2017/05/10 - 2017/05/10
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ペコちゃんさん
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5月の○○会行事は、文京区観光協会が設定した4つの散策コースの中から選んだ「文学浪漫コース」の散策です。
東京23区の中央にある文京区は、その名の通り「文の京(ふみのみやこ)」・・・かつて夏目漱石・森鴎外・宮沢賢治等の著名な文人や学者・政治家など多くの人が居を構えました。
また、六義園・後楽園・小石川植物園など歴史ある広大な日本庭園がいくつも残されている区域で、ほぼ全域がすっぽり山手線の内側にあり、JRの駅が一つもないため大きな繁華街もなく、落ち着いた住宅の街と言え、都内散策にはうってつけの地域です。
江戸時代前期には、水戸藩徳川家上屋敷(跡地の現在:小石川後楽園・東京ドーム・後楽園遊園地)、加賀藩前田家上屋敷(跡地の現在:東京大学本郷キャンパス)などの武家屋敷や護国寺などの寺社が建ち、江戸時代中期には区域の多くが市街化され、後期には中山道の街道筋に商店が建ち並ぶなど発展してきた歴史のあるエリアで、また本郷台や小石川台など5つの台地と谷があるため、坂が多い変化に富んだ地域でもあります。
時々小雨がパラつく中、湯島・本郷など文京区東南部の文学浪漫の香り溢れる「文学浪漫コース」を仲間8名で歩いてみました。
写真は、東京メトロ・後楽園駅の前に聳え立つ「文京シビックセンター」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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先ず「文京シビックセンター」1階にある「文京区観光インフォメーション」で、文京区の観光ガイドマップ「おさんぽくん」をゲット。
文京区観光協会が設定した「文学浪漫コース」の立ち寄りスポットは11か所で、所要時間は1時間40分・・・但し、ゆっくり見学・鑑賞をすると3~4時間は必要です。
赤丸のスポットが、今回立ち寄った10か所。 -
1.史跡湯島聖堂
御茶ノ水駅に近い湯島聖堂からスタート。 -
徳川五代将軍・徳川綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)に孔子廟(聖堂)を創建し、上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移したのが湯島聖堂の始まりです。
寛政9年(1797)に幕府直轄学校として、昌平坂学問所(昌平黌)が開設されます。(昌平とは、孔子の生まれた村の名前)
明治4年に文部省が構内に置かれ、儒学の講筵(こうえん:講義の場所)は歴史を閉じました。 -
その年に日本初の博物館(現在の国立東京博物館)、翌年には東京師範学校(現在の筑波大学)、明治7年には東京女子師範学校(現在のお茶ノ水女子大学)が設置され、学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地となりました。
湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、昭和50年に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものです。 -
「楷樹(かいのき)」の大木・・・楷は中国の孔子の墓所に植えられている木で、枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれています。
日本でも儒学に関係深い所に植えられています。 -
入り口の「入徳門」は1704年の建造で、門に掲げられた扁額は、江戸中期の藤原基輔によるもの。
大正12年の関東大震災で大成殿は焼失しましたが、入徳門は難を逃れました。 -
入徳門の先にある「杏壇門」から「大成殿(孔子廟)」の前庭に入ります。
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孔子廟と言えば、台湾の朱塗りの建物を思い出しますが、大成殿も当初は朱塗りに青緑の彩色だったと言われています。
創建後、何度か火災で焼失し、荒廃していきましたが、1799年に大改築が完成し、黒塗りの建物に改められました。
関東大震災で焼失した後、昭和10年に寛政年間の原型をもとに鉄筋コンクリート造で再建。 -
銅板葺の屋根の両端に鎮座する「鬼ギン頭(きぎんとう)」は龍頭魚尾の架空の霊獣で、龍頭から鯨のように水を噴き上げています・・・水の神様とされ、火災から建物を守る目的で置かれたのでしょう。
そして、屋根の四隅角に置かれた「鬼龍子(きりゅうし)」は、獅子の体に龍の爪を持った霊獣で、邪気を寄せ付けないための鬼瓦や狛犬のような役割。
これらは鋳銅製で、寛政当時のものです。 -
大成殿の中には、孔子像の他、孟子・顔子・曽子・子思の四賢人像が祀られています。
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西門の両側には、合格祈願の絵馬が大量に・・・ここは湯島天神とともに、年間(特に受験シーズン)を通して受験生が参拝に訪れます。
合格祈願の鉛筆を買っていく受験生も多いとか。 -
西門を出て湯島坂から大成殿を見ると、鬼ギン頭がしっかり建物を守っているのが分かります。
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2.神田明神
湯島聖堂の近くにある神田明神は千代田区なので「文学浪漫コース」には入っていませんが、折角なので立ち寄ります。
江戸時代には神田明神と呼ばれていましたが、明治に入って神社が国の管理下になり、明治4年に社号が神田神社になりました。
このため、鳥居や随神門の扁額は「神田神社」となっています。 -
神田明神の氏子の区域は、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など旧神田区の108の町々・・・まさに ” 粋でいなせな ” 人達の総氏神様です。
ポスターを見ると、ちょうど明日から「神田祭」が始まるようです。
5月に行われる神田祭は、創建当初から旧暦9月に行われていた祭礼(秋の収穫祭のようなもの)が起源です。
徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)の出陣に際して、神田明神に戦勝祈祷し、9月15日(神田明神の祭礼日)に僅か半日で勝利して天下統一を果たしたことから、神田祭は縁起の良い祭礼とされ、以後絶やすことのないようにと命じられました。
その後、神田祭は江戸城内に山車が入れる江戸幕府公認の祭りとなって「天下祭」と呼ばれるようになり、紆余曲折を経て現在へと受け継がれています。 -
2年に一度、西暦の奇数年に行われる神田祭は、日枝神社・山王祭、富岡八幡宮・深川祭と並ぶ江戸三大祭の一つ。
京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにも数えられています。(写真はHPより) -
社伝によれば、神田明神の創建は730年で、江戸城の近く(現在の大手町)にありましたが、江戸城の拡張に伴い、1616年に現在地へ遷座し、豪華な桃山風社殿は江戸総鎮守として尊崇されました。
1782年には権現造の社殿が造営されましたが、大正12年の関東大震災で焼失し、昭和9年に当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリート構造で権現造を模して再建。
昭和20年の東京大空襲では、境内に焼夷弾が落ちたにも拘らず、本殿・拝殿などは焼失を免れました。 -
鳥居をくぐって進むと、湯島聖堂の黒と違って、鮮やかな朱色の随身門が見えてきます。
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随身門は、昭和天皇御即位50年の記念事業として、昭和50年に新たに再建し、平成10年に鮮やかに塗替えられました。
外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」など大黒様の神話をモチーフにした彫刻を飾っています。
また二層目に、平将門公に由来する金箔を施した「繋馬(けいま)」の彫刻が飾られています。 -
随身門の左右には随身像を配し、右は豊磐間戸神(とよいわまとのかみ)、左は櫛磐間戸神(くしいわまとのかみ)を安置・・・この像は、長崎平和祈念像の制作者・北村西望の監修によるもので、松下幸之助さんが奉納しました。
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門をくぐると、左右に神馬を配置。
柱には狛犬の見事な彫刻・・・今にも飛び出しそうな勢いです! -
神田明神に祀られている祭神は、大黒様・恵比寿様・平将門の3柱。
昭和51年に安置された大黒様は高さ6.6mで、石造りとしては日本一。 -
平成17年に鳳凰殿の隣に建立された「えびす様尊像」・・・えびす様が海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて大海原を渡るこの像は、東京芸術大学学長・宮田亮平教授により美しく完成しました。
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御社殿の左側にある鳳凰殿は、お守りやお札を授与してもらえる神札授与所や休憩室・集会室などを備えた建物です。
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昭和9年に竣工した現社殿は、当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造りで総朱漆塗の社殿・・・平成の御造替事業(平成6年~11年)で全面的に塗替・修復が行われ、美しく蘇りました。
本殿・幣殿・拝殿と神饌所・宝庫が重なり合うように造られています。 -
拝殿の内部。
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江戸三大祭について「神輿・深川、山車・神田、だだっ広いが山王様」と謳われたように、もともと神田祭は約40本の山車が出る祭りでした。
明治以降路面電車の開業や電信柱の敷設で、次第に曳行しなくなり、さらに関東大震災や戦災によって山車がすべて焼失したため、現在の神田祭は、山車に代って約200基の町御輿が主流です。
神田祭の期間中、神社境内の仮屋に、昭和30年に復元製作された水天宮の加茂能人形の山車が展示されています。
人形は、能楽「加茂」の後シテ、別雷神(ワケイカズチノカミ)。 -
もう一台展示されているのは、神田元岩井町(いまの岩本町)の桃太郎の人形の山車。
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神田明神と言えば、映画やテレビで人気のあった野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」が思い出されます。
主人公・銭形平次が明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、昭和45年に本殿右手横に「銭形平次の碑」が建てられました。
発起人の中には、長谷川一夫や大川橋蔵など懐かしい名前が・・・ -
平次の碑は神田明神から明神下を見守る場所に建てられ、隣には子分「がらっ八」の小さな碑もあります。
平次親分の碑の周りは、投げ銭「 寛永通宝 」の文字が刻まれています。
「銭形平次捕物控」は昭和6年『文藝春秋オール読物』に第1作が発表されて以来、27年間で383編にも及びました。 -
神田明神から霊雲寺に向かいましたが、場所がよく分からずパス。
3.湯島天満宮
平成12年に「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称しましたが、「湯島天神」の通称が馴染みがありますね。
銅製の表鳥居は1667年に寄進されたもの。 -
湯島天神は、雄略天皇2年(西暦458年)、勅命により創建されたと伝えられ、学問の神様で知られる菅原道真公を祀る、関東を代表する天満宮。
梅の名所でもあります。 -
「撫で牛」・・・自分の体調の悪い所と同じ部分を撫でると良いと言われています。
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平成7年に改築された本殿。
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びっしり掛けられた絵馬・・・道真公は受験生にとって、最後の頼みの綱なのですね・・・まさしく ” 神頼み ”
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夫婦坂を下りて不忍池の方に向かいます。
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4.旧岩崎邸庭園
不忍池の西側にある旧岩崎邸庭園は、三菱財閥初代の岩崎彌太郎が購入した宅地に、長男で三菱第3代社長の久彌が本邸として建てた邸宅です。 -
1896年(明治29年)に造られた当時は、約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいました。
現在は1/3の敷地となり、建物は洋館・和館・撞球室の3棟です。 -
越後高田藩・榊原氏の屋敷跡に建てられた岩崎邸は、戦後、GHQの財閥解体によって接収され、返還後、昭和27年に国有財産となりました。
門から入口まで、長い坂道を歩きます。 -
木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドル(1852~1920)の設計で、近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。
関東大震災や東京大空襲にも耐え抜いた建築当時からの建物は、ちょうど屋根の葺替え工事中で、建物の左側は養生シートで覆われていました。 -
洋館・1階 ⇒ 2階 ⇒ 和館 ⇒ 庭園 の順に見学。
洋館と撞球室は、何と地下道で繋がっています! -
正面玄関で靴を脱ぎ、ホールへ。
ギリシャ建築を思わせる柱や手摺りのデザイン、そして広いスペースに目を見張ります・・・さすが、三菱財閥の大邸宅! -
1階の客室。
暖炉は洋館の各室に設置されています。 -
前庭に面した客室のベランダに貼られたヴィクトリアン・ゴシック様式のミントンのタイル・・・見事な美しさです。
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東側のサンルームに飾られた家族写真。
座っている人は、左より寧子(妻)・喜勢(母)・久彌、立っている人は、左より綾子(3女)・恒弥(3男)・美喜(長女)・隆弥(次男)・彦弥太(長男)・澄子(次女)。
この写真は、中央に立つ長女・美喜さんの結婚の記念に撮ったもの。 -
外交官の沢田廉三と結婚した美喜さんは、敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げました。
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1階の婦人客室・・・コンドルが好んで用いたイスラム風のデザインが取り入れられ、シルクの日本刺繍が飾られた布張りの天井になっています。
図案のモチーフは小鳥とバラ・菊の花。 -
洋館1階の北側にある久彌の書斎・・・天井が高く広い書斎です。
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2階の婦人客室・・・この部屋の装飾もイスラム風のデザインになっています。
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2階客室の天井に貼られているのは、金唐革紙(きんからかわかみ)。
ヨーロッパでも壁紙に用いられた技法を、花と曲線をモチーフに和紙で再現していますが、実に豪華! -
2階ホールの広い廊下に展示されている金箔細工。
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2階から1階に降り、和館に進みます。
これは、洋館と和館に囲まれた中庭。 -
三大財閥の三井・住友は、300年以上の歴史を持つ御用商人でしたが、三菱財閥は岩崎彌太郎が幕末・明治の動乱期に政商として、一代で巨万の利益を得て築いたものです。
三菱グループのシンボル「スリーダイヤ」は、土佐国の半農半士だった岩崎家の家紋である「三階菱」を3つの菱型にバラして中心をつないだデザイン。
その『菱』のデザインが欄間や錺(かざり)金具に使われています。 -
襖の引手。
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再び靴を履いて庭園に出ます・・・この踏み石の大きいこと!
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江戸時代には池のある大名庭園の形式でしたが、本邸建築の時に池を埋め立てて広大な芝庭になり、和館の周囲に庭石・灯篭・築山などを配した和洋併置式の庭園となっています。
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洋館から少し離れたところに立つ「撞球室」は、当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りとなっています。
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ビリヤードの発祥の地はギリシャで、その起源は、紀元前400年頃まで遡ります。
日本に初めて伝わったのは江戸時代で、1850年頃(嘉永・安政年間)にオランダ人によって長崎の出島に持ち込まれ、明治の頃は華族や陸・海軍の将官、外務省の高官など特別な人達の社交的競技でした。
これまで「遠山記念館」(埼玉県川島町)や「旧石川組製糸西洋館」(埼玉県入間市)など、明治・大正の歴史的な建物をいくつか見ましたが、建物の規模と豪華さはこの旧岩崎邸が一番です。
http://4travel.jp/travelogue/11210487
http://4travel.jp/travelogue/11170654 -
旧岩崎邸庭園の北側にある「無縁坂」・・・森鴎外の小説『雁』の主人公・岡田青年の散歩道ということで、多くの人に親しまれている坂です。
このレンガ塀の内側が、岩崎邸。 -
5.弥生美術館・竹久夢二美術館
この地に住んでいた弁護士・鹿野琢見(かの たくみ:1919~2009)が創設者で、彼が収集した戦前の叙情挿画家・高畠華宵および竹久夢二などの作品が多く収蔵されている美術館です。
弥生美術館の設立は1984年で、初代館長は竹久不二彦(竹久夢二の次男)。
1990年には竹久夢二美術館が併設され、入り口は共通になっています。 -
竹久夢二美術館は『夢二が描く大正ファッション』を開催中。
大和撫子からモダンガールまで、約100年前に竹久夢二(明治17年~昭和9年)が描いた大正のファッションを紹介しています。 -
弥生美術館は『長沢節展』。
長沢節(1917~1999)のイラストは、男性の私でも記憶にあります。
今年は長沢節の生誕100年。 -
6.東京大学
美術館の前にある「弥生門」から東大本郷キャンパスに入ります。
この周辺の遺跡から発見された土器が「弥生土器」。 -
医学部の建物。
江戸時代、この辺りは富山藩・大聖寺藩の屋敷でした。
1876年、藩屋敷の跡地に東京医学校(東大医学部の前身)が最初に移転し、翌年には神田錦町にあった東京開成学校と医学校を統合して、法・理・文・医の4学部で東京大学が発足しました。 -
「三四郎池」の周辺は「育徳園」といわれる加賀藩上屋敷の大名庭園でした。
1615年の大坂夏の陣の後、加賀藩・前田家は幕府からこの地を賜り、1629年、徳川3代将軍・家光の訪問の際に整備された庭園が育徳園で、池は「心」という字をかたどっていることから「心字池」と言いました。 -
名園と言われた育徳園は、今も当時の面影が保存され、森のようになっています。
池の正式名称は「育徳園心字池」ですが、夏目漱石の名作『三四郎』以来、「三四郎池」の名で親しまれています。 -
東大と言えば「安田講堂」・・・大正12年の関東大震災後、安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付により、大正14年に竣工しました。
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明治の終わりごろ植えられた銀杏も巨木になり、秋には黄金色のイチョウ並木を見に来る人も沢山います・・・東大の校章もイチョウですね。
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東大の代名詞にもなっている「赤門」・・・加賀藩上屋敷の御守殿門で、1827年に第11代将軍・徳川家斉の第21女・溶姫を正室に迎える際に造られました。
よく正門と間違われますが、1912年完成の正門は赤門の左側にあります。 -
7.かねやす
もともと京都で口中医(歯医者)をしていた兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)が江戸に移住し、元禄年間に歯磨き粉の「乳香散」を製造販売したところ大いに人気を呼び、小間物店「兼康」を開業したのが始まりです。
1730年(享保15年)の大火で、本郷から湯島にかけて焼けてしまったため、当時の町奉行だった大岡越前守は防災上の理由から、現在の本郷三丁目から江戸城にかけての町には土蔵造りを奨励し、茅葺きを禁じて瓦葺きで復興させました。
このことから「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになり、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の川柳が生まれた訳です。 -
現在は7階建てのビルとなり、2階以上にはテナントが入居していますが、江戸時代から400年にわたって続く老舗中の老舗。
訪れた日は定休日でしたが、通常はこんな感じで営業しています。(写真はHPより) -
菊坂の周辺は谷筋の地形なので、坂の町です。
菊坂に交わる坂道の名も、鐙坂(あぶみさか)、炭団坂(たどんさか:転ぶと炭団のように転がるほどの急坂)、梨の木坂、本妙寺坂など等。
胸突坂まであります。 -
8.旧伊勢屋質店
五千円札の肖像でおなじみの樋口一葉(明治5~29年)が、暮らしに困って度々通った通ったという伊勢屋質店。
<一葉の明治26年5月2日の日記>
『此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、羽織二つ、一風呂敷につつみて、母君と我と持ゆかんとす。蔵のうちに はるかくれ行 ころもがへ』 -
伊勢屋質店は1860年にここで創業し、昭和57年まで続いていました。
生活に苦しみながら24歳の若さで肺結核により一葉が亡くなった時、伊勢屋の主人は香典を持って弔問したそうです。
店は明治40年に改築されましたが、左側の土蔵は樋口一葉が通った当時のものです。 -
旧伊勢屋質店の建物は平成27年に跡見学園が取得し、週末には建物内部を公開しています。
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9.文京ふるさと歴史館
古くから豊かな歴史のある文京区・・・炭団坂にある「文京ふるさと歴史館」は文京区の歴史や文化財を広く伝えるため、平成3年に開館しました。 -
2階に上がる階段のステンドグラス。
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1階は「文京のあけぼの」「大江戸づくりと文京」、2階は「まちの風景」「くらしの風景」「文化の風景」というテーマで展示されています。
これは、2階にある「駒込のやっちゃ場(青果市場)」のジオラマ。 -
10.文京シビックセンター
1994年に竣工した文京シビックセンターは、区民施設とホールや区役所などの公共機関がある総合施設で、東京メトロ・丸ノ内線の後楽園駅の目の前。
地上26階・地下2階、高さ142mの高層ビルで、北側に円く突き出た所が25階の展望室です。 -
広々とした1階のエントランスから、高層階用エレベータ乗り場へ。
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13階には職員食堂もありますが、ここに来たら昼食は25階の「シビックスカイレストラン椿山荘」でしょう。
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眺望は南側だけですが、開放感は抜群!(写真はHPより)
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眼下には、小石川後楽園や東京ドーム・・・
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ラクーア(昔の後楽園ゆうえんち)などが見えます。
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松花堂弁当(2,050円)とフライ盛合せ(1,800円)。
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昼食後は、同じ25階フロアの展望室へ・・・今日は生憎の天気ですが、傾斜のついた窓から東・西・北側の展望を楽しみます。
東側には東京スカイツリー。 -
西側には新宿副都心。
天気が良ければ富士山も見えます。 -
北側にはサンシャインなど池袋の高層ビル。
筑波山も見えるそうです。 -
江戸の面影を色濃く伝える史跡や、数多くの文人を排した歴史的な街の文京区・・・東京のド真ん中でありながら、緑豊かな文京区は史跡・芸術・庭園など散策に事欠きません。
文京区観光協会が選定したコースも、あと3つあるので、また仲間と歩きたいと思いながら帰路につきました。
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