2018/04/20 - 2018/04/20
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ベームさん
花粉の時期が終わりすっかり葉桜になった今、ようやく陋屋から這出ました。桜が終わってから桜の名所に出かけるなんて妙ですが、花粉症の私にとって桜の時期の外出はタブーなのです。お花見とは縁のない私です。
谷中、雑司ヶ谷、青山と続いた東京の霊園巡り、今日の染井霊園でおわりです。四大霊園のなかで一番小さく、一日で著名人の墓を掃くことが出来ました。
今桜と言えばソメイヨシノをさすことが多いようですが、ソメイヨシノは駒込の植木職人により作出されたと云われます。駒込、染井の地には昔から多くの植木職人がいて楓、つつじ、椿、桜などの植木栽培が盛んでした。其の中でオオシマザクラとエドヒガンの交配種であるソメイヨシノが生まれました。
では花の終わった桜の里歩き、出発です。
写真は山手線駒込駅ホームのつつじ。
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今日歩いたルートです。
その1は地図右端の駒込駅から染井霊園の北側を迂回し左端本妙寺まで。 -
スタートは山手線駒込駅。9時20分。
腰には腰痛用のバンドを締め、脛とふくらはぎをサポーターで包み、こむら返り防止用の薬を飲んでの万全の態勢で歩きはじめます。 -
ホームの両側の土手はつつじの植え込みが続いています。
駅開業の翌年1911年(明治44)に地元の植木業者が植えたのが始まりで、現在関東の駅100選に選ばれています。 -
まだ少し早いようです。
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JR駒込駅。
手前は山手線を跨ぐ本郷通りの駒込橋。 -
駅前、本郷通りの向かい側に大国神社。
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大国神社。
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駅側に戻ると染井吉野桜記念公園があります。
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勿論桜は終わっています。暖かい日差しにベンチでのんびりする人も。
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染井吉野桜発祥之里駒込。
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絵本江戸桜/染井之植木屋。
駒込の植木屋伊藤伊兵衛の庭で花を愛でる風景。 -
公園の先に古い駒込橋の遺構があります。
今山手線を跨いでいる駒込橋の初代のものか?。最初の橋は1903年/明治36年架橋だそうです。 -
その先にある駒込妙義坂子育地蔵尊。
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寛文8年/1668年、駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して建立。いまの地蔵堂は平成18年建立。
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嘉永5年/1852年の巣鴨・染井・王子辺図。
右上の赤い印のところが地蔵堂。 -
本郷通りを北に100mほど歩き路地を左に入ると、その先に妙義神社があります。
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妙義神社。
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石段。
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祭神は日本武尊、応神天皇、神功皇后。
大昔日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征の際この地に陣を敷いたとされる。のち565年社が建てられる。豊島区最古の神社。
1471年、太田道灌が足利氏との戦いの際当社に戦勝を祈願し勝利する。その後も太田道灌は戦の都度当社に祈願し「戦勝(かちいくさ)の宮」と呼ばれた。 -
社殿。
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戦災で焼失し、今のは昭和40年の建築。
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太田道灌戦勝祈願の跡。
神職の人が綺麗に境内を掃いていました。 -
末社道灌神社。太田道灌を祀っています。
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庚申塔。
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1642年駒込村の農民が建立。
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境内の桜の古木です。
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妙義神社の横を回っていくとプロテスタントの日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中央聖書教会があります。
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染井坂。
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駒込小学校。
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古い門の建つ広場に来ました。
門と蔵のある広場。 -
旧丹羽家腕木門。
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腕木門(うでぎもん)とは、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える門の事です。
言い伝えによると、染井通りにあった津藩藤堂家の下屋敷裏門を移築したものだそうです。建築年ははっきりしませんが修理記録から江戸後期と考えられます。
丹羽家は染井の植木屋の旧家です。 -
腕木とは屋根を支えて左右に走る木のことでしょうか。
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内側。
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蔵も有ります。
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旧丹羽家住宅蔵。
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昭和11年、当時では珍しい鉄筋コンクリート造り。
内外部には職人の丁寧な技術の跡が見られ、国の登録有形文化財に指定されています。 -
門と蔵のある広場。
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広場の近くに西福寺があります。
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本堂。
昭和55年落成。 -
真言宗豊山派の寺。慶長元年(1596年)頃の創建と伝えられる。
近くに藤堂家の下屋敷がありその祈願寺であった。また染井の植木職人たちの菩提寺でもあった。 -
慈母観音。
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足元には可愛い子供たちが。
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無縁塚と六地蔵。
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六地蔵。
人には地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道の六つの世界があると云われます。
この世界で悩み苦しむものに救いの手をさしのべ、極楽浄土へ導いて下さるお地蔵さんを六地蔵といいます、だそうです。
明暦元年(1655年)の建立とされ豊島区最古の六地蔵です。 -
四代目伊藤伊兵衛政武の墓。1676~1757年。
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伊藤家は代々染井藤堂家の下屋敷に出入りする庭師だった。四代目の時江戸城にも出入りするようになり、将軍吉宗の御用植木師にまでなった。
園芸品種の改良に努め、絵を能くしたため園芸植物に関する著書もある。 -
伊藤政武墓。
西福寺パンフレットより。 -
染井稲荷神社。
西福寺の隣です。 -
手水舎。
溶岩の塊のような石。 -
社殿。
江戸名所図会に「染井村に藤林山西福寺あり・・・。本堂の左に往古より鎮座して染井一村の鎮守あり 染井神社という。この所に染井と名付けた泉が在り、村を染井と云うもこの泉による」と書かれています。西福寺パンフレットより。
西福寺が染井稲荷神社の別当寺かもしれません。 -
末社。
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西福寺パンフレットより。
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その先に、染井よしの桜の里公園。
どうもこの辺り、なんでも染井吉野の名をつけないと収まりません。 -
染井よしの説明板。
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暖かい日差しの中若いお母さんたちが子供を遊ばしています。
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公園の周りを桜の木が囲んでいますがとくに何もありません。
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染井通りにでて染井霊園の方に歩きます。
東京染井温泉SAKURAなんてのがありました。 -
路傍の地図。
真ん中に現在位置、左方向が駒込駅、右が染井霊園。 -
東京スイミングセンター。
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1968年開業の名門で数多くの日本を代表する水泳選手を輩出している。
北島康介、中村礼子、寺川綾など。
経営は天理教関係。 -
染井通りの突き当り、道の分かれるところに十二地蔵と云うのが建っています。
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十二地蔵。
上下に六体の地蔵が彫られていて珍しいものです。
享保15(1730)年の大火の犠牲者を供養するため建立されました。 -
その先が染井霊園事務所です。
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花屋。
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霊園は後回しにして、霊園の外周りに幾つかあるお寺に行きました。
この寺々にも著名人の墓があります。 -
専修院。
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元和3年/1617年開基の浄土宗の寺。
当初は浅草新寺町にあったが明治41年ここに移転。
この土地は染井の植木屋伊藤伊兵衛の屋敷跡で、発掘でいろいろ江戸時代の遺構とか縄文土器も出てきたそうです。 -
勝林寺。
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元和元年/1615年創建の臨済宗の寺。
田沼意次の菩提寺です。 -
田沼意次(たぬまおきつぐ)の墓。1719~1788年。
父が紀州藩士で8代将軍吉宗に旗本に取り立てられ、息子の意次は9代家重、10代家治に重用され5万7千石相良藩主、幕府の老中にまで栄達した。
老中時代の意次は幕府財政改革のため重商主義政策を進め、商業の振興に努める。一応幕府財政は改善し景気はよくなるが、他方贈収賄の横行、農村経済の破綻、天明の飢饉、百姓一揆の多発など人民の不満は増大してゆく。 -
急激な改革は他の幕閣からも反感を買い、ついに10代将軍家治の死により意次は失脚する。
後を継いだ老中、白川藩主松平定信は反動的な寛政の改革を実行、厳しい質素倹約、風紀取締り、朱子学のみを幕府公認の学問とするなど思想統制を推し進める。
余りの厳しさにかえって市民たちは田沼時代を懐かしむようになり、「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」といった狂歌も生まれた。
田沼時代は汚職政治の代名詞とされるが、近年再評価もなされているようです。 -
勝林寺から染井霊園の外側を廻ると慈眼寺入口に来ました。
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慈眼寺の門。
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慈眼寺本堂。
日蓮宗。元和元年/1615年深川に創建。本所を経て明治45年当地に移転。 -
ここには
芥川龍之介、芥川也寸志、芥川比呂志、谷崎潤一郎、谷崎精二、司馬江漢、小林平八郎の墓があります。 -
墓地は寺の門の外にあります。分らなかったので寺の人に訊きました。
入口からまっすぐ進むと芥川龍之介の墓と書いた標識がありました。 -
その角に谷崎家墓域があります。
谷崎潤一郎の墓は京都の法然院にあり、ここには分骨されたものが納められています。日蓮宗を嫌った谷崎、芥川龍之介と純文学対大衆小説論争を繰り返した谷崎、この谷崎潤一郎の墓が日蓮宗の寺しかも芥川龍之介の墓の近くに並んでいるのは皮肉なことです。分骨は遺族が行ったことで、死者は異議を唱えることは出来ません。
共に同時代に下町に生まれ、一高・東大に進み「新思潮」を足場に文壇に出て何かにつけ対比された二人。自分の作品に自信を持ち思うままの人生をまっとうした谷崎、自分の作風と人生につねに不安、疑念を抱き35歳で自ら生を絶った芥川、
文壇に出てからの二人の生き様は対照的でした。 -
谷崎潤一郎。明治19~昭和40年。東京日本橋生まれ。小説家。
米穀商の長男として生まれ、父の商売破綻で苦学しながら一高、東大国文科に進むも学費未納で中退。学生時代から文学を志し、東大では小山内薫らと第二次新思潮を発行。永井荷風に作品を絶賛され文壇に登場し後に大谷崎とよばれる文豪になる。代表作に:刺青、痴人の愛、春琴抄、卍、細雪、鍵、陰翳礼讃、谷崎源氏物語など。
作家、英文学者の谷崎精二は弟。 -
芥川家墓域。谷崎家墓域のすぐ側です。
芥川龍之介:1892(明治25)~1927(昭和2)年。東京、下町の本所(今の両国)で育つ。一高、東大。東大在学中に第3次、第4次新思潮発刊。同期に久米正雄、松岡譲、菊池寛など。同誌に発表した「鼻」が夏目漱石の賞賛を受け文壇にデビュー、漱石門下生になる。その後続々と機智に富む短編を創作し日本文壇の鬼才といわれる。
主な作に:鼻、芋粥、杜子春、羅生門、地獄変、藪の中、河童など。
左の背の低いのが龍之介の墓。 -
芥川龍之介の墓。
昭和2年7月24日、斉藤茂吉から処方された睡眠薬を多量に飲み自殺。突発的ではなく前々から自殺を仄めかしていたという。動機は不明だが、親友久米正雄に宛てた遺書「或旧友へ送る手記」に”誰もまだ自殺者の心理をありのまま書いたものはいない。・・・。僕は君に送る最後の手紙の中にはっきりこの心理を伝えたいと思っている。僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。”
墓石は生前から本人が細長いのは台風などで倒れるのでいやだ、といって自分でデザインした。上面は龍之介が日ごろ尻の下に敷いていた座布団の大きさだそうです。 -
芥川龍之介の葬儀に際し盟友菊池寛の弔辞は弔辞中の名文だと思います。
「芥川龍之介君よ 君が自ら擇み 自ら決したる死について 我等 なにおか云わんや ただ我等は 君が死面に 平和なる微光の漂へるを見て 甚だ安心したり 友よ 安らかに眠れ 君が夫人 賢なれば よく遺児を養ふに堪へるべく 我等 亦 微力を致して 君が眠の いやが上に安らかならん事に努むべし ただ悲しきは 君去りて 我等が身辺 とみに蕭条たるを如何せん」
墓碑銘は畏友小穴隆一、龍之介のデスマスクをスケッチした画家です。 -
司馬江漢の墓。
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江戸時代後期の画家、蘭学者。
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1747~1818年。江戸の生まれ。
初め狩野派に、のち鈴木春信に浮世絵を学び、さらには洋画、油絵も学ぶ。
平賀源内とも交わり西洋科学に興味を示すなど多才であった。 -
寒柳水禽図。
ウイキより借用。 -
卓文君像。
同。 -
斎藤鶴磯(さいとうかつき)。
初めて聴く名前です。 -
江戸時代の儒学者、地誌研究家。1752~1828年。
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慈眼寺の隣に本妙寺があります。
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本妙寺。
1572年創建のもとは浜松の法華宗の寺。徳川家康の東国入りに伴い江戸に来る。寺は転々としたが、本郷丸山にある時明暦の大火(振袖火事)/1657年の火元と云われる。明治43年当地に移転。 -
遠山金四郎、千葉周作、囲碁の本因坊家の菩提寺です。
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その他関宿藩主久世大和守、森山多吉郎、明暦大火供養塔など。
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本妙寺本堂。
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鐘楼。
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明暦の大火(振袖火事)供養塔。
当寺が火元と云われることから造られた。 -
同。
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遠山家の墓。
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遠山の金さんこと遠山景元、通称金四郎。
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江戸末期北町奉行、大目付、南町奉行を務め、下情に通じた屈指の名奉行と云われた。
でも桜吹雪の入れ墨でお白洲で片肌脱いでタンカを切るのはどうも天下の名奉行としてはいただけない。 -
千葉周作。
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北辰一刀流の創始者。1793~1856年。気仙沼に馬医者の子に生まれる。
江戸に出て剣術を極め神田お玉が池に道場玄武館を開き多くの剣客を育てた。
門下に浪士組の清河八郎、山岡鉄舟など。 -
本因坊家。
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本因坊家は囲碁四大宗家の一つ。信長、秀吉、家康に仕えた1世本因坊算砂を開祖とする。江戸から明治以降も囲碁界の筆頭の位置を占め多くの名人を輩出した。
昭和13年、21世本因坊秀哉(しゅうさい)引退に際しその名跡を日本棋院に譲渡した。それ以降本因坊戦というタイトル戦になり、その勝者に本因坊という称号を与えることになった。 -
本因坊秀哉(しゅうさい)。
世襲制本因坊家最後の21世本因坊。明治7~昭和15年。
川端康成の小説「名人」の主人公。 -
墓域。
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私もざる碁の愛好者としてお参りしました。
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森山多吉郎の墓。
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森山多吉郎。1820~1871年、長崎に生まれる。
家は代々オランダ通詞(通訳)。漂着したアメリカ人に英語を学び、蘭・英2か国語の通詞を務める。江戸小石川に英語塾を開き、門下に津田仙、福知桜痴、沼間守一ら。福沢諭吉も短期間学んだ。 -
関宿(せきやど)藩主久世家。
関宿は今の千葉県野田市で、利根川と江戸川が分岐するところにあり、水運の重要拠点として徳川幕府が重視し、藩主には代々譜代大名が封じられた。 -
東京都中央卸売市場豊島市場。
江戸時代は巣鴨御薬園でした。 -
その1はここまで。
その2では染井霊園に回ります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2018/04/25 11:00:59
- 久しぶりの旅行記
- ベームさん、こんにちは。
花粉症のご卒業(?)おめでとうございます。
桜の時季には遅いけど、それに代わるいろんな花がベームさんの目を楽しませてくれたことと思います。
ソメイヨシノの発祥の地、何でもかんでも染井の名が付く地をレポートなさっているのもベームさんらしい。
今回の霊園巡りは駒込界隈ですね。
ここもいろんな作家や著名人のお墓が目白押し。
芥川龍之介の自死に対する菊池寛の弔辞、さすがに名文ですね。
それを取り上げたベームさんの感性にも賛辞を送ります。
私の方はただいまスランプの真っ最中。
旅行記もなかなか先に進まず、5月の旅行も下調べもままならず・・・、と悩みちゅうです。
himmel
- ベームさん からの返信 2018/04/26 13:20:10
- Re: 久しぶりの旅行記
- himmelさん、
今日は。
今年は2回の海外とか。最初は5月ですか、もうすぐじゃないですか。昨年の旅行記作成と今年の旅行準備と追っかけっこですね。私は今年はきっぱり諦め気が楽になりました。
少々負け惜しみになりますが、桜見の人出が苦手なので花の終わった時期が丁度よいのです。
菊池寛の弔辞、同じように感じてくださって嬉しいです。
”君が夫人 賢なれば よく遺児を養うに”、まさにその通りでしたね。次男は戦死しましたが長男、三男は大成しました。夫人は夫及び菊池寛に面目を果たせました。
5月は船頭3人組ですか、グーテ ライゼ!
ベーム
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