1999/08/07 - 1999/08/09
47位(同エリア765件中)
itaruさん
- itaruさんTOP
- 旅行記320冊
- クチコミ25件
- Q&A回答21件
- 246,884アクセス
- フォロワー48人
地球の反対側の南米。移動だけで時間が取られてしまうので、1週間程度の休みだともったいない。なかなか踏ん切りがつかなかったけれど、1999年に社会人になって最長の夏休み9日間取得が可能に。ならば南米まで足を伸ばそう。大学卒業時、治安が最悪だったペルーも安定してきている。行くならマチュピチュは外せない。せっかくだから標高4000メートルのボリビア・ラパスも訪ねようか。ということで、ペルーを縦断し、ボリビアに抜けるルートで初の南米の旅に出発しました
8月7日 AA26便 成田17時30分発→シアトル10時着
AA26便 シアトル12時30分発→マイアミ21時15分着
AA2111便 マイアミ23時30分発→リマ翌4時3分着
8日 ★リマ市内観光
9日 N6 1147便リマ9時30分発→クスコ
★ クスコ観光
10日 マチュピチュ観光
11日 鉄道 クスコ→プーノ
12日 チチカカ湖観光後、ローカルバスでラパスへ
13日 AA2992便 ラパス19時55分発→マイアミ翌5時5分着
14日 AA27便 マイアミ7時45分発→シアトル11時2分着
AA27便 シアトル13時5分発→成田翌15時着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アメリカン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
成田から太平洋を越えてシアトルまで。さらにアメリカを6時間弱かけて横断してマイアミまで。さらに5時間半ほど飛行機に乗ってようやく初の南米リマに到着。さすがに疲れた~。同じ飛行機に乗っていた日本人旅行者とシェアしてタクシーで新市街へ。ホテルに荷物を置いて街歩きに出発です
-
新市街のミラフローレス地区からセントロへ。ペルー独立運殿で活躍したサンマルティンの騎馬像が立つサン・マルティン広場から旧市街の街歩きをスタート
サン マルティン広場 広場・公園
-
市民の憩いの場となっている広場を散策し
-
ラ・ウニオン通りを歩き、目に入ったのは
ラ ウニオン通り 散歩・街歩き
-
ドラゴンボールZ! スペイン語に混じって「超サイヤ人VS超サイヤ人」「宿命の最強対決!!」って。まさか南米で日本のアニメに出会うとは……
-
ちょっと脱線しつつもラ・ウニオン通りを進むと南米最古のカテドラルが見えてくる。征服者のフランシスコ・ピサロが礎石を置いたというカテドラルの歴史はリマ建都の日、1535年1月18日に遡る
リマ大聖堂 寺院・教会
-
何やら賑やかな? 民族衣装を着た人や宗教的なものを掲げた人たちの行進が
-
ちょっとした祭りなのかな?
-
セントロの北には細々と営業している鉄道の線路が
-
まだまだ治安に不安がある旧市街だったけれど、昼間なら特に問題はなし
-
せっかくなのでデサンパラドス駅へ。当時は観光列車が日曜に1往復しているだけなので、乗降客は一人もいなかったけど
-
サン・フランシスコ教会・修道院に寄ってから
サン フランシスコ教会/修道院 寺院・教会
-
リマの街を眺めようとサン・クリストバルの丘へ
サン クリストバルの丘 自然・景勝地
-
ピサロが木の十字架とチャペルを建てたという、この丘
-
ホントは景色を眺めながら歩いて登りたいところだったけど、麓の辺りの治安が少し微妙。ってことで、安全を優先してタクシーで往復です
-
リマ滞在は1日だけなので、丘を降りたのちは国立人類学考古学歴史学博物館などを巡り、夜はミラフローレス地区でリマの海岸沿いの夜景を楽しみ
-
翌9日は9時半リマ発のアエロ・コンチネンテでクスコへ。当時は治安が回復するとともに観光客も増え、ペルー国内の航空会社の競争も激しくなった頃。国内線のチケットを買おうと、歩き方に載っていたフラッグ・キャリアのアエロ・ペルーの事務所に電話すると「破たんした」と。ということで、探して購入したのがアエロ・コンチネンテだったんだけど、ここも数年後には消えゆく運命とは
ホルヘ チャべス国際空港 (LIM) 空港
-
標高3300メートルのクスコは富士山とさほど変わらない高所。同じ飛行機に乗っていた日本人の旅行者の1人は降りた時から「頭が痛い」とダウン気味。幸い症状は出ていないものの、走ったりしたらダメ。無理は禁物ということで
アレハンドロ ベラスコ アステテ国際空港 (CUZ) 空港
-
かつてのインカ帝国の都クスコ。日本人宿で有名なペンション花田に荷物を置いて街歩きをスタートです
クスコ市街 旧市街・古い町並み
-
カテドラルをはじめコロニアルな建物が並ぶアルマス広場へ。まずは広場の旅行社でマチュピチュとプーノに行くためのチケットを手に入れなきゃ
アルマス広場 (クスコ) 広場・公園
-
マチュピチュへのチケットを確保したので、インカ時代のビラコチャ神殿の跡に建てられたカテドラルを見学し
クスコ大聖堂 寺院・教会
-
インカの石組みが残るロレト通り
-
インカの香りが残る道を通り過ぎると
-
サント・ドミンゴ教会へ。ここはスペインに征服されるまでコリカンチャ(太陽の神殿)のあった場所。金で埋め尽くされていたという神殿は征服者たちに根こそぎ略奪され、教会に生まれ変わることに
サント ドミンゴ教会(コリカンチャ/ 太陽の神殿) 寺院・教会
-
いくつもの地震にも崩れることがなかった神殿の土台。一部に模様が残っているけど、これはインカのもの? スペイン植民地時代のもの?
-
サント・ドミンゴ教会から眺めるクスコの街。起伏に富んでいるのが良く分かる
-
記念の一枚を取ろうと思ったのはいいけど、教会が中途半端になってしまって……。海外でお願いするとよくあるパターン。フィルムだと現像するまで分からない
-
ところで、観光に便利だったのが市内の見どころ、クスコ近郊の遺跡がセットになった周遊チケット。当時は16カ所巡れて10日間有効で10ドルとリーズナブル
-
サクッとクスコ市内を観た後は校外に繰り出しましょう。まずはサクサイワマン
サクサイワマン 史跡・遺跡
-
巨石を積み上げたこの遺跡。スケールの大きさに圧倒される
-
日本の城もそうだけど、重機のない時代によくぞ巨石を積み上げたと思う
-
高台にあるサクサイワマンから眺めるクスコの街並み。インカ帝国最後の皇帝マンコ・インカ・ユパンキは、ここを拠点にクスコ奪回を試みた。どんな思いでスペイン人たちに征服されたかつての首都を見ていたのだろうか
-
ふと見渡すと遺跡を修復する人たち。大事な人類の遺産、しっかり保護して下さい
-
ここは毎年の6月、有名なインティライミの祭りが行われる場所
-
この遺跡、巨石が22回のジグザグを描きながら360メートルに渡って続くのだとか
-
石、石、石……。スペイン人に破壊される前はどんな景色が広がっていたのだろう
-
サクサイワマンなどクスコ郊外は現地ツアーでお手軽に
-
サクサイワマンの次はケンコーへ
ケンコー モニュメント・記念碑
-
迷路を意味するケンコーは岩を削ってつくられたもの。インカ帝国の祭礼の場だったとも
-
リャマ? アルパカ? どっちか良く分からないけど、ちょっと疲れて休憩中。後ろには「赤い要塞」を意味するプカプカラ。通称「インカの道」に沿って作られたこの砦。クスコの北の守りを担っていたのだろうか
プカ プカラ 史跡・遺跡
-
せっかくなので一緒に記念の一枚を
-
ちょっとピンぼけだけど、聖なる泉とあがめられるタンボマチャイ。御利益があるかなと思って、ちょっと一口いただきます
タンボマチャイ 史跡・遺跡
-
雨季、乾季を問わず一定の量の水が湧き出るというタンボマチャイ。インカの沐浴場だったという説が有力なんだとか
-
この時は気付いてなかったけど、クスコからだいぶ登ってきたここは標高3800メートル弱と、ほぼ富士山と同じ高さ。空気が薄いので走ったりしたら高山病になっていたかも
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
ペルーからボリビアへ、初めての南米旅行=1999年
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
クスコ(ペルー) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ペルーからボリビアへ、初めての南米旅行=1999年
0
44