2018/01/17 - 2018/01/24
256位(同エリア1176件中)
空飛ぶドクターさん
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30年越しのマチュピチュへ
予定していたスリランカ旅行が顧客の都合でキャンセルになり、急遽ちょうど30年振りになるペルー旅行を決めました。余り準備の時間もないので、いつものように自分でフライト、ホテルの手配等を止め、最低限のツアー形式の旅行会社を見つけました。STワールドという会社ですが、手配は問題ありませんでした(終わった後の印象)。
しかも、完全な添乗員付きのツアーではないので、結構自由に観光地の組み合わせを選べます。今回は南米にしては時間を取らず、行きたいところもマチュピチュとナスカの地上絵だけにしぼりました。5泊8日です。普段だと南米までせっかく行く時は、11日間くらいにするのですが。
実は、マチュピチュには因縁があり、30年前アメリカ留学終了前に家族で南米3ヶ国旅行をして、クスコからマチュピチュへ行くはずでした。ところが、リマから早朝飛行機で移動し、午後クスコの市内観光をしただけですが、珍しく頭痛がガンガンし、ホテル備え付けの酸素吸入やコカ茶を飲んでも全く効果ありません。当時は医者の私も詳しくはありませんでしたが、高山病(山酔い)だろうとは思っていました。
やむなく、医者の私が現地の医者の往診を頼みました。じいさん医者が一人でやって来て(日本ではナース連れが普通ですよね)かみさんと私と当時赤ん坊の長男を診察してくれ、一回医院に戻り、薬、注射を持参してまた一人で戻って来ました。後で、日本で調べるとあまり推奨されていませんが、どうも睡眠薬も処方されたようで爆睡し、翌朝にはスッキリ治っていました。但し、その関係で早朝のマチュピチュへ行く列車に間に合わず、せっかくクスコまで行ったのに幻のマチュピチュになってしまいました。
1988年の2月のことで、計算するとちょうど30年前のことで、いよいよ今度こそマチュピチュへ行くことにしました。この自分自身の経験が、日本旅行医学会評議員として高山病を詳しく研究し、予防薬の普及に努めている理由です。
ダイアモックスという高山病予防の特効薬があります。私自身毎回愛用しています。でも、残念ながらあまりまだまだ普及していません。一つの問題点は医療保険適応がないので、医者でも知らない人が多いのです。ダイアモックスは普通の医者ならよく知っている薬ですが、この薬が高山病にも効果があるということを多くの医者自身が知らないのです。以前インターネットでいろいろ調べるとかなりデマのような誤解がこの特効薬にあります。日本人らしく、副作用を過大に気にしている人もいます。医療保険適応がないので、一般向けの病院の処方薬などの「薬の本」にも書かれていないのです。ですから、「怪しい薬」だと誤解している人もいます。
【1月17日(水)】
いつもなら、早朝福岡を出て成田空港で乗り継ぐのですが、今回は東京で前泊し友達と会ったので、朝はそんなに早くなく京成スカイライナーで上野駅から成田空港へ行き、午前11時台のアメリカン航空ダラス便です。半年くらい前にJALカードがサファイア会員にグレードアップしたおかげで、エコノミークラス席なのにワンワールドグループのVIPラウンジが使え快適でした。
行きは、ダラス経由はともかく再度マイアミ経由です。いつも持っているはずの米ドルの財布が見つからず、ダラス空港で300米ドルほどキャッシングしました。マイアミ~リマ便は6時間程度乗るのに、機内には各自のモニター画面もありません。成田空港からでも軽く24時間は越えてようやくペルー首都のリマへ夜10時過ぎ到着しました。普段だと自分でホテルまでタクシーなどで行くしかないのですが、今回はツアーに近いので、私一人のために現地の日本人スタッフが迎えに来てくれています。ホテルでチェックインして、今回の旅行の行程の確認をしてくれます。私にはどうでもいいのですが、後は現地の英語かスペイン語だけのスタッフが迎えに来るからです。
【1月18日(木)】
今回のペルー旅行は毎朝集合時間がえらい早いのです。今朝もいきなり6時ロビーです。朝食はコーヒーと並べ始めたハム、チーズを軽く食べました。今日はナスカの地上絵観光の日です。ミニバンには運転手、現地ガイドの他にコスタリカ人の夫婦とその友達の女性がいました。私にはどうでもいいのですが、日本語のできるガイドでした。明日高地のクスコへ移動なので、1日前の今朝からダイアモックスを半錠ずつ、朝・夕内服します。たったこれだけで、バッチリ高山病の予防に有効です。おかげで、6年ほど前ウユニ塩田(ウユニ塩湖は厳密には名前が間違い)現地ツアーで標高5千メートルまで上っても大丈夫でした。
ナスカまで行くと7~8時間かかるそうですが、セスナ機の飛行場はだいぶ手前の Ica(イカ)という街なのです。それでも、5時間近くかかりました。途中で、日本人経営のお土産屋さんで休憩しました。普段ツアーを利用しない私としては久しぶりの「お土産屋」です。トイレを使い、無料のコーヒーと紅茶の一種(忘れましたが、コカ茶以外)を飲み、義理もあり娘のお土産用にリャマの縫いぐるみを買いました。
11時過ぎには小さな空港へ着きました。セスナ機が何機も並んでいます。陸路ではナスカまで数時間もかかるだけあって、セスナ機でも肝心のナスカまでは30分以上かかりました。客は4人だけですが、安全のためパイロットは2人います。写真とか本では前もって見ていますが、実物が空からどういう風に見えるのかわからないので、最初は戸惑いましたが徐々に見えてきました。機内の右側と左側で見やすさが変わるので、右翼を下げて右側の私が見やすいようにしてくれ、次には左翼を下げて反対側の人が見やすいようにしてくれます。サルや、宇宙人などはわかりましたが、聞いていたように意外とクジラは見落としました。
前もって注意は受けていたのですが、機体を動かしてくれる中で一生懸命写真を撮ろうと下を見ていると、だんだん酔ってきて吐き気がします。内容物はほとんどないですが、唾と胃液を少し吐きました。空港まで引き返す30分間はなるべく遠くを見て、吐き気が収まるのを待ちました。
陸へ戻ったのは13時過ぎで昼食かと思っていたら、近くの Huacachina(ワカチナ)砂漠へ連れて行かれました。50米ドル別料金ですが、4人全員同意してバギー車(?)での砂漠ドライブを楽しみました。最後に、スケートボードにうつ伏せに乗り、一気に砂漠の丘から下へ急降下を楽しみました。結構、スピードが出てスリルがありました。終点が砂漠のオアシス(池、湖)でした。
それからようやく2時40分過ぎにレストランCatadorで食事にありつけました。名前のわかるパパ・ア・ラ・ワンカイーナを前菜にしました。これは勝手に暖かいと思っていたら、冷たくさましたジャガイモにクリームソース状のがかかった冷菜でした。まぁまぁの味です。メイン料理に同じく調べて名前を知っていたロモ・サルタード(ごはんとフライドポテト添えの焼肉定食みたいな感じ)を注文しました。国民食らしいです。これも普通でした。可もなく不可もなし。
それから、リマまで戻るわけですがまた同じお土産屋に立ち寄りました。もう買うものもないので、JTBツアーの添乗員男性と雑談をしました。当然、リマのホテル近くに戻ったのは午後8時を過ぎています。昨夜、現地オペレーター日本人女性がお勧めしていた Punta Azul で直接降ろしてもらいました。ペルーはチップが要るらしく、ドライバーに5ドル、ガイドに10ドル渡しました。途中で現地通貨ソル(複数形ソーレス)もキャッシングしていますが、予想通り米ドルもかなり流通しています。1ソル=35円程度で、暗算するには3で割って100倍すればいいのです。略号が面白くS/.15.00(15ソーレス)などと表記します。
中南米でよく見るセビーチェ(魚のマリネのようなもの)を注文しました。付け合わせのトウモロコシの実がでかいです。セビーチェは少し大味で、記憶にあるコスタリカのセビーチェの方が美味しかった記憶です。もう一品のシーフード料理(タコ、何らかの貝など)もまぁまぁでしたが、推薦されたほど美味しいとは思いませんでした。
近い割には、ホテル(El tambo IIエル・タンボ2)の帰りの道は少し迷いました。おかげで近くにカジノがあるのが分かりました。
【1月19日(金)】
リマからクスコへの移動日の今朝は何と4時にホテルロビーで集合です。7時37分のフライトに間に合うように。以前から早朝便しかないと聞いていましたが、有視界飛行のため午前中の便しかないようです。
9時過ぎにはクスコ空港(標高3400メートル程度)へ着きましたが、ここでも現地スタッフがミニバンでホテルまで送ってくれます。同じSTワールドの客で若い日本人女性がいましたが、ホテルが違うのか別のミニバンでした。ところが、ホテルへ着いたら彼女も同じホテルでした。午後のクスコ市内観光ツアーの集合時間は13時20分なので、ゆっくり昼食が取れましたが面倒なのですぐ近くのレストランで食べました。Pescado a la plancha(ペルー風焼き魚定食)25ソーレス、結構気に入った冷たい飲み物 Chincha Morada 1/2が8.5ソーレス、合計33.5ソーレス(約1,150円程度)。この濃い紺色のドリンクは気に入りましたが、トウモロコシをレモンと煮込んだものらしく、意外とあっさりとして飲みやすいのです。以後も何度か注文しました。
午後のツアーは全部で10人くらいいました。例の日本人女性も一緒です。彼女はちゃんとダイアモックスを日本で処方してもらって予防内服していました。もう一人若い日本人男性もいました。同じホテルのようです。まずは、近くのカテドラルへ連れて行かれました。英語ですが、結構詳しく中の説明をしてくれました。スペイン人の征服者によって、だいぶ建て替えられたようでカトリックの教会になっています。残念ながら、内部の写真撮影禁止でした。現地の人がキリスト教を受け入れやすいように、褐色の肌のキリスト像に現地のスカートのようなものをはかせていました。
それから、細い(ロレト通り?)通りを歩いてインカの石組みを見学しました。精緻に切られた石を積み上げているだけですが、全く隙間がありません。
我々のホテルの目の前のサント・ドミンゴ教会まで来ました。元はコリカンチャ、つまり太陽の神殿だった建物です。黄金でいっぱいだった神殿から侵略者スペイン人は欲しいだけ持ち出し、上部を壊し、残った土台の上にチュリゲレス様式の教会を建てたそうです。でも、皮肉なことに大地震の折にこのサント・ドミンゴ教会は無残に崩れ落ちたのに、土台の石組みだけはひずみ一つ起さなかったそうです。いかにインカの石組みが精巧かを示すエピソードのようです。
ここから少し離れた郊外の高台にある4つの遺跡を回ります。全部で70ソーレス(2500円程度)のようですが、すでにツアー料金として払っています。まず、ケンコーで岩を削って造られているものです。次に、サクサイワマンで堅固な要塞跡です。ジグザグの壁が300m以上続きます。プカプカラという遺跡はプカ「赤い」という意味らしいですが、今は赤くないのでよく特徴が分かりません。最後に、タンボマチャイというインカ時代の沐浴場で、水が流れているので分かりやすいです。正直、4つ同じような遺跡を見てもあまり区別も分かりません。高台で、南米らしくフットボール(サッカー)競技場やビール工場が見渡せます。
もう30年も前のことでよく覚えていませんが、3400メートルもあるクスコの街から、この郊外高台の観光に来ると、少しは歩かされるし、標高ももう200~300メートル高そうなので、高山病にはこれがこたえたのかもしれません。今回も、ダイアモックスを内服(予防)しているので大丈夫ですが、やはりこの郊外ツアーの方が少し多めに歩くので息も上がりきついです。高山病の予防を考えたら、この郊外の観光はパスして、カテドラルなどの市内観光だけの方がいいかもしれません。
5時半にはホテルに戻りましたが、同じホテルの男女2人の日本人を誘い夕食に行きました。もちろん、私のおごりです。男性の方は、ダイアモックスのことを知っていましたが、忙しくて病院へ行く暇がなかったということだし、2人ともマチュピチュ観光の後にボリビアのウユニ塩田(ここも3600メートル程度の高地)にも行くとのことで、私が準備していたダイアモックスを45ドルで売ってあげました。昼に1錠飲ませました。少し予防には遅いのと、軽い不調をすでに訴えていたので、今日の昼と夜だけは治療量の1回1錠を飲ませました。落ち着けば、明日からは1回半錠を1日2回でいいので、計算して少し余分を含め8錠ほど渡しました。
レストランは昼の観光でガイドが宣伝していた地元料理の店を選びました。一緒にいた女性が是非トライしたいと言っていた cuy al horno(クイ、テンジクネズミ)の丸焼きを注文しました。話のタネにはなります。70ソーレスだから結構高いです。見せてくれて、写真を撮ったりした後、食べやすいように7つくらいに輪切りにしてくれます。皮がぱさぱさで、肉もそんなに美味しくはありませんでした。好みでしょうが。私はあまり食欲がなかったのでスープだけ注文しました。これもそれなりの味でした。3人前で191ソーレス(約7千円弱)ですから、日本の感覚では高くありませんが、観光地の有名店らしくペルーの物価から言えばたぶん高いのだろうと想像します。ちなみに、ペルーはチップが必要で、だいたい10%のようです。
パルスオキシメーターという医療機器を私は持参しています。SPO2(末梢血酸素飽和度)が人差し指にはさむだけですぐ測れます。ダイアモックスを飲んでいるので高山病を予防できていますが、体調は万全ではありません。その証拠に平地ではSPO2が97~99%はあるのに、クスコのように標高3400メートルもあると、85%近くまで下がっています。しかも、かなり不安定で85%以下(測定不能で点滅)~88%程度を示します。もっと分かりやすいのがP、つまり脈拍で、部屋で安静にしているのに90~100近くもあります。分かりやすく説明すると、酸素が少ない分、心臓がたくさん働いてくれているのです。つまり、運動時と同じで私には負担になっているはずです。
【1月20日(土)】
毎朝早いのですが、今朝は特別です。ホテルロビー集合が午前3時40分!今日はマチュピチュへ行き、夜はマチュピチュ村で一泊するので、スーツケースは預けてリュックだけで出発です。他の日本人2人より私だけ少し早いようで、一人で車に乗り、列車の駅であるオリャンタイタンボ駅まで1時間半もかかりました。
そして6時10分発のマチュピチュ行きの列車に乗りました。今日は朝から雨です。時々、かなり強く降っています。マチュピチュの駅まで1時間半で到着、バスで移動し8時半頃にはマチュピチュ観光開始の予定でした。時間制限が約4時間なので午前中で終わるはずでした。
ところが川沿いに半分以上進んだところで、突然止まりました。雨は続いています。大雨のせいで、倒れた木の枝が線路を塞いでいるようです。結果から先に言うと、何と5時間も待たされました。最後に、大きな岩を爆破して終わったようです。ただ、幸運なことに隣の席の女性(リンダ・ムーア)がアメリカ人で元ABCラジオのニュースキャスターらしく、もう4年間エクアドルに住んでいるそうです。スペイン語もできるので、彼女から工事の進捗状況が伝わり、しかもずっと喋っていたので全然退屈しませんでした。
私と同じで彼女は前向きに物事を捉えます。列車が止まったのは大変だが、一歩間違えば木の枝に乗り上げて脱線して下の川へ落ちていたかもしれない。よかったと。
ほぼ私と同じ年代で、IBSがどうのこうのというのもすぐに医者の私は Irritable bowel syndrome(過敏性腸症候群)と分かるので話がはずみます。高校時代1年間アメリカニューヨーク州の田舎に留学経験があり、医者になってからも研究のため2年間滞米経験あり、アメリカ人とは特に話が合います。アメリカ国内あちこち行っているので、結構ローカルな話もできます。名刺交換して、次に南米で行こうと思っていたエクアドルに住んでいるということで会いに行ってもいいなと思っています。
ようやく13時過ぎに駅へ着き、ガイドの人の事務所で一服して30分程度のマチュピチュ遺跡へのバスに乗りました。つまり、14時少し前にようやくマチュピチュ遺跡へ入りました。心配しなくても、入場券の朝6時から12時正午までは関係なく、ゆっくりガイドの説明で3時間ちょっとで遺跡観光ができました。列車の遅れのおかげで、同じホテルの日本人二人もすぐに合流し、結局私と一緒に遺跡観光しました。
ガイドはもちろん英語ガイドです。グループには、列車で一緒だったメリーランド州からの夫婦、インド人夫婦、オランダ人女性などです。可愛そうなのはオランダ人女性で、この2400メートルの遺跡の軽い階段などだけで息が上がっています。言い訳のように、私は普段標高マイナスの所に住んでいるからと。なるほど、我々以上に、国土が水面下のオランダ人には高地はよりきついかもしれません。私とほぼ同じ年代なのに、私も時々手を引いてあげたりして介助(?)してあげました。
ダイアモックスを内服すると、時に軽い副作用が出ます。今回は、初日にほんの少し手先がしびれ、この日は顔に膜がはったような軽い違和感があります。軽い末梢神経炎です。でも、内服を止めればすぐに元に戻ります。心配ありません。気を付けないと日本人は副作用に騒ぎ過ぎる傾向があります。
実は、この列車トラブルによる観光時間の遅れがラッキーで、ガイド曰く予定通り午前中の観光だったらずっと雨で、雲が厚くワイナピチュ山も見えないほどだったそうです。ところが、遅れて午後の観光になったので、開始時こそまだ小雨、曇っていたものの、次第に晴れ上がり暑いくらいになりました。雨合羽も準備していました。おかげでバッチリいい写真が撮れました。虹も見えました。野生(?)のリャマがいて一緒の写真も撮れました。
6時にはここマチュピチュ村のホテルにチェックインしました。田舎のホテルと馬鹿にしていたら、トリプルの豪華な部屋(一人で寝るのでベッドは3つも要りませんが)でした。しかも、今回初めてバスタブまでついています!外で食事をして、たくさんあるマッサージ屋へ行きました。45ソーレスと安いと思っていたら、45ドルの間違いで1時間5千円ちょっとですから日本と同じくらいの値段でした。
クスコの標高は3400メートルもありますが、ここマチュピチュ村はむしろだいぶ低く2400メートル程度のようで、SPO2が正直で86~90%くらいに上昇しています。脈拍も少し落ち着いていて、80~90程度です。明日はクスコに戻るので、まだ予防的にダイアモックスは飲んでいます。
【1月21日(日)】
せっかく30年越しにマチュピチュまで来たので、もう一日確保しています。何をするのか?あの写真で見慣れたとんがり山、Waynapicchuワイナピチュ山へ上る入場券(午前10時から)を予約しています。ちなみに、ケチュア語でワイナピチュ山が「若い山」で、Machu Picchu は「老いた山」の意味だそうです。
ホテルからバスで移動するだけで、しかも10時まで入山できないので、久しぶりに朝ゆっくり起きました。と言っても、明日も早いのでペースをくずさないように、昨夜10時半頃早く寝て、5時半には起きましたが、それでも7時間たっぷりと寝れました。睡眠時無呼吸症候群のある私は、外国でもずっとCPAP(continuous positive airway pressure, 経鼻的持続陽圧呼吸療法)を使っています。特に、高地ではもともと酸素がすくないので、無呼吸があると体へのダメージも大きく高山病にもなりやすくなります。予防薬ダイアモックスとCPAPを両方使用している私は無敵です!
マチュピチュ村は標高2400メートル程度で、朝起きてからSPO2をチェックすると85~90%と変動しますが、時には90%近くまで上がります。脈拍は90~100と安静時にしては相当上がっています。
のんびりとバス停まで歩き、バスに乗って25分ほどで昨日と同じマチュピチュ遺跡の入り口へ、そして昨日確認したワイナピチュ登山用の近道(結局、昨日の遺跡を通過します)でちょうど10時に入り口へ着きました。少し列ができています。
いざ上り始めると、「登る」ほどはありません。かなり急斜面に下からは見えますが、ちょっと急な階段が一部ある程度で、割と整備された山道をひたすら上ります。年齢の割には普段から週2回のシングルステニスをしている私にとっては、脚力的には若者を追い抜くくらいです。でも、ここは高地。心肺機能がもちません。足はどうもないのですが、すぐに息が上がるのです。無理もありません。安静時でも、ここでは脈拍が100近くあるのですから、少し階段を上るとたぶん130~140に上がるのでしょう。無理はせず、少し追い抜かれてもたびたび休憩(約30回)して息を整えました。それでも80分ほどで頂上まで上がりました。
いつも画像で見ているマチュピチュ遺跡と反対側からの景色をしばらく楽しんでから下りました。当然、下りは楽です。膝には負担がきますが、足腰自体には自信があるのでほとんど休憩なしで一気に下りてきました。45分程度です。登山記録のサインをした入り口(出口)でサインをして時間を確認すると2時間5分でした。目安として書いてあるのが2時間ですから、標準でしょう。
昨日間に合わず使えなかったサンクチュアリロッジ(遺跡入り口のホテル)のブュッフェ券を使いゆっくり昼食を取りました。食欲もあまりないし、主に野菜サラダにレモンをたっぷりかけて食べました。大好きなのに日本ではあまりない真っ赤なビーツももちろんたくさん食べました。コカ・コーラを飲んでみたら機会が壊れているのかものすごく薄い味でした。でも、名前が気になっていた黄色い地元のインカ・コーラも炭酸も味も薄い気がしました。機械が壊れていたのかもしれません。
計算通り、2時半にはマチュピチュ村のホテルへ戻り、時間があるので、預けた荷物から水着セットを取り出し、歩いて近くの温泉(Banos Termales)へ行きました。20ソーレス(700円程度)で、地元民は半額10ソーレスのようです。ですから、別府の温泉地の大衆浴場のような感覚で地元の人がたくさんで賑わっていました。海外の温泉に詳しい私ですが、世界では標準の屋外温泉で水着を着用して混浴。周りの絶景を楽しみながらの入浴です。7つくらいプール型の浴槽があり、温度はやはり低目で一番熱いのが39度、低いのは28度とかなり低目でした。
4時22分発のマチュピチュ行き列車に間に合うように、ホテル経由で列車の駅へ行きました。帰りも同じ席、A列車40番で通路側でした。でも、今日は隣のリンダがいないので、窓側に移動し、景色をより楽しめました。確かに、外の景色の写真はここからの方が撮りやすいのです。
午後6時10分過ぎにオリャンタイタンボ駅に着いた頃にはほとんど真っ暗です。迎えの運転手(行きと同じ)が待っていてくれ、2時間ほどでクスコの街へ戻りました。疲れて寝ていたのであっという間に着きました。前と同じホテルです。
期待もせず、歩いて近くのレストランへ夕食に行きました。Pollo a la grillia(グリルしたチキン)とSopa a la creola(クレオール風スープ?)を注文しましたが、今回のペルーで初めて「本当に美味しい」と思える料理に当たりました。大して美味しくないのが続いていたので、自分の体調のせいかなとも思っていましたが、やはり美味しいものは美味しいようです。イタリアと違って美味しいものに当たる確率が低いだけなのでしょう。
明日も早いので、早目に寝ましたが、やはりクスコに戻ってホテルで測るとSPO2は85~87%程度までで、また低空飛行です。脈拍もやはり100近くまでと高目です。今晩、最後のダイアモックスを内服しました。明日の朝早く標高0メートルの首都リマへ飛行機で移動ですから。
今まで高山病に関連して、簡単に測れるSPO2(末梢血酸素飽和度)のことばかり書きました。でも、高地になると空気中の酸素が薄くなり、その影響が大きいことは誰でも分かりますが、実は個人的には気圧が低くなることも高山病の発症には影響大だと思っています。写真で示しますが、成田空港で買ったハイチューの袋が高地(約3500メートル)に着くとパンパンに膨れ上がっています。この低気圧の影響が人体の臓器にも表れるはずです。ただ、酸素と違って簡単にその影響を測る方法がありません。だから、医学書でもすべて酸素の影響で説明しています。
人間の体の不思議なところで、別の方向から見ると、むしろ高山病にならない人も多いのです。つまり、適応してしまえるのです。それと、何回も書いたように私はダイアモックスという薬のおかげで高山病は予防できます。でも、ダイアモックスという薬はSPO2を上げません。つまり、必ずしも酸素の取り込みが少ないことを補ってくれてはいないのです。また、私自身の経験では高山病になった後で酸素を吸っても無効でした。これらが個人的に低気圧の影響も大きく、ダイアモックスという薬はこの低気圧に関して何らかの作用をしてくれているのだろうと想像しています。
【1月22日(月)】
午前5時15分に約束通り迎えの車が来ます。空港まで30分もかかりません。フライトは7時25分発ですから、かなり時間に余裕があります。LATAM航空で以前LAN航空と合併したようです。今でも両方の名前が書いてあるので区別がはっきりしません。9時にはリマ空港へ到着し、迎えの車でまた初日と同じリマのホテルへ午前10時にはチェックインしました。と言っても、深夜のフライトに備えて day-use です。こういうのは、普段のように自分で手配する場合は難しいと思います。今回は初めて、半分ツアー形式にしましたが、目的地を選べ、日程も選べ、ホテルやナスカの地上絵を見るためのセスナ機の手配やデイユースのホテル手配など、全てスムーズにいき満足しています。
近くの cafe21 というカジノに付設したレストランで昼食を取りましたが、メニューがはっきりせず、無難な Lomo saltado(ペルー式牛焼肉定食)にしましたが、それなりの味でした。
一応、午後2時からリマ市内ツアーがあります。英語ガイドで、台湾出身のアメリカ・ロサンゼルス在住の若い中国人カップルと私の3人でした。最初にホテルと同じミラフローレス地区海岸にあるモニュメントのある恋人たちの公園へ行きました。恋人が抱き合ってキスしている巨大なモニュメントがあり、度肝を抜かれます。次に、ワカ・プクジャーナHuaca Pucllanaへ行きます。紀元後から600年にかけてのリマ文化遺跡です。アドベ(日干しレンガ)が積み上げられています。
よくある英雄の銅像があるサン・マルティン広場で車を降り、みんなで歩きます。歩行者天国のラ・ウニオン通りをゆっくり歩き、路上パーフォーマンスなどを楽しみながら、アルマス広場まで来ました。目の前に豪華な教会であるカテドラルがあります。数日前、ローマ法王が訪問したばかりで歓迎の大きなポスターが張っています。すぐ裏には、同じく1500年代に建てられたサン・フランシスコ教会・修道院があります。
もう30年も前の話で、うろ覚えですが、リマの街中(たぶんこの辺り)は非常に治安が悪く、昼間でも「泥棒の目をした」人々に囲まれている感じで、さすがの私もホテルにすぐに引き上げた記憶が鮮明にあります。そのことを正直にガイドに言うと、たぶんそれは間違いではない、でも時代は大きく変わったと言っていました。
せっかく、ホテルの一部屋を与えられているので、ゆっくりシャワーを浴び、洗髪し、すっきりしてから近くを歩いて安食堂を見つけました。先日美味しかった Sopa a la creola を注文しましたが、やはり同じ名前のスープでもここのはそんなに美味しくありませんでした。ボリュームはたっぷりでしたが。
午後9時に、迎えの車が来て、リマ空港へ移動しました。渋滞がありましたが、それでも10時過ぎには到着しました。深夜1時05分発のアメリカン航空便ですからたっぷり時間があります。しかも、JALカードサファイア会員になれたおかげで、リマ空港でもSUMAQラウンジ(ワンワールドグループ共通)が使えたのでゆっくりできました。
成田空港からダラス空港ではいつものように、最初にアメリカ入国で預け荷物を一旦受け取らなければなりませんが、帰りのペルーからアメリカへ入国時は不要で成田空港まで受け取る必要がありません。同じアメリカ大陸なので、基準が甘いのでしょうか?
【1月23日(火)】
少しでも外を見たい私は可能な限り窓際席を取ります。夜間の便だし、到着時も暗いかもしれませんが。実際、離陸時夜景の写真が撮れました。リマ午前1時05分発のアメリカン航空便、機体はあまり聞かないB757でした。ラッキーなことに、普通席2列目窓側ですが、1列目が窓側と隙間があり、小柄な私には楽にすり抜け可能です。来る時は、隣が女性で、通路側の男性も席を立ってくれないので、少しで出入りに苦労しましたが、帰りは楽勝です。海外の航空会社はサービスが適当なので、イヤホンも自前で準備しています。帰りはマイアミを経由せずに、直接ダラス空港行きです。7時間くらいかかるのに、個別モニターもありません。夜間便とはいえ、食事やドリンクも何も出ず、降りる前に朝食のみが出ました。余計なことはせず、機内で寝てくださいモードです。
1時間時差のあるダラス空港へは朝6時50分頃到着しました。呑気なもので、私が到着前に薄暗いダラスの街の写真を撮っていたら、私もとCAがスマホで写真を撮っていました。日本のCAではたぶんこんなことはないでしょう。
最後のダラス~成田便(アメリカン航空)の出発時間は午前10時50分。ここでも時間がたっぷりありますが、リマ空港と同じでワンワールドグループの Admirals Club ラウンジが使えるのでゆったりできました。B777-200の機体ですが、久しぶりに機内はガラガラ、超ラッキーです。雑談したCAも自分が乗務した機体でもこんなに空いているのは初めてだと言っていました。と言うことで、久しぶりに中央の4席を全部使って、真横になって数時間熟睡できました。
今回は行きと帰りの太平洋線では、ゴッドファーザー3作をまとめて見ました。イタリア・シチリア島にこの映画の影響で興味を持っているお客さんがいるので、改めてこの3部作を見ました。
【1月24日(水)】
ガラ空きのせいで、ゆっくり、ゆったり過ごせたフライトでしたが、時差の関係で予定通り翌日午後3時には成田空港へ到着しました。でも、福岡までの帰りはマイレージで全日空の羽田~福岡便で午後7時ですから、リムジンバスで移動してもまだ余裕がありました。自宅に着いたのは午後10時過ぎでした。
こうして、5泊8日のペルーの旅が終わりました。
空飛ぶドクター(登録商標)
坂本泰樹
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- アメリカン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エス・ティー・ワールド
PR
-
アメリカン航空で出発
-
まぁまぁの機内食
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ダラス空港売店にて
改めてカロリーの高さに唖然と! -
空からのマイアミ
-
綺麗なマイアミの海
-
リマ空港
-
このセスナ機でナスカの地上絵へ見に
-
ナスカの地上絵
宇宙人 -
ナスカの地上絵
サル -
ナスカの地上絵
ハチドリ -
ナスカの地上絵
クモ -
ナスカの地上絵
観測塔のある場所
木 -
ナスカの地上絵
観測塔のある場所
木と手 -
ワカチナ砂漠
バギー車遊び -
ワカチナ砂漠
-
ワカチナ砂漠にある
オアシス -
昼食
パパ・ア・ラ・ワンカイーナ
ポテトにクリームソース -
ペルー風
牛焼肉定食 -
レストラン
Punto azul
期待したほどは美味しくなかった
シーフード・レストラン -
セビーチェ
-
空からのクスコ近郊
-
クスコ
サッカー競技場が立派 -
クスコ
サント・ドミンゴ教会 -
アルマス広場
右端がカテドラル -
クスコ
アルマス広場
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス -
クスコ郊外
ケンコー -
クスコ郊外
タンボ・マチャイ
インカ時代の沐浴場 -
クスコ
ペルー料理
ウェイトレスに座ってもらって -
クスコ郊外
観光客用のリャマ -
クスコ
クイ(テンジクネズミ)の丸焼き! -
オリャンタイタンボ駅
-
クスコ(オリャンタイタンボ駅)から
マチュピチュ駅へ行く列車 -
着いたばかりのマチュピチュ
雨と雲でほとんど何も見えない! -
だんだん見えてきた
-
ついに雲が切れてきた
マチュピチュ
後ろに見える山がワイナピチュ山 -
マチュピチュ遺跡
-
太陽が出てきたマチュピチュ
-
真横に走る虹
-
マチュピチュ遺跡の中
-
マチュピチュ
-
リャマのいるマチュピチュ
-
ガイドと共に
パスポートにマチュピチュの押印 -
マチュピチュ村の中心地
広場
教会 -
セビーチェ
左にスウィートポテト
右にトウモロコシのフライ -
マチュピチュ
翌日
今日はこの山(ワイナピチュ山)を登る -
ワイナピチュ登山
入り口 -
いつもと反対側からみるマチュピチュ遺跡
見える山がマチュピチュ山 -
マチュピチュ遺跡
-
ワイナピチュ山の頂上から
マチュピチュ遺跡を見下ろす -
前日以上に晴れてきれいに見えた
マチュピチュ遺跡 -
マチュピチュ温泉入り口
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大自然の中の温泉
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マチュピチュ温泉
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マチュピチュ~オリャンタイタンボ駅
途中の景色
川に沿って汽車は走る -
クスコ
夜のカテドラル
アルマス広場 -
美味しかったグリルチキン
クスコ -
成田空港のハイチューが
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高地(3500メートル)でのハイチュー
袋がパンパンに張っている
それだけ周りの気圧が低い! -
競って走った思い出の
クスコ空港搭乗口
もちろん塔乗橋はない -
空からのクスコの街
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リマ
海岸の公園
恋人たちの公園 -
恋人たちの公園
巨大なモニュメントで
抱き合いキスするカップル -
リマ
ミラフローレス地区
ワカ・プクジャーナ -
サン・マルティン広場
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リマ
ラ・ウニオン通り -
リマ
ラ・ウニオン通り
パーフォーマンス -
アルマス(マヨール)広場
カテドラル -
ローマ法王歓迎の大きなポスター
カテドラル -
リマ
サント・ドミンゴ教会・修道院 -
空からのリマ
夜景 -
ダラス空港のモニュメント
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昨年仕事で泊まった
ダラス空港
ハイアットリージェンシー・ホテル
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