2018/04/20 - 2018/04/21
185位(同エリア415件中)
naoさん
旅の行程
4月20日 福島宿、上松宿、寝覚
4月21日 中津川宿、大井宿
東の信濃国境から西の近江国境に至る中山道の美濃路には、落合宿から鵜沼宿までの「東美濃九宿」と、加納宿から今須宿までの「西美濃七宿」の、総称して「美濃十六宿」と呼ばれる宿場町がありました。
岐阜県恵那市大井町は、木曽路を抜けた中山道と、尾張から伊勢へ向かう街道の分岐点にあたる町で、「美濃十六宿」と総称される16の宿場町の東側から3番目、かつ、江戸日本橋から数えて46番目の大井宿が開かれました。
天保14年(1843年)の資料によると、6つの桝形で区切られていた大井宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、問屋5軒、旅籠屋41軒で構成され、中山道を行き交う旅人のほか、尾張商人や伊勢参りの参詣者も多数往来し、大いに賑わっていました。
現在の大井宿は、昭和22年(1947年)の火災から焼失を免れた本陣跡の門や旧庄屋を務めた商人の重厚なお屋敷とともに、伝統的な佇まいの旅籠屋や商家が残されており、宿場町の面影をしのばせる町並みが続いています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大井宿の手前にある甚平坂にやって来ました。
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左手の茂みの中に、「馬塚」の石碑が立っています。
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坂道を上ってさらに進むと・・・
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植え込みの中に、「犬塚」の石碑が立っています。
この「馬塚」と「犬塚」に関して以下の伝説が伝えられています。
『信濃国桔梗ヶ原(現在の塩尻市)に、ひとたび羽ばたくと災いが巻き起こり多くの村人の命を奪うと恐れられた「八重羽の雉子」という雉が住んでいました。
村人たちを救うためこの雉を退治するよう源頼朝に命じられた家臣の根津甚平は、屈強な犬と鷹をお供に、愛馬にまたがって雉退治に出かけます。
さしもの雉もこれはかなわんと西に向かって飛び立つと、ここで逃げられては一大事と、甚平一行は食うや食わずの死にもの狂いで木曽路を西へ西へと追いかけますが、大井へあと一歩の坂道でまで来たところで、ついに馬が倒れて息を引き取ってしまいます。
それでもなお甚平は犬と鷹を引き連れて雉を追い、日吉(現在の瑞浪市)まで来たところで犬も力尽きてしまいました。
このことから、この坂を「甚平坂」と呼ぶようになり、付近には甚平と運命を共にした馬と犬を葬った馬塚と犬塚が造られています。』 -
「甚平坂」に整備された公園からの景観です。
中山道も木曽路を過ぎると、小高い丘が続く展望の良い道が続きます。 -
この石碑は、歌川広重が描いた中山道六十九次の「大井宿」を題材として製作されたものだそうです。
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恵那市の汚水桝の蓋。
恵那市の市章を中心に、合併前の旧恵那市の花「ベニドウダン」がモチーフになっています。 -
石垣の上に建つ民家。
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この民家を南側から見ると・・・
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こんな素晴らしい景観が広がっていました。
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厨子2階建ての民家は・・・
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各所に下見板張り仕上げが使われています。
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関戸の一里塚跡です。
石碑には「江戸日本橋より八十七里」と彫られています。 -
さて、いよいよ大井宿です。
ここは高台なので、町並みが一望のもとに俯瞰できます。 -
これは馬頭観音です。
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寺坂と名付けられた坂道に沿って・・・
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上宿石仏群が建立されています。
これは宿場内の無病息災を願って、悪病が侵入するのを塞るために建立されたんだそうです。 -
明智鉄道の線路をくぐった坂道の途中には・・・
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お上の権威を見せつけるかのように、石垣を積んだ上に高札場跡があります。
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この坂は五妙坂と名付けられています。
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ここは、地元の皆さんが「第一の枡形」と呼んでいるところです。
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「第一の枡形」を進むと本陣跡が現れます。
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本陣は昭和22年(1947年)に火災にあい、残念ながら主屋を焼失してしまいましたが、正門などは焼け残りました。
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主屋は焼失したとはいえ、その風情はかつての大井宿を代表する重厚なもので・・・
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宿場町の面影をしのばせるのには十分です。
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違うデザインの恵那市の汚水桝の蓋。
歌川広重の浮世絵がモチーフになっています。 -
精緻な犬矢来をしつらえた町家のあるお屋敷には・・・
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下見板張りの巨大な土蔵がよく似合っています。
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こちらは「中山道ひし屋資料館」です。
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酒造業を営んでいたひし屋さんは、江戸時代中期以降には大井村の庄屋を務めた家柄で、その住まいは大規模で質の高い町屋の特色を備えており、平成12年に「中山道ひし屋資料館」として開館されました。
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側溝の鋳鉄蓋にも中山道大井宿の文字が・・・。
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こちらの町家は、下屋を支えている持ち送りの先端が白く塗られています。
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犬矢来をしつらえた町家です。
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ポツンと取り残されたような土蔵です。
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こちらの町家は、問屋役として宿役人を務めたお宅です。
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こちらの町家は使われていないように思われます。
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こちらは脇本陣跡ですが、問屋場も兼ねておられたようです。
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こちらは、明治13年(1880年)に明治天皇がお泊りになったお宅だそうで、現在は大井宿に関する資料を集めた歴史的施設や住民の方々の交流の場として使われているそうです。
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中山道はここで北(右)に曲がって、コの字型の大きな枡形を形成しています。
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では、枡形を進みます。
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恵那市の汚水桝の蓋。
恵那市の市章や旧恵那市の花「ベニドウダン」を使ったデザインは同じですが、「恵那市」や「汚水」の文字がありません。 -
立派なお屋敷が見えてきました。
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こちらのお屋敷も、江戸時代には大井村の庄屋を務めておられたようです。
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表門はとても重厚に造られています。
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主屋には本卯建があげられています。
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さらに塀にまで卯建が・・・。
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中山道は市神神社の前で西(左)に曲がります。
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市神神社の前を曲がった先の町並みです。
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精悍な黒づくめの町家です。
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千本格子が見所の町家です。
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中山道はこの角を南(左)に曲がって進みます。
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コの字型の大きな枡形を抜けて、元の道に戻って来ました。
では、ここで引き返して車をとりに行きます。 -
土塀をめぐらせたこちらの建物は旅館です。
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コの字型の大きな枡形へは、最初にこちらの建物の角を曲がりました。
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大井宿の町並みです。
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「中山道ひし屋資料館」まで戻って来ました。
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全面にガラス戸の入った町家です。
では、車に乗って恵那市街地の西側へ移動します。 -
恵那市街地西側の永田川に架かる長島橋まで移動してきました。
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お目当ては、こちらの中野村庄屋の家です。
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さすが庄屋の家と思わせる、黒漆喰塗の虫籠窓や千本格子に犬矢来をしつらえた重厚な建物です。
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では、大井宿を最後にこの旅を終え、家路につきます。
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