾芭蕉は1677~1680年まで神田川改修工事に参画し、「竜隠庵」と呼ばれる庵に住んだそうですが、それが「関口芭蕉庵」の始まりとなりました。
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芭蕉の33回忌にあたる1726年に、芭蕉やその弟子らの像などを祀った「芭蕉堂」が敷地に建てられ、「竜隠庵」はいつしか人々から「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
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池には鯉が泳ぎ、亀も甲羅干し。
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(左の写真)芭蕉二百八十回忌の1973年に建てられた芭蕉句碑
” 古池や 蛙とび込む 水の音 ”
写真ではよく分かりませんが、文字は真筆だそうです。
(右の写真)1935年に建てられた伊藤松宇の句碑
” 真中に 富士聳えたり 國の春 ”
松宇(1859~1943)は明治初期俳壇の先覚五人衆の一人。 -
芭蕉庵にある建物は、第二次大戦の戦災などで何度も焼失し、現在の建物は戦後に復元されたものです。
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胸突坂を登った所にある「永青文庫」・・・広大だった細川家の屋敷跡の一隅にあり、細川家伝来の美術品・歴史資料や、16代当主・細川護立の蒐集品などを収蔵・展示しています。
理事長は18代当主の細川護煕(元首相)。 -
その先にある「和敬塾」・・・和敬塾本館は、1936年に細川護立(細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館で、細川護煕も幼い頃を過ごしました。
現在は6棟ある約600名収容の男子学生寮で、村上春樹もここに住んだことがあります。 -
胸突坂から目白通りに出ると、2000年に講談社創業90周年の一環として開館した「講談社野間記念館」があります。
出版社ならではの出版文化資料のほか、創業者・野間清治による野間コレクション、同社とゆかりの深い画家・村上豊の作品などを所蔵。 -
記念館の向かいにあるのは「東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂」・・・もともとは、明治11年(1878)に横浜から東京の築地教会に司教座が移され、東京教区初代・オズーフ大司教が明治19年(1886)に松平頼徳の上屋敷跡(関口台:4,800坪)を購入し、築地の神学校の教授・レイ神父がこの関口台に聖母仏語学校と聖堂を建てたのが始まりです(1899年)。
1912年に東京教区の大司教となったレイ神父は、大司教座のある築地には住まずに関口教会内で執務し、1920年に大司教座は築地から関口に移りました。 -
その後、昭和20年の東京大空襲で関口天主堂は焼失しますが、ドイツのケルン教区の支援によって聖堂が再建される事となり、世界的な建築家・丹下健三の設計によって昭和39年に現在の聖マリア大聖堂が完成。
日本のカトリック教会は16の教区に分かれており、カテドラルとは、カテドラ(司教の紋章がつく赤い椅子)を持つ司教座教会を指し、大司教が儀式を司式する教会です。 -
大聖堂の横に聳え立つ鐘塔(61.68m)・・・上部にある4つの鐘は、ドイツから輸入されたもの。
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巨大なスケールのステンレス張り外装に、石張りの重厚な土台・・・四方に聳え立つ明かり取りの開口部分がその高さを感じさせます。(大聖堂の最高部:39.41m)
丹下健三の名建築は、50年も前に建築されたとは思えない洗練されたデザインで、今も色あせることなく人々を魅了し続けています。 -
地上から見上げるだけでは、キリスト教の教会であるとは思えない外観ですが、上空から見ると「十字架」のデザインになっています。
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打ちっぱなしのコンクリートが荘厳な雰囲気を醸し出す大聖堂。
長島茂雄の結婚式や、クリスチャンだった吉田茂や丹下健三の葬儀も、ここで執り行われました。 -
大理石の祭壇の奥には、高さ16mの大十字架・・・高い天井と、天窓から降り注ぐ光が、神聖な空間をより神秘的に彩ります。
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巨大で重厚感のあるパイプオルガンは、教会用としては日本最大。
ちょうど演奏中で、厳かな音色が聖堂内に響き渡っていました。 -
現在のパイプオルガンは、2004年に設置された二代目。
天井を見上げると、特徴的なトップライトから美しい光が降り注ぎます。 -
祭壇の左側にある「マリア祭壇」・・・どこか安らぎを覚える顔立ちの聖母マリア像が見守っています。
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祭壇の右側にある「ピエタ像」・・・バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの傑作と同じ大きさで、1973年に日本文化財団から寄贈されたものです。
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入り口を入ったところにある「洗礼盤」・・・彫刻家・志水晴児(1928~2005)の作。
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フランス人宣教師の神父により、1911年に建てられた「ルルドの洞窟」・・・1858年、スペインとの国境に近いフランス・ピレネー山脈麓のルルドにある洞窟に聖母マリアが現れ、その湧き出た泉を飲むと病気が治ったという奇跡のエピソードから、そこが世界的巡礼地となりました。
ここは、それを模して作られた祈りの場です。 -
ルルドの洞窟の横に架けられた「ジョセフィーヌの鐘」・・・1877年に建てられた築地聖堂に大小2対の鐘がフランス人から寄贈され、司教座が築地教会から関口教会へ移される際に、大きな方の鐘がここに移され、もう一方の小さい鐘は今も築地教会に保管されています。
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教会の向かいにある「椿山荘」・・・江戸時代は久留里藩・黒田氏の下屋敷でしたが、明治の元勲・山縣有朋が1878年に購入し、「椿山荘」と命名しました。
1918年には大阪の藤田財閥が譲り受け、現在は藤田観光がホテルや宴会施設などを展開しています。
椿や桜などが生い茂る広い庭園は一般公開され、園内を散策できます。 -
江戸川橋散策の最後は「鳩山会館」・・・バラとステンドグラスで有名な鳩山会館は、観光バスも立ち寄る人気ぶり。
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坂道を登って行くと、音羽の丘に美しい洋館が姿を見せました。
玄関の上の壁にはハトが飾られています。 -
大理石の階段を上がってエントランスへ・・・ここで入館料(シルバー:500円)を払います。
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鳩山会館は、多数のステンドグラスがあることで有名。
これらのステンドグラスは、大正から昭和初めに活躍した工芸家・小川三知によるもので、「鳩山」の名字に因んで鳩をモチーフにしたステンドグラスがあちこちに。
これは玄関扉の上に飾られたステンドグラス。 -
1階にある第1応接室では、鳩山会館の紹介ビデオが流れています。
日本の近代政治と教育界に、偉大な貢献をしてきた鳩山家。
鳩山和夫が音羽の地に居を構えたのが明治24年(1891)、鳩山一郎により洋館が完成したのは大正13年(1924)。
1995年に建設当時の面影を忠実に再現した大改修がなされ、鳩山家歴代の功績を記念するため、鳩山会館として生まれ変わりました。(館長は元首相の鳩山由紀夫) -
第1応接室のステンドグラス・・・紋章風のデザインに3つ並んだ小さな鳩が可愛い。
鳩山一郎は昭和29~31年の首相在任中、この建物を舞台に自由民主党の創設を図り、日ソ国交回復の下準備も行いました。 -
中央は第2応接室。
ソファーは座ってもOKです。 -
マントルピースのデザインと調度品がステキ。
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サンルームとの仕切りのステンドグラス。
サンルームからは庭園に出られます。 -
ゆったりとした食堂。
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食堂とサンルームの仕切りにもステンドグラス。
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サンルームからの庭園の眺め。
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階段のステンドグラス。
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小川 三知(1867~1928)は、橋本雅邦に日本画を学び、アメリカで習得した複雑な色調を生み出すガラス技法で、アール・ヌーヴォー、アール・デコ風でありながらどこか日本情緒を感じさせる作品を数多く生み出しました。
五重塔の上を鳩が舞う図柄の大きなこのステンドグラスも、古都の風情を感じさせる素晴らしい作品です。 -
2階にある和室は、鳩山一郎の妻・薫の記念室・・・客間として使用されていた和室です。
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親子四代にわたって指導的な政治家を輩出してきた鳩山家。
早稲田大学校長で衆議院議長も務めた鳩山和夫の妻・春子は、日本の女子高等教育の基盤づくりに活躍した教育者で、共立女子学園の創立に関わり、長男の一郎と結婚した薫は春子の跡を継いで、共立女子学園長を永年勤めました。 -
鳩山一郎の書斎だった「一郎記念室」・・・一郎の残した書簡や軍服、文具などが展示されています。
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窓に嵌められたステンドグラス。
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「威一郎記念室」に飾られたステンドグラス。
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2階の中央にある「大広間」・・・もともと3つの寝室がありましたが、改修時に間仕切りを撤去して大広間に改造し、パーティ等で利用出来るようになりました。
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北側の壁に飾られた一郎の書「和為貴」・・・聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条にある言葉(和を以て貴しとなす)です。
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南側の窓からは美しい庭園が一望できます。
バラの時期は綺麗でしょうね。 -
庭園に出てみました。
英国風の外観をもつ建物は、歌舞伎座などを設計した岡田信一郎によるもので、鳩山一郎とは一高、東京帝国大学を通じての親友でした。
屋根の上には、鳩ではなく4羽のミミズクが・・・ -
一見、レンガ造りのようですが、建物の構造は鉄筋コンクリート造り。
斜めから見ると、サンルームの出っ張りがよく分かります。
文京区音羽にあることから「音羽御殿」の通称で知られ、戦後政治史の舞台の一つに数えられる建物です。 -
中庭には約90種類・140株のバラが植えられ、春と秋の2回楽しむことができます。
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庭園に建つ鳩山一郎の像・・・この銅像は、日ソ共同宣言・日ロ国交回復に尽力した鳩山一郎を讃え、2006年にロシアから寄贈されたもので、モスクワに向いて建てられています。
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庭園の一角に置かれた鳩山和夫・春子の像・・・朝倉文夫の作品で、1931年建立。
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像の前の池に泳ぐ錦鯉。
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鳩山会館見学の後、江戸川橋駅に戻り、永田町駅で下車して昼食をとった後、国立演芸場へ。
7月中席のトリは、柳家小さん。 -
今日の入りもマアマアですが、女子高生の団体が来ているのには驚きました。
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江戸川橋周辺の散策と、国立演芸場で楽しく笑った一日でした。
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