2018/05/04 - 2018/05/04
304位(同エリア624件中)
船尾唯智さん
ゴールデンウィークに新日本海フェリー舞鶴→小樽航路に乗りたいと思って計画を立ててみたものの、この時期の運航日は隔日運航。ならば運航前日に堺入りし、堺の町をぶらり散策してみることにしました。
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南海堺駅前のホテルに早めにチェックインした後、堺の街をぶらり散策してみる。
かつての堺の中心部は、今の阪堺電車が突っ切るところ。そこにアーケード街の山之口商店街があるが、人影はまばら。
今の堺の中心部は、市役所のある南海堺東駅前に移った感がある。 -
アーケード街には歴史を感じる神社もあるが、かつて自由都市として繁栄した堺の中心部にしては人影の少なさ、そして寂寥感は拭えない。
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翌朝、堺の今の中心街が広がる南海堺東駅前に移動する。こちらはアーケード街も充実しているが、地元住民はやはり買物するなら南海でなんばに出るのが普通なのだろう。
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堺東駅からは高層の堺市役所が見える。
堺市は、世界最大規模の墓である仁徳天皇陵をはじめ、世界遺産登録を目指している。そのため観光振興には殊の外熱心である。
その一環であろう。市役所の最上階の展望室を土日も解放している模様である。そこには観光ガイドもいて、仁徳天皇陵も見えるらしい。 -
本日の堺市内の移動は、南海バス営業所で販売していた「堺おもてなしチケット」大人500円を使って南海バスで移動する。
堺東駅のバス営業所で見たバス路線系統図を見る限り、堺東駅から西側の堺駅方面と、東側の仁徳天皇陵方面では堺東駅での乗換を余儀なくされる場合が多そうに見えた。
そして堺市内の南海バスは初乗りが220円。だから「堺おもてなしチケット」を買い、市内移動でバスに3回以上乗れば簡単にモトは取れる。更に市内の観光施設等の割引特典もある。
これも堺市の観光振興の政策の一環なのかもしれない。 -
仁徳天皇陵へは大仙公園バス停で下車。その名の通り、大仙公園がある。その名の通り市民の憩いの場なのだが、ただ普通の公園と違うのは、広大な敷地内に沢山の古墳がある事だ。関西では珍しくもないのかもしれないが。
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これが日本最大規模の古墳、仁徳天皇陵である。まずは帽子を取って礼拝する。
あまりにも大きいので地上では全体像が把握できない。八尾空港からは仁徳天皇陵を上空から見る飛行機ツアーもあるそうだが、お1人数万円レベルだったと思う(笑) -
全体像を把握できるように丁寧に模型もある。
事前に得た情報では、午前10時からボランティアガイドの方が観光案内してくれるとの事なので、観光案内所で待機する。 -
時間が来て、ギャラリーが10人ほど集まったところでボランティアガイドの方の案内が始まる。ここから仁徳天皇陵の周り4キロ弱を歩かねばならない。つまり参加者は基本、健脚でなければならないのだ。
一応、私個人としては旅行先は基本徒歩移動である上、毎日スクワットを20回しているので多分問題はない、と思っていたが・・・ -
まずは仁徳天皇陵礼拝所で案内の後、さきほどの大仙公園内の古墳群の説明。
柵で囲っている古墳エリアは宮内庁管理。それ以外の公園エリアは堺市管理。
水を湛えた濠のある古墳もあるが、濠の中の古墳だけ柵がしてあるので、そこだけは宮内庁管理なのだが、濠は堺市管理になるのだと言う。何故、濠まで柵で囲まなかったのか?とても面白い。 -
昔、古墳の上に登ったことがあるが、友人から「昔の人の墓の上に登るとバチが当たるぞ」と言われたことがある。
しかし関西では古墳の数が半端なかったので、古墳を壊して住宅地に開発されたのも少なくはないと言う。中には半分だけ壊して、そこに寺を建てたというのも(笑)
つまり古墳に登った私がバチが当たるならば、関西の人は命がいくつあっても足りない、ということになる(笑) -
そしてガイドの人を先頭に、我々一行は仁徳天皇陵の周りを歩く。
古墳は粘土を使って土を固めた。そのため、この仁徳天皇陵も昔はこんなに緑の木々が生い茂る山ではなく、松の木がまばらに生えている中途半端なハゲ山だったという。
そして明治時代に仁徳天皇陵は植栽されて今の形になる。宮内庁管理として立ち入りが禁止になるのは更にその後だという。周囲の古墳群が地元の人々の要望で、次々と宮内庁管理になって立ち入り禁止となるのは戦後まで続いたという。
あと昔の仁徳天皇陵は、濠の水が完全に停滞していたために夏場の悪臭等が問題となったため、工業用水で水の入れ替えを行った。しかしコストがかかるため、今は井戸を掘削して汲み上げた水を使っている。近くの三国ヶ丘駅にその送水パイプがあるという。 -
そんな面白い話は、やはりガイドさんがいないと聞けない。観光ガイド参加は初めての体験であるが、少なくとも一人で単に来ただけでは絶対に分からない。
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仁徳天皇陵周辺の古墳は宮内庁管理のものが多い一方、大阪府管理のものもある。
なお仁徳天皇陵の濠で、台風による倒木があったので、見苦しいということで倒木の要請を宮内庁にお願いしたが、撤去まで3年かかったという。
ボランティアガイドさん曰く「宮内庁もお金がないのでしょうね」 -
仁徳天皇陵の周りの道路。路面に弧を描いたタイルがあるが、これが古墳の跡だと言う。
今回一番驚いたのは、仁徳天皇陵の濠部分にも古墳が複数あることだった。古墳の中の古墳!ただしガイドさんが言うには「学者によっては古墳ではないという否定的意見もある」とのこと。 -
約1時間半以上かけて仁徳天皇陵をぐるり一周。観光案内所に戻り、解散。貴重な話を聞かせていただいたガイドさんには深く御礼した。
この観光ガイド、ボランティアガイドであっても、参加すると「協力金」を取られることがあるようだ。私が知るところによるとボランティアガイドだと1人500円。長崎の対馬を調べたらボランティアガイドではないようで、1人3000円!
しかし、この堺のボランティアガイドは無料だった。これも世界遺産登録のための堺市の施策なのかもしれない。 -
長距離ウォーキングで足の裏がやや痛くなったが、ここでバスで堺東駅に戻り、大阪王将で餃子を食べて昼食&休憩。
そしてバスで宿院にある「さかい利晶の杜」に行く。利晶とは地元出身の千利休と与謝野晶子から1文字ずつ取ったのだろう。
真新しい立派な建物。これがオープンしたことで堺の観光客が増えたという。ここでもまた、堺市の観光行政の力の入れようを目の当たりにする。 -
こちらの入館料は、さきほどの「堺おもてなしチケット」の特典で割引となる。
ここにも観光ボランティアガイドさんがいたので案内を受ける。勿論無料だった。
写真は与謝野晶子の実家にあったものの展示。
ガイドさん曰く「与謝野晶子という人は写真によって別人に見える」とのこと。
ホンマかいな?と半分疑ってかかっていたら、展示してあった与謝野晶子の写真、全て別人に見えた(笑)
これだけ写真うつりで印象がガラリと変わる人も珍しいですね。大昔のことだから、今の人のように整形はしてないと思うけど(笑) -
一方、千利休は身長が180センチもあった大柄な人だったという。当時、日本人の平均身長は男でも150レベルだろうから、当時の人々から見たらもっと大柄に見えただろう。
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ここでの説明は基本館内なので、仁徳天皇陵みたいに長距離を歩くことはなかったが、長時間ずっと立ちっぱなし。ここでも1時間半は立っていた。
午前中の徒歩も響いて、かなり足裏が痛くなりました。午前、午後と丸一日観光ガイドを受けるのはかなりの体力勝負だと痛感し、よりカラダを鍛えなきゃいけないな、と思いました。
他地域の観光ガイドでは山道を6キロも歩くコースもあるそうてです(笑)しかし、これを趣味にしていけば、運動にもなるし、歴史の勉強にもなるから一石二鳥ですね。あとは「協力金」や参加費がいくらなのかが問題。
また機会があったら他地域の観光ガイドにも参加したいですね。
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