2017/10/29 - 2017/10/29
147位(同エリア3281件中)
sio爺さん
昨年10月の日光東照宮参拝から半年が経過してしまった。日光東照宮訪問日は、2週連続の週末台風にぶつかり、台風22号の直撃を受けた。景色は、傘、傘、傘。
世界遺産でもある日光東照宮が約40年ぶりの大修理を終えて2017年3月に一般公開されたが、訪問は同年の10月。雨が降ろうが槍が降ろうが混雑しないわけがなく、槍は降らなかったが、その分、雨は土砂降りだった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- ANAグループ
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駐車場から東照宮を目指して昇っていく
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まず五重塔が現れる。
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これは帰路、東照宮側から鳥居方面を見た画像。大鳥居は江戸時代最大級の石鳥居で重さ60トン。花崗岩でできていて、黒田長政公からの奉納で、玄界灘から船で運び、人の手で福岡から運んだそうだ。これを見た当時の人々は大いに驚いたらしい。
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表門を出ると右手に下神庫、正面に中神庫、左に上神庫と、三神庫が続く。いずれも国の重要文化財に指定されている。
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三神庫 には東照宮の春季・秋季例大祭に使われる道具や装束が保管されているそうだ。
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この中で特に注目されるのは「上神庫」の想像上の象であろう。作者として下絵を描いたのは狩野派の狩野探幽で、下絵を描く段階で象を一度も見たことがなかったそうだ。
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確かに右の象は体毛が毛むくじゃらだったり、左の象はしっぽが3本あったりする。
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猿は馬の病気を治す、馬の守り神ということで、神厩舎には8面の猿の彫刻が施されている。その一つ一つが人の一生を物語っているといわれる。
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最初は親子の猿で、小猿は親を信頼しきっており、
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母猿は小手をかざして遠くを見ている。これは子どもの将来を見ているそうだ。画像はピンボケになってしまった
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その右側にあるのが幼児期で、「見ざる聞かざる言わざる」だ。子どもは色々なモノに染まりやすいので、悪いことは「見ない、聞かない、言わない」という幼児教育の教えだ。
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神厩舎を牛歩で見学したあとは、陽明門に向かって、行列に従ってこれまた牛歩で進む
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鳥居に近づいてから、神厩舎の方を見ると、こんな感じ
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これは南蛮鉄灯篭で、説明板には「伊達政宗公の奉納でポルトガルから鉄を運んで鋳造したもの」と書かれていた。
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鳥居を過ぎて、陽明門に向かう階段で撮った画像。左奥に見えるのが神厩舎。
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いよいよ陽明門に近づいてきた。
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日光東照宮といえば何といっても陽明門だろう。建立は寛永13年(1636)で、日本の建築物で、絢爛豪華という言葉がこれほどあてはまるものは、そうないだろう。
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一の鳥居を過ぎた辺りから陽明門までが長い行列になっていた。別名は「日暮し門」だが、大混雑の中、日暮しどころか1分間も眺めていたら「前に進んで下さい」と注意を受けそうだ。
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陽明門の彫刻は全部で508体で、そのうち345体を取り外して修復したそうだ。
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至近距離で見学することができた
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絢爛豪華な外観や見事な彫刻に見入った。
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まだ一部にシートがかけられていたが、ここまで見に来た甲斐はあった。
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陽明門を抜けると、唐門と御本社が眼前に現れる。
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順路として、唐門に向かって右側の眠り猫の方に行った
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下の看板がなければ見落としそうだ。
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眠り猫は、東回廊の出入り口部分の蟇股(かえるまた~屋根の加重を支えるための部材)に彫られており、伝説の彫刻家である左甚五郎の作といわれるが定かではないようだ。
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眠り猫の下をくぐって階段をかなり昇ったところにある。立て札には「参拝をするための社殿で、将軍でないと昇段参拝は許されなかった。建物全体が銅板で包まれており、その上に黒漆がぬられ奥宮らしく落ち着きを見せた社殿である」と記載されている。じっくり見たいところだが、豪雨の中、傘をさしながら辛うじてカメラに画像を収めた。
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鋳抜門、ここも重要文化財だ
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奥宮御宝塔の立て札には次の記載がある。「御祭神家康公の神柩を納めた宝塔である。八角九段の基盤の上に立ち、高さは5米 当初は木造であったが、石造に改められ五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製(金銀銅の合金)に改鋳された」。
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ところで、これは昨年10月の訪問だが、昨年は7月に久能山東照宮に行き、石造宝塔である神廟を見学した。家康公は果たしてどちらに・・・・・とついつい思いを巡らしてしまう。
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奥宮御宝塔をあとにして、来た道を眠り猫の方に向かう
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眠り猫の彫刻の裏側(奥宮側)には、猫を天敵とする雀の彫刻が据えられている。
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眠り猫の裏側に描かれているのは、確かに雀だ。これらは「天敵である猫が眠っていて、雀が安心していられる平和な世の中」「警戒心の強い猫も安心して眠りにつける世の中」ひいては「徳川の治める世の平和が末永く続くように」という願いが込められているとのことだ。
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順路として、次は御本社だ。
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御本社は、唐門のすぐ奥に鎮座しており、国宝だ。御本社の内部は撮影禁止なので、画像は辛うじて外観のみ。
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本殿・石の間・拝殿からなり、修復工事中だった。正面、唐門に向かって右側に出入り口があって、外靴を脱いで上がるが、訪問時は土砂降りの雨と混雑で、なかなか凄い状態だった。
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そして唐門だ
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唐門の創建は江戸時代初期の元和3年(1617)で、1951年に国宝に指定されている。唐門は本殿を守護する真正面の門であり、四方に唐破風造りの屋根が備え付けられていることから、四方唐破風造りと呼称されている。
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唐門上部の彫刻は「瞬帝朝見の儀」で、元日に大勢の役人達が瞬帝に拝謁する様子が描かれている。瞬帝は中国の神話に出てくる伝説上の君主で、「徳をもった人物が位を受け継ぎ国を治めれば平和が続くこと」を意味しているそうだ。瞬帝を誰になぞらえているか、当然、家康であり、家康も瞬帝を敬愛していたそうだ。
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陽明門の内側(唐門側から)の画像
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陽明門の彫刻をアップで
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陽明門を出ると、右側に薬師堂が鎮座している。薬師堂の創建は寛永13年(1636)で、国の重要文化財に指定されている。
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薬師堂の天井には狩野永真安信によって描かれた龍の水墨画がある。龍の顔の下で拍子木を打つと、音が共鳴して聞こえるため鳴龍と呼ばれる。なお薬師堂は1961年に火災で焼失したため、現在の建物は再建で、鳴龍も堅山南風による復元とのことだ。
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釣灯籠:オランダ国より奉納されたそうだ
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帰路、一の鳥居周辺には、参拝終了後の人やこれから参拝する人の傘がたくさんあった
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