2018/04/06 - 2018/04/08
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太平洋岸自転車道をマウンテンバイクで走ります。
計画では、静波海岸から御前崎まで片道19km 往復38kmのサイクリングです。
でもこの日は物凄い強風が吹いていました。
それも向かい風。
漕いでも漕いでも進まなくて、、、、、
牧之原資料館に寄ったんですが、ここがまた田沼意次に関する資料や展示が豊富で、予定より大幅に時間がかかってしまいました。
よって昼食は予定を変更してここ牧之原でお寿司!!
田沼意次の印象が少し変わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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興味深かった大鐘家を出て西へ。
自転車専用道路は走りやすいです。 -
防波堤の前を歩くサーファー
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いい天気だけど向かい風が凄い!
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太平洋岸自転車道を西に向かいます。
目指すは御前崎。 -
あまりに向かい風が強いのでマウンテンバイクを降りて防波堤で休憩。
前日の雨が止んで晴れたのは良かったのですが、この向かい風は、、、 -
大海原。
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いい天気です。
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でも風が強い!
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再び向かい風の中、マウンテンバイクを漕ぎますが、、、
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暫くすると疲れて休憩。
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ここは展望台のようになっています。
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大海原を目前に。
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強風のためか、だーれもいません。
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風の音と波の音だけ聞こえます。
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さあまたマウンテンバイクを漕ぎ始めましょう。
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相良橋を渡ります。
太平洋にそそぐ萩間川を渡る橋です。 -
相良橋からの景色。
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橋の上は自転車専用道がありません。車道と歩道の区分があるエリアで、自転車は歩道を走行することができます。
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相良橋を渡り切ると、「さがら草競馬」の看板。
相良港の隣にあるさがらサンビーチで開催されるようです。 -
一般道に入り、萩間川沿いを進みます。
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牧之原市役所の隣にある牧之原資料館に到着。
向かい風が強く、予定よりも大幅に遅れた到着です。 -
田沼意次に関する資料を中心に相良氏、本多氏の資料も大量に保管・展示されています。
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ここは、相良城の本丸があった場所です。
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さあ入りましょう。
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中は撮影禁止です。
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210円×2名
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ブロッシャー
牧之原市資料館のスタッフの方が色々説明してくださいました。
地元のヒーローである田沼意次について。。
正直最初は、「ヒーロー??」と言う感じでした。
だって田沼意次と言えば贈収賄の老中と言うイメージが強くて。。
しかし、スタッフのお話を伺って史実を知ると、ここ牧之原では偉人であることが判ります。
そもそも老中としての田沼意次は、殖産興業などきわめて正統的な政治を行ってきた老中で、平賀源内や杉田玄白とも親交のあった蘭学を大事にした老中でもあった訳でして。。。。 -
スタッフの手作りかな?
「相良の城」
のコピー
内容の詳しさと濃さにビックリ。
4Pの中身を夫婦で熟読してしまいました。
これ、キチンと印刷すればいいのに。。。
承久元年(1,113年)に藤原為憲が、遠江の国相良荘に移って居を構えました。
そこで「相良」を名乗ったのが最初です。
相良氏はここで5代82年間平田城を居城とします。
場所は、相良駅の北側で少し高くなった辺りでは?と言われているとのこと。
その後、1,193年に相良氏は九州球磨郡多良木に移ります。
理由はいくつか書かれていますが、私たち夫婦にとって興味深かったのは、曽我五郎・十郎兄弟の工藤祐経への仇討ちが(有名な曽我兄弟の仇討ち)絡んでいることでした。
地元では「ジョウの原」と呼ばれている標高70mに300平米の大地が相良町の北西にあります。滝堺古城と言われています。山谷の絶壁を利用した屈強な要塞であったようで、勝間田氏領の最西端にありました。勝間田義清と言う武将の城であったようですが、伝承の域は出ていないようです。
でも、ロマンがあります。
相良町北東に堺新城と言われる城がありました。牧之原台地の東南端に位置します。武田信玄が、大井川を越えて遠江に侵攻し築城しました。長篠の合戦で武田が敗れた後は廃城となっていたようです。
そして相良城!!
武田勝頼が築城しました。
後に田沼意次が近代城郭として建て直しました。
明和4年(1,767年)に10代将軍徳川家治より築城の命を受け、安永9年(1,777年)に落成。この着工から完成までの10年間、いつ石垣ができていつ大手橋が完成して、いつ井戸ができてなど、事細かく記載されています。
東西500m、南北450m 約7万平米。
武田勝頼時代の御殿を本丸として、北東を流れる萩間川、そして北西を流れる天の川を外側の自然の堀としていました。
その中に二の丸、三の丸の堀を角型に巡らした平城でした。
石垣の石積みの積み方まで細かくこの資料に記されていました。
しかし、天明8年(1,788年)相良城取り壊しが決定。
江戸中期にこのような見事な城が築城されたことは他に例を見ません。
僅か8年しかなかった見事なお城でした。 -
ブロッシャーの真ん中にあった「遠州相良城図」
なんと聖心女子大所蔵。
真ん中の本丸があった所が今、牧之原市資料館があるところです。
萩間川が自然の堀になっていたことも良く分かります。 -
この資料もスタッフの手作り資料。
中身が濃く、興味深く、読み応えのある資料でした。
これもきちんと印刷すればいいのに。。。
やはり、田沼意次と言えば、「賄賂老中」のイメージが強く、そんなにいい印象はありませんでした。
しかし、相良藩主の田沼意次は、進歩的で領民思い。
1.城下町の整備
2.産業の奨励(養蚕、塩づくり、瓦製造他)
3.天明の基金対策
4.田沼街道(城下町から大井川を渡って藤枝まで道路を造り、領民の便をはかった。
?相良港の整備(江戸や大阪の船が立ち寄りやすくなり、経済が発展した。)
今でも相良の人たちのヒーローのようです。
郷土の偉人として紹介されていました。
牧之原市資料館のスタッフの方にも色々お話を伺い、田沼意次に対する印象が少し変わりました。
ちなみに、相良城内にある相良中学校の校章は、田沼意次の威光にあやかり田沼家の家紋である「七曜紋」をモチーフしたものになっているそうで、同校の体育大会と文化祭を総称して「七曜祭」と言うそうです。
びっくりーーー!! -
中は撮影禁止だったので、ブロッシャーの写真から。。
これは相良長頼の肖像画です。
天永3年(1,112年)藤原周頼が相良の支配者となり、相良氏と称し、頼景まで5代82年間続きました。
肖像画の相良長頼の時代九州に移り、後に京都の三十三間堂の寺領となり、南北朝試合まで支配しました。 -
室町時代、この地は今川義元が進出し、その後家康が勢力を伸ばし、武田信玄が侵攻し、遠江を治めました。
この牧之原市資料館のある場所に建っていた相良城は武田勝頼が築城したお城でした。
武田勝頼が織田信長に長篠の戦いで敗れた後、家康がこの地を治めました。
家康は相良城を御殿に改装。別荘として使用したとのことです。
江戸時代に入り、相良は幕府の直領となり、初代藩主は家康の信頼が厚かった本多忠勝。三代36年間、治めました。
写真は本多家の瓦です。 -
これもブロッシャーの写真。
田沼意次です。
宝暦8年(1,758)相良藩主となった意次は、相良城を築城しなおしました。
東海道に通じる田沼街道を整備したり、既存の道路を広くしたり、町全体の整備を行いました。
先ほどマウンテンバイクで渡ってきた萩間川の河口の相良港は天然の良港。遠州地方の流通を支える文化や経済の中心となりました。 -
これもブロッシャーの写真です。
田沼意次領内遠望図です。 -
関羽読書の図。
これもブロッシャーから。 -
大名が、取次の御礼に反物一反をもらったことを示す古文書です。
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ブロッシャーの写真から。
田沼家の刀箪笥です。 -
ブロッシャーの写真から。
意次寄進の神輿です。 -
船の模型がありました。
そもそも相良港は物流の中心であったわけで。。
ブロッシャーの写真から
菱垣廻船と樽廻船です。
菱垣廻船(左)は、日持ちのする重量物を途中の港に寄りながら運びました。
樽廻船(右)は、お酒を運んだ船でスピードもありました。 -
相良城跡の碑。
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向かい風が強く、サイクリングコースを走るスピードが遅くなり、また、疲れから休息回数も増え、その上途中で寄った大鐘家と牧之原市資料館が面白かったため、予定より2時間以上も遅くなってしまいました。
よって、牧之原市役所付近で昼食に。
お寿司屋さんです。 -
メニュー
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こんな感じのお店です。
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きたーっ!
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二人共バラちらし握りセット
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お店は大栄館。
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食後のデザートにシャーベットが出てきました。
帰り際にお店の方と会話しました。
サイクル用のヘルメットを持った私たちに、
「サイクリングですか?
どちらからどちらまで?」
「静波海岸から走ってきました。御前崎まで行こうと思っていたのですが、この風で断念しました。」
「今日は風が強いから大変でしょう。普段から風は強いけど、今日は特別に強いよ。」 -
牧之原資料館のすぐ近く、仙台川岸にやってきました。
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仙台川岸は、相良城をしのぶ貴重な遺跡です。
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田沼意次が相良城を築いたときに造られた川岸です。
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現代の街角の中にそっと残っている遺構です。
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この堀は、城内と外海を結ぶ軍事上の役目を秘め供えた船着場で、当時は千石船が横付けできたようです。
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田沼街道の起点です。
田沼街道は、藤枝宿と相良城を結ぶ街道です。 -
マウンテンバイクで数分。
相良城二の丸の松です。
私たちがいる場所は堀だった所です。 -
二の丸の土手にあった松が残っています。
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相良城二の丸の松の説明書き
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目の前には相良小学校。
この小学校は二の丸に建っています。 -
小学校の校庭にも相良城二の丸の松があります。
松並木の左側に松並木に沿って堀がありました。 -
立派な松です。
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