木之本・余呉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
滋賀県木之本にある伊香具神社、海津大崎に出かけて来ました<br />伊香具神社の八重桜は4月中旬ごろが見頃ですが、一部咲いていました<br />海津大崎の桜も満開で一部散り始めていました<br />海津大崎桜スポットまでは交通規制(4/7,4/8)と渋滞が激しく、近くまでしか行けませんでした<br />奥びわ湖パークウェイからつづら尾崎、二本松までは1方通行で海津大崎まで通り抜けが出来ず、周辺はキャンプ場多数ありました<br />海津大崎へは反対側、西浜からの侵入のみで一方通行でした<br />船の花見客が多いようで、遊覧船のりばがいくつかありました<br />伊香具神社から海津大崎までの間に道の駅塩津海道あぢかまの里、道の駅マキノ追坂峠の2か所ありますが今回は立ち寄れませんでした<br /><br />伊香具神社<br />[伊香具神社と天女]天女を妻にした伊香刀美(いかとみ)といつ人物の物語が残されています。伊香具神社の祭神伊香臣命(いかつおみ)はこの人物であり、のちに伊香地方に栄えた豪族「伊香連」の先祖だと云うことです。<br />また余呉には天女を妻にした桐畑太夫の話があり、天女の産んだ子供は長じて菅原道真公になったという伝説が残されています。 <br />(木之本観光案内所HPより)<br /><br />海津大崎<br />「日本のさくら名所100選」にも選ばれています。樹齢80年を越える老桜から次世代へ引き継ぐ若木まで約800本の華麗なソメイヨシノがびわ湖岸延々約4kmにわたり桜のトンネルをつくります。例年の見頃は4月10日前後となり、近畿圏では遅咲きの桜名所として知られています。海津大崎は、琵琶湖八景「暁霧・海津大崎の岩礁」としても知られる景勝地で、びわ湖随一の岩礁と、湖の碧、遠くに望む竹生島、その景色のコントラストは美しく毎年多くの花見客で賑わいます。(高島市観光情報HPより)<br /><br />伊香具神社 P少ない、JR木之本駅から2km<br />滋賀県長浜市木之本町大音688<br /><br />想古亭源内 P無料 <br />滋賀県長浜市木ノ本町大音1529-1<br /><br />糸とり資料保存館 <br />三味線、琴糸の原糸はここ大音、西山の二つの里で今も昔ながらの製法で作られています。現在は二つの里で僅か4軒しか残っていません。これは毎年6月中旬より8月上旬頃までの季節作業です。資料館ではこの製糸に用いる諸道具を揃えて陳列しています。製糸をしているところをご覧になりたい方には実演を見学して頂けます。(要予約) <br />■お問い合わせ/想古亭源内 TEL:0749-82-4127<br />■入館料/100円<br />※ただし実演見学の場合、30名まで1回実演料4000円。1名増すごとに100円追加<br />■休館日/12月1日~3月31日<br />(想古亭HPより)

木之本伊香具神社・海津大崎の桜2018

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2018/04/08 - 2018/04/08

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名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

滋賀県木之本にある伊香具神社、海津大崎に出かけて来ました
伊香具神社の八重桜は4月中旬ごろが見頃ですが、一部咲いていました
海津大崎の桜も満開で一部散り始めていました
海津大崎桜スポットまでは交通規制(4/7,4/8)と渋滞が激しく、近くまでしか行けませんでした
奥びわ湖パークウェイからつづら尾崎、二本松までは1方通行で海津大崎まで通り抜けが出来ず、周辺はキャンプ場多数ありました
海津大崎へは反対側、西浜からの侵入のみで一方通行でした
船の花見客が多いようで、遊覧船のりばがいくつかありました
伊香具神社から海津大崎までの間に道の駅塩津海道あぢかまの里、道の駅マキノ追坂峠の2か所ありますが今回は立ち寄れませんでした

伊香具神社
[伊香具神社と天女]天女を妻にした伊香刀美(いかとみ)といつ人物の物語が残されています。伊香具神社の祭神伊香臣命(いかつおみ)はこの人物であり、のちに伊香地方に栄えた豪族「伊香連」の先祖だと云うことです。
また余呉には天女を妻にした桐畑太夫の話があり、天女の産んだ子供は長じて菅原道真公になったという伝説が残されています。
(木之本観光案内所HPより)

海津大崎
「日本のさくら名所100選」にも選ばれています。樹齢80年を越える老桜から次世代へ引き継ぐ若木まで約800本の華麗なソメイヨシノがびわ湖岸延々約4kmにわたり桜のトンネルをつくります。例年の見頃は4月10日前後となり、近畿圏では遅咲きの桜名所として知られています。海津大崎は、琵琶湖八景「暁霧・海津大崎の岩礁」としても知られる景勝地で、びわ湖随一の岩礁と、湖の碧、遠くに望む竹生島、その景色のコントラストは美しく毎年多くの花見客で賑わいます。(高島市観光情報HPより)

伊香具神社 P少ない、JR木之本駅から2km
滋賀県長浜市木之本町大音688

想古亭源内 P無料 
滋賀県長浜市木ノ本町大音1529-1

糸とり資料保存館 
三味線、琴糸の原糸はここ大音、西山の二つの里で今も昔ながらの製法で作られています。現在は二つの里で僅か4軒しか残っていません。これは毎年6月中旬より8月上旬頃までの季節作業です。資料館ではこの製糸に用いる諸道具を揃えて陳列しています。製糸をしているところをご覧になりたい方には実演を見学して頂けます。(要予約)
■お問い合わせ/想古亭源内 TEL:0749-82-4127
■入館料/100円
※ただし実演見学の場合、30名まで1回実演料4000円。1名増すごとに100円追加
■休館日/12月1日~3月31日
(想古亭HPより)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車

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  • 北陸自動車道神田PA

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  • 伊香具神社 (イカグ) <br />御祭神<br />伊香津臣命 <br />御神紋<br />上藤 <br />御由緒<br />古来伊香神と称し(興福寺官務牌疏)延喜式内名神大社に列る当郡開祭の租神である。上世此地に湖水あり田里未だ開けざる時、伊香津臣命が此地に来られて「吾此処に止りて永く末代を守るべし」(近江国与地志略)と子孫に告げてこの地を拓かれた。後伊香宿禰豊厚が社殿を創立して租神を祀ったのは人皇40代天武天皇白鳳10年以前の事というがそれ以前この土地には迦久土神を祭った小社があったのではないかと考えられる。それは今の本社地を西へ二百米ばかりの所に、迦久土神を祭った「意太」おふと神社と呼び小社があり式内の小社で、今は本社の摂社になっているが、その「おふと」が今の部落名の「おおと」となったものと考えられ本社の一名を大音明神と称することも、これに由来するものであろうと思われるからである。尚本社の背後の山の字名を、香具山と呼んでいることもその一証であろう。所でその後国史に見えるのは、3代実録巻2に「貞観元年正月27日甲申奉授近江国従五位勲八等伊香神従四位以下」同じく巻12に「貞観8年閏3月7日壬子近江国従四位下勲八等伊香神授従四位下」とある。この2箇所だけであるが、社伝では「寛平7年菅原道真法華経金明経を手写して之を納め、又奉して勅額を賜う。其文に正一位勳一等大社大明神と云う」とある。然し今も残るものがないのは残念である。後足利尊氏は次のような朱印状を寄せて祈祷を依頼し、此にもとづく祈祷は今も正月5日9月の18日に執り行われている。 足利尊氏朱印状写 毎年正59月能々可御祈祷事 一、弐百石御地蔵木之本の内 一、弐百石大音名神三郷之内 右如前ニ知行尤ニ候猶以山内太郎左衛門尉可申候如件 建武3年11月15日 尊氏判 木之本上人殿 大音神主殿 井伊氏の代になってからも按部の際は、必ず参拝して行ったと言う。明治8年郷社に列し、明治32年県社に昇格した。此地に特記すべきは、明治14年郡内の有志が願い出て境内に維新以後国離に殉じた人の英霊並に郡神職を祀った伊香招魂社を立て、以後毎年春秋の祭例を斎行し、特に昭和43年からは春の大祭に郡内に全遺族を招待して、挙行していることである。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。尚社殿や宝物は賤ヶ岳の兵火にかかって焼失し、現在の本殿、拝殿は、正徳年中の再建であるが、社務所は明治7年教部省の大教宣布の時、此の地方の小教院として建てられたものである。<br />本殿・境内建物<br />〔本殿〕一間社流造 間口一間四尺 奥行一間三尺 <br />〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行二間二尺 <br />境内社(摂社・末社)<br />奥之宮 三之宮 白山神社 境外社 意太神社<br />主な祭礼<br />おこない 2月28日<br /><br />神事(おこない) 燈明祭<br />祭礼日<br />祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。 <br />4月 6日 <br />2月 24日 おこない <br />23日夕刻に宵宮祭。24日午前10時に当家から出神、神社へ献塔。頭人・古頭人は裃を着け神前へ参る。午後、次年の頭人を決める玉籤を神前にて神主が引いて決まると、同一夕刻に大鏡を神前より新頭人宅へ送り、塔渡しの式典が執り行われる。 <br />〔本務社|伊香支部〕<br />(滋賀県神社庁HPより)

    伊香具神社 (イカグ)
    御祭神
    伊香津臣命
    御神紋
    上藤
    御由緒
    古来伊香神と称し(興福寺官務牌疏)延喜式内名神大社に列る当郡開祭の租神である。上世此地に湖水あり田里未だ開けざる時、伊香津臣命が此地に来られて「吾此処に止りて永く末代を守るべし」(近江国与地志略)と子孫に告げてこの地を拓かれた。後伊香宿禰豊厚が社殿を創立して租神を祀ったのは人皇40代天武天皇白鳳10年以前の事というがそれ以前この土地には迦久土神を祭った小社があったのではないかと考えられる。それは今の本社地を西へ二百米ばかりの所に、迦久土神を祭った「意太」おふと神社と呼び小社があり式内の小社で、今は本社の摂社になっているが、その「おふと」が今の部落名の「おおと」となったものと考えられ本社の一名を大音明神と称することも、これに由来するものであろうと思われるからである。尚本社の背後の山の字名を、香具山と呼んでいることもその一証であろう。所でその後国史に見えるのは、3代実録巻2に「貞観元年正月27日甲申奉授近江国従五位勲八等伊香神従四位以下」同じく巻12に「貞観8年閏3月7日壬子近江国従四位下勲八等伊香神授従四位下」とある。この2箇所だけであるが、社伝では「寛平7年菅原道真法華経金明経を手写して之を納め、又奉して勅額を賜う。其文に正一位勳一等大社大明神と云う」とある。然し今も残るものがないのは残念である。後足利尊氏は次のような朱印状を寄せて祈祷を依頼し、此にもとづく祈祷は今も正月5日9月の18日に執り行われている。 足利尊氏朱印状写 毎年正59月能々可御祈祷事 一、弐百石御地蔵木之本の内 一、弐百石大音名神三郷之内 右如前ニ知行尤ニ候猶以山内太郎左衛門尉可申候如件 建武3年11月15日 尊氏判 木之本上人殿 大音神主殿 井伊氏の代になってからも按部の際は、必ず参拝して行ったと言う。明治8年郷社に列し、明治32年県社に昇格した。此地に特記すべきは、明治14年郡内の有志が願い出て境内に維新以後国離に殉じた人の英霊並に郡神職を祀った伊香招魂社を立て、以後毎年春秋の祭例を斎行し、特に昭和43年からは春の大祭に郡内に全遺族を招待して、挙行していることである。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。尚社殿や宝物は賤ヶ岳の兵火にかかって焼失し、現在の本殿、拝殿は、正徳年中の再建であるが、社務所は明治7年教部省の大教宣布の時、此の地方の小教院として建てられたものである。
    本殿・境内建物
    〔本殿〕一間社流造 間口一間四尺 奥行一間三尺
    〔拝殿〕入母屋造 間口三間三尺 奥行二間二尺
    境内社(摂社・末社)
    奥之宮 三之宮 白山神社 境外社 意太神社
    主な祭礼
    おこない 2月28日

    神事(おこない) 燈明祭
    祭礼日
    祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。
    4月 6日
    2月 24日 おこない
    23日夕刻に宵宮祭。24日午前10時に当家から出神、神社へ献塔。頭人・古頭人は裃を着け神前へ参る。午後、次年の頭人を決める玉籤を神前にて神主が引いて決まると、同一夕刻に大鏡を神前より新頭人宅へ送り、塔渡しの式典が執り行われる。
    〔本務社|伊香支部〕
    (滋賀県神社庁HPより)

  • 珍しい鳥居です

    珍しい鳥居です

  • 三輪式鳥居と厳島式鳥居を組み併せた伊香式鳥居

    三輪式鳥居と厳島式鳥居を組み併せた伊香式鳥居

  • 糸とり保存館

    糸とり保存館

  • 文豪「徳富蘇峰」先生の命名の想古亭

    文豪「徳富蘇峰」先生の命名の想古亭

  • パスタランチ1500円<br />フォカッチャ食べ放題、デザートコーヒー付き<br />眺めの良いお部屋でした<br />うなぎのランチ2800円もありました

    パスタランチ1500円
    フォカッチャ食べ放題、デザートコーヒー付き
    眺めの良いお部屋でした
    うなぎのランチ2800円もありました

  • タケノコのパスタ木の芽ソースかけ

    タケノコのパスタ木の芽ソースかけ

  • なめらかプリン、コーヒー

    なめらかプリン、コーヒー

  • 想古亭、駐車場からの眺め

    想古亭、駐車場からの眺め

  • 海津大崎桜スポット手前、二本松近くの桜並木です<br />キャンプ場がいくつかあります

    海津大崎桜スポット手前、二本松近くの桜並木です
    キャンプ場がいくつかあります

  • 【海津大崎の歴史】<br /> <br /><br />海津大崎の桜並木は、昭和11年(1936年)6月に “大崎トンネル” が完成したのを記念してマキノ町の前身である海津村が植樹したものです。満々と水をたたえる琵琶湖の青と東山連峰の緑の間を可憐なピンクの花びらが帯状に延びる景観は、奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩となっています。<br /> <br /><br /><br /><br /> <br />この桜並木の誕生は、海津村による植樹に先立つこと5年前、当時滋賀県高島地方事務所に道路補修をする修路作業員として勤めていた宗戸清七さん(当時37歳・百瀬村(現マキノ町)在住・故人)が作業の合間に自費で購入した若木を植えたことに端を発します。宗戸さんは当時未舗装の県道の改良や補修を日常業務とし、助手2人とリヤカーに土砂を積んで毎日巡回し、くぼみに土砂を埋め、盛り上がっている場所を削って平らにするという作業に携わっていました。そんな重労働の疲れを癒してくれたのが、道から見える澄み切った琵琶湖と沖に浮かぶ竹生島の姿でした。 <br /> <br />愛着のある道に何か残したいと思った彼は、桜の並木があれば景色が華やかになると考え、自力で桜を植え始めました。3年後に若木が花をつけはじめると、村の青年団も協力し始めます。彼の指示で団員がリヤカーに水や土を運び、若木がしっかりと根付くよう丹精こめて植樹されました。<br /> <br />こうして、宗戸さんと村の若者たちが植えた桜がしっかりと根を下ろしたことが、現在の桜並木をつくるきっかけとなったのです。<br /><br /><br />平成2年(1990年)3月、財団法人日本さくらの会から「日本のさくら名所百選」に選ばれ、全国から注目されるに至っています。<br />その後も、地元の人々や関係者たちがこの桜並木を大切に育て、たび重なる豪雪や崖崩れによる被害の際にも補植し守り続けられてきました。<br />(高島市観光情報HPより)

    【海津大崎の歴史】


    海津大崎の桜並木は、昭和11年(1936年)6月に “大崎トンネル” が完成したのを記念してマキノ町の前身である海津村が植樹したものです。満々と水をたたえる琵琶湖の青と東山連峰の緑の間を可憐なピンクの花びらが帯状に延びる景観は、奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩となっています。
     




    この桜並木の誕生は、海津村による植樹に先立つこと5年前、当時滋賀県高島地方事務所に道路補修をする修路作業員として勤めていた宗戸清七さん(当時37歳・百瀬村(現マキノ町)在住・故人)が作業の合間に自費で購入した若木を植えたことに端を発します。宗戸さんは当時未舗装の県道の改良や補修を日常業務とし、助手2人とリヤカーに土砂を積んで毎日巡回し、くぼみに土砂を埋め、盛り上がっている場所を削って平らにするという作業に携わっていました。そんな重労働の疲れを癒してくれたのが、道から見える澄み切った琵琶湖と沖に浮かぶ竹生島の姿でした。

    愛着のある道に何か残したいと思った彼は、桜の並木があれば景色が華やかになると考え、自力で桜を植え始めました。3年後に若木が花をつけはじめると、村の青年団も協力し始めます。彼の指示で団員がリヤカーに水や土を運び、若木がしっかりと根付くよう丹精こめて植樹されました。

    こうして、宗戸さんと村の若者たちが植えた桜がしっかりと根を下ろしたことが、現在の桜並木をつくるきっかけとなったのです。


    平成2年(1990年)3月、財団法人日本さくらの会から「日本のさくら名所百選」に選ばれ、全国から注目されるに至っています。
    その後も、地元の人々や関係者たちがこの桜並木を大切に育て、たび重なる豪雪や崖崩れによる被害の際にも補植し守り続けられてきました。
    (高島市観光情報HPより)

  • 北陸自動車道神田PA下り線で買った淡湖のあめ煮864円

    北陸自動車道神田PA下り線で買った淡湖のあめ煮864円

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