2018/06/16 - 2018/06/16
15623位(同エリア24385件中)
junxさん
現代的なショッピングモールと高層ホテルやコンドミニアムが立ち並ぶ、スクムビット通りアソーク。その中心部にほど近いビルのはざまに、カムティエン・ハウスという小さな家がある。この家はタイ北部のラーンナー地方の古い民家を1960年代に移築したものだ。
ラーンナーは11世紀から16世紀にかけて独自の王国を持ち、一時はアユタヤを脅かすほどの勢力を誇っていたが、16世紀中頃にビルマの支配下に置かれてその影響を受け、19世紀末にタイ王国に組み込まれるまでのあいだ独自の道を歩んできた。その文化は、仏教とともに自然崇拝、霊魂崇拝といった土着の精神世界に根差したものだ。
カムティエン・ハウスはラーンナー、タイ、日本という垣根を越え、人々が自然の力に深い怖れを懐き、地や草木や身の回りのすべてに宿るさまざまな精霊たちとともに生きた、そんな時代を体感できる場所だ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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Terminal21を出てラッチャダー通りを北へ10分ほど歩くと、洒落たレストランの脇からサイアム協会の門を少し入ったところに、Kamthieng Houseの看板がある。土曜というのに人の気配も無い。知らなければ見落としてしまうに違いない。
カムティエン ハウス 建造物
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展示は高床式の建物の階下から始まる。中央に小さなブースがあり、そこが受付になっている。階下は無料で、屋内の展示物を見るには入館料100バーツが必要。実質的には寄付に近い気がする。モノクロコピーで手作り感が満載の、しかし30ページ以上もある力作のパンフレットが数ヵ国語で用意されている。
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ラーンナーは農耕社会で、動物性のたんぱく源は限られていた。牛、豚、鶏などの肉は特別な場合にだけ食べるもので、普段の食材は川魚、蟹、蛙、野ネズミやモグラなどの小動物である。
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竹を編んで作られた罠は獲物の生態に合わせて様々なものがあり、それぞれユニークな形をしている。そのまま現代美術のオブジェになりそうだ。
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ラーンナーのバーン(村)は仏教寺院の周りに広がる。模型を見ると寺院はパゴダを持ち、非常に立派だ。中世ヨーロッパの教会と同じように、仏教寺院が社会活動の中心としての役割を果たしていたことが分かる。
村を流れる川は、漁業と農業を左右する大切な生産手段だ。そこでムアン・ファーイと呼ばれる管理制度に従って灌漑設備維持のための作業が各戸に割り振られ、水の配分や狩猟地の割り当てが厳格に決められていた。 -
寺院正面にはピー・スア・バーンと呼ばれる柱があり、村を守る精霊が祀られている。精霊は村だけでなく、家から地域全体に至るまであらゆるレベルで土地に宿ると考えられた。
ピー・スア・バーンは先住のラワ族に由来し、ラーンナーの他の種族にも広まった。村人は精霊の庇護と安全を願い、生贄や供物を捧げたそうだ。 -
糸を染める染料は果実、花、樹皮、根などから採ったものだ。僧衣のオレンジ色はジャックフルーツの色だという。
染色後はタマリンドの絞り汁や泥、樹皮の灰などで定着される。 -
高床の下の広い空間は、道具を保管したり家畜を飼ったりするほか、家事や機織りといった作業のためのスペースでもあった。当時の織機はいま見ても精巧だ。
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仏教行事の供物として、功徳を積むために織られた旗布、ターン。
ターンには八正道(正しい見解、正しい考え方、正しい言葉遣い、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想)を象徴する意味があり、より良い来世への転生を祈願して織られたという。 -
ラーンナーは母系社会で、相続は母から娘へと行われる。
カムティエン・ハウスの家系は、この家を寄贈したニムマンヘーミンダ教授の母キムハウ・ニムマンヘーミンダから、その母カムティエン夫人、ティップ夫人、そして1848年にチェンマイのピン川のほとりにこの家を建てたセード夫人へと遡る。 -
セード夫人からさらに家系を辿ると、北方のシープソーンパンナーに起源を持つルー族の族長ムアン・チャエ王子に行き着く。シープソーンパンナーという地名は「12の千の田」を意味するタイ語だが、現在は中国雲南省のタイ族自治州に属し「西双版納」と表記されている。
屋根のV字型の飾りはカーレーと言って、ラーンナーの家の特徴だそうだ。日本の神社の屋根にも、これに似た千木(ちぎ)という飾りがある。屋根の勾配の具合やカーレーが神社建築を思い起こさせる。 -
厨房はそれだけで独立した一棟の建物になっている。調理スペースは階下でなく、高床の2階にある。
厨房の中心は、メー・チー・ファイ(母の炉)と呼ばれる炉端。吉兆の占いによって、土を集める方向を月ごとに変えるそうだ。
ごとく(五徳)として使われる3つの石には調理道具を守る霊コン・サオが宿るとされ、毎年ソンクラーン(旧正月)に供養される。 -
コン・サオは、蒸し器の精霊ピー・ヤー・モー・ヌエ(祖母の霊)と一対と考えられていて、それらをピー・プー・ダム・ヤー・ダム(黒い祖父と祖母の霊)と呼ぶ。
ピー・プー・ダム・ヤー・ダムは、病気の家族を癒したり、子供の夜泣きを静めたり、旅の安全を守るという。 -
厨房から穀倉の建物を見る。棟と棟とは渡り廊下で結ばれていて、地上を歩くことなく往き来することができる。
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穀倉の中央には、田の精霊ピー・スア・ナーに豊作を祈願する初田植えの儀式の祭壇が再現されている。
初田植えの儀式では稲の女神メー・コソックを祀る祭壇を田に作り、大地の女神メー・トラニーにも供え物を捧げた。ターレウという魔除けを四隅に置いてその内側を聖域とし、高さ4~5メートルの魔除けの印ターレウ・ルアンを中央に立てて女神の祭壇を守る。
こうして稲の女神を呼び迎え、稲がしっかりと育つまでのあいだ留まってくれるように祈るのである。 -
天井の高い穀倉は見ごたえのある建造物だ。
穀倉の大きさはその家の裕福さの証しにほかならない。年頃の娘に求婚する若者たちは、だから皆できるだけ大きな穀倉のある家を選ぼうとした。 -
穀倉から米を取り出すのに縁起の良い日取りを決めるために使われる、パッカーテウン・クラダンと呼ばれるカレンダー。
2列15段の区画は月の満ち欠けを示し、それぞれの区画の中の点は悪霊が米を探して徘徊する時を示している。霊が徘徊する日に取り出された米は浪費されてしまうので、そうでない時が吉日というわけだ。 -
想像上の生き物であるナーガまたはナークをかたどった装飾。ナーガは地と水の神で、雨を司ると信じられていた。地底の穴や河床の下に住み、富を授けることもあれば害をもたらすこともある。
農夫は田を最初に耕すときにナーガの頭の向きを占ってもらい、その鱗に逆らったり腹部を横切って厄禍を招くことが無いよう、頭から尾の方向へと耕す習わしがあった。
ナーガは家屋の妻面や階段を飾るモチーフとして使われたり、豊作を祈願して行われるボートレースで船首や船尾を飾ることもある。 -
農作業や牧畜に使う水牛や牛などの家畜に付けた、ロクと呼ばれる木製のベル。他に竹製や金属製のものもあり、屋外で放し飼いにするときだけ取り付けていた。
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重量のある米を保管するための構造上の工夫だろうか、穀倉の建物は上方に向かってすぼまるような形に作られ、壁が垂直ではない。
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人の住まない穀倉には、屋根を飾るカーレーは設置されない。それでも欄干の支柱には玉を繋げた形の装飾があり、軒を支えるブラケットは凝った透かし彫りで作られている。この家が経済的にも文化的にも豊かさであることの証しだ。
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人の身体にも精霊が宿っている。髪の毛や歯、肉、骨など身体の中の32の部分に宿る32の精霊をクワンと呼び、クワンを強めれば無病息災を保つことができるとされた。結婚式や新築祝いのような祭礼では、クワンを繋ぎ止めるため司祭や長老が当事者の両手首に木綿の糸を結び付ける。
バイスリと呼ばれる供物は、精神的なショックやバランスの欠如のために身体から離れてしまったクワンを呼び戻し、身体にとどめるためのものだ。 -
バイスリには平民ための1層のものから、貴族のための3層、荘園の領主のための5層、王族のための7層、王や女王のための9層のものまである。奇数を吉とするところが日本と共通している。
バイスリの前にはオリーブオイル、バナナ、様々な果物、ビンロウの実、ミアン茶、プル、ムーリという葉タバコ、ココナッツミルクなどが供えられる。 -
寝室のある建物には、その入り口の上にハムヨンという木彫が取り付けられている。
ハムヨンはただの飾りではない。それはパブリックな場所であるバルコニーからプライベートな居室の空間を隔てる象徴的な印であり、結界のようなものだ。ハムヨンをくぐる者は祖先の霊の許しを得なければならない。
ハムヨンは神聖な儀式を経て設置され、家主が代わると架け替えられた。 -
適齢期を迎えた娘は糸を紡ぎながらバルコニーに座り、求婚者を迎える。この習慣はユー・ノックと呼ばれた。「外に留まる」という意味だそうだ。
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求婚者たちは集団で行動し、お目当ての家に辿り着くとピン・ピアを爪弾いて恋歌を唄った。
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ピン・ピアは男が裸の胸に当てて演奏する数弦の楽器で、共鳴胴はココナッツの殻で作られている。演奏は大変難しく、綺麗な音を出せるようになるだけで何年も練習しなければならないそうだ。実際の演奏の様子をYouTubeで見ることができる。
https://www.youtube.com/results?search_query=pin+pia -
求婚を受け入れた娘はそのしるしとして、葉たばこムーリ、ミアン茶やビンロウの実で男をもてなした。
求婚の儀礼は厳格で、婚前交渉は厳しく罰せられた。 -
屋内には仏像を置かず、経典や厄除けを置く仏壇がバルコニーに設けられた。
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釈尊(仏)は悟りへの道を指し示す存在だ。人々は心を清め、功徳を積み重ねて善人となり、三宝(仏法僧)に帰依し、弥勒菩薩の時を待ち望み、やがて涅槃に至ることを祈願した。
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花、蝋燭、ビンロウの実で飾られた寺院への供物は、高層や王家への献上物としても用いられた。
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寝室のある建物内部の展示の様子。
右手のトルソーは当時の男性が彫ったタトゥーの例を示すものだ。タトゥーはほぼ全身に及び、上半身には厄除けの図案を、腰から下には人や動物など人目を引く模様を彫ることが多かった。
タトゥーを彫らない男は、忍耐力が無いと思われたのか、女性から尊重されなかったそうだ。 -
呪文や神秘的な図案が描かれた木綿布、パー・ヤン。日頃は仏壇に保管され、外出時には折りたたみ身に着けて携帯する。
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白いパー・ヤンは、超自然的な力を呼び起こし繁栄をもたらすとされる。パー・ヤンの図案は様々だが、写真のものは現代人の目で見るといささか刺激的かもしれない。
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赤い布は主に厄除けを意図したものだという。
類似の他のお守りと同様、パー・ヤンも呪術師によってクールーの霊を招く儀式を経て神聖な力を与えられた。 -
門柱の上部に取り付けられたというヤン・フア・サオは、さしずめパー・ヤンの常設版だ。寝室の上や扉の裏側、正面扉の枠の上などに取り付けることもあった。
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通常は真鍮、銅または銀の薄板が用いられたが、白あるいは赤い布製のものもある。
ヤン・フア・サオは、火災、盗賊、悪霊からの守護と家の繁栄を願って掲げられた。 -
裕福な女性は金銀の髪飾り、耳飾り、ブレスレット、指輪やベルト飾りを愛用した。アクセサリーにも種族と地域に特有のデザインがあり、持ち主の出身地を容易に識別できたという。
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ラーンナーの女性が身に着けたスカートは、バーシンと呼ばれる。晴れ着用のバーシンの裾は、ティーン・ジョクという飾り布と赤い木綿や絹の2段の布地で飾られている。
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ティーン・ジョクは多色の糸を使う複雑なパターンの織物で、そのデザインは地域ごとに固有の紋章でもある。富裕な家では金銀の糸を織り込むこともあった。
ラーンナーの女性は身分によらず糸紡ぎと機織りの技能を競い、その巧拙は社会的な評価さえも左右したそうだ。 -
娘たちは5歳の頃から糸紡ぎを教えられ、その家独自の織物と刺繍のデザインが母から娘へと代々伝えられた。結婚に備えた一式の寝具は、いわばその技術の総決算だ。マットレス、シーツ、毛布、蚊帳、枕のすべてがそこに含まれる。
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枕(モン)には、大まかに分けて4種類の異なる形のものがあり、もっぱら宮中や宗教行事に使われるだけのものもあった。
断面が3角形で精巧な刺繍を持つモン・パーは、王室への献上物または寺院への奉納品としてのみ作られたものだ。 -
部屋から一歩踏み出すと、そこは見慣れた都心の真っただ中。いにしえの静かな世界から喧騒に満ちた現実へ、一気に引き戻される。このギャップに眩暈がしそうだ。
自然に囲まれ一見シンプルだが、神秘的、呪術的で深淵な精神世界を持つ暮らし。ほんの数世代前まで、そんな暮らしが営まれてきたのだろう。
そのラーンナーの暮らしも、いまは少なくとも表面的にはタイの普通の田舎と変わらないはず。それは例えば、ときどきクルマでテスコ・ロータスへ買い物に出かけ、ついでにフードコートで家族の食事を済ませるような生活かもしれない。
精霊たちや仏への帰依の心と、今はどう折り合いをつけているのだろうか?
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