2018/01/18 - 2018/01/21
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Weiwojingさん
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久しぶりの長崎訪問。今回はあまり有名な観光地を巡ることはせず、かっての江戸時代からの外国に開かれた都市の繁栄を極めた長崎の歴史を求めて歩いてみた。
「和華蘭」とは、和は日本、華は中国、蘭はオランダ(西洋)のことで、長崎がこうした文化にミックスされて発展を遂げてきた。長崎は位置的に中国に近く、また西洋文化も人々の往来もマカオやマニラ、上海経由でやって来たので、他の都市には見られない独自の文化を育んできた。そうした魅力を今なお感じることが出来るのが長崎の魅力である。
- 旅行の満足度
- 5.0
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羽田から飛行機で長崎に向かった。あつという間に外の風景は雪に覆われた山々に変わった。どのへんか分からないが、羽田を出て20分位の所である。
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機内から見る外の風景は雪に覆われた山々が次々に見えた。1時間半ほどのフライトであっという間に長崎空港に到着した。
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空港からはバスで長崎市内へ向かい、長崎駅の手前の長崎新地ターミナルでバスを降りた。ここから歩いて5分位のところに位置するホテルモントレ長崎に向かう。このホテルは長崎に来ると泊まることにしている。長崎市内の移動には便利で、値段も手ごろなので、小生の好みのホテルである。
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ホテルの入口。いかにも南欧風(ポルトガル風)といった風情がある。
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ロビーはまるでポルトガル風で、入った途端にその独特の雰囲気に圧倒される。
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同じくロビ―の様子。中央左側のドアを入るとチャペルがあり、結婚式が執り行われるようになっている。
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部屋はそんなに広くはないが、落ち着いた色合いが好ましい。
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朝のダイニング・ルーム。割と種類は豊富であった。
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長崎市内の移動には路面電車を利用した。「電車一日乗車券」というのがあり、1日何度利用しても500円というものである。ホテルで購入でき、一日大いに利用させていただいた。
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乗車券には路面図のほかにどこの何があるか分かるような説明があり、大いに役に立った。
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全国で路面電車が走っている都市はそんなに多くはないが、長崎は都市交通の手段として大いに利用され、市民の足となっている。小生も今回は何度も利用した。
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レトロな電車が街中を走り、長崎の街にぴったりである。
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幸いにしてまだ乗客がいなかったので電車の中を撮ってみた。路面電車はスピードはそんなに出ず、ゆっくり走るので、のんびり動きまわるにはちょうど良い。
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長崎に来たらまずここを訪ねてみたいと思った。「平和祈念像」のある平和公園である。実は、ここには十数年前に修学旅行で来たことがあり、強烈な印象を受けたが、それから長崎に来ることはあっても、ここまでは来なかった。
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この平和祈念像は作者が北村西望で、彼の次のような言葉が残されている。
あの悪夢のような戦争
身の毛もよだつ凄絶悲惨
肉親を人の子を
かえり見るさえ堪えがたい真情
誰か平和を祈らずにいられよう
茲に全世界平和運動の先駆として
この平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲
それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺余
右手は原爆を示し左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
是人種を超越した人間
時に仏 時に神
長崎始まって最大の英断と情熱
今や人類最高の希望の象徴
昭和30年春日 北村西望
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「平和祈念像」は周囲が池のように水で囲まれているとは知らなかった。
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祈念像の周囲には外国から贈れた様々な彫像(諸国民友好の像)が置かれている。これはソビエトから贈られた母子像である。
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こちらの母子像はチェコスロバキアから贈られたものである。
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中国から贈れた像である。
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ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)から贈られたモニュメント。平和像の周囲にある外国から贈られた記念像はどちらかと言うと、かつての社会主義の国ばかりのような感じがするが、どうなのだろうか。
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長崎刑務所浦上刑務支所遺壁が残されていて、これは原爆に破壊されながらもわずかに残る遺構である。被爆で受刑者や看守等134人全員が死亡した。中には中国・韓国人45人も含まれている。
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「サントス通り」を辿って浦上天主堂へ向かった。
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前から一度訪ねてみたいと思っていた「浦上天主堂」へ出掛けた。平和公園からすぐ近くにあり、5分も掛からずに到着した。
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正面入り口の上には十字架磔像と左右にマリア像がある。
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教会を背後にして1945年の原爆投下で破壊された会堂の遺跡が置かれている。聖人像が3体ある。このほかにも周囲にはいくつか置かれていて、この教会を破壊したそのすさまじさに驚かされた。
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これも原爆投下で破壊された鐘楼(北側)で、かつて置かれていた同じ場所で今もその姿を物語る唯一の遺構である。
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原爆投下で破壊された天主堂に残されていたフィリピン・ボホール島からもたらされた聖母像で、約100年前のものが展示されている。
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中国風の獅子も被爆し、その姿がそのまま残されている。
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天主堂の中に入ってみた。ステンドグラスを通して入って来る光が柔らかな雰囲気を醸し出し、しばし瞑想の時を持った。
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正面祭壇の部分。
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会堂の入口を撮ったもので、入口頭上にパイプオルガンがある。
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ステンドグラスが美しい。
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ステンドグラスにはそれぞれ物語が描かれている。
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暗闇に浮かび上がるように、夜間はライトアップされていた。この時間帯になると日曜日以外は訪れる人は全然おらず、静寂そのものであった。
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入口にはローマ法王のヨハネ・パウロ二世の胸像がある。法王は1981年(昭和56)日本を訪問され、東京、広島、長崎を訪ね、この天主堂ではミサを執り行った。
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会堂の裏の方回ってみた。日本二十六聖人殉教者の一人・聖ルドヒコ茨木の像があった。
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これは「拷問石」で、信徒が信仰を破棄しないとこの上に正座をさせられて、苦しみを受けたという。石の下には十字の印が描かれている。
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大浦天主堂の近くに「浦上キリシタン資料館」がある。2014年(平成26)の開館で、「浦上四番崩れ」をはじめとする浦上の隠れキリシタンの歴史的資料や教会資料が展示されている。大いに参考になった。
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松が枝国際ターミナルには外国からのクルーズ船が停泊している。この船は中国からのクルーズ船のようで、朝早く大勢の中国人観光客の姿を見かけたが、この船をホテル代わりに利用して、あちこち観光地を見て回っているようであった。
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名前が「○唯真喜悦号(Norwegian JOY)」とあるので、中国から来ているものと思われる。
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長崎と言えば、食べ物では「ちゃんぽん」が先ず挙げられる。今回、ある食堂で食べたちゃんぽんには生卵がのっていた。このようなちゃんぽんは初めてである。
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別な店で食べたちゃんぽんであるが、上記のものとかなり異なる。こちらには生卵がのっていない。
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「皿うどん」も長崎名物であり、「ちゃんぽん」と肩を並べる食べ物である。小生はどちらかと言うと、ちゃんぽんの方が好きである。
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「日本二十六聖人殉教地・記念館」はJR長崎駅近くの丘の上にある。
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磔になった殉教者の中にはまだ成年に達しないような子供もいた(右端)。
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殉教者像の裏側には記念館があり、しばし見学した。
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1階展示室の様子。切支丹に関する豊富で、様々な資料が展示されている。
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記念館を見学した。日本に切支丹をもたらした聖フランシスコ・ザビエルを描いたステンドグラスがある。
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こちらは細川ガラシア夫人である。
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最初のフイリピン人殉教者の聖ロレンゾ・ルイスの像がある。彼は磔になった26聖人の一人である。
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日本二十六聖人殉教地の隣にある「聖フィリッポ西坂教会」はどこかスペインのアントニオ・ガウデイを思わせる作りで、設計者は殉教紀念館と共に今井兼次である。
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今井兼次は昭和初期にガウディを日本に紹介した建築家で、道理でこの西坂教会もガウディ風の建築だと思わせられた。
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凶器の内部はごてごてしていず、カトリック教会にしては簡素な感じである。
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正面祭壇上のステンドグラス。
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長崎には江戸末期から外国から渡来してこの地でなくなった多くの外国人がいる。彼らの亡骸を葬った墓地が何か所かあり、今回は坂本国際墓地を訪れてみた。
幕末期にイギリスからやって来て証人として活躍したトーマス・グラバーと彼の家族の墓がある。 -
右側がグラバーと彼の妻ツルの墓、左が息子の倉場富三郎の墓である。
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ユダヤ人の集団墓地があった。長崎にはユダヤ人との関わりがあったとは初めて知った。市内にはシナゴーグがあったそうだ。
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この墓地には旧長崎医科大学(現長崎大学医学部)放射線学の教授であった長井隆博士と妻の緑の墓がある。
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「シ―ボルト通リ」を通って、「シ―ボルト記念館」へ向かった。
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鳴滝と呼ばれる地区があるが、江戸時代は閑静な場所で、通辞たちの家や別荘があった。
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しばらく歩くと、シーボルト宅跡がある。1823年(文政6)に長崎にやって来たシーボルトは幕府の許可を得て、ここに「鳴滝塾」を設けた。全国から学者や門人が集まり、近代医学を学んだ。
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隣接地には「シーボルト記念館」があり、外科道具や薬籠など、シーボルト関係の資料が展示されている。
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長崎の夜は静かに更けていった。宿泊していたホテルのすぐ近くにちゃんぽんの元祖「四海樓」があり、建物全体がライトアップされていた。この辺りを歩いてみた。
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「長崎べっこう工芸館」のライトアップされた様子。
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「旧香港上海銀行長崎支店記念館」
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中国の革命家孫文と彼を援助した梅屋庄吉夫妻の銅像が旧香港上海銀行長崎支店記念館前にある。
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「大浦天主堂」は夕方5時をすぎると、閉館され見学は出来ないが、夜間は入口がライトアップされ、美しい姿を見せている。
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JR長崎駅には美しいステンドグラスがあり、利用する度に目が向き、長崎に来たことを実感させられる。
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長崎の街にはあちこちでネコの姿を見つけた。
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2頭とも同じような毛並みをしていて、親子(?)なのかも知れない。
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「長崎歴史博物館」を訪ねた。これで2回目の訪問である。今回は興味ある講演会の出席と博物館見学の両方の目的があった。
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博物館には大きな「南蛮人来朝之図」が展示されている。これは南蛮貿易を描いた屏風で、南蛮船(ポルトガル船)の来航と貿易、南蛮寺、南蛮人などが描かれている。
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南蛮船が到着した時の様子。
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小舟に乗り換えて上陸。
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南蛮人が街中を歩いている図。
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街中を歩く人々の中には黒いマントに身を包んだ聖職者の姿も見える。
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南蛮寺が描かれている。
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珍しい写真があった。
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「サント・ドミンゴ教会跡資料館」に立ち寄ってみた。
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