町田旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 東京都町田市相原町にある青木家屋敷には萱葺き屋根の母屋とトタン屋根の表門や土蔵、納屋が建っている。黒板塀の屋根もトタンである。建設当初は、表門や土蔵、納屋は萱葺きであったとしても、板塀の屋根は何で葺いていたのだろうか?<br /> 黒板塀には「内科・小児科 青木医院」の表札があり、表門の前には駐車場や栗林(栗園)もある。<br /> この青木家のご先祖は幕末には清水寺の整備等に尽力している。また、この当時は相原村の名主も務めている。その家の門が長屋門ではなく、表門であることには疑問が湧く。<br /> おまけに、「保安上等の理由から許可なく庭園内に無断立入り及び写真撮影等されることをお断わり申し上げます」と記された看板もあり、黒板塀には「この鉄柵の設置及び当家屋敷の維持管理費は一切自腹でまかなっておりますので当屋敷の物件を破損しないで下さい。 青木」の看板まである。これには驚いてしまった。「無断立入りし写真撮影等」なら分かるが、「無断立入り及び写真撮影等」では外からの写真撮影も禁止されているような印象さえ受けよう。また。東京都指定史跡ではあるといえ、維持管理費は大部分は自費であることは常識であろう。この後に、神奈川県相模原市南区磯部字勝坂にある中村家の主屋と長屋門(https://4travel.jp/travelogue/11371239)を見に行くのであるが、こちらには「中村歯科」の看板が掛かり、中村家住宅主屋と長屋門は国登録有形文化財になっており、しかも、敷地内には自由に入れ、さらに、主屋は月・火・水を休館日として内部を無料公開している。東京都指定と国登録、あるいは内科・小児科医と歯科医のその違い以上に余りにも大きな違いがあるように感じてしまった。<br />(表紙写真は青木家主屋)

青木家住宅(東京都町田市相原町)

4いいね!

2018/06/19 - 2018/06/19

338位(同エリア405件中)

0

21

ドクターキムル

ドクターキムルさん

 東京都町田市相原町にある青木家屋敷には萱葺き屋根の母屋とトタン屋根の表門や土蔵、納屋が建っている。黒板塀の屋根もトタンである。建設当初は、表門や土蔵、納屋は萱葺きであったとしても、板塀の屋根は何で葺いていたのだろうか?
 黒板塀には「内科・小児科 青木医院」の表札があり、表門の前には駐車場や栗林(栗園)もある。
 この青木家のご先祖は幕末には清水寺の整備等に尽力している。また、この当時は相原村の名主も務めている。その家の門が長屋門ではなく、表門であることには疑問が湧く。
 おまけに、「保安上等の理由から許可なく庭園内に無断立入り及び写真撮影等されることをお断わり申し上げます」と記された看板もあり、黒板塀には「この鉄柵の設置及び当家屋敷の維持管理費は一切自腹でまかなっておりますので当屋敷の物件を破損しないで下さい。 青木」の看板まである。これには驚いてしまった。「無断立入りし写真撮影等」なら分かるが、「無断立入り及び写真撮影等」では外からの写真撮影も禁止されているような印象さえ受けよう。また。東京都指定史跡ではあるといえ、維持管理費は大部分は自費であることは常識であろう。この後に、神奈川県相模原市南区磯部字勝坂にある中村家の主屋と長屋門(https://4travel.jp/travelogue/11371239)を見に行くのであるが、こちらには「中村歯科」の看板が掛かり、中村家住宅主屋と長屋門は国登録有形文化財になっており、しかも、敷地内には自由に入れ、さらに、主屋は月・火・水を休館日として内部を無料公開している。東京都指定と国登録、あるいは内科・小児科医と歯科医のその違い以上に余りにも大きな違いがあるように感じてしまった。
(表紙写真は青木家主屋)

PR

  • 青木動物病院を過ぎると門(青木家裏門)と納屋が見えてくる。

    青木動物病院を過ぎると門(青木家裏門)と納屋が見えてくる。

  • 土蔵。

    土蔵。

  • 門の奥に母屋が。

    門の奥に母屋が。

  • 黒板塀。

    黒板塀。

  • 「この鉄柵の設置及び当家屋敷の維持管理費は一切自腹でまかなっておりますので当屋敷の物件を破損しないで下さい。 青木」。

    「この鉄柵の設置及び当家屋敷の維持管理費は一切自腹でまかなっておりますので当屋敷の物件を破損しないで下さい。 青木」。

  • 黒板塀の上から母屋が。

    黒板塀の上から母屋が。

  • 「青木医院前栗園」。

    「青木医院前栗園」。

  • 「内科・小児科 青木医院」の表札。

    「内科・小児科 青木医院」の表札。

  • 「保安上等の理由から許可なく庭園内に無断立入り及び写真撮影等されることをお断わり申し上げます」看板。<br />患者が出入するのであるから普通にある個人のお屋敷とは違うだろうに。

    「保安上等の理由から許可なく庭園内に無断立入り及び写真撮影等されることをお断わり申し上げます」看板。
    患者が出入するのであるから普通にある個人のお屋敷とは違うだろうに。

  • 「東京都指定遺跡 青木家屋敷<br />         所在地 町田市相原町八一〇番地.他<br />         指定  昭和五十五年二月二十一日<br />江戸時代初期に至るまでの青木家(屋号「本家」)の沿革は不詳の所が多いが、江戸時代後半から大きく屋を伸ばし幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育振興、勧農などに貢献している。特に青木正太郎(一八五四~一九三二年)は自由民権家として活躍した。<br />当家は多摩丘陵最南部の一隅に位置し、屋敷地の前を町田街道旧道が走っている。裏の丘陵に接した平地の中央やや西寄りに南面した主屋(文久二年1862年)を構え、南には表門、東には裏門が建てられている。<br />主屋西南に上蔵一棟が建っている。生活関係の付属屋は屋敷の東南に建てられ、裏門の西南に木小屋兼堆肥小屋、北にクミアイ、オチャバ、ミソベヤの三棟が建ち、裏山は自然の傾斜を利用した庭園となっている。<br />青木家の屋敷は旧態を良く留めており、この地方の幕末から明治期における豪農の生活様式を知る上で非常に貴重なものである。<br />指定面積は七〇〇三平方メートル<br />  平成十二年三月設置  東京都教育委員会」。

    「東京都指定遺跡 青木家屋敷
             所在地 町田市相原町八一〇番地.他
             指定  昭和五十五年二月二十一日
    江戸時代初期に至るまでの青木家(屋号「本家」)の沿革は不詳の所が多いが、江戸時代後半から大きく屋を伸ばし幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育振興、勧農などに貢献している。特に青木正太郎(一八五四~一九三二年)は自由民権家として活躍した。
    当家は多摩丘陵最南部の一隅に位置し、屋敷地の前を町田街道旧道が走っている。裏の丘陵に接した平地の中央やや西寄りに南面した主屋(文久二年1862年)を構え、南には表門、東には裏門が建てられている。
    主屋西南に上蔵一棟が建っている。生活関係の付属屋は屋敷の東南に建てられ、裏門の西南に木小屋兼堆肥小屋、北にクミアイ、オチャバ、ミソベヤの三棟が建ち、裏山は自然の傾斜を利用した庭園となっている。
    青木家の屋敷は旧態を良く留めており、この地方の幕末から明治期における豪農の生活様式を知る上で非常に貴重なものである。
    指定面積は七〇〇三平方メートル
      平成十二年三月設置  東京都教育委員会」。

  • 「市指定重要文化財 青木家住宅(通称本家) <br />町田市相原町八一〇番地字中久ヶ谷戸<br />建立年代は当家にある文久二年の祈祷札と同年代と推定される。<br />建物は桁行十間半、梁行7間、茅葺き入母屋造りで、三室並列構成の桁行六間半梁行三間半の書院座敷を有する、名主造りと呼ばれる住宅である。間取りは、四間取りの基本型を大規模化し、南側に表玄関を設けている。屋根構えはもとより、主家、書院屋敷とともに、用材ならびに技術の優秀さ、整った意匠構成等、一部後補はあるが原型を正しく残し幕末最上層民家の特色を発揮した当地方の存在である。<br />昭和五十二年二月二十三日 指定<br /><br />市指定史跡 青木家屋敷及び裏山庭園<br />幕末に建立された書院座敷を有する地方豪農の上層大型民家で、建物と屋敷構え及び庭園は水戸の弘道館と下屋敷を倣して造られたと伝えられている。(昭和五十二年二月二十三日指定)<br />         昭和五十四年三月 町田市教育委員会」。<br />主屋は文久2年(1862年)頃の建立と推定されている。それなら、清水寺観音堂の再建(嘉永3年(1850年))後のことになる。<br />では、なぜ相原村の名主の家に長屋門が建てられなかったのか?

    「市指定重要文化財 青木家住宅(通称本家) 
    町田市相原町八一〇番地字中久ヶ谷戸
    建立年代は当家にある文久二年の祈祷札と同年代と推定される。
    建物は桁行十間半、梁行7間、茅葺き入母屋造りで、三室並列構成の桁行六間半梁行三間半の書院座敷を有する、名主造りと呼ばれる住宅である。間取りは、四間取りの基本型を大規模化し、南側に表玄関を設けている。屋根構えはもとより、主家、書院屋敷とともに、用材ならびに技術の優秀さ、整った意匠構成等、一部後補はあるが原型を正しく残し幕末最上層民家の特色を発揮した当地方の存在である。
    昭和五十二年二月二十三日 指定

    市指定史跡 青木家屋敷及び裏山庭園
    幕末に建立された書院座敷を有する地方豪農の上層大型民家で、建物と屋敷構え及び庭園は水戸の弘道館と下屋敷を倣して造られたと伝えられている。(昭和五十二年二月二十三日指定)
             昭和五十四年三月 町田市教育委員会」。
    主屋は文久2年(1862年)頃の建立と推定されている。それなら、清水寺観音堂の再建(嘉永3年(1850年))後のことになる。
    では、なぜ相原村の名主の家に長屋門が建てられなかったのか?

  • 「たき火・喫煙注意」。「たき火・喫煙注意」という言葉は初めて目にした。清水寺の看板は勿論「たき火・喫煙禁止」になっている。「たき火・喫煙注意」で消防法に適合する理由は何?

    「たき火・喫煙注意」。「たき火・喫煙注意」という言葉は初めて目にした。清水寺の看板は勿論「たき火・喫煙禁止」になっている。「たき火・喫煙注意」で消防法に適合する理由は何?

  • 青木家表門。長屋門ではない。何故?

    青木家表門。長屋門ではない。何故?

  • 青木家主屋。

    青木家主屋。

  • 青木家主屋。

    青木家主屋。

  • 青木家主屋。

    青木家主屋。

  • 土蔵。土蔵は2棟とも土壁のままで漆喰は塗られてはいない。

    土蔵。土蔵は2棟とも土壁のままで漆喰は塗られてはいない。

  • 土蔵。

    土蔵。

  • 黒板塀。

    黒板塀。

  • 青木家屋敷。

    青木家屋敷。

  • 青木家屋敷。

    青木家屋敷。

この旅行記のタグ

関連タグ

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP