1987/02/13 - 1987/02/16
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SUR SHANGHAIさん
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★2023年9月:新たに出てきた画像+記録の内容をアップします。★
今は昔。
1980年代後半に台湾に滞在し、あちこち行ってみた時の紙焼き写真の発掘整理も徐々に進んできたので、少しずつ旅行記にアップしてみようと思います。
澎湖諸島(ほうこ・しょとう、またはポンフーしょとう)というのは、台湾本島から見ると西へ約50kmの台湾海峡上にある大小の島々。
90を数える島々の内、人が住んでいるのは澎湖本島をはじめとする19の島で、主要な産業は観光業と漁業だけ。
よって、この時期には台湾本島に職を求めて移り住む人が多かったんですが、2000年代に入ってからは観光業が急速に発展したため、今ではUターン組も増えているんだそう。
澎湖諸島を訪れたのは、まだまだ観光開発はされていなかった1987年と1989年の二度。
この編では、1987年の様子を取りあげます。
表紙の画像は、澎湖諸島の一つ白沙島の通梁村にある保安宮 。
通梁古榕樹と呼ばれる大きなガジュマルの木の下で19路盤(?)の囲碁に興じている人々を見かけました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船 徒歩 バイク 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝7時半の便で、台北から飛行機でひとっ飛びして着いたのは、澎湖諸島(ほうこ・しょとう、またはポンフーしょとう)の中でも一番大きい澎湖本島南西部にある馬公市(ばこう・し、マーコンし)の空港、澎湖空港。
今はどうか知りませんが、当時の澎湖空港は野原の真ん中にある小さな空港で、空港から街へと向かう道の周辺には、住民が去った後の民家が廃墟になっていくつも。
こんな古民家廃墟はその頃の澎湖諸島ではよく見かけました。 -
当時の馬公市は澎湖諸島中で一番大きな町とは言え、気の利いたホテルはまだ無くて、帰りの飛行機を手配に行ったこの臺灣航空公司(TAIWAN AIRWAYS)のオフィスで民宿っぽいお宿を紹介してもらって一安心。
2023年9月に新たに出て来た記録によると、文石飯店と言う名で400元だったらしい。
この臺灣航空公司(TAIWAN AIRWAYS)は、聞いたことが無い人が多いのでは?
1966年から1998年まで運行していたようですが、どんな機種を使用していたのかなどは失念。
この頃はそういった写真をほとんど撮らなかったり、残っているネガや写真も不完全なのが悔やまれます。(^^; -
ネガも写真も不完全ですが、出て来た写真を記憶をたどって並べて行こうと思います。
これは馬公市街地にあった薬房(薬局)。
コンクリート打ちっぱなしの外壁に、ペパーミント色の窓や戸、それに新しい看板の色がずいぶん浮いていたような。
看板に書かれている≪西薬≫というのは西洋から来た薬の意味で、薬は薬でも、中薬(漢方薬)の店ではないぞ、というのをはっきり示しています。
この頃はまだ「西薬は信用できない。」っていう人が結構いて、SUR SHANGHAIが風邪を引いた時にわざわざ漢方薬を煎じてくれた人がいたっけな。 -
馬公市のちょっとした食堂の店先。
テーブルの下に、変な格好で寝ているワンちゃんが。
息、苦しくない? -
イチオシ
馬公市でバイクを借りて、澎湖本島+白沙島+西嶼島を回ったSUR SHANGHAIとその旦那。
上記三つの島はこの当時すでに橋で結ばれていて、車もバイクも通れたんです。
2023年に新たに出て来た記録によると、この時訪れたのは、西嶼灯台、西台古堡、小門嶼、跨海大橋、保安宮、それに観音亭。
で、ここは白沙島の通梁村にある保安宮という道教のお寺さん。
お寺自体の写真は目下未発掘。
寺院前に樹齢300年を超える通梁古榕樹 という大きなガジュマルの木があって、その下は格好の風除けや日差し除け。
この写真にも、枝や幹を支える柱や梁が何本も見えています。
地元の人たちの憩いの場にもなっていて、この時には囲碁に夢中になっている人たちが。 -
澎湖諸島は大きな山が無く、台地状の吹きさらしの島々。
この時は2月の半ばと言う台湾でも寒い時期だったせいもあって、どこも冬枯れた景色。
そんな景色の中に、放し飼いの牛をよく見かけました。
島のあちこちにこんな石垣がありますが、これは土地の境界線として使われているほか、畑の作物を風の害から守る役目もしています。
後年行ったアイルランドのイニシュモア島や、スペインのランサローテ島でも同じような石垣を見て、『ああ、澎湖に似ているな。』と思ったのよね。 -
風の強い澎湖諸島には大きな木は育たず、せいぜい藪のような茂みがあったり、たまに見かける木もこの画像程度の大きさ。
それも、風になびくような形になって枝が一方だけに長くなっています。
通梁村の保安宮前にあるような大きなガジュマルは例外ですが。
今は植林事業とかも進んでいるのかも? -
廃墟になった古民家が多かった澎湖諸島。
職を求めて台北などに移り住む人が多い時期だったから?
今ではこんな古民家はきれいに修復して、観光資源にしているんじゃないかな。 -
台湾の古民家と言えば赤いレンガ造りの物を思い浮かべますが、澎湖諸島では本体の壁は石を塗り固めたお宅がほとんど。
屋根の合わせ目の形や、赤い瓦を使っているのは台湾本島と同じみたい。 -
澎湖諸島で見かけた古民家廃墟の窓コレクション。
窓が小さいのは、防犯上の理由だったんでしょうね。
窓の隙間を石で埋めているのは何か意味があるのかな。 -
澎湖諸島での石垣には、珊瑚石が多用されていた。
自分たちで海辺から拾って使っていたのかも。
赤いレンガを使う部分が少ないのは、資金節約のためだったように思う。 -
石垣が続くこんな小路を歩いて行くと…、
-
…門構えだけを残してがらんどうになった民家の跡があったり…、
-
…まだ人が住んでいるのがありありと分かるお宅があったり。
門の右上には、ここがどこの地区なのかを示すプレートが出ているんですが、潮風と夏の日差しですっかり色が落ちていたのが残念。
左手の表札で、ここの主が鄭さんなのだけは分かりました。
門の上部に≪国恩≫と書かれた赤い紙が貼ってあるのは、この当時はまだあった徴兵制度に関係があるのかも?
今では台湾の徴兵制度は無くなりましたが、その沿革などを知りたい方は、次のウィキペディアのページで見てみるといいと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/中華民国徴兵規則 -
ここのお宅にもまだ住人がいる気配。
小振りながらも壁面装飾が見事で、新築だった頃はさぞや立派だっただろうなと思わせる風格有り。
後年行った金門島の水頭村には、これと同じスタイルの建築物も多数あり、保存対象になっていました。
金門島水頭村の雰囲気と見比べてみたい方は、次の旅行記も併せてご覧ください。
★風獅爺の待つ金門島へ(6) -水頭村のシュールな中・洋折衷建築群
https://4travel.jp/travelogue/10766021 -
白沙島から、当時すでにあった跨海大橋を渡って西嶼島へ。
ここはその西嶼島の北端にある鯨魚洞。
台湾海峡にある澎湖諸島には、打ち寄せる波によって形作られた奇岩が多数ありますが、これはその中でも規模が大きい物。
で、借りたバイクにまたがっているのはSUR SHANGHAI、
…ではなく、(^^;
まだ共に学生だった頃の旦那。 -
西嶼島の南へ移動。
これは、西台古堡とか西嶼西台と呼ばれるトーチカと砲台を持った軍事施設の遺構。
最初に建設されたのは1681年で、清仏戦争の際にはフランス軍に占領されたという歴史があります。
この1987年にはもうすでに使用はされていませんでしたが、観光用に特に整備もされていなかったので、ちょっと怖い雰囲気がありました。
内部や設置されていた砲台の写真も撮った記憶はありますが、写真もネガも行方不明。
その内に昔の荷物の中から出土するかも。 -
馬公市に戻って、夕暮れ前に民宿の近くの漁港へと行ってみた。
-
馬公の漁港に停泊していた漁船。
淡い藤色の船が多いのが、日本の漁港とはちょっと違う眺め。 -
これも馬公の漁港。
獲れた魚の水揚げに集まってきた人々がいて…、 -
…魚は次々に競りにかけられていく。
今日の漁師さんは儲かったかな? -
半端な魚は、自分の家で食べるために、奥さんがその場でさばいて…、
-
…すぐに食べきれない分はこうやって開いて干物に。
台湾だと、魚の干物は背開き。 -
イチオシ
沢山の人が集まる岸壁には、漁業とは直接関係の無い商売の屋台もあれこれ。
これは刃物屋さん。
日本の包丁類とはまた違った形の物ばかり。
柄の間から、包丁屋さんの顔が見えたところをパチリ! -
漁船に乗っているお父さんを出迎えに来たような子ども達もチラホラいた馬公の漁港。
もうすぐ暗くなるし、下に落ちないように気を付けて! -
馬公の漁港の夕暮れ。
岸壁をちょっと歩いてみると、ウキの付いた漁網や…、 -
…使用済みの木箱が無造作に放り出されていて、ちょっと侘しい眺め。
-
二日目の2月14日には、澎湖本島から七美島へフェリーで。
出発したのは10時50分。
ここは、途中で寄った望安島の港近くの町並み。
この時には、全部コンクリート打ちっぱなしの灰色の建物が多かった。
あ、望安島にも風除けの石垣が作られている!
馬公から出た船はフェリーと言うより観光船くらいの大きさだったと思う。
途中、この望安島にも寄って、そこでお客が乗り降りしたり、荷物を上げ下げする時間が小一時間あったような。
この日は、昨日のどんよりした天気とは打って変わって、このとおり晴れてはいたんですが…、 -
…この写真を見てお分かりのように波が高くて、望安島へ向かっている船内では船酔いをする人が続出。
SUR SHANGHAI一人だけが大丈夫で、旦那は吐きこそしなかったものの、真っ青な顔になっていたっけ。(^^;
で、望安島に着いた時、船内であんなに吐いていた人たちがすぐに物を食べ始めたにはΣ(・ω・ノ)ノ!
なんでも、胃を空っぽにしておくには良くないという理由らしいけど、具合を悪くした直後によく食べられるな、と思った記憶が。 -
望安島の船着き場近くだったと思う。
路上で一人遊びをしている子が。
わ、あんよが冷たくない? -
澎湖諸島の中で一番南寄りにある七美島に着いた後は、やっぱりバイクを借りて民宿のようなお宿も紹介してもらったっけな。
バイクは一日300元、お宿の名は不明ですが300元と言うお値段。
これはその民宿前から見た七美島の風景。
七美島にも山らしい山は無いんですが起伏は多い地形で、やはり風除けのための石垣があちこちに築いてありました。 -
イチオシ
七美島の町角。
これは郵便局から南滬碼頭へ行くバスの停留所。
碼頭は、埠頭の意味。
別にバスに乗った訳では無いんですが、この町角のコンポジションが面白いと思って撮った写真。 -
バイクでの七美島巡り。
こんな吹きさらしの崖の上を通る道があった。
向こうに見える建物らしきものは? と近づいて行くと…、 -
イチオシ
…何のためだったのか、石積みの小屋が半壊になって残っていた。
何だか、最果ての地までやって来た気分。 -
イチオシ
崖の上から見えたのは、七美島の北東部にある双心石滬と言う名所。
これは簡単に言うと、浅瀬に石垣で作られた二つのハート型の魚獲りのための罠。
満ち潮の時に入った魚が引き潮になった時に逃げられない生け簀にもなっています。
この近くの村の住民、顔氏の作だったそうで、七美島に数ある石滬の中で最も美しいと言われているようです。
この時にはまだまだ知られていなかったこの双心石滬。
この後だいぶ経ってから、七美島の観光シンボルのように取り上げられてビックリしたのを覚えてる。 -
七美島の東側の崖に沿って南下して行くと、次に目に入ったのは、半島状に突き出た平らな岩場。
七美島を形成している溶岩が長年の波に削られてこんな形になったんだそう。
台湾本島に形が似ているところから小台湾と呼ばれ、いい釣り場になっているようですが、この日は人影は見えず。 -
崖の下の海岸へ下りて行ける所もあった七美島。
この頃使っていたカメラにはパノラマ機能は無かったので、ちょっとアングルを変えて二枚撮ったのを後で貼って一枚にしてみました。
今から思うと、ずいぶんアナログな作業だったな。(^^;
斜面の階段をちょっと下りて行ってみると…、 -
…斜面半ばには、石と珊瑚を積んで造られた墓地が。
十字架も立っているのが意外ですが、澎湖諸島は1604年にはオランダ人がやって来て貿易も行っていたという歴史があるので、キリスト教もその時にもたらされたと考えても不思議ではないかも。
この時の澎湖諸島の旅では教会は見かけなかったと思いますが、次の1989年の訪問では、古民家を改装して造られたような教会も見つけました。 -
七美島の小さな漁港。
この画像で、七美島が台地状の島なのがよく分かると思います。 -
この家もすっかりがらんどうの廃墟。
寿の字をアレンジした窓の装飾が悲しい。
ここにまだ人々が住んでいて、賑やかに暮らしていた頃があったとは思えない。 -
夕暮れが近くなった。
道の脇で見つけた古民家廃墟の裏手に回ってみたら、西側の壁が壊れていて中が見えた。
西日が差し込むその内部。
物置小屋代わりにまだ使われている雰囲気があった。 -
七美島の夕暮れ。
台湾海峡の向こうに沈んでいく夕日がなんだか寂しかったな。
この後、澎湖本島へはどうやって帰ったんだっけ?
フェリーに懲りた旦那が、飛行機に乗ろうと言ったような気もするけど…。
もう二人の記憶も遠くなってしまったね。
…と思ったら、2023年9月に新たに出て来た記録によると、一人400元のフェリーで馬公へ戻ったらしい。
戻った後のお宿は四海飯店で420元。 -
澎湖本島から台北への帰り道は飛行機で。
松山空港が間近になって、陽明山や圓山大飯店(ザ・グランド・ホテル)の特徴的な姿が見えて来た。
これで澎湖への旅も終わったね。しんみり…。
この2年後に澎湖を再訪するとは、この時にはまだ知らぬSUR SHANGHAIとその旦那です。
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